第2話 ついにやってきた恒和国で、薬師であることを疑われる!?
ストックリーが訪れて不思議の国と称した東洋に浮かぶ島国。恒和国へと、ついにやってきた!
潮風に乗って届く木材や土の香りが、久々の陸地を感じさせてくれる。
船を降りる許可が下りるのを待つ傍ら港を眺め、口元が緩むのを堪えながら、脳裏に書物で見た恒和国の風景を思い描いた。
ついに、憧れの国にやって来たのよ。
この魚臭い潮風も、まだ見ぬ東洋の幻を思えばなんてことないわ。
「おいおい、またマグノリアがあっちにいってるぞ」
「東洋被れは手におえないな」
「せっかくの美人でも、あれじゃ願い下げだよな」
「縁談を断ったって聞いたが、断られたの間違いだろうよ?」
口さがない男たちが、私をバカにする言葉が聞こえるけど、そんなことは些細なこと。
どれほどこの日を待ち焦がれ、船旅を耐えてきたと思っているの。今更、どうでも良い男たちの陰口なんて、羽虫の音みたいなものだわ。
思いを馳せながら、私は磯の風を吸い込んだ。
ここは恒和国が国外に開いている少ない港の一つ、日乃出港。大きな河口にある小さな島のような地形を見るに、三角州を整備した場所だろう。その名に違わず、美しい日の出が見られる名所らしいから、朝を迎えるのが楽しみだわ。
港を行きかう人々の服装は、書物でしか見たことのないものばかりだ。女の人の姿が少ないようにも見えるけど──あれは確か、小袖と袴ね。ズボンに見えるあっちは、確か股引といったかしら。
書物で見てきた絢爛豪華な絵よりも、慎ましやかな色のものを着た者達が多い。だけど、人々が行きかう活気のある様子に、期待は増すばかりだ。
月代といったかしら。頭頂部を剃る髪型をしていると、ストックリーの書物にも書いてあったけど、全員がそうではないのね。
船の上で港を行き交う人々を観察していると、「マグノリア様」と私を呼ぶ声がした。
振り返ると、私の手伝いをするために船に乗ってくれたエミリーが、顔面蒼白で走ってきた。
「どうしたの、エミリー?」
「サムライはハラキリをする野蛮な種族と聞きました」
「……は?」
「突然、斬りかかってくる恐ろしい種族だと!」
「誰がそんな出まかせを言ったのよ」
今にも泣き出しそうなエミリーは、私がため息をつくと、ちらりと後方に視線を向けた。
そこには、この航海の間中、エミリーを口説き落とそうと付きまとっていた男の姿がある。逃げられた腹いせに彼女を脅しつつ「俺の側にいれば安全だ」とか言ったのだろう。
「出まかせ、ですか?」
「当然よ。サムライ──武士の教育は私たちの文化にも引けを取らない素晴らしいものよ。理性もあるし、とても賢明で正義を愛する人たちなの。女を脅して自分のものにしようとするような人の方が、よっぽど野蛮よ」
「では、外を女の人が歩いていないのは、男の人が乱暴を働くからではないのですね?」
「そんなのは全くの嘘ね! 恒和国は女性が少ないだけよ。女性は国民の三分の一らしいから、むしろ、女性を大切にしているわ」
港を指差すと、エミリーはほっと安堵の息をついた。
女性は普通に街中を歩いているし、店を持つ女性だっている。むしろ、エウロパ諸国よりも働き者が多いって、ストックリーも書いていたわ。
「知らない異文化に触れるのは怖いことかもしれないけど」
言葉を切って、私は窓の外を見た。
「見て、エミリー。恒和国の人々の笑顔を。彼らが不幸に見える?」
「いいえ。とても、楽しそうです!」
「せっかく恒和国に来たのだから、エミリーも友人の一人でも作ると良いわ」
「で、でも……恒和の言葉は難しいです」
「そうね。それは私も同感よ。そこだけが心配なのよね」
文献を読み漁り、恒和国を訪れた前任の薬師からいくらかは語学講習を受けてから来た。ある程度、日常会話くらいは出来るだろうと言われたけど、実際はどうだろうか。
「……五年」
「マグノリア様?」
「私に許された時間は、五年。その間に、必ずここで生きるための道を探さないと」
ロゼリア様からは、私の滞在に出資できるのは五年といわれている。
つまり、五年後までに自分でお金を稼げるようになるか、私に出資してくる別の後ろ楯を恒和国でみつけなければならないということだ。
目の前に広がる、本の中でしか知りえなかった世界に、いつまでも浮ついてはいられない。感動と好奇心に胸の高鳴りを覚えながら、私は祈りを込めて手を握りしめた。
入国の手続きが終わるのを待っていると、呼び出しがかかった。
艦長室に入ると、そこには鋭い目をした武士が何人もいた。入国審査をする役人たちだろう。
「そなたが、まぐのりあ・ぷれんてす、か?」
初めて聞く恒和国の人が発した声に、胸の奥がじんっと震えた。発音の違いはあっても、私の名前が呼ばれたことくらいは分かる。
あぁ、なんて感動だろうか。早く、通訳を介さないで会話が出来るようになりたいもだわ。
はいと返事をすれば、中央にいる役人が眉をひそめて唸った。
私は感動で胸がいっぱいだっていうのに、どうしたことだろう。彼らとは明らかな温度差を感じる。何か、入国の手続きで問題でもあったのかしら。
首を傾げて艦長を見ると、こちらも困った顔をしている。
「女子が来るとは聞いていない」
「出港前、予定の薬師が体調を崩しましてな。その代理です。若いですが、腕は彼を凌ぎます。マグノリア、挨拶を」
恰幅の良い我らが艦長は、口ひげを撫でながら私を呼んだ。
「マグノリア・プレンティスと申します」
「……若い女子が、薬など作れるのか」
「作れます!」
バカにしないで欲しいわ。
にっと口角を上げた私は、携えていた厚い本を差し出した。
役人はそれを手にとることを一瞬、躊躇する。
そんなに恐れなくても良いのに。
ちょっと分厚いけど、表紙を開いたら武器や魔物が飛び出すなんてこともないし、いたって真面目な私の研究記録書だ。
恒和国の人は警戒心が強いと聞いていたけど、本当のようね。
「そちらに記していますのは、私の研究する薬のレシピになります」
「れしぴい?」
「はい。日々研究をしております」
笑顔を絶やさず、役人の顔を見ると、彼は困り顔のまま横の通訳と話し始めた。
帳面にございますとか何とか言っているのが聞き取れるけど──うん、やっぱり早口で聞き取るのが難しい。耳が慣れるまでは、専用の通訳がいてくれないと会話もままならないかも。
役人は難しい顔をしながら私の本を捲ろうと指で触れた。その瞬間、私の目にだけ、彼の肘がぽうっと火を灯したように明るく光って映った。
ラッキーね。これなら、彼に私が薬師であることを証明できるじゃない。
この本から武器や魔物は飛び出さないし、魔法を唱えるための魔導書の類でもない。その代わり、触れた者の病や怪我、心身に支障をきたしている箇所が分かる仕組みになっている。魔力感知の魔法を改良した魔法道具だ。
どうやらこのお役人は、肘のあたりを打撲しているようね。この光り方は初期処置がずさんで、後遺症が残っているタイプだわ。
「お役人様、左の肘を怪我されていますか?」
私の言葉を通訳が伝えると、偉そうな役人は顔を強張らせた。うまく誤魔化したって、バレバレですよ。
「む……なぜそれを?」
「はははっ! 一流の薬師にもなれば、気付くことですよ。マグノリア、薬を差し上げなさい」
艦長が機嫌よく笑ったことで、役人は訝しげに私を見たまま黙った。
どうして分かったかは説明に困るところだから、笑い飛ばしてくれた艦長に感謝しないとね。
「この傷は残ると言われておる。今更、軟膏で治るとは思えん」
「恒和国の薬も大層効くと聞いていますが、私の薬は特別製です。朝晩、丁寧に洗ったのちに塗り込んでください。三日もすれば改善がみられると思います」
「三日!?」
通訳の人が私の言葉を伝えると、役人たちがざわざわとし始めた。小声で話す彼らの言葉を聞き取るのは、さすがに難しいわね。でも「信じられない」とか「嘘だ」みたいな、疑わしい反応だっていうのは分かった。
荷物の中から出した傷薬を差し出すと、役人は懐疑的な目を向けた。
調べたところで、何もやましいものは出ないわよ。そもそも、ここで役人に毒を盛ったって何一つメリットはない。ってことくらい、考えれば分かるでしょうに。
胡散臭いものと思われちゃったみたい。
さて、どうしたものか。私の作る薬は、魔法によって素材の分解と生成をしているものだから、効能は間違いないのよ。そこに、回復魔法を物質化した薬液も混ぜているから、軽いケガや炎症は短時間で回復することも出来る。
三日で効果が出るって言ったけど、たぶん、今夜使えば朝には違いが分かると思うわ。
エウロパでは珍しくない魔法薬だけど、恒和国では知られていないのかもしれない。もしかして、ここには魔術師がいないのかしら。
さらに検分が進み、積み荷にも不審なものがないと分かるまで半日かかったが、日乃出港ほど近くにある異邦人の町──関外町での生活が無事に始まった。
次回、本日19時頃の更新となります
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