第18話 エミリーは密命を受けている?
国は違うけど、私と春之信さんの境遇はどこか似ているのかもしれない。
不思議な親近感を感じ、漆黒の瞳を見つめていると、春之信さんは少し口元を緩めた。
「恒和での生活は、楽しいですか?」
「それは勿論! でも……ここにいられるのは五年間なんです」
「五年……」
「その間に、恒和で後ろ楯を得られなければ、国に強制送還されます。そうなったら私は、結婚か修道女になるかを選ばないといけません」
「修道女……その若さで尼におなりか?」
驚きを隠せなかったようで、春之信さんの手に力が込められた。
「行き遅れの令嬢は、そんなものです。修道院から出るには、誰かに見初められるしかない」
勿論、そうならないためにも、私はここで何が何でも功績をあげ、新たな後ろ盾を得なければならない。こうして藤倉家でお世話になっているけど、それも商館という繋がりがあるからだ。私一人に援助してくれている訳ではない。
私個人に援助してもいいという繋がりを作るか、帰られては困るという状況を創り出さなければ、先はない。
「では此度の、花の露を作る仕事は幸いといえますね」
「そうですね。少しでも私を知ってもらえる機会になりますから。でも、それでは商館で名の知れた薬師止まりです。私は、商館を出て生きる道を見つけなければ……」
「藤倉が後ろ楯になれればよいのですが」
「え?」
「部屋住みの私ではどうしてやることも出来ませんが、お祖父様に相談してみるのも良いかもしれません」
「で、でも、ご迷惑になるのでは……今ですら、色々とご協力いただいているのに」
突然の提案に驚いていると、春之信さんは小さな笑みを浮かべた。
「薬師殿は大胆なのか、謙虚なのか分からないお方だ。後ろ楯を得たいのであれば強気になられた方がよいかと存じます」
「強気に、ですか?」
「お祖父様は、貴女を気に入っておられる。藤倉が後ろ楯になれずとも、何か良き策を授けてくれるかもしれません」
「……そうですね。花の露が無事に仕上がったら、お話を聞いてもらえるよう、藤倉様にお伝えいただけますか?」
「伝えておきます」
頷いた春之信さんは、それではといって立ち上がった。
「まずは母に、試作品を試してもらえるよう、取り次いでまいります」
静かに頭を下げた春之信さんは、縁側の板をぎしぎしと鳴らしながら歩いていった。その後ろ姿が見えなくなるまで、私は温まった指先を自分の手で握りしめていた。
春之信さんが去ってから、ぼんやりと庭を眺めているとエミリーが声をかけてきた。とてもニコニコしているのが気になるんだけど。
「春之信様とずいぶん打ち解けられたご様子でしたね」
「そうかしら?」
「ええ、そりゃもう! これはランドルフ侯爵夫人にご報告をしなければなりませんね!」
「は? ちょっと、待って。どうしたらそういう話になるの?」
「こちらに来る前、夫人からマグノリア様にいい人が出来たら報告するようにって、密命を受けております」
自信満々に、どんっと自分の胸を叩いたエミリーは満面の笑みだ。
密命って、私にばらしてしまったら、すでにもう失敗じゃないのかしら。
「いい仲って……春之信さんとはそういうのじゃないわよ」
「でも、見つめ合ってたじゃないですか。手を握りあって、熱い眼差しで!」
「ち、違うわよ! あれは、私が恒和に来た経緯を知った春之信さんが、大変でしたねって励ましてくれただけで」
「国での男事情をお話になったんですか!?」
「男事情って……私の夢を理解してくれる人がいなかったって話しただけよ」
「それを大変だったと分かってくれたということは、やはり、春之信様はマグノリア様を思って下さっているのですよ!」
「……もう、どうしたらそう飛躍できるのよ」
力説するエミリーに呆れながらも、つい先ほど握りしめられた指先が気になった。
温かくて大きな手だった。ごつごつとした指で、お父様やお兄様と同じようなタコが出来ていて、きっと、毎日のように刀を振るって鍛錬をしているのだろう。
ふと、刀に手を添えた春之信さんの姿を思い出した。
物静かな彼とは違う、鋭い気配。あれは、私を守ろうとしてくれていたのよね。それに、さっきだって私のことを気にかけてくれていた。ご好意は感じる。でも、きっとそれは彼の優しさで……
「好きでもない女性の手を握ったりしないと思いますよ」
「そうかしら……きっと彼は誰にでも優しい人よ」
「どうしてそうなるんですか?」
「だって……彼は部屋住みだもの。自由に恋愛をできる人ではないわ」
「部屋住み?」
エミリーは、さっきの私と同じように首を傾げた。
「嫡男でない男児をそう呼ぶそうよ。そして、彼は……体の弱いお兄様にもしものことがあった場合、後を継ぐため、ここにいるんですって」
「へー、そうなんですか」
「何よ、その軽い反応」
「だって、そんなこと二人の間に関係ないですよね?」
「え?」
「ご結婚問題となれば、とんでもない壁ではありますが、お二人とも婚約者がいないとなれば、いい仲になっても可笑しくないですよ」
「いやいや、駄目でしょ! 私は国外の女よ。それも、五年後にはいなくなるかもしれない」
「マグノリア様は、ここで生きていくために、今、頑張っているんですよね? なら、問題ないです! なんなら、春之信様と結婚できるくらいの大きな後ろ楯、見つけちゃいましょう!」
なんて前向きなんだろう。
きっと大丈夫ですと、根拠のない自信で突き進むエミリーを見て、可笑しくなってきた私は堪えきれない笑い声を零した。
「もう、だから何でそういう話になるのよ」
「だって、マグノリア様。こちらで伴侶が見つかれば、堂々と帰国しないで済むじゃないですか!」
「だからって……私のワガママに、春之信さんを付き合わせたらいけないわ。そもそも、そういう仲でもないし」
「私には、そういう仲に見えます」
「一度、診療所で目を見てもらった方が良いかもしれないわよ」
「では! ランドルフ侯爵夫人にご報告をして、私の目が節穴かどうか判断していただこうと思います」
密命だといっていたし、これはどう私が止めても手紙を書くということか。
肩をすかして「ご自由にどうぞ」といえば、エミリーの顔がぱあっと華やいだ。
「ではでは、マグノリア様、詳細をお伺いしますね」
「詳細って……」
そんなものはない。といって、このあとエミリーは、春之信さんのことをどう思っているのか根掘り葉掘り聞き出そうとした。
春之信さんは優しいし、頼りになるし、とても誠実な方なんだろうなって思ってる。好きか嫌いか聞かれたら、好きだけど。この時はまだ、それが恋心なのかと問われたら、そうだと頷くことは出来ないでいた。
しばらくして日が沈むと、春之信さんが部屋を尋ねてきた。文机の上でハーブを広げて調合していたため、部屋はみっともない散らかり具合だ。
「お忙しかったですか?」
「すみません、散らかっていて」
「いいえ。私こそ急に訪ねて申し訳ありません」
頭を下げた春之信さんは、失礼といって部屋に入ってきた。
すぐ側に腰を下ろすと、朝方に相談した試作品の件を、お銀様に相談してきたと報告してくれた。
「三日後、香道の先生が参られるので、お力添えを願ってはどうかと申しておりました」
「……こうどう?」
初めて聞いた単語に首を傾げた。
はいと頷いた春之信さんは、懐に手を差し込むと小さな袋を取り出した。そうして私の手を取り、そっとそれを置く。
「これは?」
「香袋です。何の香りか分かりますか?」
香袋とは、サシェのようなものかしら。
小さな袋に鼻を近づけて嗅いでみるけど、甘い香りがふわりと立ち上がった。ジャスミンにも似ているわね。でも、いくつもの香りが混ざっていて、はっきりとは分からない。
「優しく甘い香りで落ち着きます。でも、これが何かは分かりません」
「これとは形が異なりますが、同じように香りを聞き分けて当てる、遊びのようなものが香道です」
「香りを当てる?」
「はい。武家の嗜みです。先生はお雪のところに指導へ参られます」
「……その先生なら、流行りの香りにも詳しいかもしれませんね。ぜひ、会わせてください!」
「では、三日後に」
頷いた春之信さんへ、お礼をいいながら香袋を返すと、彼はついと外を見た。
「今夜は月も綺麗ですし、少し、庭を歩きませぬか?」
散歩に誘われ、どきりとしながら、すぐさま私は心の中で首を傾げた。
どきりっと何よ。ただの散歩に心を揺さぶられるとか、どうしちゃったのかしら。
心の焦りを隠すように、慌てて立ち上がったのが失敗だったのだろう。爪先を畳に引っかけ、身体が傾いだ。
咄嗟に片足を大きく踏み出し、バランスを保って踏ん張ることで、何とか耐えることが出来た。ドレスや振袖だったら、派手にこけただろう。
男装で良かった。転ばずには済んで、ほっとしたのも束の間。視界に見慣れぬ指が映っていることに気付き、ハッとした。
そうだ、春之信さんがいたんだ。
顔を上げるとそこで、手を伸ばしたような姿勢の彼が硬直している。
あ、もしかしなくとも、これは危ないと思って手を差し伸べてくれたということだろうか。
「えっと、あの……ありがとう、ございま、す?」
なんとも間が悪い気もするけど、一応、お礼を口にすると、ややあって春之信さんが噴き出して笑った。
「すみません……いや、しかし……薬師殿は、本当におきゃんですね」
堪えきれない笑いをくつくつと零す春之信さんを見て、私は呆然とした。
彼も、笑うんだ。いや、ほんの少し微笑む姿は何度も見たことあるけど。ただ、こうして声を上げるように笑った顔を見るのは初めてだったから、笑われたと言うのに、彼の表情に見とれてしまった。
次回、明日8時頃の更新となります
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