第17話 穏やかな朝食のひととき
なるべく音を立てないように気をつけながら朝食を口に運んでいると、春之信さんがちらりとこちらを見た。
「お口にあいましたか?」
「ええ、とても美味しいです。エウロパにはない優しいお味です。特にこちらの茹でたお野菜……」
小さな器に入っている青菜は、ほんのりと塩気がする。でも塩味ではない。エウロパにない調味料で和えられているのだろう。
「私の国ではもっと濃いソースをつけますが、こういった優しい味もいいですね」
「そうですか。お気に召して良かった」
「お米も、とても柔らかくて美味しいです」
エウロパでは、あまり米があまり出回っていないし、恒和に来るまで食べたこともなかった。噛み締めると優しい甘みが口に広がって、病みつきになりそうな味だ。これを毎日食べたら、固いパンの生活には戻れないわよ、きっと。
称賛しながら食べてると、春之信さんは繰り返し、それは良かったと頷いた。
「この豆腐というのは、食べるのが難しいですね」
「そうでしょうか?」
「恒和の方は箸で食べられるのでしょ。崩れませんか?」
スプーンですくって口に運んだ私が首を傾げると、春之信さんはああと頷く。
「上品に食べるのはコツがいるかもしれません」
「上品に?」
「忙しい朝は、雑に食べることもありまして……豆腐を米にかけてしまうんですよ。そうして、箸で崩して」
春之信さんは何も持たない両手でお皿を持つふりをすると、片方をひっくり返すような仕草をした。さらに右手の人差し指と中指を箸に見立て、左手を少し傾け、そこから何か、口に流し込むような動きをする。
「こうして流し込むように食べるんです」
「まあ!」
想像すると、それはとても不躾な食べ方だ。それこそ母が見たら泣き崩れてしまうだろう。
興味本位で残っている豆腐の皿を手にし、ご飯の上に流しながら「こうですか?」と尋ねると、春之信さんは心底驚いた顔をした。
あ、これってもしかして、私がやるとは思っていなかった感じね。
「……薬師殿、私の母の前ではされないよう、気をつけてください」
「え?」
「女子になんてことを教えるのだと、叱られてしまいます」
「あー、やっぱり……はしたないことなんですね」
「見目が悪いと母は咎めますが、多くの者がやっているのも事実です」
「ふふっ。それじゃ、見つからないようにしますね」
スプーンで豆腐を崩しながらご飯とすくい口に運ぶと、なるほど、これなら食べやすいと頷けた。ただ、流し込むように食べるというのは上手く出来なさそうだった。後で、エミリーにも教えてみよう。きっと、面白がってくれるわ。
食後は縁側で春之信さんと肩を並べ、エミリーが用意してくれたハーブティーを飲みながら話をした。
「春之信さん、今日はお仕事に行かなくて大丈夫なんですか?」
「はい。私の仕事は主に栄海藩の書物の管理と翻訳ですが、藩の文庫に勤めるのは三日に一度ほどです」
「そんなに少ないんですか」
「翻訳は屋敷でも出来ますし、藩での仕事は持ち回り制ですから」
「色々な働き方があるんですね」
「薬師殿は、新しい花の露を作られると聞いていますが、進んでおられますか?」
「試作品はほぼ出来たんですよ。でも、恒和の方の好みが分からないので決めかねてる感じです」
白江城下で流行っている花の露を、ドワイト商館長に取り寄せてもらったけど、どれもこれも似たり寄ったりの品だった。詳しいことを聞いたら、どこそこの役者が使っているとか、人気のある物語に出てきた品だとか、売れた理由は品質以外のものだった。
だからこそ、恒和の人の心を掴むような香りや効能を持たせたものが出来たら、きっと、人気商品となるに違いない。
「女子の意見が欲しいということですか?」
「はい。出来ましたら、複数人……あの、お屋敷の方々に試してもらえないでしょうか?」
「そうですね。母に相談してみましょう。妹のお雪も興味を示すかもしれません」
「妹さん?」
「年の離れた妹です。後程、紹介しましょう」
「ありがとうございます。春之信さん、ご兄弟がいらしたんですね」
「ええ。屋敷に参られた時、薬師殿と会われた現当主、父の横にいたのが兄です。他に姉が三人いましたが、皆、嫁いでいきました」
春之信さんにいわれ、ああ確かに彼と似ている男性がいたなと思い出す。でも、少し線が細くて顔が青白かったから、もしかしたら体調が優れなかったのかもしれな。
「昨日、妹さんはいませんでしたね」
「花の稽古中だったようで、薬師殿に会いたかったと泣きつかれました」
「まあ、そうだったんですね」
「末娘ということもあってか、家族中に甘やかされて育ちまして……ご迷惑をおかけすることもあるかもしれません」
申し訳なさそうな顔をする春之信さんだけど、私はその子に早く会ってみたい気持ちになっていた。
「案外、妹さんと私は気が合うかもしれませんよ」
「そうでしょうか?」
「ええ。だって、私も末娘ですから」
ふふっと笑うと、春之信さんは何か思い当たるふしがあったのか、短くなるほどと呟いた。
「お国のご両親はさぞお寂しい思いをしているでしょ」
「私の両親、ですか?」
「家族とはなれるのは寂しいでしょう。末娘となればなおのこと」
「そうでしょうか?……母からの手紙は、結婚をする気がないのかって話ばかりで……正直いうと、それから逃げたいって気持ちもあって恒和に来たんです」
母は私の心配をしていたのか、プレンティス家の心配をしていたのか。はたまた両方かもしれないが、その気のない私には重たい話だ。
こんな話、春之信さんには迷惑かな。
曖昧な笑みを浮かべると、驚いた顔の彼から予想外な質問が返ってきた。
「ご結婚の意思はないのですか? 許嫁がいるお年ではと思っていましたが」
「……いませんよ。結婚の話はたくさんありましたし、私も貴族の娘ですから、家のために嫁ぐべきなんですが」
貴族の階級は、恒和国とは多少異なるだろうけど、春之信さんは何となく想像がついたのか、ふむと頷いて私をじっと見た。
これは、話を続けろってことかしら。
「私は学ぶことが大好きで、淑女教育が苦手でした。それで、ランドルフ侯爵夫人に鍛えてもらいなさいって、お母様に言われて仕えるようになったんですが……夫人は、私がストックリーに憧れていることや、薬に興味があることを分かって下さりました」
おかげで薬師になれただけでなく、ロゼリア様の元で働きながらストックリーや薬の研究を続けることが出来た。
「女子が働くことに理解のある方に仕えていたのですね」
「はい。でも、お母様は私の結婚を諦めませんでした」
少し冷めたカップの中を見つめ、国での生活を思い出す。
薬草園の手入れをしたり、ロゼリア様のお茶を入れてお話を聞いたり、新しい薬の調合に取り組んで。毎日が充実していた。
ハーブティーを飲み干してカップを横に置いた私は、ほっと息をついた。
「仕事が楽しかったんです。それに、恒和国を訪れるって夢を叶えられなくなるのも嫌でした」
「だから、船に乗られた。思い切ったことをされるお方だ」
「そうでもしないと……私はきっと恒和に来ることは出来ませんでした」
「お仕えする夫人のように、理解を示す伴侶と出逢えたかもしれませんよ」
「それは、ないと思います」
きっぱり言い切ると、春之信さんは驚いたように目を見開いた。
「恒和国は、お伽の国のように語られています。商船の行き来があるのに、その存在を信じない者もいます。だから、夢を語ると笑われました。夢なんて見てないで、結婚して屋敷を守ればいい。それが女の幸せだって」
少し乾いた笑いを浮かべて春之信さんを振り返ると、彼は眉間にしわを寄せながら私を見つめていた。
「ごめんなさい! こんな話、つまらないですよね」
慌てて謝ると、春之信さんは手に持っていたカップを縁側に置き、その大きな手で私の指に触れてきた。
「大変な思いをされたのですね」
「……え?」
「私も部屋住みの身ですから、そう好きに生きることは出来ません。なので、少しお気持ちが想像できます」
「部屋住み?」
「ああ……跡取りでない次男のことです。私の兄は体が弱いので、もしもの時に備え、私は婚約もせずここに残っているのです。そのおかげで、好きな書物に関われてますし、薬師殿よりかは気楽なものですが」
それってつまり、春之信さんはお兄さんのスペアとして屋敷に住んでいるってことよね。あまりの驚きに言葉を失っていると、温かい手が優しく指を握りしめてきた。
背景は違うけど、彼も家に囚われて生きることを強いられてきたのね。なのに、彼は逃げないでここにいる。私と違って、なんて強いんだろうか。
次回、本日19時頃の更新となります
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