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お仕事大好き子爵令嬢は求婚から逃げて海を渡り、異国の地でキマジメ武士と恋をする  作者: 日埜和なこ


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第16話 藤倉家で迎える穏やかな朝

 私を藤倉の屋敷に連れていくといいだした春之信さんは、真剣そのものだった。


「何者か知れませんが、薬師殿が狙われているのかもしれません」

「まさか! それは、日誌を持っていたのが私だったから、たまたまでして」

「そうかも知れません。ですが、盗人の目的が他にあり、私たちと繋がりのある薬師殿を利用しようと企んでいる可能性も否めません」

「……それは、考えすぎではありませんか?」

「用心に越したことはありません。恒和には幻術を使う者もおりますゆえ」

「幻術?」

「人の心を惑わせる術です。それにもしもの時、貴女はどう対処される。相手が力ずくで行動に出た場合、その身を守るすべはありますか?」

「そ、それは……」

「お祖父様は、貴女に危害が及ぶことを心配しております。己の日誌を手渡したがゆえ、何か他のことに巻き込んでしまったのではないかと」


 真っすぐに私を見ていた春之信さんの目が、少し伏せられた。


「私も、お祖父様と同じ思いです。藤倉家は大名家の縁戚になります……ここでは話せない騒動もあるのです。それに、貴女を巻き込んだとあれば、お国のご両親に申し訳が立ちませぬ」

「で、でも! それは同じです。私も……もしも、私の活動を邪魔しようとしてる人がいて、藤倉様や春之信さんを巻き込んだのであれば……」

「同じではありませぬ! 命が狙われるやもしれないのです」

 

 春之信さんのひときわ大きな声に驚き、私は思わず口を引き結んだ。

 いつも静かな湖面のような雰囲気をまとっている春之信さんが、こんな感情的に声を荒げるなんて。


 だけど、今から藤倉様のお屋敷に引っ越すなんて、急すぎて困るというのが本音だ。

 黙っていると、春之信さんはゆっくりと息をついた。


「私が、薬師殿をお守りします」


 突然の宣言に、私はなおのこと返事に困ってしまった。だって、命が狙われるなんて想像が出来ないし、飛躍しすぎだわ。

 もしかしたら、単に、私の不手際でどこかに日誌を置いてきてしまったのかもしれない──いや、そんなことある訳はないのだけど──ぐるぐると考えていると、ドワイト商館長がこほんっと咳払いをした。


「ひとまず、紛失が藤倉様の損害になっていないことは分かりました。盗人の捜索はこちらでも行います」

「藤倉でも探しますゆえ、何か分かりましたら知らせてください」

「承知しました。──マグノリア、今すぐ屋敷に向かう用意をしなさい」

「商館長!? 何を言ってるんですか。花の露だってまだ」

「機材も一式持っていけばよい」

「で、でも……」

「お前が、とやかく言える立場か? 藤倉様たちのお心を無碍(むげ)にするでない。それに、ヘドリック・スタンリーの件もある」


 商館長の冷静で厳しい眼差しに、私は言葉を失った。


「春之信様、マグノリアの侍女をつけてもよろしいですかな? こちらとの連絡役にもなりましょう」

「はい。薬師殿も、お一人では心細いことでしょう」

「ありがとうございます。エミリー、恒和の言葉が分からず大変かもしれんが、マグノリアと共に行ってもらうぞ」


 同席する通訳が、事の次第をエミリーに伝えると、彼女の顔に緊張が走った。だけど嫌そうなそぶりは微塵も見せずに頷く。

 

「かまりました。今すぐ商館を出る準備をいたします」

「マグノリアを頼んだぞ」

「お任せ下さい!」

 

 こうして慌ただしく、私はエミリーと共に藤倉様のお屋敷へ移り住むこととなった。

 ひとまず期限は、盗人が見つかるまでとの約束だけど、私、どうなっちゃうのかしら。もしかして、自由に外へ出られなくなるんじゃないのかな。

 心配は尽きないけど、決まっていしまったことにどうこう言えるわけもない。私は早々に商館を出て、藤倉家に向かった。



 それから始まった藤倉家での生活は、軟禁生活のようになるのではないか。日誌を失くしたことを本当は怒っていらして、私を罰するつもりなんじゃないか。心のどこかで、そう思っていた。


 なのに、こんなに穏やかで良いのかしら。


 大きなお屋敷の離れにある一室で、私は五日目の朝を迎えていた。小鳥の鳴き声を聞きながら外を眺めて佇んでいると、笑顔のエミリーが朝食を運んできた。


「おはようございます、マグノリア様。昨夜は眠れましたか?」

「エミリー……おはよう。やっぱり枕が合わないわね」

「やっぱりそうですよね」


 顔を見合った私たちは苦笑を浮かべる。

 床に敷かれた布団というのも初体験だった。畳から薫るほのかな草の香りが心地よくて、案外寝心地は良い。ただ、箱のような枕だけが高すぎて全く合わなかった。当然、すぐに外して横にしたけど、すぐに柔らかな枕が恋しくなってしまった。


「後で、商館から枕を持ってきますね」

「ありがとう。エミリーは大丈夫?」

「枕ですか? すぐに外しちゃいましたよ」

「えっと。それもだけど……」


 ちょっと口籠ると、エミリーは首を傾げた。

 私についてくる羽目になって、不安じゃないかしら。私と違って言葉だって全く通じない訳だし。


「不都合はない? 言葉だって通じないのに……」

「皆さん優しいので、身振り手振りで何とかなってますよ」


 笑い飛ばすくらい元気な様子のエミリーに、ほっと安堵しつつ、用意された一人分の朝食の前に腰を下ろした。


「今日もエミリーの分はないのね?」

「こちらの侍女さん達といただいてます。恒和の言葉を教わりながら食べてるんですよ」

「そうなの? それなら仕方ないわね……」

「皆さん、とても友好的なんですよ! 私は何とかなってますから、ご心配なく」

「そう……でも、一人のご飯は寂しいわ」

「食事が終わるまで側にいますから、ご安心ください」


 にこにことご機嫌そうなエミリーの手にはブラシが握られていた。

 

「マグノリア様、お食事が終わりましたら、髪を結わせて頂きますね」

「派手にしないでね」

「少しくらい派手にしないと、こちらの女性たちに負けてしまいますよ」

「恒和の皆さんは、とても大きく結い上げてるけど……あれは黒髪だから美しいし、髪飾りも華やぐのよ」

「そんなことありません! 先日の振袖姿、とても美しかったですよ」

「そんなことあるわよ」


 他愛ない会話と、エミリーのいつもと変わらない様子に肩の力が抜け、お腹がぐうっと小さく鳴った。


 並んだお皿を眺める。湯気を立てる汁物の横にあるのは炒り豆と一緒に炊いたご飯、野菜の煮物に、とろみのあるタレがかかった白いのは豆腐だったかしら。小皿に盛られた茹でた野菜は青菜ね。


 食べなれない恒和の食事に似つかわしくないフォークを手に取る。気をきかせたエミリーが商館から持ってきてくれたのだけど、こうして食事を前にすると、あの箸という日本の棒も使えるようになってみたくなるから不思議ね。


「恒和の人たちは、本当に器用よね」

「カトラリーの話ですか?」

「ええ。二本の棒を器用に使うし、食器を持ちながら食べるのも不思議だわ」

「器が小さいので持ちやすいですが、慣れませんよね」


 床に座り、テーブルよりも小さな台に並んだ器を手に取る。こんなこと、国でやったらお母様が驚いて卒倒するわ。その様子を想像したら可笑しくて、ふふっと笑みがこぼれてしまった。


「何か面白いこと、ありましたか?」

「こんな姿を見たら、お母様が泡を吹いて倒れてしまうかもしれないわ。考えたら、可笑しくて」

「そうですよね。きっと、私の母も『マナーが悪いですよ!』て怒りますよ。手を叩かれちゃうかもしれません」


 怒る姿をマネしたエミリーは、自ら手の甲をぺちんと叩く。そうしてお互いを見合うと、どちらともなく堪えきれない笑い声をこぼした。


 あぁ、エイミーが私の侍女で良かったわ。何とかなるかもしれない。

 そんな風に思いながら笑っていると、失礼すると声がかけられた。そちらを見ると、春之信さんの姿があった。


「春之信さん、おはようございます」


 慌ててフォークを下ろすと、春之信さんはそのまま気にせず食べて下さいという。

 人に見られながら食べるのって、何だか変な気分なんだけど。

 

「薬師殿、なにかご不便はございませんか?」

「いいえ。今朝も快適な朝を迎えました」

「そうですか。何か困りごとがありましたら遠慮なく申してください」


 にこりとも笑わない春之信さんだけど、その気遣いは伝わってきた。

 私が食事をしやすいようにと思ってくれたのか、こちらに背を向けて縁側に座って待ってくれている。


「エミリー、お茶を入れて差し上げて」


 そっとエミリーに耳打ちすると、彼女はにこにこしながら一度退出した。

次回、本日17時頃の更新となります


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