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お仕事大好き子爵令嬢は求婚から逃げて海を渡り、異国の地でキマジメ武士と恋をする  作者: 日埜和なこ


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第13話 彼の手は優しくて温かい

 お銀様のぽってりとした柔らかな白い手が差し伸べられた。それを拒むことが出来ず、私は渋々と立ち上がる。


「恥ずかしいです。こんな格好……これっきりですからね」

「でしたら、次はもう少し動きやすい、町娘たちが着るものを用意しましょうか」

「……勘弁してください」


 手を引かれながら、足をするように歩くのが精いっぱいで、長い裾に躓くんじゃないか気になって仕方ない。

 足元ばかり見ていた私は、聞きなれたドワイト商館長の驚く声に釣られ、顔を上げた。


「これは、天女のお出ましだな」


 ご機嫌な様子の藤倉様の声で、恥ずかしさがつま先から頭のてっ辺まで駆け抜けた。

 穴があったら入りたいくらいだわ。


 畳に腰を下ろしたは良いけど、背中で豪勢に結ばれた帯が気になって仕方ない。椅子に寄り掛かったら押し潰しちゃいそうだし、恒和に椅子の文化がないのも頷けるわね。

 藤倉様はまるで孫を見るような目で私を見ているし、気恥ずかしさがさらに増していく。


「マグノリア殿は、誠に美しい。振袖の牡丹も霞んで見えるな」

「……ありがとうございます。振袖とは苦しいものですね」

「着なれぬと、そうであるか」


 ご機嫌な藤倉様が頷く横で、ドワイト商館長は口をあんぐり開いている。


「いやぁ……こういうのを、恒和では何と言いましたかな。馬子にも衣裳?」

「ドワイト、それは褒めておらぬぞ」

「そうなのですか? いや、てっきり褒め言葉かと思っておりました」

「こういう場合は、そうだな……国色天香(こくしょくてんこう)のようだと称えるのが良かろう」

「こくしょくてんこう?」


 聞き覚えのない言葉に、ドワイト商館と私だけでなく、通訳も首を傾げた。それを見て、藤倉様は持っていた扇子を閉じると、それで振袖の牡丹柄を指し示した。

 

「牡丹の花のことだ。艶やかな髪もまた、牡丹の花が咲いたようではないか」


 藤倉様の言葉に、お銀様とお菊さん、それに弥吉さんも大いに頷いている。そう言えば、お銀様もさっき、私のことを牡丹の花のようだと言っていたわね。

 そんな大層な花に(たと)えられるなんて、私としてはむず痒いのだけど。


 再び顔から火が出そうになり、お礼を言うのも忘れた私は俯いた。


 恒和の男性は、女性を褒めるのが得意なのかもしれない。そうよ、これって社交辞令なんだわ。そう思わないと、この場にいられそうにもないというのに、藤倉様は「そう思わないか、春之信?」と、黙っている春之信さんに話題をふった。


 ややあって、そうですねと相槌を打つ声がした。

 驚いて顔を上げると、黒い瞳と視線が合う。


()()()()()()()()とは、よく言ったものだと思っておりました」

「……女は、なんですか?」

「衣装や髪を整えると、女は見違えるということです」


 なるほど、そうよね。衣装のおかげで綺麗に見えているだけだもの、恥ずかしがるもんじゃないわよね。

 淡々と説明をしてくれた春之信さんのおかげで、私の浮ついた気持ちがすっと静かになった。

 

「ですが、これでは仕事になりません。私は薬師なので、着飾る必要もないかと思います」

「こら、マグノリア。せっかく皆さんが用意をして下さったのだぞ。その言い方はないだろう」

「眺める分には、素晴らしい衣装です。でも、私にはいつもの服が一番だと思います」

「やれやれ。侯爵様から聞いてはいたが、本当に着飾ることに興味はないのだな」


 ドワイト商館長がいくら呆れたって、私の気持ちは変わらない。着飾る暇があるなら、薬草園で薬草の手入れをした方が何倍も有意義だ。


 そもそも、今日はお茶に招待されたんじゃなかったかしら。これでは、満足に味わえなさそうだわ。

 ふうっと息を吐くと、藤倉様がやれやれといって苦笑するのが目に入った。


「春之信に、少し色香に興味をもって欲しいものだと思っていたが、マグノリア殿もとは誤算であったな」


 ぶつぶつと何か言っている藤倉様の言葉は、いまいち聞き取れなかった。

 だけど、それを聞いた通訳が目を丸くしてちらりと春之信さんを伺ったのを見ると、彼女には意味が分かったのだろう。何ていっていたのか尋ねようとした時、春之信さんが小さく咳払いをした。


「薬師殿にお礼をと思っての席で、困らせるのはいかがなものかと存じます」

「うむ。そうであったな。マグノリア殿、今日は恒和の茶と菓子を用意した。ゆっくりしていかれよ」

「え、ええ……ありがとうございます」


 聞きそびれてしまった藤倉様の言葉を気にしつつも、運ばれてきたお茶とお菓子をいただくことになった。


 それから薬を渡した蕎麦屋の娘さんの話や、ここらで流行っている花の露について話しているうちに、不思議と胸の苦しさが気にならなくなっていた。案外、慣れるものね。


 歓談を楽しんでいると、藤倉様が春之信さんに庭を案内してはどうかと提案した。


「マグノリア殿は、はじめて屋敷を訪れた時も庭を気に入ってくれたようであったな」

「エウロパにはない、絵画のように美しいお庭でしたので、つい見とれてしまいました」

「ではぜひ、歩かれるとよい」


 うんうんと藤倉様が頷くと、春之信さんは静かに立ち上がった。そうして、こちらにといって私を促す。

 エミリーをちらり見ると、目を細めて微笑ましく私を見ている。あれは、何か勘違いをしている顔だわ。


「それでは、お言葉に甘えてお庭を拝見させていただきます。エミリーも一緒に」


 言いかけた時だった。藤倉様がエミリーを見て話しかけた。


「侍女殿、名はエミリーといったか? 少々聞きたいことがあるゆえ、残って欲しいのだが」

「私、ですか?」

「そうだ。何、大したことではないのだがな」

「でも、マグノリア様のお側を離れるのは……」


 困ったような素振りをするエミリーだが、私を見て目を輝かせながら、何か訴えているようだった。


「エミリー、藤倉様にはとてもお世話になっています。粗相のないようにね」

「かしこまりました!」


 目を輝かせて頷くエミリーに一抹の不安を感じながら立ち上がると、春之信さんは再び、こちらにと促すようにいって縁側へと出た。その下を見ると、可愛らしい履物が用意されている。確か、草履だったかしら。


 履物になんとか指を通して立ち上がると、春之信さんが「足元、お気を付け下され」と声をかけてきた。


「それでは、案内役を務めさせて頂きます」

「よろしくお願いします」


 なんだか堅苦しい挨拶になったけど、真面目一辺倒な春之信さんらしくて、むしろその方が和んでしまう。

 頬を緩めていると、すっと彼の手が差し伸べられた。はて何かなと首を傾げると、彼の白い頬が僅かに赤く染まった。


「エウロパでは挨拶をする時、このようにするのだと、お祖父様に習ったのですが……違いましたか?」

「あぁ! いいえ、間違ってません!」


 説明され、握手を求められていたことに気付いた私は、彼の大きな右手をそっと握った。私の手をすっぽりと包んでしまいそうな手は少し固く、とても温かい。その手を放すのが名残惜しく感じたのは、その温かさゆえだろうか。

 きゅっと力を込めれば、さらに掌に熱がこもる。


「……エウロパでは、男女でもこのように手を握り合うのですか」

「え? まぁ、そうですね。挨拶の時にも、こうして握り合ってから少し手を振るんです」

 

 春之信さんの手を軽く振って指から力を抜けば、彼の手が離れていった。


「この挨拶は、武器を持っていないことや敵意がないことの現れから始まったそうです」

「なるほど。武士にとって、利き手を預けるというのは、少々抵抗を感じます」

「そういうものですか?」

「ええ……それに、女子(おなご)と触れ合うというのは、それ以上に気恥ずかしいものです」


 女子と言われ、はたと気付く。

 日頃から春之信さんが親切にして下さっているから、とても身近に感じていたけど、こんなに馴れ馴れしくしてはいけなかったのかもしれない。だって、恒和の文化では、女性は男性の後ろから静かについて行くのが習わし。人前でハグをしたり、仲良く手を繋いだりなんて、まず見られない。それに、よくよく考えたら、私は単なる客人だもの。


「あの……嫌、でしたか?」

「いいえ、そうではなく……むしろ、気安くお手に触れるのは、失礼ではないかと案じてました」


 恐る恐る尋ねたことに、彼は少し照れた顔で返してくれた。

 細められた目が優しくて、引き込まれるようだった。


「薬師殿?」

「あ、あの……失礼なんてこと、ないです。その……春之信さんの手は、その……」


 言いかけて、大きな手に視線を向ける。父とも兄とも違う、厚く優しい掌はとても温かい。

 少し硬い指先で握られた時の感触を思い出し、私は耳まで熱くしていた。


「好き、です……春之信さんの手、とても温かくて」


 輝く黒曜石の瞳が驚きに見開かれ、しばらくしてから、慈愛に満ちた低い声がありがとうございますと言った。

 参りましょうかと誘われ、燦燦と日が降り注ぐ庭へと踏み出した。

 首筋が熱いのは、日差しのせいだろうか。熱を持った首筋にそっと指を当て、私はそろりそろりと歩を進めた。

次回、明日8時頃の更新となります


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