第11話 ランドルフ侯爵夫人からの手紙
エミリーのはしゃぎようを弥吉さんは勘違いしていたようだったから、簡単に説明しておくことにした。
せっかく良いものをくださったのに、気分を悪くしてしまうのも申し訳ないものね。
「エミリーが、私にもこのような装いをした方が良いと言い出しまして。驚かせて申し訳ないです」
「ぷれんてす殿が……それは良い! 今の衣装も似合っておいでですがね。それよりも振袖の方が似合うでしょう! 藤倉殿も、そう思うであろう?」
何の気なしに言った言葉を、春之信さんはどう伝えたのだろうか。大いに喜んだ様子の弥吉さんは、口早に何かを提案してきた。
聞き取れない私が困惑していると、春之信さんは何とも言い難そうな顔で小さくはあと頷く。眉間にしわを寄せながら私を見てきたけど、視線が合った瞬間、顔をそむけてしまった。
ちょっと気になるじゃない。
私、そんなに失礼なこと言ったかしら。それとも、弥吉さんの言葉を訳すのが難しかったとか?
微妙な間が生じ、エミリーと顔を見合わせた私は、勇気をもって春之信さんに声をかけた。
「春之信さん、何を話しているのですか? よく聞き取れなかったのですが」
「……高羽殿はエウロパの装束も良いと言われてます」
「この男装が? そうですか。ありがとうございます」
私がひとまず礼を述べると、弥吉さんは尚のこと嬉しそうに話を続けた。
「興味があるのであれば、振袖をお持ちしましょう。せっかくですから、着られてはどうしょうか?」
しかし、尋ね返された早口を聞き取るのは難しかった。分けも分からず春之信さんを見ると、彼もまた困った顔をしている。
「恒和の衣装に興味はあるかと、高羽殿が尋ねてますが──」
「恒和の衣装!? 私、実物を見てみたいです。マグノリア様!」
「……そうね。私も機会があれば、ぜひ。それに、弥吉さんの奥様にもお会いしたいですね」
春之信さんの言葉をエミリーも聞き取れたようで、ぜひぜひと言うように、目をキラキラさせながら私に訴えてきた。
そんな様子を好感的に受け止めたらしい弥吉さんは、嬉しそうに大きな声で話し始めた。
「ご興味がおありですか! 女房の言うように、国が違っても、女子は着飾るのが好きなのですな。では後日、着付けの用意をしましょう」
「後日、用意をするので是非にと申してますが──」
「そうですね。では、奥様の都合の良い日に」
こうして、弥吉さんの奥様に衣装を見せてもらう約束を交わした。だけどこの時、会話が微妙に食い違っていたなんて、私は微塵も気付いていなかった。
◇
春之信さんとお茶を楽しんだ日からしばらく、藤倉家を訪れることが出来ず、忙しく商館での仕事に従事するようになった。
春之信さんの写してくれた日誌を読む時間はあったけど、恒和の植物を調べる作業は頓挫してしまったような状況だ。
ドワイト商館長は急ぐ必要もないといってるけど、このままではせっかくのチャンスが流れてしまうのではないか、気が気ではない。
食堂で夕食を終えた私は、ふと足を止めて窓の外を見た。
夜空には満天の星空が広がっている。
「マグノリア様、どうされたんですか?」
「……ミルキーウェイが綺麗だなと思って」
「そうですね。まさか恒和でも見ることが出来るとは思いませんでした」
「ふふっ、そうね。地面が繋がっていないと思うと、不思議に感じるわ」
「マグノリア様。あの星々に願ったら……弟のお嫁さんは、お乳の出がよくなるでしょうか?」
星空を眺めていたエミリーは唐突に、真剣な面持ちで尋ねてきた。
「お乳? 赤ちゃんが生まれたの?」
「はい。こちらに来る前に手紙で……お乳の出が悪くて、おっぱいが腫れてしまったんですって」
「お乳が詰まってしまったのね。産んですぐに起きやすいって聞いたことがあるわ」
「熱まで出たそうなんです。私、心配で……ミルキーウェイは女神様のお乳ですから、お願いしたらよくなるかなって」
「そうね。一緒にお願いしましょうか」
本国から恒和までの航海は、魔道高速船を使っても三ヵ月の月日がかかる。それを考えたら、きっと今頃は症状も落ち着いていると思うけど、遠く離れた私たちに出来ることは、祈るくらいよね。
両手を組んで瞳を閉ざした私たちは、しばし祈りを捧げた。きっと、よいお乳で赤ちゃんはすくすくと育つだろう。そうであって欲しいと。
「エミリー、遠いところまで連れてきて、ごめんなさい。もしも国にいれば──」
「何を言っているんですか! 恒和に来ていなかったとしても、そう簡単に田舎へは戻れませんでしたし、きっと今と同じで神様に祈ってましたよ」
「そう……ねえ、こちらからお祝いを送りましょう」
「お祝いですか?」
「ええ。お乳には栄養のあるものが良いわ……ロゼリア様にお願いしてみましょうか?」
「そ、そんな! 夫人にお願いだなんて恐れ多いです」
「ロゼリア様なら、きっと喜んでくださるわよ。それに、こちらから食べ物を送るには遠いし」
「マグノリア様、お気持ちだけで十分ですから!」
「そうだ。こちらの浮世絵を送ってお願いしてみましょう。恒和の美術は珍しいし、きっと喜んでくださるわ」
「な、なんだか大事に……」
あわあわと唇を震わせるエミリーだけど、そんな心配する必要ないのに。
懐かしいロゼリア様の微笑みを、ふと思い出した。
まるで聖母のようにお優しい夫人だ。きっと侍女の血縁に赤ちゃんが生まれたと知ったら、喜んでくれるに違いない。
脳裏に、一緒になって喜んでくださる姿を想像すると、ほんの少しだけ寂しさも感じる。
「マグノリア様?」
「……ロゼリア様、お元気かしら」
ほんの少ししんみりとして呟いた時だった。背後でカタンッと物音がした。
振り返るも、そこに人影はない。ただ、廊下の角にあった台の上、置かれた花瓶に飾られた花が揺れて花びらを散らしていた。
「誰か通ったのでしょうか?」
「そうね……」
床に散った花びらを拾いあげるエミリーを見ながら、私は眉間にしわを寄せた。
急いで廊下を曲がった時にぶつかったのかしら。だけど、足音一つなかったのが気になる。いくら、私たちがお喋りに夢中だったからって。
廊下を覗き込むけど、そこに人影はない。この先はゲストルームだけど、泊っている人なんていたかしら。
悶々と考えていると、後ろから声をかけられた。
「マグノリア、ここにいたのか」
「ドワイト商館長。どうされたのですか?」
「昨日、ランドルフ侯爵夫人から手紙が来ていてな。お前宛ても同封されていた」
「ロゼリア様から?」
差し出された手紙を受け取り、すぐさま確認したそこには、私を気遣う言葉が綴られていた。
『マグノリア、恒和国の生活はどうですか。貴女が私に恒和国やストックリーのことを語ってくれていた日々を、懐かしく思い出します。エウロパでは女が学ぶことをよく思わない男たちが多く、辛い思いをしたこともあったでしょう。そんな貴女が伸び伸びと生きていける場所を見つけたこと、心から喜んでいます。海を隔てた恒和国であったとしても、私は今までと同じように応援しますよ。』
優しい夫人の文字を追うごとに、目頭が熱くなる。
『そちらでは素敵な殿方と出逢えたのかしら。ロマンスの報告も楽しみにしていますからね。それと、エミリーは貴女に憧れています。どうか、こちらに送り返すことなどせず、側に仕えさせてやって下さい。』
紅茶を飲みながら微笑んでいるだろう夫人の姿を思い浮かべ、私は釣られるように笑う。
春之信さんとの出逢いはロマンスと程遠いけど、私にとっては大切な出逢いだ。それをお返事に書いたら喜んでくださるかしら。
思いを巡らせながら、私は顔をあげてエミリーに視線を送った。
「エミリーのことも心配してくださってるわよ。私の側で頑張りなさいって」
「本当ですか!?」
「一緒に、お手紙を出しましょう」
再び便箋を捲って読み進めたけど、しばらく続いた楽しい気分が一瞬にして凪ぎ、まるで冷や水を浴びたように体が震えた。
そこに綴られていたのは、私へ求婚していたへドリック・スタンリーの動向だった。
次回、本日21時頃の更新となります
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