第10話 薬師の憩いの場、温室のお茶会へご招待します
突如として謝り出した私に、春之信さんもどうしたら良いか分からなかったのだろう。何とも言い難い顔をして曖昧に頷いた。
気まずさが漂い、枝に舞い戻って休んでいた小鳥が呆れたように小さく鳴いいた。
「いやぁ、それにしても、藤倉殿は凄いですな」
間延びした声に振り返ると、穏やかに笑う弥吉さんが忙しなく首筋をかいていた。
「異国の言葉を話せているじゃないですか! この前も、そうして下されば良かったのに」
「いえ……薬師殿が私に分かりやすく話して下さっているのです」
「私にはさっぱり分からんですぞ。ご謙遜なさるな。では、藤倉殿、先日の礼をしたいと、改めて伝えてもらえますかな?」
にこにこ微笑えむ弥吉さんは、春之信さんに何やら筒のようなものを渡した。紙を丸めたもののようだわ。
「薬師殿、こちらは先日のお礼だそうです。お受け取りいただきたい」
「先日?……いいえ。薬代も頂きましたし、薬師の仕事をしただけです」
薬代がきちんと商館に入っているのに、それ以上のものを貰う訳にはいかない。
困りながら微笑むと、春之信さんは私の気持ちを察してくれたのだろう。それを無理に押し付けることなどせず、弥吉さんに向き直った。
「薬代を受け取ってるゆえ、それ以上のものは受け取れないと申してます」
「それでは、私が女房に怒られます! 心ばかりのものです。どうにか受け取ってもらえんだろうか」
「しかし……」
「あんなに泣いてばかりだった蕎麦屋のお梅が、家まで礼に来たんです。部屋を出ようとしなかった娘がですよ! 肌の調子が良いと、今度は嬉し涙を流すんです。それを見た女房も、大層、喜びましてな。私たちの気持ちを受け取って欲しいのです!」
興奮気味の弥吉さんは、ぺらぺらと何か話して、必死に春之信さんを説得しようとしているみたい。残念なことに、私では彼の早口を聞き取ることは出来ない。
多分、お礼を受け取るよう説得してとほしいとか、訴えているのだろうけど。
どうしたものかと、エミリーと顔を見合わせて黙っていると、小さく息をついた春之信さんが私を振り返った。彼も困った表情のままだわ。
「薬師殿の薬が効いたと、蕎麦屋の娘が喜んでいるそうです」
「それは良かったです。また困ったら診療所に来てください」
嬉しい報告に胸を撫で下ろし、精一杯、恒和の言葉を選んで答えると、どうやら弥吉さんにも伝わったらしい。彼は何度も、ありがとうございますと言って頭を下げた。
全く、この人はとんだお人好しね。知り合いの娘のために、ここまでするんだもの。
だけど、悪い気はしない。
嬉しそうに何度も頷く弥吉さんの顔を見ていると、薬師の仕事をしていて良かったと心底思えた。
「高羽殿の奥方も、礼をしたいそうです」
「弥吉さんの奥様?」
「はい。これは二人からの感謝の気持ちです。受け取って下され」
春之信さんに手を握られ、筒状の紙が押し付けられた。
「マグノリア様、頂いたらいいじゃないですか!」
「何を言ってるの、エミリー。そう簡単に受け取っては……」
「頂き物のお礼に、お茶のお誘いをすれば良いじゃないですか」
にこりと笑って提案するエミリーは、すぐ側にあるガラス張りの小さな建物を指差した。そこは、私たち薬師や侍女が憩いの場としても使っている温室だ。
「……そうね。蕎麦屋の娘さんの話も聞きたいし」
お礼を受け取らないと、弥吉さんは梃子でも動かなそうだし、エミリーの提案が妥当な気がしてきた。お礼にお礼をするというのも、変な話だけどね。
弥吉さんの贈り物を受け取った私は、温室へと案二人を内した。中に入ると、まず弥吉さんが大げさすぎる驚いて声を上げた。
「たまげましたな! この東屋は硝子が張り巡らされているのですな。花もたくさんだ」
「えっと……あずま?」
「東屋は休憩場所という意味です。大陸では、パーゴラとかガゼボと言うかと思います」
「なるほど。ここでは薬草を育ててますが、私たちの憩いの場でもあるんですよ」
春之信さんの解説に頷き、私は温室の一角を指差した。そこには、白いテーブルセットが置かれている。
植物には寒暖差に弱い植物や、乾燥に弱かったり、逆に、湿気に弱いものもある。そういった手のかかる植物をこの温室で育てているのだが、せっかくだから有効活用をして、仕事の合間にランチやお茶を楽しんでいる。
風の魔法を組み込まれた温室内は一定温度に保たれ、息抜きの場には丁度良いのだ。
「なんとも粋ですな。うちの女房にも見せてやりたいもんだ」
「……にょうぼう?」
「奥様のことです。高羽殿は夫婦仲が良いのです」
「奥様は、花が好きですか?」
訊ねると、弥吉さんはなんとも優しい顔で笑った。だけど、すぐに頬を赤らめながら首筋を忙しなくこすって、ええまあと照れ臭そうに頷く。その姿を見て、歳の離れた兄を思い出した。
私の兄はお嫁さんにベタ惚れで、暇さえあれば妹に惚気話をするような人だ。人が良くて、家族を大切にして──弥吉さんも、そうなのかもしれない。そう思うと、自然と私の頬が緩んだ。
「奥様を大切になさってるのですね」
「ええ、そりゃもう! うちの女房は恒和一の気立てよしですからね!」
言ってる意味は分からなかったけど、多分、奥様を褒められているのだろう。
微笑ましく思いながら、二人に席を勧めると、ちょうどエミリーがティーセットを運んできた。
甘い湯気を立てるティーカップをしげしげと見る弥吉さんは恐る恐るといったように、カップの持ち手を摘まんだ。そういえば、恒和の茶器には持ち手がなかったわね。
「どうぞ、召し上がってください。ハーブティーです」
「はーぶてーと申すのですか。いやはや……異国の湯飲みは華奢ですな。割ってしまいそうだ」
「高羽殿、そう簡単に割れはしませんよ」
「……割れる? 何をお話ですか?」
「高羽殿は、使い慣れない茶器を壊してしまわないか心配なようです」
「恒和のものを用意すれば良かったですね」
そこまで気が回らなかったことを申し訳なく思い、春之信さんを通して、私の言葉を弥吉さんに伝えた。すると、彼は慌てた素振りでなんのなんのと言って笑った。
「茶器も美しいですが、茶の香りも緑茶と違い、異国情緒を感じますな」
ティーカップを摘まみ上げた弥吉さんは、じっくりと眺めながら、また早口で何かを伝えてくれる。
気を遣って話しかけてくれているのだろうけど、彼の早口はどうも癖のようね。これは、春之信さんがいてくれなかったら、会話を諦めていたかもしれないわ。
ちらりと春之信さんを見ると、彼も恐る恐るカップに口をつけた後に、ほっと安堵するように頬を緩めた。
どうやら二人とも、ハーブティーを気に入ってくれたみたいね。
「これは、花を使われているのですかな? 可憐な香りだ」
「はい。育てた花を使っています。エミリー、二人ともハーブティーを気に入ってくれたみたいよ」
「良かったです! どうぞ、クッキーも食べてください」
「彼女が焼いたお菓子です。こちらもどうぞ」
私の後ろで控えていたエミリーは安堵したようで、ほんの少し強張っていた頬を緩めた。
しばらく言葉のやり取りをしていると、エミリーがこっそり私の耳に「さっきの贈り物が気になります」と囁いた。
「こちらを見ても良いですか?」
「ぜひ。浮世絵なんです。女房が、美しいものを好きでない女子はおらんと、強く言いましてな。喜んでもらえれば良いのですが……藤倉殿、通訳を頼めますかな?」
「高羽殿の奥方が、感謝の気持ちを伝えたいそうです。その贈り物の浮世絵になります。ぜひ、見てください」
「浮世絵……こちらの絵画のことですね」
ではと呟きながら紐を解いて開くと、鮮やかな絵が目に飛び込んできた。その美しさに目を奪われていると、エミリーが私より先に感嘆の声を上げた。
「とても綺麗ですね! 恒和の女性でしょうか?」
色鮮やかな装いに身を包む美しい女性の後ろ姿は、なんとも妖艶だ。豊かな黒髪には赤い花が飾られ、流すような視線が美しい。エウロパの写実的な絵画とは異なり、鮮やかな彩色と構図はとても印象的だ。
「マグノリア様、恒和の人も派手な衣装を着るじゃないですか!」
「それは絵の中だけよ」
「でもでも! マグノリア様だってきっと!」
「あ、あの、お気に召しませんでした、かね?」
エミリーが興奮気味に話すのをどう受け取ったのか、弥吉さんはちらちらと伺いながら、ゆっくり尋ねてきた。さすがに、それだけゆっくり話してくれたら、彼が何を言ったか私にだって分かる。
弥吉さんが急に縮こまる姿が可愛らしく見えてしまい、私は思わず、ぷっと噴き出して笑ってしまった。
「いいえ。気に入りました。ありがとうございます」
精一杯、恒和の言葉で返せば、彼も安堵したようで胸を撫で下ろした。
次回、本日20時頃の更新となります
続きが気になる方はブックマークや、ページ下の☆☆☆☆☆で応援いただけますと嬉しいです。応援よろしくお願いします!↓↓




