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第1話 縁談を断ったら、海を渡って恒和国へ行かないかと誘われました

 大陸の東に広がる海域には、私たちが住む西側諸国エウロパとは異なる島国がある。豊かな自然と未知の動植物が生息し、まるで妖精の国のように美しく、輝きを放った不思議の国だった。──学生の頃に読んだ植物学者ストックリーの旅行記に綴られた言葉は、私を夢中にさせた。


 綺麗なドレスや宝飾品で着飾って社交界で微笑んで生活するよりも、東洋に浮かぶ島国・恒和国で野山を駆けまわった方が、何倍も充実した日々だろう。

 いつか私も恒和国に行きたい。


 私は、『ストックリー旅行記』を毎夜のように捲っては、憧れは募らせる日を過ごしていた。


 そんなある日、お仕えするランドルフ侯爵夫人ロゼリア様からお茶の席へと招かれた。


「マグノリア、新しいハーブティーとも美味しいわ。いつも、ありがとう」

「お口にあったようで、何よりでございます」

「貴女のお茶をいただくと、体が軽くなるのよ」


 ロゼリア様は微笑んでカップを静かに受け皿へと置くと、口を閉ざした。

 沈黙が痛く、私の胸に突き刺さるようだ。


 背筋をつと汗が滴り落ちていった。

 このお茶会は何かある。そう感じさせるように、窓の向こうで庭木がさわさわと音を立てた。


「ねえ、マグノリア。貴女は次の春で十八になるわね。そろそろ、結婚を考える気はないの?」

 

 その問いに、ほら来たと言いたくなった。


 私はプレンティス子爵家の四女。

 父は地方役人で、ランドルフ侯爵家の庇護のもと領地の一角を任されている。歳の離れた兄が父の跡継ぎとして屋敷にいるが、姉三人はすでに諸侯へ嫁いでしまっている。

 つまり私は、嫁の貰い手がない行き遅れ令嬢だといえる。


 薔薇色の髪が華やかなこともあって、学生時代はよく声をかけられたし婚約の申し入れもあった。だけど、私の「いつか恒和国へ行きたい」という夢を語ると、誰もが離れていった。


 結婚したら伴侶を助けて家を守る。子を成して国を盛り立てる。それが当たり前のことだろうとばかりに、私の夢は笑われた。


 夢を追いかけて何が悪いのよ。夢を見せてくれない男に、どうして愛想を振りまかないといけないの。──結婚への憧れは微塵も生まれず、縁談はことごとく失敗した。


 今は、ロゼリア様の侍女兼薬師として勤めているけど、この平穏な日々がいつまでも続くとは、思っていなかったけど。

 ついに、ロゼリア様直々に縁談が持ち込まれることになったのね。


 返答に困ってティーカップの中身に視線を落とす。


 琥珀色のお茶が陽射しを浴びてゆらゆらと煌めいた。それはまるで、私の心を表しているようだ。


 ロゼリア様が優しく私を呼ぶ。


「ねえ、マグノリア。お母様にお手紙のお返事はしたかしら?」

「……いいえ」

「そう。私にも、貴女を心配する手紙が届いたわ。修道院に入れた方がいいのかしらって」


 突然のことに鼓動が跳ね、私は勢いよく顔を上げた。すると、困ったように微笑むロゼリア様と目が合った。


 分かってる。

 ロゼリア様は私を責めている訳ではない。心配して下さっているだけだ。だけど、その優しさと穏やかな声が私の心に深く突き刺さった。

 でも、今はまだ嫁ぎたくない。


「出来ればこのままロゼリア様の薬師としてお仕えしたいです」

「それなら、我が家に仕える侍従や騎士団の方はどうかしら? 貴女が私に仕えるのを反対しないと思うの」


 しまった。そうきたか。

 やはり逃れられないパターンなのか。確かに、ランドルフ侯爵家に仕える方の伴侶となれば、仕事は続けられる。続けられるけど。


 目の前が真っ暗になっていく。

 このままでは、恒和国へ行く夢が断たれる。


 カップの持ち手を握りしめていた手に力がこもり、受け皿とカップがぶつかりあった。カチカチと小さな音が空気を震わせる。


「マグノリア?」

「申し訳ございません、ロゼリア様。……私の夢を分かってくださる方がいるとは思えません」

「……恒和国に行きたいという話ね」

「はい。……どうしても、外が見たいんです! 貴族の娘として褒められたことでないと分かっています。それでも私は」


 お世話になってきたロゼリア様が薦められる縁談なら、断るわけにはいかない。だけど、それでも私はどうしようもなく恒和国に憧れている。この夢を否定する人と、夜を共になんて出来ない。


 ロゼリア様を落胆させてしまうかもしれない。それでも、嘘偽りを口にすることが出来なかった。

 申し訳ございませんと頭を垂れると、ロゼリア様は小さく息をついた。

 

「じゃあ、恒和国に行ってみる?」

「……え?」

「丁度、次の船に薬師を一人乗せたいって話が上がっているのよ。今、恒和国に滞在する薬師が一人、帰国を望んでいるの」


 私を真っすぐ見るロゼリア様は口角を上げ、悪い話じゃないと思うのだけどと付け加えた。


「え、でも……女の私でも、良いんですか?」

「良いわよ。ランドルフ侯爵家の商船は、能力ある者なら誰でも歓迎するわ。マグノリアのハーブティーは本当によく効くもの。推薦してあげるわよ」

「ロゼリア様、ありがとうございます!」

「ただし、期限を設けます」

「……期限?」

「そうです。ランドルフ侯爵家は、貴女を恒和国に送りだし、向こうの商館で働く場所を用意することは出来ます。でも、それはいつか国に戻る前提です」


 国に戻るという言葉に体が硬直する。


 植物学者ストックリーも、国に戻されている。当時、戦争が危ぶまれての帰還命令だった。恒和国に残りたい思いを切々と綴った日誌も残っている。


 そう、私たち貴族は国のために存在する。戻れといわれたら、戻らざるを得ない。


「……それでも行きたいです! 行かないで、何も知らないで夢を捨てるなんて出来ません!」

「分かりました。では五年、貴女を恒和国のドワイト商館へ預けるよう、推薦状を出しましょう」


 ロゼリア様は静かに告げると、カップを手にする。少し冷めただろう中身を一口飲み、そうして穏やかに「本当に美味しいわ」と呟いた。


「ありがとうございます!」


 咄嗟に立ち上がったことで椅子がガタっと音を立てた。だけど、そんなことが気にならないくらいには、恒和国への期待と喜びで胸がいっぱいだった。


 ついに、私は憧れの恒和国へ行ける!


「落ち着きなさい、マグノリア。はしたないですよ」

「は、はい。申し訳ございません」

「ふふっ。貴女の好奇心は誰も止められそうにありませんわね」


 微笑んでカップを下ろされたロゼリア様は、ほっと安堵するように肩の力を抜いた。


「これで、先方に断りを入れる理由が出来て良かったわ」

「……何の話でしょうか?」

「実は、貴女に縁談があったのよ。少し問題のあるご子息で、断った方が良いのではないかと、旦那様とも話していたの」

「お気を遣わせてしまい、申し訳ありません」

「謝ることはないわよ。学生時代も入れたら、もう五年の付き合いよ。マグノリアは私の妹も同然。幸せになれない結婚を勧めるなんて出来ないわ」

「ロゼリア様……あの、差し支えなければ、どちらからお話があったのかお聞きしてもよろしいでしょうか?」

「そうね。断る理由が出来たことですし、話しておきましょう。貴女に縁談を申し入れたのは──」


 真剣な面持ちとなったロゼリア様が口を開くと、強い風が吹き抜けた。

 窓の向こうで激しく木々が揺れ、窓枠がガタガタと揺れる。まるで、その名を口にしてはならないというかのように。


「スタンリー辺境伯家次男、ヘドリック・スタンリーよ」


 衝撃に言葉を失った私は、恒和国への渡航チャンスを得られたことを、心底喜んだ。

 だって、スタンリー辺境伯家次男といったら、女癖が悪いで有名なお坊ちゃまよ。恋に興味のない私にだって、その悪い噂はいくつも届いている。


 婚約者がいないのをいいことに、花街に出入りしているとか、幾人もの女の子に甘ごとを囁いてるだとか。あまつさえ、庶民の娘に手を出して酷いことをしているなんて噂まである。


 同世代の令嬢の間では、結婚したら幸せになれない男ランキング堂々の一位と囁かれる男だ。それでも、スタンリー辺境伯家は名家だからか、ヘドリック・スタンリーの周りには女性が絶えないから不思議な話だけど。


 子爵家の娘たる私は迫られたら断れない相手だし、お母様が聞いたら、きっと辺境伯家と繋がりが出来ると大喜びするに違いない。

 この話が、ランドルフ侯爵家を通してきたもので良かったと、私は心底、神に感謝した。


「スタンリー家と関係を悪くせず断るにはどうしたらいいかと困っていたのよ。どうにか穏便に貴女を逃がせそうで、良かったわ」

「……本当にありがとうございます。全力で恒和国へ逃げます!」


 拳を握って決意を告げた私は、この三ヵ月後、恒和国に降り立った。その頃には、すっかりヘドリック・スタンリーのことを忘れていた。

次回、本日17時頃の更新となります


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