[8話]
「冥って…まだはやくないか?どう考えてもラスボスだろ」
冥…この家1番の強者であり、俺が根源的恐怖を覚える人物。
このようにちょっと想像しただけでドキドキと心拍数があがってしまうほど俺は恐れている。
これが恐怖でなく、恋ならどれだけよかったことか。
「いや…今だからこそ冥を狙うべき」
「なんでそう考えるんだ?」
できれば後回しにしたいと思っている月が海へと尋ねる。
「冥から狙わないといけない理由はない…でも冥を堕とした時1番メリットがあるのは今だから…」
「メリットって?」
「認めないと思っていた冥が認めることで他4人のハードルも下がるから…結果的にみんなが認めてくれやすくなると思う」
「…それだけか?」
「それだけ」
「まじかよ…」
月は頭を抱えてため息をついた。
そんな感情だけで考えた理論が到底うまくいくとは思わない。
「…でもそう考えたらそうか、心理的ハードルが下がるけど冥が最後だったら意味をなさなくなるのか。なるほどね」
100%そうするべきというわけではないが、先に狙った方がそれ相応のメリットがあると納得する。
後に回して、過半数が認めているから私も認めざるを得ないかと思わせてもいい。
だがいつか堕とさないといけないならば今する方が利点が大きいとも考えられる。
冥から狙わないといけない、じゃなくてどうせいつか狙わないといけないんだから今いっとけってことか。
「それに失敗しても冥の好感度はもう地の底だから何の影響もない…」
「嫌われてる自覚はあるけどそんなにバッサリと言われると傷つくな…」
「あっ…」
失言に気づきあわあわした様子で言葉を紡ぐ海。
「…で、でもそれって好かれる余地しかないってことだよ。いいことだね」
「本当にいいことだと思うか?」
「…」
「…」
沈黙が世界を包んだ。
「それで…海の言う通り次は冥を狙うのに賛成だ。だが具体的に何をすれば冥に効果的なんだ?」
「…正直わからない。だから最初は私に家庭教師をしてくれたらいい。きっと冥は一緒に授業を受ける」
「…なんで?あとそれだったら実質認めてくれたようなもんじゃ?」
なにがダメなんだ?と月は首を傾げた。
すると海は指を横に振ってそれは違うといったジェスチャーをする。
「君を認めたから授業を受けるんじゃなくて、君を監視をするために授業を受ける。認めるとは正反対の理由で動くから」
「なるほど」
「でもそれを生かして冥の突破口を見つけて、冥に君を認めさせる。これがきっと最善策」
「おお…!こうやって話してるといけそうな気になってくるもんだな」
ふふんと控えめなドヤ顔を浮かべる海。
「で、いつその作戦は決行するんだ?」
「もう少し時間が欲しいけどきっと天は君が来たことを話す。早かったら明日にはもう呼ぶかもしれない。だからそれまでに作戦の内容を詰めていってーー」
海がいきなり言葉を止めたとか思うと、ぱっと後ろを振り返った。
「…?」
それはこの家の玄関の方向で、なぜ振り向いたのかと聞かれればなんとなくとしかいえないような些細なものだった。
だが、それは、確実に脅威として近づいてきたものに勘づいたものだった。
…ピンポーン
家に甲高い音が響いた。
その瞬間、2人の頭の間にブワッと嫌なイメージが広がる。
「まさかそんなわけないよな…?」
だらだらと冷や汗を流し始める月。
「ありえないよ…冥はこの曜日、いつも買い出しに行くからもっと遅い時間に帰ってくる。だからそれ以外の誰かのはずだけど…」
海にとっては誰かが帰ってくることすら予想外。
それは他の人の予定を聞き、天以外の反対する人がいないタイミングで月のことを家に呼ぶために動いたからだ。
だから今誰かが帰ってくるのは本来ありえない。
なのに。
「まずはインターホンでも確認しようぜ?人を待たすのはよくないからな…」
「そうだね…」
海はおそるおそるインターホンへと近づき、そしてカメラに映る人物を一瞥する。
「…!」
月は両手を合わせ跪き、心を無にしていた。
しかし現実は非常でなにもかも予測できないものだ。
海は通話のボタンを押し、一息間をおいた後話始める。
「今日は帰ってくるのが早いんだね、"冥"」
最後の単語が聞こえた瞬間、月は鈍器で呼吸が止まったような感覚を覚えた。
「珍しいね…なにかあったの?」
海はできるだけ時間を稼ごうとインターホン越しに問いかける。
今のうちに、と考えようとするが、気が動転してうまく頭が回らない。
どうしようかどうしようかと必死に考えていると、インターホン越しに冥がにやりと笑った。
「さぁ…いったいなんででしょうね…?」
「えっ…」
妖艶な笑みを浮かべる冥を見て海はあることを確信した。
「冥にバレてる…」
海は怯えた様子で月にそう報告した。
「…な…んで」
月は掠れた声でそう聞き返す。
「わからない…でも気づいてるんだよ、君がいることに」
「逃げる…逃げるべきだ。一旦逃げよう!」
「玄関を塞がれてどこに逃げるつもりなの?」
「じゃあ隠れるしか…!」
「家にいるってバレてるのに?しらみつぶしに探されて見つかる」
「だったらーー」
月が言葉を発しようとした瞬間、ガチャガチャと鍵が差し込まれる音が響いた。
「なんで鍵持ってんだよ!」
「この家に住んでるから合鍵ぐらい持ってるよ」
「なら家に入ってこれるじゃん!」
「そうだね」
「じゃあ俺死ぬじゃん!」
「死なないよ?」
海は胸を抑え少しばかり息を荒くしている月をみて疑問を浮かべる。
なぜ冥にあったら死ぬと思ってるのだろうと。
殺されかけたことがあるかのような態度が理解不能だった。
「俺は…どうするべきだ…?」
「気張って、ここが正念場」
「…え?」
海は素っ頓狂な声を上げる月を肝の座った目で見つめている。
その後ろでガチャリと玄関の扉が開かれる音がした。
もう時間はない。
「作戦は練りきれなかった。でも冥にバレて、もう真向勝負するしかない状況まで追い込まれてる」
「それは…そうだ」
「もうやるしかないよ」
「…」
「…」
沈黙のなか、月の脳内はぐるぐると目まぐるしく回っていた。
わかっている。
わかっているさ。
いつかは冥と対峙しないといけないことも、いまその瞬間が来てしまったことも。
胸に手を置くと心臓がドキドキと鳴っているのがよくわかる。
でもこれは本当に恐怖なのか…?
…いや
俺は…今…
昂っている。
ぐつぐつと血が…たぎっている。
体の端から端まで一片の隙間もないほどに熱を感じている。
…これは一種の賭けみたいなもんだからか?
俺が負ければ冥に刃物で貫かれ、俺が勝てば家庭教師に一歩近づく。
そんなギャンブルをしているんだと。
だから…わくわくしてるんだ。
自分でも気づかないような心の奥底でずっと相対するのを楽しみしてたんだ。
ほんと、嫌な血を引いてしまった。
「…センチメンタルに浸ってるところ悪いけど、早くしてくれないと」
「そうだな。俺もそろそろ自分語りが気持ち悪いと思ったところだ」
月は立ち上がると、固まっていた筋肉をほぐすように体を動かしあちこちからポキポキと心地いい音を鳴らした。
「よし…じゃあやるか」
トン、トン、トンと規則的だがどこか不気味な足音が近づいてきている。
あと数秒もないうちにこの部屋へとはいってくるだろう。
「何かあったら私に頼って…ある程度のことまでなら庇えるから」
「そうだな。何かあったら頼むわ」
情けない限りだが、この一言があるだけで心の余裕が生まれてしまうものだ。
「ふーっ…」
大きく深呼吸を行い、緊張を緩和しようとするがドクンドクンと未だ早鐘を鳴らすかのように心臓は動き続いている。
最後のチェックだ。
冥との会話から何を求めているのかを探し出し、そして家庭教師として認めさせたら俺の勝ち。
それができなければ俺の負けだ。
作戦はない。
行き当たりばったりで道を繋いでいけ。
似たようなことは何度もやってきた。
今日も
命をかけてやっていこう。
ガチャリと冥府の大扉が開かれた。