破王
我が理想は無残に破壊された。
海の外から我が国を支配する超大国から生まれた王によって。
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俺の日課は毎朝三〇分の瞑想と筋トレをしてから、冷水シャワーを浴びることだ。
毎日のやることを事前に決めておけば、意思決定の回数を最小限に抑えることができる。
食事も同様、毎日同じものを食べる。自分に必要なカロリーと栄養素を把握し、目的に沿ったメニューを考えておくのだ。もちろん、ジャンクや人工甘味料は口にしない。
これも、全ては健康のため――と、よく勘違いされるのだが、そうではない。
小説を書くにも、読書をするにも、国際情勢や世界経済などの情報収集をするにも、最大限のパフォーマンスを発揮するには、その前後に何を行うか、身体に何を入れるのかが大きく関わってくるのだ。
同様に、美しいものやめずらしいものを目にしたとき、おもしろいことや斬新なものを思いつけるようにするため、常に肉体を最高の状態保っておきたいのだ。
俺は合理的で賢い人間だ。だから自分が凡人以下だということをよく分かっているし、ここまでしなければ成功できないことも、十分に理解しているのだ。
周囲の人間からはよく、『ストイック』と言われるが、自分ではそうは思わない。
かつては俺も、毎日ラーメンを食べてビールを飲んで、運動は続かず、喫煙を愛し、昼夜逆転の生活を送っていた時期があった。
そこから『辛い』と感じない程度に、できるところから小さく、少しずつ、長い時間をかけて変えてきただけで、続ける力が人並以上にあったということではない。
たまに、人の生き方を揶揄するようなことを言ってきたり、バカにしてきたりする愚かな人間もいるが、言わせておけばいい。他人は他人。自分は自分だ。
そんな俺の本業は――Uber配達員である。
『大変お待たせいたしました! ありがとうございます!』
元気に言って、暖かな笑顔でお客様にマックやケンタを渡すのだ。
これ食べ物じゃねぇよ、こんなん日常的に食べるヤツはロクな人間じゃねぇ、なんて思いながら。
そしてそのロクでもない人間どもに生かされている俺!
彼らのような愚かな人間がいるからこそ、どこの企業に応募しても採用されない俺の生活が成り立っているのだ。
今日も、ロクでもない人間の元へロクでもないものを届けるため、バイクを走らせる。
晩御飯時。速度を落としてから街頭に照らされた路地へ入る。少し進んだところでスマホのナビが目的地到着を知らせた。建物の具体的な場所を確認するため一度停車をしたときだ。前方数メートル先から、こちらに視線を送るひとりの女性の存在に気付いた。
女性、というより、どちらかと言えば女の子に近いかもしれない。
長くて鮮やかな金色の髪。それは恐らく、人の手が加えられたものではなく、自然な色なのだろう。つまり、彼女はヨーロッパ系というやつだ。
白くて透き通った肌。濃いまつ毛。『お人形さんみたい』とはきっと、こういう人のことを言うのかもしれない。
「ご注文者様ですか?」
俺が第一声を放つと、彼女はこちらに歩み寄り、「はい」と答えた。
甘いチョコケーキに絡み合うティラミスのように、その幼い笑顔にはほんのりと、ヨーロッパ人らしい大人らしさを感じた。
「大変お待たせいたしました。Uberです」
いつものテンプレート口にする。
会話、とは言えないレベルのやりとりだが、それでも彼女と言葉を交わすということ自体が幸せだった。
いつまでもその顔を見つめていたい、と思いながら俺は、彼女に渡した。
バーガーキングを。
袋の中に入っているにも関わらず、濃いソースとフライドポテトの匂いを充満させるそれは、嗅いだだけで即座にカロリーと塩分が高いとことが分かる。にも関わらず、生きていくために必要な栄養がほとんどないのだ。
まさに、資本主義の闇の縮図である。
悪魔が作ったのであろうそれを、彼女は「ありがとうございます」と、心のこもった天使のような笑みを浮かべて受け取った。
俺も同じセリフを言って、すぐさま彼女に背を向けた。受け入れられない現実から目を背けるように。
たまに、海鮮系とかサラダとか成城石井とか、食べ物と言えるものを注文する人もいる。
割合としては全体の一割に満たないだろう。もしも――もしも、彼女がその一割のユーザだったのであれば、俺はきっとプロポーズをしていたに違いない。
しかし、理想は儚くも打ち砕かれた。海の外からやってきた王によって。
今まさに、ヤツが彼女の気づかぬうちにあの美しさを蝕んでいると考えると、いたたまれない。
現代では毎年六〇〇万人以上が糖尿病で命を落としており、この数は年々増加している。
これは米国同時多発テロが一日六回起こっているようなものだ。
対して、暴力で亡くなった人たちは年間五〇万人である。その内、戦争とテロは2万人ほど。
つまりこういうことだ。今やアルカイダよりも、バーガーキングの方が圧倒的に人を殺しているのだ。
戦術核兵器でも使わなければ、これだけの人を殺すことは不可能だろう。
バーガーキングを食べるということは、目の前にいるテロリストに向かって「殺してえええ!」と言っているようなものなのだ。なのに、毎日多くの人たちがそれを喜んで行っている。彼女も例外ではない。
本当の彼女は実は、普段は死ぬほど健康に気を遣っていて、今日はたまたま数週間に一度のチートデイだったのだと信じたい。それを確かめるすべはもうないが。
しかし、それでいい。理想や願いや希望というのはいつだって簡単に打ち砕かれるのだ。
言い知れぬ空虚さを抱きながら俺は、また次の愚か者を求めてバイクを走らせるのだった。
作中では一目ぼれをしたように演出しているのですが、実際には「すんげぇ綺麗だなぁ、俺のタイプだわぁ」と思いました。そして、彼女が注文した品を見て「あぁ……」となりました。