あなたのほうが幸せそう
1967年11月2日木曜日。午後6時31分。河里幸子さんより「娘が帰らない」と通報が入る。娘の依子ちゃんは普段学校が終わると寄り道などは一切せずに、午後4時までには必ず家に帰るのだという。そんな依子ちゃんがいつになっても家に帰らず、心配になった幸子さんは通学路やその付近を探し回った。暗くなり、自分1人の力では見つけられないと判断し、その時間になって初めて警察に相談をした。
依子ちゃんが最も仲良くしていたとされる白浜恵美ちゃんの話によると、依子ちゃんとは一緒に下校しており、家のすぐ近くで手を振って分かれたとのことだった。
しかし、依子ちゃんは家へは帰らなかった。警察は誘拐などの事件に巻き込まれている可能性があると、すぐに捜索を始めた。
その結果、その日のうちに1つ手がかりが見つかった。通学路から2.5kmほど離れた川の岸に、依子ちゃんのものと思われる靴が残されていたのだ。それを見た幸子さんはひどく錯乱し、気を失った。
翌朝、川を中心に捜索が行われていた中で、1人の成人男性の遺体が見つかった。死後数日と経っていないにもかかわらず、その衣服は垢や脂に塗れており、体も同じように汚れていた。
そのことから、酔っ払ったホームレスが足を踏み外したかなにかで川に落ちて死んだのだろうという結論に至った。歳もかなり行っていたため、依子さんの事件ほど話題にはならなかった。しかし1つだけ、不可解な点があった。その身元不明の遺体の顔は、この上なく幸せそうに笑っていたのである。
翌日になっても、依然として依子ちゃんに関連するものは見つからないままだった。
幸子さんは報せを聞いて出張から戻ってきた夫の武史さんと共に辺りを捜索していた。
それから1週間が過ぎても依子ちゃんは発見されず、捜索は打ち切られた。
河里さん夫婦は以降も毎日捜索を続けた。
事件から約1ヶ月が過ぎた頃、河里さんの家のポストに丸められた1枚の紙が入っているのを武史さんが見つけた。その紙には平仮名で「わたしはいま しあわせです」と書かれていた。その筆跡は間違いなく、依子ちゃんのものだった。
「わたしはいま しあわせです」
手紙を見た幸子さんは内容を読み上げ、笑みを浮かべた。
「私も幸せにならなきゃ」
幸子さんのその言葉に、武史さんは言いようのない恐怖を覚えたという。
「トイレ行ってくる」
この言葉を最後に、幸子さんは姿を消してしまった。
◇
事件の可能性が高いでしょうね。あんな小さな子がわざわざ学校帰りに2キロ以上離れた川に行って遊んだりするなんて考えられませんし、そもそも11月ですからね。こんな気温で川遊びなんて、考えただけでも寒くなってきますよ。
ただ――
子どもって、大人が理解出来ないような行動を取るのも事実なんで、絶対っていうのはないでしょうね。
◇
あたし。入学してからなかなかおともだちができなくって。はじめてこえをかけてくれたのがよりこちゃんだったの。いつも学校でなかよくしてくれて、しんゆうっていってくれて、いつも一しょにかえってくれて、あたし、よりこちゃんが大すきなの。
だからぜったいにぶじに見つかって、また一しょにあそぼうね。ぜったいだよ。こうえんでブランコにのったり、おすなばであそんだり、ゾウさんのすべ
◇
元気で明るい良い子だったよ。いつもお母さんが書いたおつかいのメモを持ってな、うちに来てくれてたんだ。今日は夜ご飯ハンバーグなんだとか、わたしも手伝うんだとか言っててなぁ、本当にかわいい子だったよ。
なんだ? 母親を疑ってんのか? あの人がそんなことするわけねえよ。いつも仲良さそうにしてて、俺にも「あの子は私の宝物なんです」って会う度に言っててよ、本当に大切にしてるって分かんだよ。あんたらみたいなのがあの人の心を追い詰めたんだろうな。最低だよ。
◇
わたしはいましあわせです
とってもしあわせです
たのしいです
さいこーです
さいこーです
◇
依子ちゃんがいなくなって半月くらい経った頃からかな、よく幸子さんの叫び声が聞こえるようになって。近所の人は全員聞こえてたわね。
そりゃおかしくなるわよ、娘がいなくなってるんだもの。
旦那さんにもだいぶ当たってたわね。「依子は私がお腹を痛めて産んだ大事な子なのよ!」「産んでないあなたには分からないわよ!」って感じでね、もう喉がちぎれるくらい叫んでた。旦那さんも「俺だって依子ちゃんは大事だし心配だよ! でもどうしようもないじゃないか!」って怒り返したりもしてたわ。でもそれ以上はあんまり旦那さんの声は聞こえなかったかな。奥さんの気持ちは旦那さんが1番分かってたんでしょうね。
◇
あなたのほうが幸せそうだと、そう仰っておられました。その方は、いつも空からあなたを見ていらっしゃいました。
その方は、この上ない幸せをとても長い時間、味わっておられました。
しかし、その方はいつからかご自分の境遇に不満を持ち始めました。
人間界では考えられないような快楽を味わっているのに。
毎日好きなものだけを食べて過ごしているのに。
ある時、その方に死の兆しが見えたのでございます。ですがその方は、ご自分に訪れるであろう未来を受け入れることが出来ず、あることを願うようになりました。
その願いはいつしか恨みに変わり、愛に変わりました。
願いが通じたのでしょう。
それはそれはお喜びになって、その方は下りていかれました。とても幸せそうなお顔をされておりました。私にとって、こんなに嬉しいことはございません。