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戦機いづくにか  作者: たかのりつと
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 上杉軍約二万の軍勢が善光寺に着陣したのは、八月十五日の午過ぎであった。

 善光寺の南には犀川があり、そのさらに南には、千曲川が流れている。その二つの川に挟まれた平坦地が、川中島と呼ばれている。

 越後勢にとって、川中島の地を踏むのはこれが四度目のことだ。越後の本拠地・春日山にほど近く、信越の国境付近に位置する川中島は、武田の勢力が北信濃を侵食するにしたがって、過去三度にわたって武田軍と上杉軍との小競り合いが行われてきた。

 だが此度の戦いが、これまでのような小競り合い程度の衝突で終わらないであろうことは、誰の目にも明らかであった。それは、この年の四月、千曲川の南に、武田の前進基地となる海津城が築かれたからである。この城の出現によって、川中島の戦略的意義が一変した。信・越の緩衝地帯だった川中島が、武田の拠点となり得るのである。それは、武田が北信濃の完全制圧に向けて本腰を入れたことを意味した。

 折しも、謙信が関東の名門・上杉氏の家督を相続し、同時に関東管領の名跡を承継したのは前年のことである。関東を統治しようとする上杉謙信にとって、後背を固めておく必要性がさらに増大したと言っていい。そのためには、春日山の背後に位置する北信濃における武田の野心を、是が非でも破らなくてはならなかった。


 上杉謙信の側近である鬼小島弥太郎は、謙信の命を受け、各部隊の状況確認のために、陣地を走り回っていた。柵や幕を設置している者、それらの建設資材を運搬している者、休憩しながら武具の点検をしている者などで、ごった返している。だが将兵は誰一人として無駄な話をしていない。そのため作業は整然と進んでいた。

 間もなく、善光寺の上杉軍の将兵に、前進の命が下った。荷駄隊と一部の部隊を残し、およそ一万三千の部隊が、犀川を越えて川中島へ入った。

「殿、そろそろ頃合いでは」

 川中島の中心部である八幡原に差し掛かった頃、行軍中の謙信に対し、重臣の宇佐美駿河守が馬を寄せて、言った。深志(今の松本)から進軍してくるであろう甲斐の武田勢を迎え撃つのであれば、八幡原を前面に臨むこの付近に布陣するのが常道である。

「このまま前進だ」

 謙信が宇佐美の顔を見ずに言った。手には愛用の馬上杯を持ち、時折酒を口に含みながら正面を向いている。だが謙信の視線は、鋭く周りへ向けられている。決して酔うことのない謙信がこうしている時は、その頭脳の中で目まぐるしく作戦が練り上げられている時なのだ。

 宇佐美はそれ以上問うことをやめ、視界の邪魔にならないよう、謙信の後方に下がった。

 上杉軍の大部隊が整然と八幡原を南下している。川中島の周辺には、敵味方双方の隠密が物見のために放たれているはずだから、この行軍の様子は、海津城にいる武田方の高坂昌信の知るところとなっているだろう。

 善光寺に着陣した頃から既に、川中島の南東に位置する海津城の方角から、ひとすじの狼煙が上げられている。武田軍は数年前から、越後勢の進出をいち早く甲斐の本国へ伝達するための手段として、狼煙台の運用を行なっている。いまごろ、深志城の馬場信春が出陣の準備をし、南信濃や甲斐の武田領内では兵の動員を行なっているに違いない。

 やがて、遠目に千曲川が見えてきた頃、左前方に、うっすらと構造物が見えてきた。

(あれが海津城だな)

 宇佐美は思った。敵ながら絶妙な位置に築城したものだ。前面には千曲川を備え、後方には断崖を控えており、まさに自然の要害で守られている。この城を陥すには相当骨が折れるであろう。

「宇佐美殿。そろそろ陣を展開すべきでは」

 後方にいたはずの本庄繁長が、数名の騎馬武者とともに、みずから馬を駆って宇佐美の元へやってきた。

「殿は前進と仰せだ」

「前進?…いったい、いずこへ」

「…」

 宇佐美は黙った。宇佐美とて、上杉の重臣の中では軍師と目されている人物である。その宇佐美にも、なぜ前進するのか、そして、どこを目指そうとしているのか、見当がつかなかった。

「よもや、このまま海津城へ攻めかかろうというのではあるまいな」

「…。やがてお下知があろう…」

 本庄は、不得要領な表情を見せたが、取り付く島もない宇佐美の様子を見て、後方の自隊へ戻っていった。

 上杉軍は、誰一人として言葉を発することなく、粛然と前進を続けている。行軍中は決して口を開いてはならないというのが上杉の軍法である。それでも本庄が宇佐美の元へやってきたのは、この前進が、常識的には自滅につながる危険をはらむために他ならない。その危機感のあまり、宇佐美の意見を聞きに来たのだ。

 武田は、本国から本隊がやって来るのを待って、海津城との連携作戦を行なう戦略であるはずだ。それに対峙するために、武田本隊の進軍路を抑え、かつ海津城に睨みを利かせる位置に布陣するのが常道である。その適地を通り過ぎてしまうと、やって来る武田本隊を迎え撃つにしろ、海津城を攻撃するにしろ、もう一方の部隊から挟撃される危険に身を晒すことになるのだ。

 たしかに海津城には今、高坂弾正の部隊しかいない。数の上では上杉軍が圧倒的な優位であるが、あの要害に囲まれた海津城は、単純に力で攻めるだけでは、大きな損害を被るに違いない。攻めあぐねている間に武田の本隊が来着する危険の方が高い。あるいは海津城を素通りして、武田の信州の拠点である深志城を直接狙おうとでもいうのか。そのようなことをすれば、海津城に退路を断たれてしまうことは目に見えている。

 これまで、負け戦のない謙信だ。そんな謙信であっても、今回の出陣は、北信濃の脅威を除くという明確な戦略目的があり、かつ、関東管領となっての初戦である。絶対に負けられない戦いなのだ。

 だがそんなことは、謙信自身も分かっているはずだ。その上で、別の考えがあるに違いない。それが何であるか、宇佐美には分からなかったが、軽々しく口を挟むべきではないと考え、本庄に対しては、明確な態度を示さなかったのである。

 それにしても、上杉軍は一向に進軍速度を落とそうとしない。一体、どこまで進むつもりなのか。そうこうするうちに、上杉軍はとうとう八幡原を抜けて、千曲川を間近に見るところまでやってきた。この位置まで来ると、海津城はすでに後方になる。

 宇佐美は、たまらず謙信の元へ馬を進めた。

「殿。いったいどちらまで行かれるおつもりですか」

「千曲川を渡り、妻女山に布陣だ」

「なんと…」

 宇佐美は絶句した。川中島から深志へ続く街道筋を逸れて、千曲川を渡るというのだ。それはつまり、みずから退路を断つことに他ならない。もしくは、海津城の前面で千曲川を渡河する愚を避けて、横手から攻めようというのか。それにしたところで、千曲川の南側は平地が少ない。いずれにしても自由な作戦行動が取れるものではなかった。

 宇佐美が絶句している間に謙信の下知はすでに全軍に伝えられ、先頭の部隊が千曲川の渡河を開始している。おそらく諸将の中にもこの命令を訝しんでいる者がいると思われるが、これまでの無敗の戦歴は皆、謙信の天才的な戦術によって勝ち取ってきたものである。それを慮って、半信半疑のまま、下知に従っていることだろう。

 誰もが考えつかないような作戦でも、それを実行し、勝利に導いてきたのが謙信である。妻女山に布陣する意図が今は不明でも、やがてその真意が分かるはずだ。宇佐美はそう自分に言い聞かせて、馬を進めた。


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