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斯くて雌羊は血に餓えぬ  作者: 空烏 有架(カラクロ/アリカ)
序章 斯くて女は血を求む
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0-08 運命は回り始めた

 聞くところ、彼女を含めた軍処女の多くは帰る家を持たない孤児(みなしご)で、たいていは幼いころに修道院に預けられてそこで育ったとのことだった。

 教養もなく、家事と農作業と奉仕に追われる日々を過ごす女に、ひとりで生きていく力はない。

 上からの命令を拒めないのなら、疑う気力もなくなるか。


 とにかく事情はわかったようでわからないままだ。

 なんにせよ、はいわかりましたと答えられる心境では到底ないヴィルは、改めて戸口を示した。


「帰んな」

「……ヴィルダンドさま、あの」

「こっちは慈善事業はやってねえんだ。辞められないなら他を当たれ。

 時代は変わった。仕事がなくなった傭兵くずれなんざ、どこにでも転がってる。俺に固執する必要はねえだろ?」

「それは……」


 アトレーゼは目を伏せ、コップを握る手をじっと見つめている。

 存外に力を込めているのだろう、爪先がうっすら白んでいるのをヴィルは見とめたが、彼女がなぜそこまで思いつめるのかは理解できなかった。


「私の他に……ファタゴナには七人、軍処女がいます。いずれも手練れの者たちです……」


 ぽつりとそう言って、アトレーゼが顔を上げた。

 まるで身内に死人でも出たかのように悄然とした表情を浮かべ、彼女は消え入りそうな声で続ける。


「ここで私が引いても、他の者が参ります。あなたは我々のことを知ってしまった。

 そして、もしも誰かがあなたを狩ることができたとしたら……私のような仕損じた女が、どの面を下げて神の門をくぐれましょうか……」

「……。よーわからんが横取りされんのは嫌なんだな。安心しろ、どんなのが来ても俺は死なん」

「なぜそう言い切れるんですか?」


 心底不思議そうに尋ねるアトレーゼに、ヴィルはにやりと笑って言った。


「二十年戦場で過ごして、結果このとおり死んでねえ。それが運や偶然だけじゃないってことは俺自身がよく知ってる」


 初めて足を踏み入れたのはまだ十歳にもならないころ、当時はまだ護身用の短剣を提げているだけで、与えられた仕事は物資の運搬だった。


 ほかの環境など知らない。口減らしのために捨てられたヴィルを拾ったのが傭兵だったから、彼らの暮らしがヴィルにとっても『当たり前』や『ふつう』だったのだ。

 剣を握るようになったのも、だからごく自然なことだった。


 そういう意味ではアトレーゼの心境もまったくわからないではない。

 彼女は「教会の命令で見ず知らずの人間を殺す」ことを常識とする世界に拾われ、他の社会を知らずに育ったのだろう。

 それにこのようすでは、今までヴィルのほかに彼女の凶刃を免れた者はいなさそうだ。


 たしかにあのバカでかい剣を、それも特別大柄でもない女が振り回しているという絵面だけであまりに狂気じみていて、並みの人間なら咄嗟に対処ができなくても無理はない。

 しかも得物の大きさに反して小ぶりの片手剣みたいに軽々と振ってくるものだから、たいていの相手は驚いている間になます(・・・)にされるだろう。


「ま、なんでもいいから今日は帰れ。俺もそこまで暇じゃねんだ」

「あの」

「……手空いてるときだったら、打ち合いの相手くらいはしてやるよ」


 少し強引に帰らせようとするヴィルに、アトレーゼはまだ抵抗の意思を見せていたものの、最後の一言に多少の効果があったのかもしれない。

 その日は、彼女はそれ以上は粘らずに席を立った。

 帰り際、やっぱり「また伺います」と言い添えて出ていくアトレーゼの後ろ姿を見送って、ヴィルは溜息らしいものを吐き出す。


「……どうも初めて会ったって気がしねえんだよな」


 それは――あとから思えば、運命とかいうやつの、趣味の悪いいたずらだったのかもしれない。



 答えが出せないまま、ヴィルも一旦背を向けた。

 暇ではないというのも方便ではない。気楽な隠居生活の傍ら、ヴィルはある目的のためにここにいる。


 そのためにいくつかすることがあって、そちらに没頭している間に、アトレーゼや教会のことなどはすっかり頭から消え去っていた。



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