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斯くて雌羊は血に餓えぬ  作者: 空烏 有架(カラクロ/アリカ)
序章 斯くて女は血を求む
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0-03 罠

 謎の女に襲撃を受けたその日のうちに、ヴィルはある老人を訪ねた。


 麓の街は地区によって治安の程度がかなり異なる。その中でもとくに荒れている、昼間から質の悪いごろつきどもがたむろしているような危険な一角が、その男の住まいである。

 出迎えたのは少年のような恰好をした眼つきの悪い少女で、すでに顔見知りであるヴィルはすんなり商談部屋に通された。


 奥に座した老爺──情報屋のネルスールは手にした煙管を眺めながら、ヴィルの話を静かに聞く。

 少女も隣に座っていたが、未だかつて彼女が喋るところを見たことはない。


「なるほど、斬っても突いても死なん女かい。そりゃあ大した化けモンだ」

「冗談じゃねえんだよ。あんたなら何か知ってんだろ?」

「そうさな、それらしい話は聞いてるよ」


 老人が手許を動かすたびに薄蒼い煙がもうもうと室内に広がり、野焼きに似た刺激臭が鼻腔に滑り込んでくる。

 ヴィルは思わず顔をしかめた。彼は傭兵には珍しく、煙草をやらない。


「ただ、あたしの聞いた話のどれもと女の見た目が違っとるね。一人二人じゃあないかもしれんな」


 あんなのが何人もいるのかよ、と思ったヴィルはさらに顔をしかめた。


「ともかく言えるのはその女、そこらの警吏じゃあ手に負えんだろうよ。それこそおまえさんくらいの腕がなけりゃあね。

 そしてこの街には腕の立つ警吏どころか、教会に物申せる者はひとりとしておらん」

「げ……そんなにすごいのか、教会のご威光ってのは」

「厳密には大聖座(かしら)と、その背後に御座(おわ)すっちゅう()使()の威光よ。……誰もその姿を見たことはないというが、それでもまァ、教会が出来てからこの街も多少は落ち着いたでな」


 なんにせよ、この件で頼れる相手はいないものと思え。

 ――という身も蓋もない結論を得たヴィルは情報屋の家を後にした。


 たしかに死なない怪物の相手ができる男が、世の中にそうたくさんいるとは思えない。


 問題はこれからどうするかだ。死にはせずとも怪我くらいはするようなので、今朝はひとまず追い払うことはできた。

 だが三日後にまた来るという宣言を受けているし、たぶんそれでまた追い払えたとしても、女は何度でもやってくるだろう。


 そもそもなぜ命を狙われているのかがわからないのだが、傭兵という職に就いていた以上、どこで誰の恨みを買っていたとしてもおかしくはない。

 ただそれが個人ではなく組織、しかも人びとの救いであるはずの教会というのが解せないが。


 とにかくだ。

 根本のところで解決できなければ、たとえあの女を殺せたとしても次の女が現れる可能性があることを、ネルスールの話が示唆している。

 引退して田舎でゆっくり暮らそうと思っていたヴィルにとっては迷惑この上ない話だ。


 こうなれば、やるべきことはひとつ。

 ヴィルはすぐに家に戻らず、そのまま街で少しばかり買い物していくことにした。



 ・・・・・*



 果たして三日後、アトレーゼは再び現れた。

 今度は襲撃を予め知っていたので、修繕したばかりの家屋に被害が及ばないよう、ヴィルも家の前の畑で待ち構えていた。


 丘を登ってきた彼女はすでに手に大剣を携えており、帽子の下からまたあの冷たい眼だけが覗いている。


「お約束どおり参りました……今日こそあなたを討たせていただきます。お覚悟を」

「もちろん断る」


 それ以上の会話はない。

 女は再び鋼鉄の塊をこともなげに振り回し、ヴィルは経験と技術を駆使してそれを捌く。


 やはり女の足運びを知っている。次にどこへ踏み込み、そのためにどのような姿勢をとるのかも、さらにはそこから連なる腕の動きまである程度は読める。

 外面の禍々しさに惑わされそうになるが、女の剣術の腕はそこまで高くない。


 歳の差を考えれば当然だろう。

 女が弱いというより、こちらの踏んできた場数が違う。


 いつの間にかふたりは畑から離れ、家の裏に広がる雑木林のほうへと少しずつ移動していた。

 剣を打合う耳障りな音がこだまして、静かな樹々を揺らすのを、ここの住民である獣たちはさぞ迷惑しながら聞いていることだろう。


 驚いた鳥が慌てて飛び立ち、ざわめきが林じゅうに広がる。

 仲間に危険を知らせるように獣が鳴く。


 枝を踏み折る音など聞こえないほど、響き渡る金属音がやかましい。


 周囲に細い枝が垂れ、命のやりとりをするには邪魔だが、ヴィルは敢えてそれに構わなかった。なぜなら今はそれが多少なりと己を護る盾代わりになるからだ。

 対するアトレーゼは障害物を減らそうと、こちらを斬り損ねた刃をそのまま返して枝のひとつを切り落とす。


 女の太刀筋が、ようやくわずかにブレたのをヴィルは見とめた。それは疲れや地形の悪さからではなく、なかなか相手に刃が届かぬことへの焦りから生まれた、かすかな構えの乱れだ。

 挑発するように一歩下がると、それを追ってアトレーゼが踏み込んでくる。


 そのとき、彼女の細い足首に、何かが触れた。

 ――枝と落ち葉に紛れて張り巡らされた、そのあたりの蔓草をそのまま利用した仕掛け糸だった。



 →

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