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斯くて雌羊は血に餓えぬ  作者: 空烏 有架(カラクロ/アリカ)
第九章 光は墜ち、闇は芽吹く
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9-09 茨の道行き

 背に、断続的な鋭痛と強張りを感じる。

 例えるなら誰かがそこに刺繍でもしているような感覚だ。動くたびに痺れるように痛むので、まだ歩くのが辛い。


 それで立ち止まっていたところに誰かがぶつかってきて、それ自体はまったく大したことはなかったけれど、わずかな衝撃が激痛となって一瞬意識が飛んだ。

 悪魔が支えてくれなければその場に倒れていただろう。もっとも、この痛みの原因も彼なのだが。


「あ……だ、大丈夫、です」


 ようやく相手が先輩聖女のアトレーゼだと気づいてなんとかそう返す。しかし声がひどく震えてしまって、これでは説得力がないと自分でも思った。


「あの……顔が真っ青ですよ。具合が悪いなら一旦戻って休んだほうが」

「いえ、平気ですから……えっと……ほら、今日はあんまりお天気が良くないから、顔色はきっと、そのせいです……」

『きみは言い訳へたっぴだなぁ。やれやれ』


 隣の悪魔が溜息を吐きながら、小さな手でアトレーゼの眼前を撫でた。

 すると彼女はわかりましたと頷いて去って行く。その背に申し訳ないような気持ちを感じつつも、しかし彼女の相手をしていられる状況ではなかったので、安堵もした。


 同じことを聖所座にもしている。悪魔の力でもなければ、今の本部の状況では遠征などとても認められない。

 黙って出て行くことも考えたけれど、ただでさえ続けざまに仲間を失ってみんな苦しんでいるのだから、このうえさらに心配をかけたくなかった。

 だから形だけでも正規の手続きを踏むことにしたのだ。実際にはピューシャはオルジーナの仇――ユラムという名らしい――の魂を持ち帰るつもりはないのだけれど。


 ともかく早く移動しなければ。

 しかしそうやって焦るほど痛みが増すように思う。少し進んだ先でまた立ち止まり、呼吸を整えていると、通りすがった街の住民に声をかけられた。


 またアトレーゼにしたのと同じ問答の繰り返しだ。

 どうやらこの街の人間は親切な人が多いらしい。大きな教会の膝元だから、みんな神を意識して信仰に恥じぬ暮らしを心がけているのだろう。

 普段ならその温かさをありがたく思ったはずなのだけれど、今は煩わしい。


「大丈夫ですか? 顔色が……」

「平、気……です」


 また悪魔が手を振る。そのうちその光景を見慣れてしまいそうで不安になる。


 だが、これでもティティを受け入れてから丸二日も身体を休めたし、当初の身動きすらできないほどの苦痛からすれば楽になったほうだ。

 だからユラムの元に辿り着くころには平気になっているだろう。きっと戦える。


 ――そうだ、やらなきゃ。


 歯を食いしばって怒りを思い出せば、痛みがどこかへ消し飛ぶ気がした。

 あるいは苦痛こそが原動力になりうる。

 想像し、自分に言い聞かせる。きっと最期の苦しみはこんなものではないだろう、と。


「オルジーナちゃんは……もっと、もっと痛かったよね……苦しかったよね……」


 そう思えば耐えられる。いや、耐えなくてはいけない。


『だろうねぇ。ユラムも情け容赦なかっただろうし。ウルちゃんなんか、死んだあとでも死体ぐっちゃぐちゃにされたしね』

「……ティティちゃんも、それからずっと、仲間を……探して、たんだね」

『まーねぇ。こっちはピーちゃんほど感傷的(センチ)な関係じゃないけどねー、あれは単なる宿主だから』

「でも、……ふぅッ、お別れは、辛かったでしょ……?」


 ティティは曖昧に笑った。彼は何も答えなかったけれど、別に構わない。


 ガラヒエ卿のことは聞いている。あの優しかった本聖座が悪魔の下僕だったことには驚いたけれど、もう亡くなった人を今さら咎めても仕方がない。

 それに今は自分も同じ穴のむじなだ。

 ティティが言うには下僕ではなく宿主だそうだが、人間のピューシャにはいまいちその言葉の違いがわからなかった。名称がなんであれ、神の法の下には許されざる者であることに変わりない。


 悪魔の茨に支えられながら、ピューシャは震える脚で一歩ずつ前へ進む。

 この道がどこに続くのかは知らない。それがどんなに愚かな妄想でも、文字どおりの茨道だったとしても、痛みとともに歩き続けることを選んだ。


 願わくばその先に、大切な人たちを苦しめた憎き仇どもの、無様で苦痛と悔悛に満ちた終わりがあらんことを。

 望みはそれだけ。他には何も要らない。


 かつてピューシャは安寧を求めて教会に身を寄せた。豊かでなくてもいい、誰にも何も奪われることのない、静かな暮らしだけが欲しかった。

 けれどもう、そこには帰れない。

 傍に悪魔がいるかぎり、一度繋いだ魂が解けることは決してないから、もはや死ぬまで永遠に。


 愛するべき平穏に向けた背に、今は漆黒の茨が躍っていた。



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