6-13 襲撃④紅き残嗟のリーツェレッテ
なぜかそのときユラムは安堵していた。
いや、それはユラム自身の感情ではなかったかもしれない。もう区別がついていない。
ともかくユラムはまず、邪魔な男どもを排除にかかった。
所士たちを次々に斬り伏せる。内臓に受けた損傷もすでに癒えており、ユラムを阻める者はもういない。
そうして護衛がひとりずつ倒れて行っても、その背後に佇む白い男は顔色ひとつ変えなかった。
彼の紫紺の瞳にはまるで怖れがない。
空虚なのではなく、彼は心から、死を恐れる必要などないと理解している――そんな眼だ。
「……困りましたね」
だからその言葉も、いっそ白々しいほどだった。
護衛がすべて血の海に沈んでも、男は平然としていた。部下の死体を眺める眼差しは冷徹とすら思えるほどに静かで、揺らぎがない。
逃げようとかユラムに抵抗しようなどという素振りは一切見せず、かといって諦観の気配もなく、彼はその場に佇み続けている。
ただそこに居るだけ、そんな風情で。
「いやに落ち着いているな……」
おかしなことに、問いかけるのはユラムのほうだ。戦意のかけらもない丸腰の相手など、このまま黙って殺せばいいはずなのに、その異様な平静さがかえって不気味だった。
なにか隠しているのではないかと訝るあまり、ようすを伺ってしまう。
むろん、そこで躊躇を見せているのもまたユラム自身とは乖離した自我ならぬ自我であって、本来の彼は内心の奥底にまだ沈んでいた。
そして対峙する男、帽子の装飾などから推察するに聖所座――副聖座とも大聖座とも違うとなれば消去法でそれしかない――は、そんなユラムに静かに答える。
瞳と寸分違わぬ、清水のような冴え冴えとした声で。
「慌てる理由がありませんから」
「……なんだと?」
「今もし私がここで死のうと、こちらには一切支障がない。
そしてユラム、おまえにはこの牢は破れないし、そのうち軍処女が下りてくる。そうなればおまえに逃げ場はありません。出入口は一か所だけですから」
つまり、こちらの負けが確定している――聖所座はそう言いたいらしい。
何気なくさらりとユラムの名を呼ばれてもいる。すでにこちらの素性は知れている、という牽制か。
「しかし、……困ってはいます。いくら計画には差し支えなかろうとも、障害は減らしたいものです。
ここで私が死んだら、この男を尋問する人間がいなくなってしまう」
「計画……天使の器か……」
「そのとおり。われらが生ける聖人の、生涯をかけた最後の奇跡……俗人に理解せよとは言いませんがね」
聖所座の視線はずっと壁の突出部に注がれていた。
壁と同じように剥き出しの石材で覆われたその表面に一箇所だけ、長方形の分厚い板がある。蓋付きの小さな窓を備えた扉だ。
この男、と言ったから、そこに囚人がいるのだろう。
「……」
――早く殺せ。こいつと話をするだけ無駄だ。
脳裏でまた声がした。けれど、このときユラムは初めてその言葉を聞き流した。
「……か……」
なぜなら、暗く澱んだ意識の底からでも、たったひとつの感情が間欠泉のように勢いよく噴き出したからだ。
それは純然たる、深い一色の怒りであった。
「わかって……たまるか……!
妹を……おれのシテニアを……! 家畜より無残に死なせるような計画の、なにが奇跡だ……ぁぁぁああ……ッ!」
目の前が赤く潰れる。どろどろの緋色を纏った、亡き聖女の悲嘆の声が頭の中に吹き荒れる。
ユラムはもう知っているからだ。天使の器にされた者がどんな結末を迎えるのか、自らその死を追体験している。
そして、そのおぞましい計画は今も続いていて、いつかシテニアがその毒牙にかけられるのだ――妹が、リーツェレッテと同じ死にかたをすることになる。
憤怒に呼び起こされて、亡霊が再びユラムの身体に降りる。
同時にあの焼け爛れた丹赤の激熱が蘇った。身体じゅうの血を熱した鉄にすげ替えられたような、紅蓮の痛苦。
亡者と霊媒は、赫い激情の中で共鳴した。
「許さない……ゆるさない……ぜっだいゆるざない、ぜ、だ、あッが、がぁ、だじが、わだじがぁぁ、どんなに、あ、あのどぎぃ、ぃぃぃぃ……いだいよぉいだいよぉぐるじいよぉあづいよぉおお!」
「……っこれは……」
「あなだにも! ぉぉああがッ! あじわわぜであげまじょうが!?」
その凄まじい剣幕と、顔立ちすら別人のように変わってしまったユラムのありさまに、さすがに聖所座も顔をひきつらせた。
この男は本部に座する聖職者としてはまだ若い。
リーツェレッテの死がいつごろかユラムは知らないが、少なくともシテニアが招かれる前、つまり最低でも六年以上は経っているはずだ。当時の聖所座は前任者だろう。
実際にその壮絶な死にざまを見ていないのならば、決してわかるまい。人伝に聞いたくらいでは。
自分たちの計画の犠牲になった女が、最期にどれほど苦しんだか、なんてことは。
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