後編
「さあ、ここだ!」
瀬菜の手を振りほどくようにして、洋介がバーンと両腕を広げたのは、大きな部屋に入った時だった。
「わっ!」
彼のアクションの勢いが激しすぎて、瀬菜はよろめいてしまう。そのせいだろうか、今までは抑えられていた怒りが、急に再燃する。
「たぶん、ここが曰く付きの大食堂だ。噂通り、二階の奥だからね」
彼は『大食堂』と言っているが、何もない、がらんとした空間だった。かつては椅子やテーブルが並べられていたのだとしても、既に撤去されている。他では散らばっている瓦礫さえ、きれいに四隅に寄せられていた。
ちょっとしたイベントが行えそうなスペースだ。寝る場所に困った浮浪者が入り込めば、一晩の宿になるだろうし、ホテル代をケチる若者カップルならば、肉欲の宴を繰り広げる舞台に早変わりするだろう。
「この食堂ホールこそが、『パワースポットの廃ビル』と呼ばれる由来になった場所、つまりパワースポットで……」
「何がパワースポットよ!」
瀬菜は洋介を殴った。今までのポカポカ殴りではなく、バキッと思いっきり。
「痛えっ!」
と叫びながら、彼が吹っ飛ぶほどの勢いだった。
いかにも痛そうに顎をさすりながら、洋介は立ち上がり、
「何すんだよ、女のくせに!」
反射的に殴り返してしまった。彼女の頭をガツンと、ハンマーのように力強く。
「あっ……」
自分でも「しまった」と思うが、もう遅い。
殴られた勢いで下を向いた瀬菜が、ゆっくりと顔を上げる。そこには、鬼のような形相が浮かんでいた。
「あなたこそ……。男のくせに! 女の子を本気で殴るなんて、最低だわ!」
言葉と同時に、飛んでくる右ストレート。
洋介はヒョイッとかわしたが、その瞬間、みぞおちに叩き込まれる瀬菜の膝蹴り。パンチはフェイントだったらしい。
「ぐふっ!」
苦痛の呻き声を上げながら、洋介は不思議に思う。瀬菜のやつ、いつの間にフェイントなんて使うようになったんだ、と。これまでも手が出ることはあったが、もっと軽くて単純なものばかりだったのに……。
「もう許さない! パワースポットとか言って、私を騙して! 私の心を弄んだのよ! 今日という今日は、許さない!」
か弱い女性とは思えない、力強いパンチとキックが洋介の体に降りそそぐ。こうなると、ただ体を丸めて防戦一方というわけにもいかなかった。
「いい加減にしろ! 俺も怒るぞ!」
洋介も本気で殴り返す。
パワースポット云々にしたって、一応は彼女の趣味に合わせたつもりだったのだ。そもそも、幽霊やオカルトの類いを面白半分で楽しむ洋介と違って、占いなんて胡散臭いものを瀬菜は真剣に信じているのだから……。
このまま付き合い続けて結婚まで行き着いたとしたら、将来が心配ではないか。家の購入とか、子供の教育とか、全て占いで決めるのか? それでは、変な宗教に嵌まった可哀想な人と同じではないか!
「だいたい、お前は! もっと常識を持てよ!」
「何言ってんの? あなたこそ……」
ヒートアップした二人は、当人同士が意識していないほどの力を発揮して、血だらけで殴り合うのだった。。
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一部のマニアの間では有名な心霊スポット、『パワースポットの廃ビル』。
かつて殴り合いの末に亡くなった霊が今でも漂っており、取り憑かれると一時的に筋力が増大する、という噂だった。
結果、大怪我をしたり、場合によっては、命を落としたり……。そうやって、さらに地縛霊が増えていくのだという。
筋力が増大する廃墟だから、人呼んで『パワースポットの廃ビル』。
今この場で洋介と殴り合っている瀬菜は、彼からそこまで詳しく聞かされていなかったが……。
もしも聞いていたら、怒りを強めて、こう叫んだに違いない。
「パワースポットって、そういう意味じゃない!」と。
(「私をパワースポットに連れてって」完)