第5話 いつもの寝顔
「おーい、来たぞー」
俺は扉を開け放ち、薄暗い広間の中に大きな声を出してみた。しかし、俺の声は薄闇にまるっと飲み込まれてしまったかのように響く事がなかった。その代わりと言ってはなんだが、暗闇のどこかで何かがガタッと物音をたてていた。
「お、お邪魔しまーす」
トトも俺の背中に隠れながら挨拶を済ませた。もちろん初めて訪れるトトに対しても「いらっしゃい、よく来たね」などの明るい返事は返って来ない。いつも通り冷たく居心地の良い静寂をもって迎えられるだけだ。
俺達が広間に足を踏み入れて少しすると、入り口の扉がひとりでに閉まった。まるで透明な誰かがそこにいるかのように扉がゆっくりと閉ざされ、外側からガチャリと施錠された。トトはその仕掛けを見て「と、閉じ込められた!」と小さな悲鳴を上げた。そして、トトのこの悲痛な叫びは続く事となった。
俺が慌てるトトを落ち着かせようと「大丈夫だ」と声を掛けた時だった。壁に飾り付けられた燭台が入り口の方から順々に勢い良く灯り始めた。トトはそこで再び「うわあ!」と盛大な叫び声を上げていた。
「まったく、こんな仕掛けがあるなら最初に言っててよ、イヨ君」
「すまん、そんなに驚くとは思ってなかった」
全ての燭台に明かりが灯った頃、俺達はやっと周囲の状況を確認できるようになった。広間の奥の方は未だ暗闇に包まれていて良く見えないが、広さとしてはサッカーコート一面分ほどの空間がそこにはあった。壁には月明かりを入れるアーチ窓と燭台が取り付けられ、床には古びた赤絨毯が広間の奥まで伸びていた。
「凄く広いね。こんなお家に一回くらいは住んでみたいな」
トトは俺の背中から離れて辺りを自由に探索し始めた。アーチ窓に顔をべったりとつけて外の景色を眺めたり、むやみやたらに走り回ったりと、なんだかマンションの内見でもしにきたような様子だ。
「結構良い所だろ。静かだし、景色も悪くない。これで交通の便が良かったら最高なのにな」
「そうだね。でも、一人で住むにはちょっと寂しいかな」
トトが近寄って来てそう言った。
「たしかに、そうだよな。一人じゃ掃除とかも大変そうだし」
俺がそう答えると、トトは「はぁ」と大きなため息を吐いた。そして、やれやれといった様子で俺の顔を見ながら首を振ると、またどこかへ走り去った。
「どうしたんだ」
走り去っていく感じの悪いトトの背中に向けて言った。それから俺は再び視線を前方に戻す。その時、彼女の寝顔が目に入った。
赤い絨毯の終着点。そこには古びた玉座の上で眠る魔王の姿があった。
彼女はいつも通り肘掛けに頬杖をつき、不機嫌そうに目を閉じていた。いつも眠っているのだから髪を括ってパジャマでも着てればいいのにと思うが、今日も魔王は黒いドレスを纏い、赤い髪を肩に垂れ落としていた。
「久しぶりだな。元気にしてたか」
彼女はまだ目を覚まさない。それを知りつつ声を掛けた。いつの頃からか、俺は魔王に声を掛けるのが習慣になっていた。
「ねぇイヨ君、私はどうしたらいいかな」
いつの間にかトトが俺の背中に戻って来ていた。トトはアイテムバッグから木の杖を取り出し、それをぎゅっと握りしめていた。また、トトの足元を見てみると、いつでも駆け出せるようにトタトタと足踏みまでしていた。相変わらず、臆病なのか怖いもの知らずなのか良く分からない所がある。
「端の方で大人しくしてたら戦闘には巻き込まれないはずだから、そこでゆっくり見ててくれ」
「うん、わかった!」
トトは元気よく返事し、足踏みしたまま回れ右して走り出した。
「あ、ところでイヨ君、魔王ってそこで眠ってる女の子のこと?」
思い出したようにトトが振り返って言った。その視線の先には古びた玉座で眠る赤髪の少女がいる。
「そう、こいつが魔王。そろそろ目を覚ますと思うんだけどな。あぁ、そうだ、トト。今日はクッキーを持ってきてたんだよ。これでも食べて待っとくか?」
俺はアイテムバッグの中からクッキーの小包を取り出し、それをトトに見せびらかすように振った。
「いくら何でも緊張感が無さすぎだよ、イヨ君」
ため息混じりにトトは言う。しかし、その両目は俺の手に握られたクッキーの小包を追っていた。
「クッキー、食べようかな」
クッキーに釣られて戻ってきたトトは、少し恥ずかしそうに言った。
「ふわーあ」
クッキーを何枚か口の中に放り込んだ頃、小さなあくび声が聞こえてきた。そのあくび声が俺の声でもトトの声でもないと気が付いた時、俺達は揃って玉座に目をやった。
「おはよう、やっと起きたか」
そこには寝起きの魔王がいた。まだ不機嫌そうな表情で、気怠そうに頭をゆらゆらと揺らしている。
「クッキー食べるか?」
俺は手に持っていたクッキーを寝起きの魔王に差し出してみた。しかし、いつも通り反応は全く無い。
「び、びっくりしたー。それじゃ、私は隅っこに避難しとくよ。頑張ってね! イヨ君」
トトは余ったクッキーを両手に抱えると、そそくさと広間の端の方へ走って行った。俺はその後ろ姿を見届けてからゆっくりと立ち上がる。
「今日は友達を連れてきたんだ。名前はトト。見た感じでは分からないと思うけど、俺の何倍も強い奴なんだ。そうは見えないだろ?」
笑いながらトトの方に目をやってみた。しかし、魔王の瞳は微かにも動かない。ただじっと、目の前に立つ俺の姿をその双眸に映すだけだった。
「まぁ、いいか。返事なんて期待しちゃいない」
俺がそんな風に小さく零していると、魔王はゆっくりと腰を上げた。立ち上がった魔王は胸元に垂れ落ちた髪の毛を煩わしそうに背中の方へと流し、先程とは違った鋭い視線でこちらを見た。
「よく来たな人間、私は魔王エルン」
いつも通りの台詞が、いつも通りの声色で発せられた。
「知ってるよ」
俺はからかうように返事する。魔王が立ち上がると広間の雰囲気が徐々に不穏なものに変わっていった。燭台に灯る炎の色が赤から青に変わり、窓から入っていた煌々とした月明りが次第に弱々しいものになった。そして、どこからともなく重く不吉な鐘の音がゴォーンゴォーンと広間に響き始める。
「なぁ、お前は知ってるのか、この世界は今日で終わるんだぞ。このボロい城も、あの大きな月も、張りぼてみたいな空も、今日で綺麗サッパリ消えてしまうんだと。なんだか信じられないよな」
俺はずっと独り言を言っている。魔王にこんな事を言ったところで返事なんて返ってくるはずもない。それは分かっているのだけど、何故だか今日は言葉が止まらなかった。
「俺は明日も明後日も、その先もずっとこの世界が続くと思ってたんだ。だけど、どうやら今日で本当に終わりらしい。なぁところで、お前はこの世界が消えたらどうするんだ。俺達の知らないどこか別の世界に行くのか?」
俺の言葉は魔王に届くはずも無く、彼女はいつも通りの虚な目でこちらを見ていた。そして、鐘の音が鳴り止むと同時に再び口を開く。
「愚かな人間よ、これが最後の戦いだ。覚悟は出来ているな?」
この問い掛けに頷けば戦いが始まる。俺はアイテムバッグから『流転の剣』を取り出し、しっかりと構えてから頷いた。
「最後だ、思いっきりやろう」