第3話 「アッ」という間
一日なんて「アッ」という間に過ぎてしまい、八月三十一日の二十二時。
この日はレジェクエの最終日とあって数年ぶりに世界に活気が溢れていた。どういう形であれ、このゲームに思い入れがある人も多いのだろう、街中を歩いていると別れを惜しむ言葉をよく耳にした。もちろん「クソゲーだったな」という言葉も耳に入ってくるのだが、まぁそれも良いだろう。今となっちゃ誉め言葉みたいなもんだ。
賑やかな街の外に出てみても、あちらこちらでプレイヤーの姿を見つける事が出来た。初心者向けダンジョンに行ってみると元上位勢のプレイヤー達が思い出話に花を咲かせていたし、エルフの住む森に行ってみるとカップルらしき男女のプレイヤーが仲良さそうに歩いていた。そこはきっと彼らの思い出の場所なのだろう。彼らはその場所によく馴染んで見えた。
こんな風に俺はゆっくりとこの世界の最後の光景を目に焼き付けていった。
数時間後には消えてしまうこの素晴らしき世界を、どうにか記憶に繋ぎ止めておく為に。
二十二時過ぎ頃に街の時計台についた。そこはトトと待ち合わせの約束をしている場所だった。しかし、一見してそこに銀髪の黒魔道士の姿を見つける事はできなかった。俺は不思議に思い、時計台の周りをぐるりと一周してみた。すると、時計台の背中側でコクリコクリと小さな頭を浮き沈みさせる銀髪の少女を見つける事ができた。
「ごめんトト、ちょっと遅れた。用意はどうだ?」
俺が声を掛けると、トトはゆっくりとした動作で頭を上げた。そして、何度か目を瞬かせてから口を開いた。
「あ、イヨ君、用意は全部済んでるよ。バッチリ」
トトが疲れ果てたように笑って言う。
「大丈夫か?」
俺が思わずそう訊ねると、トトはぶんぶんと首を横に振った。
「大丈夫じゃないよ。魔王のお城に行くのがこんなに大変だなんて知らなかった!」
それを聞いて、俺は「なるほど」と手を叩いた。魔王城に入るにはいくつかの特別なアイテムが必要だった。俺は何百回と繰り返してきたのでそのアイテム集めにも慣れていたのだが、初めてとなるとさすがのトトでも大変だったらしい。
「それはそれは、お疲れさん」
俺は小さく笑いながら言った。トトには悪いが、少し得意な気分だった。
「こんなに大変だったんだから、イヨ君、簡単に魔王に負けないでよ」
トトはじっとりとした口調でそう言った。
「トトが満足出来るくらいには頑張るよ」
俺はふくれっ面のトトをなだめてから風の移動魔法を唱え始めた。魔王城の近くまでは魔法で移動し、そこから先は歩きで進む事になる。
「トト、忘れ物とかないよな」
「うん、大丈夫」
俺は自分の持ち物も簡単に確認し、風の移動魔法を使った。すると、すぐに冷たい風が俺達の体を包み込んだ。そして、俺達の体は音もなく夜の空へと舞い上がった。
「そういえば、魔王とは何回くらい戦ったことあるの?」
魔王城の近くの小さな湖で休憩していた時、トトが訊ねてきた。トトはこの綺麗な湖を見つけてからはすっかりと機嫌を直していた。湖面に映る月を眺めたり、水面に足先を浸したりと、なかなか忙しそうにしている。
「何回だろう、数え切れないかもな。ここ数年はほとんど毎日魔王城に行ってたし」
「へ? 毎日?」
トトがパシャと水を蹴り上げてこっちを見た。そういう反応になるとは思っていた。誰に話しても驚かれるんだ。
「クエストで遠征してた時とかレベル上げに集中してた時はさすがに行ってなかったけど、それ以外ならほとんど毎日戦ってたな」
「お城に行くだけでもこんなに大変なのに」
げんなりとした顔でトトは言う。みんなそんな顔で俺を見るんだよ、物好きな奴だなって感じの顔でさ。
湖から数十分歩いた所に魔王城はあった。薄暗い森の中に突然姿を現す古城。そこが魔王の眠る城だ。
「これが魔王のお城?」
俺の少し後ろを歩いていたトトが驚いたように言った。トトの言いたい事はすぐに分かった。
「そう。ボロいだろ?」
俺は笑って答えた。この古城に現在進行形で住んでいる魔王には悪いが、俺だって最初に見た時は廃墟かと思った。城壁はほとんど崩れかけているし、主塔なんて頭が欠け落ちてしまっている。俺が魔王ならもう少し良い所に住みたいもんだけどな。
「ちょ、ちょっとね」
トトは気を遣ってか「でも、雰囲気あるね」とかなんとか良い感じの事をごにょごにょと言っていた。
俺達は城門前まで歩いて行き、アイテムバッグの中から例の特別なアイテムの一つを取り出した。
それは小さな赤い石のアイテムで、それを門に近づけると固く閉ざされた門扉が自動で開くようになっていた。言ってみれば無骨な通行証みたいなものだ。
門の先にはふわふわとした質感を持つ暗闇が待ち受けている。その暗闇は空間移動の魔法となっており、足を踏み入れると特定のアイテムを持っているプレイヤーだけが城内に飛ばされる仕組みとなっていた。恐らくこれは魔王に挑戦する権利を持つ者しか城内に入れないようする為の、ゲーム上の仕様なのだろう。
「この空間移動の魔法で城の中に行くんだ。この暗闇の中に入ったら、ただじっとしてればいい」
俺はそう説明して暗闇に足先を浸した。それに反応するように例のアイテムのもう一つが甲高い音を発した。こちらは紫色の水晶のアイテムで、この空間移動の際に消費するアイテムだった。
「じゃあ、俺は先に行ってるから、俺の後にこの中に入ってきてくれ」
「う、うん。わかった!」
俺はトトの返事を聞き、暗闇の中に足を進めていった。柔らかな暗闇が体を包み始めると俺は目を閉じ、息を止めるように口も閉じた。
「ねぇイヨ君、ちゃんと中で待っててよ! 絶対に先に行かないでよー!」
トトの慌てたような声が耳に入ってくる。俺はその必死な声色につい笑ってしまう。
「ちゃんと中で待ってるよ」
そう返事して本格的に暗闇に沈んで行った。俺は慣れてるがトトはきっとこのなんとも言えない浮遊感に驚くんだろうな。そう思うと、また笑いが込み上げてきた。