第19話 結んで開いて
――じゃあね。
そう聞こえた気がした時には、目の前に誰も居なくなっていた。
ゲームマスターを名乗る女性も、レジェクエ世界の俺達も、まるで初めからそこに居なかったかのように姿形を消していた。今の今まで彼等がいた場所には、青い桜の花びらがただただ揺れ落ちているだけだ。
「八千代さん達どこに行ったんだろうね」
八千代さんが居た場所を眺めながらトトが言った。トトは今しがたの風で髪がぼさぼさに乱れていた。普段はこれでもかという位に綺麗に整えられているというのに、今はそれを直そうとする素振りも見えない。
「さぁ、どこか寒い所なんだろう。あんなに厚着してたし。それより、凄い髪型になってるぞ」
気の抜けたトトの横顔を少しばかり観察してから声をかけた。トトは何かを考えているのかいないのか、手のひらがしきりに開かれたり結ばれたりしている。
「あはは、イヨ君もボサボサだよ」
少し間が空いて、トトが笑いながら言った。
「ねぇ、イヨ君。あそこ、あの小屋って見覚えが無い?」
トトの指さす方を見ると、記憶にある丸太小屋と祠があった。俺が目印として探していたものだ。あんなに必死に探していたものがこうも簡単に見つかるとは、これが八千代さんの言っていた『修復』なのだろうか。そう思い、辺りを見回した。
「バグの対応が遅かったのは、こういう理由だったのかもな」
俺達を取り囲む景色が少しずつ元に戻り始めていた。草原も謎の扉も青い桜の木も、潮の満ち引きのようにゆっくと姿を変えているようだ。
「こんな事を一人でずっとやってたんだろうな」
「八千代さんの事?」
「そう。それにしても、あの人には色々とはぐらかされちゃったな」
「だね。多分、説明するのが面倒になっちゃったんだよ」
トトも笑いながら言った。
「これからどうしよっか、イヨ君」
「ひとまず、予定通りルトの村に行くか。また変な事に巻き込まれなければ陽が沈む前には着くだろ。それに、あそこなら八千代さん達をゆっくり待てるだろうし。また少し歩く事になるけど大丈夫か?」
「うん、大丈夫。イヨ君の背中で寝てたからかな、体がすごく軽いんだよね」
トトが不思議そうに全身を動かしながら言った。
「それは多分ノノって奴の治癒魔法のおかげだと思うけどな。ヒールライトを使ってたんだ。しかも、結構練度が高かったように見えたぞ」
俺がそう訂正を入れると、トトは少し顔を赤くした。
「あ、そ、そうだったんだ。気が付かなかったなぁ。そういえば、シェル君って人も風の移動魔法を使ってたもんね。そっかそっか、そうだよね!」
「そういえば、あの風魔法は俺がよく使ってたやつだったな」
あの二人に関しても気になる事ばかりだった。短い会話しか出来なかったが、彼らは本当に俺とトトのようだった。見た目はともかく、性格や話し方まで俺達そっくりだったのだ。そんな事があり得るのだろうか。もう一人の自分なんて。
それに、トトそっくりのノノはこうも言っていた。『私はトトちゃんだったけど、今はそうじゃないのかもしれない』つまり、あの二人はそれぞれに俺達の意識とは別に自分の意志を持ち始めているという事なのだろうか。
「ねぇ、イヨ君、おーい、聞こえてますかー? イーヨくーん」
いつからか、トトが俺のシャツの裾を引っ張っていた。
「あぁ、悪い。考え事をしてた」
「何か心配事? それとも歩き疲れた? 今度は私がイヨ君をおんぶしようか?」
トトは俺の前でクルっと背中を見せると、とんとんと腰を叩いた。どうやら「乗れ」という意味らしい。
「いや、無理だろ。それに、そこまで疲れてないから大丈夫だ」
そう言いつつも正直なところ足腰はガクガクだった。青春をオンラインゲームに捧げた高校生の体力なんて所詮こんなものだ。いや、むしろ、よく頑張った方だろう。
「またまたー、無理しちゃって、一回試しに乗ってみてよイヨ君、ほらほら」
トトは楽しそうに言った。気のせいかもしれないが、トトはゲームをしていた時より今の方が楽しそうに見えた。もちろんフィールドのバグに巻き込まれた事も命の危険に晒された事も覚えていないからだろうが、それにしたって、こんなに楽しそうなトトを見るのはいつぶりだろうか。
「もう少しだけ一緒に冒険が出来るんだね」
トトが再びクルっと回ってこちらを向いた。
「危ない事はしないからな。絶対に」
自分にも言い聞かせるように言った。今回は運が良かっただけだ。何かが噛み合っていなければ、今頃どうなっていたか分からない。そう思い返すと、背筋がぞっとする気がした。
「じゃあ、ルトの村を目指して再出発しますか」
トトが大きな歩幅で歩き出す。
「はしゃぎ過ぎるなよ」
俺もガクガクの足腰に鞭打って再び歩き始める事にした。




