第10話 おつかれさま。
「うーん……。ま、いいよ!」
トトはひどく渋い表情を一瞬だけ見せたが、すぐに頷いてくれた。
それから俺はトトに肩を貸して貰い、広間の中心まで歩いて行った。そして、月明かりのスポットライトの中で腰を下ろし、一息ついた。
トトは魔王の体についた土埃や小石をせっせと手で払ってやっていた。
それが終わると今度は自分の膝を枕として無償提供し、そこに魔王の頭をそっと乗せてやったりもするんだから、見た目には心優しい天使としか映らない。
「トトも、なんだか随分と丸くなったよな」
その姿を見て、ついぼそりと零してしまった。
「それどういう意味? まさか、悪い意味じゃないよね?」
トトが口をすぼめて言う。
「いや、なんというか、優しくなったというか大人になったというか」
「へへ、イヨ君が気付いてないだけで、私はどんどん大人になっていってるんだよ」
「そうか?」
「そうだよ!」
トトは鼻を「ふふん」と鳴らすと、背筋を伸ばして嬉しそうに笑った。
俺も声を出して笑った。こんな他愛もないやり取りも、もうじき終わりがきてしまう。これがきっと、最後のいつも通りだ。
「いやー、本当に終わったなー」
ひとしきり笑い終えると、今度は眠たくなるような静寂がやってきた。
俺はあくびを一つしてから言った。ゲーム内の時間を見てみると、23時59分。時の流れも気を遣ってくれてるかのようにのんびりしているようだった。
「本当に終わっちゃったねー」
トトも大きなあくびをしてから言った。
そこでさざ波のような小さな笑いが起こったが、それもすぐに姿を消す。
「トト、今までありがとう」
「うん、こちらこそありがとう。楽しかったね!」
トトはこちらを見ると、笑って言った。
この世界も、もうじき終わってしまう。
もう思い残す事なんて何もないだろう。そうだろう……?
「ねぇ、イヨ君」
トトの呼びかけに俺はすぐに反が応出来なかった。なんだかぼーっとしていた。
「ん、どうした?」
トトの方を向いて答えた。
光の加減なのか、トトの瞳は少し潤んでるように見える。
「えっとさ……、そのぉー……、最後だし私もちょっと言いたい事が――」
トトが何やら言い出し辛そうに手遊びを始めた頃、俺は小さな違和感に気が付いてしまった。――トトの手の下の、赤い頭がコソコソと動いていたのだ。
「こいつ、起きてないか……?」
トトには申し訳ないと思ったが、言わずにはいられなかった。
「こいつ? 魔王ちゃんの事?」
トトは手遊びをやめ、スッと視線を下に向けた。
俺もトトと同じく、視線を落とす。
『もぐもぐもぐ』そう聞こえてきそうな程に魔王の口が忙しなく動いていた。
魔王の目は確かに固く閉ざされていた。しかし、それ以外が全くダメだった。未だに口は動き続けているし、手は未練がましくトトのクッキーの方へ伸びている。そして、終いには腹が「ぐぅ~」と情けない音を上げてしまう始末だった。
これは果たして寝たふりなのだろうか。そんな疑問さえ頭に浮かぶ。
「起きてるかも……。というか、起きてるね」
トトはそう言って魔王の頬に手を当てた。
すると、これ以上は誤魔化しきれないと思ったのか、魔王の目がゆっくりと開いていった。そして、すぐさまこちらを見て口を開く。
「トドメは刺さないで」
それは助けを乞うような口調ではなかった。
部下に命令するような、なんとも威厳に満ち溢れた声色だった。
「もう何もする気はないさ、そこでゆっくりクッキーでも食べとけばいいよ。というかお前、普通に話が出来たんだな」
俺は初めて聞くセリフに多少驚きながらも、そう返した。
「そういえば、そうね」
魔王自身、今しがた話せる事に気が付いたかのように驚いていた。しかし、驚くのもすぐにやめ、堂々と次のクッキーに手を伸ばし始めていた。「もぐもぐもぐ」
「わるい、話の途中だったよな」
奇妙なものを見るような目で魔王を眺めているトトに言った。
「ううん、大したことじゃなかったから、気にしないで」
トトはそう言って、再び魔王の食事風景を興味深そうに眺め始めた。
「そうか」
周りの景色が少しずつ崩れ始めていた。
それに気が付いた時刻は0時1分。俺の手元にあった『流転の剣』は光の粒となって消え去り、城の壁や床も気が付けば光の塊となっていた。
「私はそろそろいつもの場所に戻るわね。えーっと……。なんて言えばいいのかしら。とりあえず、二人ともありがとう」
魔王は少し照れ臭そうにそう言って立ち上がり、ふらふらと玉座に戻っていった。俺達も魔王に短く別れの言葉を送って見送った。「じゃあな」「元気でね」
魔王にも最後の場所があるのだ。数多くのプレイヤーがそうであったように。
「もう、時間なんだね」
トトは今にも泣き出しそうな表情だった。
目に涙を溜め、唇を小さく震わせている。
「そうだな」
そう返事して空を見た。
月はまだ夜空にあった。形が歪になっているが、まだそこにある。
「なんだか怖いね」
消えていく床や壁から逃げるようにトトが体を寄せてくる。
「目、閉じとくか?」
そう言って再び夜空を見た時、月はもう消えていた。
「うん、そうする」
トトの返事を聞き、彼女が目を瞑ったのを見てから俺も目を閉じた。
色々なモノが崩れ行く音が耳に入ってくる。
「おやすみイヨ君」
「おやすみトト――」
その言葉を言い終えると、一瞬にして体の感覚が無くなった。
風を感じていた頬にも、痛みを感じていた背中にも、トトの体温を感じていた右肩にも、何の引っかかりもなくなった。
――なんだこれ?
目を開けてみると、辺りは完全な黒で埋め尽くされていた。
何も見えず、体の感覚も無く、まるで液体となって暗闇を漂ってるようだった。
――あぁ、ゲームが終わったんだな。あの世界との接続が切れたんだ。
少しだけ慌ててしまった。なんせ始めてみる画面だったのだ。
へぇー、なるほど。サービス終了ってのはこんな感じなのか、なるほどなるほど。
まぁこんな暗闇にいても仕方がない、現実に戻ろう。
――ん? あれ? おかしいな。
システム画面が開かなかった。それに、VRゴーグルを外そうにも今はまだゲームの中らしい、後頭部には何の手触りも無く、自分の髪の毛を撫でるだけに終わってしまった。
――おいおい、どうやって現実に戻ればいいんだ?
暗闇の中でもがいた。手当たり次第に動いてみた。
しかし、何の感覚もなければ、何かに触れる事もなかった。
その時、ピコンと聞き覚えのある機械音がどこからか鳴り響いた。
そして、暗闇の中に『ゲームマスターさんがログインしました』というメッセージが浮かび上がってきた。ゲームマスター?
――なぁ、ゲームは終わったんじゃないのか?
俺がそう言って誰かに訊ねた時、俺の視界は強烈な白い光で満たされた。
10話までお付き合い下さりありがとうございます。
第一章『最後の戦い、始まりの戦い』はここまでとなります。




