(9)
二人の若い男女が、昼間のビジネス街を駆け抜ける。
数時間前、明・トモ姉と呼び合い、この周辺の探索をしていた二人組である。
「ちょっと何よこれ!! 何なのこの規模は!!」
しょせんスマートフォンのアプリケーションソフトは、アプリケーションソフトの域を出ない。正確に言うと、専用機器の簡易観測機かわりに過ぎないのが、指南くんと呼ばれるスマホ用ガジェットソフトなのである。それを立ち上げたスマホの画面が、「霊気流・霊気圧・総合霊気力計測不能」と、もろ手上げて降参な表示となっていた。
「絶対とは言い切れませんが、梅田とここは目と鼻の先。プレ・ガジェットはガジェット系統以前の聖遺物という意味以上に、プレミアムという意味も重ねているでしょう? 竜夫さんのお嬢さんならばあり得る話です。何らかの接触があったのかと」
「分かってるわよ!」
二人ともかなりの速度で走っているのにも関わらず。息も乱れないし、会話も途切れない。対人戦闘の様な荒事すらあり得る。
スタントマン然とした長身の青年に、90年代アイドル風の二十そこそこの女性。その様な日々が二人を鍛えた。
「だからって、いきなり核心の中心部に居るかもって、普通無いわよ! どーなってんのよ」
青年に怒っている訳でなく。怒れる彼女の真の矛先は、その理不尽な現状にある。怒りを声にのせて、発散させる。冷静にならないと! 血を分けた姉弟以上に心底分かりあう二人。弱音をはくのは信じる相方の前のみと、決めていた「トモ姉」である。
道路を駆ける、駆ける!
大阪のメインストリート、御堂筋。大阪の繁華街キタとミナミを、北と南で縦に結ぶ大動脈。
その通りを、一本東でも西でも、それてみる。平日朝夕の通勤時間を外れれば、意外に人通りがすくないのである。その中を二人は駆け抜ける。間に合うのか? いや、間に合わせる。
間に合え!
◆◆◆
白と黒。光と影の色彩。町並みは普通なのに、色を落としただけで異界と「解る」。
先ほどまで淀屋橋の交差点に居た。その景色は今でも変わらない。ただ夏海以外の人が全く絶えて。色彩まで抜け落ちてしまうのは、明らかに異常事態であった。
異界――俗に神隠しなどと言う現象の一つの原因であると、彼女は聞いている。概要としては少しズレた世界だ。
霊的現象のスペシャリスト……と言うにはほど遠い。
しかし、天川家自体の秘事として、呪術の基礎を習得し。またその瞳に分離不可能なモノ――プレ・ガジェットを、宿すゆえに。多少の知識と技術を夏海は持ち合わせていた。
交差点のどこからともなく聞こえる、不協和音。
出鱈目。
高音と低音。
安っぽい単音の電子音。
四方八方からしかもバラバラに聞こえて分かりにくいが、落ち着いて聞くと聞き覚えある旋律だ。
とおりゃんせ。
少女は意を決して、足を一歩踏み出す。
(助けを求められた……助けないとっ!)
前へ。まっすぐ進むと梅田駅の方だから、方角は北のハズ。
景色が変わる。
(あれ?)
気がつくとなぜかハイキングコースの入口に居た。
見覚えがある。
どこ?
懐かしい気もするが……思い出せない。
一歩下がる、後ろ向きに。
先ほどの十字路だ。淀屋橋交差点にほかならない。
再度北へ――再び山道の入口へ。
不意に薫る香り。揚たてのカツレツ。その上にかかるトマトケチャップの匂い。お肉の佃煮――そのお醤油の香ばしい匂いが食欲をそそる。甘いあまい卵焼き。
(何? 何なの?)
お野菜もちゃんと食べないと!
プチトマトに甘く煮た南瓜、入れておくわね。
あと果物何を入れようかしら?
そんな優しい声がした。
誰の?
思い出せない。
思い出したい!
思い出したくない!!
相反する気持ち。後悔。
ノドまで出かかって、分からない。
ウソ。……覚えているくせに……。自分自身につくウソ。、傷つきたくない。そんなウソ。
炊立てご飯で作った握り飯!
梅干しで握ってね!
はいはい。
一番幸せに感じていた日々の匂い。
愛情の証。
(小学校の! 遠足の!! でもここは大阪だよ!?)
小学校低学年までは、関東在住であった。
なぜ?
異界の風景は、時として思念の強い者に左右される場合があると言う。そう聞いていたはずでも、実体験として彼女は今回が初めてだ。
だから、まどう。とまどう。
よろめいて右手に足を踏み出してしまう。
景色が一変する。こちらにも見覚えがあったが、同じく直ぐには思い出せない。
周囲を見る。田舎?
セミの声。川のせせらぎの音。
背後をみると微かに覚えがある、古い駅舎が見えた。
(道をまっすぐ進むと小路があって、更に進むと河原――川があるはず!)
何故か見覚えあるかと思案すれば、母親が生きている時バーベキューしに、出掛けた場所ではないか。
(でもここも、関東だよね?)
母親存命――転校前は関東圏内に住んでいた時の風景だと気がつきはしたが、更なる疑問発生、それは何故? 様々な思い出が次々と思い出される。
嬉しかったこと。
面白かった事。
感動した事。
悲しかった事。
そして、辛かった事!
思い出さなきゃ、思い出したくない!
小学校に上がる前。
おかあさん、おねむなの? もうおきないの? もうあえないの?
大丈夫、大丈夫よ。わるい夢だから。お母さんここにいるから。
夏海にとって、悪夢は悪夢で終わらなかった。とまどい、悲しげに表情がゆれて、何かを決意した母の顔がその脳裏に焼き付いていた。
それが今、鮮明に再生されそうになって。
彼女の原罪だから、いつでも切欠があれば、その罠は鎌首をもたげてる。そして彼女を奈落に引きづり落とそうとする。
(ダメ! 今大事なのはそこじゃない!)
異界の効果か、彼女の原罪の深さか、その思い出の羅列を首ふってせき止めて。
(バーベキューには四人で行った。お父さんとお母さんとそしてボクに――)
夏の暑い日。ふざけて水遊びした。ボクと春ちゃんと……春ちゃん!
少女は気合を入れるため、両の手のひらで、ほっぺたを叩いた。
ぱあぁぁんっ!
いい音がした。
痛い。
ひりひりする。少し落ち着く。
あり得ない場所、懐かしい場所でも、誰も居ない寂しいところ。
そのことに今更ながら気がついて。
(……落ち着け。落ち着け!)
そして深呼吸もする。ラジオ体操の様に、大きく腕広げて。一回、二回、三回。
(わんこ――春ちゃんは、呪術に限らず、何事も落ち着いて行動する事が、一番大事って言ってたじゃないか! ボクがまずしっかりしないとどうする)
一つ年下の妹分とは言え、従妹はそちら方面でプロフェッショナル。今すぐにアドバイスを受けれなくても、座学・経験談に実地と色々してくれたじゃないか!
(あの子は何って言ってた?)
『異界はそれこそ人の数ほどある、と言っても良いかもしれません。少しずれた世界と言う人も、選ばなかった可能性の世界とも』
(そか、そうだった)
『自然発生的な物を調整するのが、一番労力がかかりません。全くのゼロからの作成も出来なくは無いのですが』
(そしてこうも言ってた)
『調整型の異界、そこに意思が強い人が侵入した場合、侵入者の記憶に影響を受けるのは、よくある事なのです』
(そしてこの場合一番大切な事は?)
『場所を探しているときはその場所を。人を探しているときはその人を――』
(強く思う……違う。強く。念じるんだ!)
手のひらの中には桃色ウサギのストラップ。
それをギュッと、握りしめ。
そこでふと脳裏に浮かんだ竜王女史の微笑み。気づかわしげに、控えめに微笑む様は。他人の空似に過ぎないのに、亡くなった母を思い出させた。
明日の18:00に投稿予定。