(3)
「契約破棄だ」
『……』
ある程度の設備を整えれば、ネットを介して相互に映像・音声通信を行うのは、簡単である。
もはや常識と言っていいのかもしれない。
彼らのやり取りは、音声のみで常におこなわれていた。
「そもそも、オリジナルアプリはHPLのそれであって、貴方たちはその改良者にすぎない――そうだったな? 言われた最低限の義務は果たしているはずだ。データも送った。確かにアップグレードはありがたいが、それとてソチラが勝手にやった事だろう?
それ以上具体的な使い道うんぬんには口出ししてほしくないね!」
『……では契約破棄はくつがえらないと』
男は、無味乾燥な一室で画面に向かって話しかけていた。金属パイプと合板を組み合わせただけの机に、牛革張りのワーキングチェア。そのうえに置かれたヘッドセットのコード付ノートパソコンと調和したそれは、洒落た雰囲気をかもし出している。
華美でない、機能美を生ませる良きセンス。
それだけでは無い。自信に満ちた声色。部屋着ですら素肌の上に絹のYシャツ。
はきこなす黒のスラックスも、海外高級ブランドのそれだろう。
背筋伸び、整った顔立ちからは、自信がにじむ。
家業――地方都市とは言え、大病院経営を継いで四代目ではある。
が、けっして祖先の残した財貨を食いつぶしていない。むしろ増やして発展させた中興の祖。
そんな自負すら言葉の端々に、自信となってもれだすオーラ。下手な俳優より存在感がある。
「むしろこちらは義理を果たしている、という認識だがね。逆に問いたいが、こちらに落ち度が何かあるのかな?」
対する画面内の声はやや神経質な男の声に聞こえた。若いが神経質。
余裕が無いのか、それとも現実に対して慎重なのか悲観的なのか。そんな雰囲気をもヘッドセットのイヤホンは拾う。
『いえ、口約束ではありましたが、代理人的立場で言わせていただくと、貴方のおっしゃる通りだと思います』
「そうかね! なら今後一切、こちらに関わらないでいただこうか。ただ君達には感謝しているからね。それは本当だ。差し支えなければかつ、不定期で良いなら、データは今後も送らせていただこうかと考えている」
画面の――いやネットを介して向こう側の答えは、一拍間をおいて、なされた。
『いえ……お気持ちは大変ありがたいのですが、こちらが持つモノで貴方に利益を生むモノを提供出来ないと思います。今後貴方のニーズに合うものを開発出来た際には、その旨必ずお伝えさせていただく――そうお約束だけして一旦一切の接触をたった方が、お互いの為と考えました。特にご連絡差し上げる時期は設けませんが、その方がお互いの為かと。
幸い先生は有名人であらせられますね。先日の講演、拝聴いたしました。「金は万能ではあるが、全能ではない」……派遣会社勤務のご友人のエピソード含め大変興味深く聴き入っておりました。先生の近況は確認するに容易だと思います。ゆえにお困りごとある際には、すぐに駆けつけることが出来るかと』
代理人を名乗る男のそれは、相手に対して大変丁寧な物言いで口調ではあるが、何か少し負の要素が紛れ込んでいた。
わざわざ先日の彼の講演会の様子を、例に出す点は特に。院長先生の動向を常に監視しているという旨を、言外に匂わせるなど。
恫喝のつもりか?
霊的補助を使った警備体制「アレンジ」も、元は彼らからもたらされたノウハウなのだし。
それを慇懃無礼さと、とった成功者は仕返しにこう切り返す。
「そうかそうか、それは良かった。お互い良き隣人でありたいね。あくまで君達が今まで通り、額面どおりの契約履行を果たしているビジネスパートナーである限りはね」
あくまでも主導権はこちらにあるぞ。そう言外に言っている様である。
ことを起こすファーストケース、「とある」事件。それにおいて首謀者である彼である。
その結果はつい先日11月初頭に丸坊主の「若鮎」を釣り上げて、生簀に放したところだ。
一点の曇りない完全なる成功で、彼に相応しい。「その」ノウハウは彼自身がゼロから立ち上げて、構築した。
特に「異界」の再構築には、自信がある。
得がたい協力者たちも得た。
男はこの成功体験に気を良くしていた。少々気が大きくなっている。成功者である彼は、地方都市では名士であろう。
何せ大型病院を経営する病院グループの、若き総帥だからだ。若鮎用の水槽の準備――差額ベット並設備に、点滴に各種生命維持装置。
一日辺り軽く数枚単位で漱石さんが消えていく費用。
それも、彼の年収に響かない、目算の十数人程度では。
サッカーやら他のスポーツが台頭しているとはいえ、野球は今だ国民的スポーツだ。
その将来有望な若鮎の「夢」は実に甘美で。多忙に多忙を極める彼の生活に、つかの間の癒しを与えていた。
『分かりました。今までありがとうございました。また機会あれば、その節にはよろしくおねがいいたします』
パソコン画面上に浮かぶ通信終了を表す文字列を、きちんと確認して。
唾を吐き捨てるように、悪意を吐き出す。
「変に優秀な過ぎるのも困りものだ!」
わけへだてなく皆に接する、人格者たる院長先生。もしくは笑顔を絶やさない、秀才外科医な若先生。
皆にみな、そう異口同音に評される彼。その仮面の下の素顔。自身の事を棚に上げ、見知らぬ相手をこき下ろす。
醜悪ではあるが。誰にでもある心の動きである。
普段隠しきっている分淀んでいた。
それが……気が緩み……その油断が事態を悪化させて真綿で首が締まってゆく。
そんな泥沼に浸かり始めた事に、彼は気がつかない。
成功者故の慢心である。
明日のこの時間に続きます。……需要あるのだろうか……ごくごく私的な部分を除いて無いでしょうね(苦笑)。