(29)エピローグ②
土曜早朝。
誘拐事件の第一報が報じられた。
『若先生のゆがんだ欲望!』
『院長一族の専横のゆくえ』
『人格者、若き院長の裏の顔』
その後の流れは週刊誌やスポーツ紙の見出しを見れば、大よそどの方向で流れたかが分かるだろう。
ネットやメディアが更に続報を伝え始めると、その注目度合いはどんどん広がり、週明けになる頃にはそれ一色で染まっていた。
マスコミが欲しがるのは犯人像もさることながら、被害者達のプライベート情報だろう。
こと人の不幸は蜜の味というが、ハイエナたちがそれを求める姿勢はまさにその通り。世間を騒がせた殺人事件を例にとると、第一報にて被害者の名前や写真を報道の俎上に載せる意味は、まだ分からなくはない。同姓同名が珍しく無い日本では、写真という情報を見れば性別・
年齢・本人確認が一目瞭然となる。その情報は初期ならば、必要となる意味も分かりはする。
しかし5年先10年先に、事件の検証をする際その肖像を、俎上にあげる意義はあるのだろうか? 特に未成年の被害者は。特に被害者が死亡しているケースでは、反論する機会さえ与えられないのだ。それを辱めて良いのか?
今回のケースの場合――10人規模の相当数の未成年者が誘拐されたもの。当然マスコミたちは、視聴率が取れる・部数が稼げる――要はカネになり、自尊心が満たせる――その情報を求めて、右往左往した。不思議と今回はあまり出てこない。偽情報が錯そうする。
一方で加害者側の情報は、ちまたの評判とのギャップが売れる情報となったか、いくらでも手に入った。
なら彼らはそちらに群がった。意図的に欲しがる情報は与えられ、報道は加熱してゆくだろう。そうやって真実は隠される。
マスコミはよく言う。報道する自由があると。一方でネットでの不特定少数者は、マスコミを揶揄してこう言う。報道「しない」自由もマスコミは持っていると。要は「報道するサイドに」都合の悪い情報は報道しないで、意図的に情報操作するのがマスコミの一側面ですよ、と。
しかし、マスコミだけが情報操作する側とは限らないのである。
今回の場合、被害者側の情報は意図的にフィルターをかけられて、流された。
呪術なんて迷信は、この世に実害をもたらす事なんて有りませんよ、という風に。
大半の常識人たちは、元々その通りだと知っているし、思っているからその通りに、動く。世の中は動く。いつも通りだ。
◆◆◆
プライベート情報を欲しがるマスコミがまだ掴んでない情報に、被害者達が搬送された入院先がある。
まだ第一報が報じられて1日もたっていない事もあり、又偽情報も飛び交った事もあり、正確な情報をまだどのメディアも掴んでいなかった。被害者達個々に搬送先を、分散させた事も関係あるだろう。
土曜の早朝。大阪府内某所の総合病院。近年改装作業が完了した真新しい病棟が、朝の光浴びて真白に光る。ここにも一人、ひそかに被害者が運ばれていた。
走るわけでは無いが、かなりの早足で汗かきながらゆく中年太りの男が病棟に入る。分厚いほほ肉や分厚い唇が彼の厚かましさ図々しさを表していたが、その表情に余裕が無い。男はエレベーターを使い、八階の個室を迷わず目指す。個室の札は礼田弓子と読めた。
ノック無く又入口に備え付けられた消毒液にて手指の滅菌をする事も無く。引戸の扉を開く。中に居た温和で人の良さそうな男性が、振り向いて眉をひそめた。ちょうど男の位置から入院患者が見えないところに座っていたが、立ち塞がる様にして立ち上がる。そして開口一番に。
「帰って下さい」
「いやあ、そのお」
静かにしかし確固たる意思で、紡がれた言葉は中年太り男を威圧した。
「私が留守中、かなり無茶な話を持ち込まれた様ですね。ですが弓子も真矢も私の娘です。今までも、そしてこれからもです」
この二人の関係性は血の繋がった兄弟ではあったが、丁寧語の拒絶の壁は分厚くて。血縁的には弓子の伯父にあたる人物は、姪の姿を確認する事も許されず。
礼田弓子の悩みは5分も掛からずあっさりと解決した。
礼田弓子が養子に行くことはもう、無い。