(2)
風も無く、音もしない。
静寂すぎて、耳鳴りする。
そんな世界。
匂いも無く、味もない。色彩すら白黒灰色の無味乾燥で。
一言で言うと、「味気ない」。
そんな路地裏を一人ゆく。
中学生男子が、一人ゆく。
男子学生――それは制服を見ればすぐ分かる。
詰め襟、五つの金ボタンの上下な学生服。
顔の幼さ、身長の低さ。
加えて、制服に着られている感から一年生? 平成生まれには珍しく、坊主頭が愛らしい。
また坊主頭なのは、野球部だから?
「そうだよ」、と手に持つバックからのぞく野球のバットのグリップが、自己主張している。
時間帯の分からない白い闇の中を、彼は住宅街の中を一人ゆく。
彼以外誰も姿を見せない、さびしい風景だ。
彼はおぼつかない足取りで、歩いていた。
普通の町並みなのに、何かが変だ。
まず人が居ない。しかしこれは時間帯によっては、珍しくない光景だ。次に彼がいる時間帯が分からない。
昼では無いと思われる。道を照らす街灯たちがこうこうと、辺りを照らしているからだ。
では夜か?
夜というには、街灯の灯りの範囲をこえる場所も、くっきり見えて、街灯の意味がない。
街灯たちは、ただ影の輪郭を、はっきり区別するだけだ。
そう……いわば白い闇。
そもそも周囲の家々や公園やらの影の陰影がモノトーンのせいで、昼夜の区別がつかない。
この世界の色彩は、坊主頭の彼だけだ。
白と墨とのグラデーションで描かれた水墨画の中の様に、幻想的で、はかなげでおぼろげで。
ぼうっと彼だけが、浮かび上がるような幽玄の世界である。
昔ながらの詰め襟に黒地の学生服。
五つの金ボタンが自ら輝いて自己主張しているせいか、周囲の黒と、制服の黒のそれとでは、色彩の艶に格差があった。
そう、一切の色彩が抜け落ちている。
坊主頭の彼だけが色彩を放ち、他は一切黒と白と灰色のグラデーションな、陰影だけの奇妙な風景……ありえない風景だ。
彼が街中を進むとやがて十字路に出た。立ち止る。やや迷うような仕草。
と彼の左手から微かに聞き覚えある電子音のメロディーが聞こえてきた。音源は彼の持つスマートフォン。
それが奏でたのは「とおりゃんせ」だ。
特有のもの悲しい旋律。電気信号による単音調がかえって、何かを不安や焦燥を、かき立てそうになる。独特の音階だ。
彼はそちらの音の方に進む。彼のお供は右手の通学カバンに手提げカバン。
そしてカバンからのぞく野球のバット。それと左手にもつスマホが一台。
たったそれだけだ。
スマートフォンはそのお供に相応しく、正解の道を通った承認をしたかのごとく。
分岐点のたびに、必ず電子音を一回鳴らした。
更に進む。
今度はT字路だ。今度は向かって右手方向へ向かう際に、とおりゃんせ。
いまスマホの画面に注目してみる。と、奇妙な画面となっていた。
操作画面は、乳白色地の画面で、墨字で文字がびっしり書かれていた。
訓練を受けた軍隊の整列ごとく、あ・か・さ・た・な、と五十音順に綺麗に、文字が整列した様だ。
その50音の文字を部下に従えて。自己主張する様にひときわ大きく、「はい」と「いいえ」の文字が、刻まれていた。
又さらに真上の最上段。その肯定・否定の言葉を配下に置いて、鳥居を模した真っ赤な記号が、鮮やかに光っていた。
赤。朱。紅。……いや正確に記すなら、鮮血にも似た血の色した鳥居の文様で、これも不安をかきたてる。
少年は交差点を、右に行く。
ありふれた住宅街の景色のはずが、抜け落ちた色彩の上に、人通りも全く絶えている。
その風情に不安をおぼえそうなものだが、少年の表情は変わらない。
むしろ呆けた風なのは、何かにあやつり人形の様。
次の路地裏は? 一拍おいて携帯から、また音が鳴る。
画面上に注視してみると、丸い茶色アイコンが同時に動く。
そして「はい」の文字を叩いた様子が見えるだろう。
茶色いアイコン。それはギザ十――効果のふちがノコギリの状のギザギザの、旧十円硬貨を模しているようだ。
……こうして最初の少年が姿を消した。
部活で先輩諸氏に手酷く注意を受けての、家出と思われた。
だが、誰しもまさかこんな超常的な経緯を経て、姿を消したとは誰も思うまい。
11月初頭の事である。これが最初の事件だ。
その後次々と同種の事件が起きる。しかし各々の関連性・共通点が見えないし。
誰もが想像の、らち外に他ならず。
スマートフォン専用アプリケーション・ソフト、「お手軽こっくりさん」誘拐事件。
そう関係者たちから呼ばれる事になるのは、かなり後。
まだ、しばらくは。
そう、まだしばらくは単なる家出事件か失踪事件として、個々に取り扱われている、小さな事件たちの一つに過ぎない。
明日のこの時間に続きます。