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18日火曜日、早朝。大阪梅田、私鉄ターミナル駅のホーム内。
学園内には特に問題無く。ある意味平穏かつ退屈な授業風景を迎えて、何事も無く一日を終えるだろう。
今事件の種自体は、学園内には無いのだから。事件はむしろ、その外で起こっていた。
『明くん、準備良い?』
「大丈夫、行けます」
早朝のラッシュ時の喧騒の中。その中にあって、ビジネススーツ姿の日野明は、目立たず埋没する。
目立たない。重要な事だ。とある男の尾行をするからだ。
尾行開始! 対象者の背中を見る。明ほどではないが、長身。加えてかなり肥えている。その恰幅の良い体を包む背広一式は、オーダーメイドと思えた。
歩くビンテージモノのビア樽。そんな失礼な人物評をした義姉――望月巴は、イヤホン越しに指示を出す立場だ。
『デイジーチェーンの若い世代。そのメールの現物が手に入ったのが大きい! ……しっかし、その成果の報酬が、ビヤ樽小父さんを警護しろになるなんて、割に合わないんだけれどな~』
まだ雑談モードなので、明は聞き流す。そんな分かり切ったお話は、ブリーフィングですでに説明ずみで。オジサン警護が任務に追加された事への私見は、無駄情報と切り捨てて。
青年はJR線のホームを移動しつつ、目標人物から距離をおく。
尾行者は彼だけでない。明の何気ない手のふりを見て、微かにうなずく人物が数人。距離を取って人込みの流れに混じり、周囲を警戒している。
ただし警護対象の尾行が、主目的では無く、あくまでサブの行動だ。彼はオトリ。まるで蛾の群がる真夜中の街灯だ。
正確には彼に群がる「蛾」たちの排除が、今回の主任務なのである。
特定個人を救う。その事自体、じつは巴・明にとって異例の仕事であった。前例はいちおう、ある。
放置すれば「社会的損失が大きい」ガジェットを、回収もしくは破壊する。そちらが本来の、主目的である。
それ故に利害が一致する、一部の大企業やら有名団体が居た。彼らから惜しげも無く、資金提供もある。要はスポンサー様だ。スポンサー様のご意向にはある程度順守。
それ故に小を切り捨て大を取る事も多々有る。出来れば被害を最小限にとどめたい。そんな主義の、明個人としては中々悩ましく。
『ところで、さ。その礼田って小父さんだけど。なんか聞き覚えあるんだよね。どこでだろう?』
その義姉のつぶやきに。明はスマートフォンを操作して文字情報にて、返事を返す。
どこで、誰が聞いているのか分からないゆえに、当然の仕様である。
[明:確か、夏海さんのクラスメイトの女性の名字にお一人、同じ姓の方がいますが。関連性はまだ不明。昨日の今日ですしね]
『そかー』
司令塔の義姉が思考の海に身を沈める前に……。
[流:ターゲットの周囲に反応アリっす! 相当数っす!]
連絡が入り中断する。メールの発信が早いのは、事前に決められた文面を、各自・数例持っているからだ。加工してメールしても、ものの数秒で済む。明と巴がそのメールを、ほぼ同時に確認する。
ターミナル駅は、改札口で大量に飲み込み、大量に吐き出すのを繰り返す。みな思い思いに目的の列車に乗り込もうとする。
その中にあり、その人の流れに逆らって、ターゲットに近づく老若男女が数人。学生から大人まで、性別すらもまちまちだ。
日野作業員は、スマホのアイコンをタップしつつ、そのうちの一人に近づく。瞳を模したアイコン。グラムサイトと、言われるNGガジェット系のアプリケーションソフトである。
AR――拡張現実と訳される技術体系。カメラ経由してディスプレイに現実の視界を写す。その現実の上に、文字情報やアイコンやCGなどを重ねて見せるなどの技術の総称。
よく建物をスクリーンとして、映像を映し出すプロジェクティング・マップなども広い意味では、それに入ってくるだろう。
今、彼の視界には、数値を元に可視化されたCGが、現実に重なって映っている。
霊力・感情の変異、えとせとら。年配――それも既に年金を貰っていてもおかしくない男性。彼の体から浮かぶCG加工の暗い紫の輝きは、憤怒。しかしその本人の表情は虚ろでおかしく。加えて手に持っているのは大ぶりの包丁だ。
むしろよく今まで誰からも、見とがめられなかったものだ。
他の通行人には包丁を見られない様に視界を塞ぎつつ。明は老年の男の前で、右手をかざす。どういう仕掛けか、一瞬火花が走る。
「……わっ……わたしは一体…………」
「確保」
明がそうつぶやいて、スマホに答える。やや遅れて数名の声が携帯から響いた。
『確保』
『確保』
『確保』
『確保』
『確保』
『確保っす』
更に遅れて文字情報にて数人。
[こちらポーン12番。ターゲット、無事。移動開始。尾行継続します]
[同じく、ポーン3番。尾行継続中]
本来手伝うべきでないポーンの駒の面々が、尾行・警護に参加しないと成立しない。その事自体、異常事態である。
だけれども。これでもスムーズにことは進んでいるのである。
事前に人員を十分に集め、的確な装備類もそろえ、バックアップも居るのも、また珍しい。ただ問題が一点。
『これって……今週いっぱいはこんな感じなのかしらねえ』
義姉のつぶやきはその場全員の代弁、でもあった。ちなみに明以外には文字情報みて、細かい指示をメールにて、随時送っていた巴である。
義弟にそれがほとんどないのは信頼の証か、手抜きの証か。
まだ7時前。ターゲットの通勤はまだ途中。もちろん夕方から夜にかけての警護も又ある。
『こりゃ、長くなりそうだわ』
「やっぱキー・マンは礼田弓子ちゃん? ビヤ樽小父さんの姪っ子なんだあ。でもこの子――というかクラス全員、ガジェットソフトを消去しているって話よね? だからひとまずは安心かな」
「おおむねトモ姉の考えでよろしいかと」
「へへん」
「……ただ……」
「ん? どしたの? 明くん。何か気になることでも?」
「違和感があるのです。……どの部分に違和感があるのかは、確証を持てないのですが……」
「むー。お姉さんに言ってミソ! ほらほら! そーゆー憶測てんこ盛りを言わないとか。そんな秘密主義あるとこがキミの悪いクセだよ」
「……明確な確証を持ってからお話したいだけなのですが…………。この件に関しては、殺意が強すぎると感じました、ね」
「へっ?」
「護衛対象――礼田氏を狙う面々。デイジーチェーンに操られた人々は、自分の願望や欲望を、呪術に誘導されすり替えられて操られます」
「そだね」
「けれども、そこに使われる霊力はごくわずかで済みます。計算式さえ構築できれば、俺程度でも数十人単位で操れますよ」
「そなの? ……ってまた天王寺家のバカの、入れ知恵か……。これも検証したな?」
「あはは、これはNGP研究班の実証データですよ。何でもかんでも天王寺の、家由来では無いです。ちなみにトモ姉ならば、数百人単位の人間でマスゲームを強要するくらいは、可能だそうですよ」
「うーむ」
「さて、話は戻りますが。呪術を構築し維持するには、術の使い手の霊力とは他に、操られる側のモチベーションも利用できるのは、ガジェット系呪術の基本コンセプトの一つ。覚えてますよね?」
「まあ基礎の基礎だし。誰が始めたか謎、詳細不明ってウソくさいけれど。術者の労力は低く、可能ならゼロに近く。他人の霊力や生命力を肩代わりさせるってコンセプトって、改めて思う訳でなく鬼畜よねー。呪いってのは人を呪わば穴二つってのがデフォルト基本設定なはずなのに、さ。そんなのが、流失してネットにも拡散なんて、洒落なんない!」
「で、質問です。監視対象に殺意を持つ様に仕向けられる。それもモチベーションになりませんか? そして何故急に操やつられる人達は急に殺意を持たされ、殺気を放つに到ったのでしょうか?」
「っ!!」
「殺気を持つ事で、操られる人たちの霊力の異常が発覚。センサーに反応。そして早期発見に繋がって今のところ未然に防げている訳ですが……。さて、礼田弓子さんのガジェットソフトを消去した後に、操られる人たちが殺気を帯びた。
話はいったん変わりますが、先週土曜――十三駅近くの踏切にて、自殺未遂がありましたが。しかしそれはターゲットを直接害そうとはしていません。踏切に飛び込もうとして、電車の運行を阻害する。その意図はあっても、ビア樽小父さん自身を害する意図は、ここにはありません。
でも今は、監視対象に対して殺意を帯びている。どんな理由で? 何のために? それは、弓子さんの意思なのか違うのか? ……もちろん何かの条件付けがある場合。例えばガジェットソフトをいったん消去、その行為がトリガーになって引き起こされた可能性も、あり得ますが」
「……黒幕が居て、ソイツの介入があった? その可能性も言いたいの?」
「この一連の違和感からの俺の類推……いや妄想に過ぎないので、先入観を余りトモ姉に持ってもらいたくは、無かったのですが。ただ黒幕が居て、弓子さんかその周辺に、何らかの干渉をしているのであれば」
「突破口になるんじゃない? 申し訳ないけど……被害者でもある彼女を監視する事は……って明くん、これって必要な視点よ! キミは自縄自縛過ぎるきらいがあるんだから、吐き出すのを忘れずに! いいわね」
「はい、了解です。トモ姉、学園内には俺たちは入れませんから、夏海さんにお力をお借りするのが宜しいかと」
「ん~、もう一歩進めて水橋の親分さんにも、お話通した方が良いわねえ。出来る手は全て打つべきかなこれ。正直民間人を守るのに、特定民間人を巻き込むのは大いに矛盾ではあるけれど。明くんも納得いかないでしょうがね!」
「…………分かりました。夏海さんにメールを打ちますね」
「そう気に病まない。漢気あふれる気風の良い親分肌って話だから。自分から進んで事件に入り込みそう……というか、事前に話を通して置かないと、逆にアブナイ人物っぽいわよ」
「? 水橋さんって夏海さんのクラスメイトで、女性ですよね?」
「そだよ。でも、親分さんなんだよ。おとこぎにあふれるのだよ。って、どしたの? 明くん」
「……いや…………仁くんから聞いていた人物像とのズレを感じまして……彼の惚気話では、恋する乙女にしてしおらしい。けれども凛とした芯の通った人と聞いていましたので」
「……ふぅん、夏海ちゃんとは違った意味で変人なのかなー。こりゃ楽しみだわ」