(17)
今日の更新は長めですが、逆に明日の更新は短めです。アンバランスですが、区切るにはちょうど良いので、そうなりました。
時計の針はすすむ。9時、10時、11時……。
昼休みをはさみ、午後の授業へ。
中等部1年A組に限らず。平穏無事に時間は過ぎてゆく。
何も問題無く流れる平穏な時間。
礼田弓子も普段と全く変わらない様に見えていたが。
昼食時、一件の電子メールの着信を認め、中身の確認。少し張りつめていた様子を和らげて。
事態の変化は学園の外で起こっていたのであるが、そんな事は誰にも分からない。
◆◆◆
平日の午後は、曇り空。高速道路を経由し、御堂筋に滑り込んだ白い高級車は、国産品。
日本人の嗜好にあうのは、やはり日本製……という訳では無く。先入観にとらわれず、まず自身の五感で確かめる。その人生哲学でもって、決められた結果に過ぎない。
その車の所有者は、後部座席で足組んで、タブレットを操作する。
こちらはアメリカ製。黒のスラックスは、イタリア製。白の絹のYシャツはフィリピン製。と、国際色豊かである。
「鈴木くん、予定通り今日午後以降の予定は、愛甲さんとの会食のみ。少し早いが停車しやすい所で構わないから」
「梅田の第三ビルに近い方がよろしいですね?」
「それは有り難いけれど、無理はしないで良いから」
初老の男は、にこやかにそう返す。車は軽快に御堂筋道路を北上している。やがて西側――左手に大阪駅前ビル第三、第四ビル。右手はお初天神、東通り商店街のあたりだ。
「ええ、出来ればですから、おぼっちゃん」
「あはは、おぼっちゃんって歳でも無いんだけどな」
「申し訳ありませんが、これだけはゆずれません」
初老の男は、地方の名士で地元では若先生や院長と、慕われる病院経営者である。自らも執刀を執り行う事もある逸材。若先生と言われても、違和感無いほど生気にあふれ、若々しい。彼がもう五十半ばとは、誰も思わないであろう。
「はい、もうすぐつきますよお」
「……鈴木さん、無理しないでと、言ったんだけどなあ」
「いやいや」
その若先生より年かさの鈴木さん――運転手の運転は、還暦過ぎとは思えない軽快で、静かな操車であって。歩道の脇に寄せて停車する。
「じゃっ、これでお孫さんに何か買って上げなよ」
男はそう言うと、車を降りる直前に用意していた財布から、五千円札を取出し座席に置いた。
新札。それも手が切れそうなほど、シワ一つ無い五千円札だ。
「おぼっちゃん! 困ります、こんな事!!」
コート羽織り、肩掛けカバンを持ち素早く降りていた。
「佐々木くんにも、内田さんにも同じことしたからね。鈴木さんにもしない訳にはいかないよ。ほら、早く車ださないと迷惑かかるよ」
そう言いながら、彼は駅ビルに向かう。目的の大阪第三ビル。
もう少し北上すればJR大阪の駅舎やデパートなど商業施設が見えてくる。一瞬ためらう様な動き見せ、結局社用車は発進した。
スキップこそしていないが、初老の彼は軽快な足取りで、目的地を目指す。鼻歌まじり。とおりゃんせのメロディー。中肉中背。年の割には引き締まった体躯なのは、コート越しからでも類推できる。動き一つ一つの力強さは、自信の表れか。
時刻は午後一時過ぎ。ちょうどビジネスマン達が昼食を終えて、飲食街が空きはじめる時間帯。彼は、ビル手前にある地下街への入口――エスカレーターを通って、駅ビル地下街B1階を目指す。
行きつけの喫茶店が何軒かあるのだ。レジでドリンク・パンを購入し、セルフサービスで好きな席で食べる形式。セルフサービス形式。
彼を良く知る年配の顧客たちからすると驚くべき、低価格・低サービスと思われるかもしれない。
しかし彼は、接待等の営業活動も楽しんでいたが、セルフサービスの類を人間関係のわずらわしさから解放される最善の方法の一つ、として楽しんでいた。加えて……ドリンク類を頼めば2時間程度ならば電源を確保し、ノートパソコンで作業が出来る。そんな店舗が何軒か集中するこの場所を、気に入って使っていた。
愛工――存在しない顧客の名字をでっちあげて。「工」の字を「甲」に置き換えれば、実在の名字に早変わり。……その方があやしまれないだろうと。
ラブクラフト。
それを彼なりにもじった姓。
存在しない人物。
インターネット上で、自らをそう名付けたであろう、HPLを意識して。
行きつけの喫茶店の何軒かのうち、空いている席を物色し、まずトイレ。数時間の長丁場居座るつもりだからだ。次に直ぐには入らず、同じ階のコンビニエンスストアに向かう。
(今夜も徹夜かね。まあ半分は自業自得だから致し方あるまいが)
特に、言葉を発することなく、愛飲する栄養ドリンク類数本を購入し、喫茶店の方へ向かう。
ふとレジの店員の顔つきに目をやり、ネームプレートのカタカナ表記の名前を見て、得心する顔色を見せる。
(政府が言う移民政策には私は反対だが、実際問題労働力が不足すればどこからか調達しなくていけないのは、私の病院も、コンビニエンスも変わらんのだな。結局上からではなく、個々人や企業レベルでの模索した結果の成功例を、皆が真似する。当たり前になる。この国のスタンダードになる。それは変わらんか)
カタカナ表記の名前から類推するに、韓国籍か中国籍かの店員さんだろう。彼はその事には特に不満は無い。店員さんは、そつ無く仕事をこなしていたから。
彼の病院でも徐々に外国籍の看護師や、彼らを従業員として使う外部発注の業者も増えている。聞いた話では、コンビニ業界では人手不足故に、十年前ならば考えられない活動をしているな。と、彼は驚いたものだ。中国韓国の留学生希望者たちより人材確保する為、現地――中国や韓国に飛ぶ。そしてその地で説明会を開いて、留学されるならばコンビニのアルバイトが確保出来ますよと、勧誘する。人手不足はそこまで深刻なのかと驚いた。ウチの病院も考えないといけないのか、云々。
そんな思索をしてしまうのは、彼が経営者サイドの人間だからであろう。人を雇い入れるというのは、ある意味その人間たちの人生を預かる事でもある……色々反発する事も有った先々代の祖父の教えではあるが。この部分に関しては、実体験をともなってひしひしと実感し続けている、ところである。経験則そのものに罪は無い。
好みのミックスサンドイッチに、マンゴーのフレッシュジュース。ケーキ……よりは片手で食べれる菓子パンを選択して席につきながら、そんな思索は継続中。
常に最善とはいかないが、トップの自分が道を誤ると、系列社員が路頭に迷う。慣れはしたが、重荷には変わらない。他所と比べて比較的堅実に比較的安定しているとは思う。しかし誰もその重荷を一時でも変わってくれるわけではない。望んだ人生では無いならば、それはときおり鬱陶しくも、感じていた。
座る席にも彼はこだわりが無い。電源さえ使えれば良い。
大型のノートパソコンを取り出す。作業開始。スリープモードだったから、立ち上がりはスムースに。無線マウスを取り出せば片手でも作業が可能。
皿の上に乗せられた、綺麗にラッピングされたミックスサンドを不思議に見つめる。まあサービスの一環で見栄えは良いが、わざわざラッピングしているのに、この白い皿は必要か?
そう不思議にいつも思いつつ、でもそれを彼は無駄とは切り捨てない。ウソ偽り無く、彼の元で働く者達を見るに学歴や性別で判断はしない。能力が高くても適材適所に配置しないと、非効率。下手をすると足を引っ張られる。
能力が低くとも、その職場の潤滑油的人物になっているケースもある。
ラップを丁寧に外す。中身がこぼれそうな卵サンドにかじりつき、右手でマウスでトップのアイコンをクリック。
忍者を模した二頭身のキャラ。両手を変な形で組み合わせた者のデフォルメだ。元々はスマートフォンのアプリケーションソフトだったそうだが、「主人以外には見えない」シモベ達が入手した優れモノ。多少……いやかなり電力を消費するのでは、あるが。自身や作業内容に注意をはらわれない、少々の奇行を行ったところで目立たない。
隠形という呪術使用を肩代わりしてくれているものだ。
胸のジャケットから、スマートフォンを立ち上げて、Wi-Fi機能を作動。ノーパソの接続を確認。
これで、ネット環境は最低限整ったと言える。
人に言えない気晴らし。その遊びを陰で支えてくれる、何万の可愛いシモベたち。彼らと繋がる為にはネット環境は、必須なのだ。
彼の求める願望に関し、本当の意味で片腕にして、忠実なる指たらんモノたち。
ノートパソコンに管理させ、又彼の欲を満たすのを本能として、勝手に自己増殖する為に正確な数は彼も把握出来ない程。コピーペースト、貼り付け。ファイル名末尾の11589を11590に変更して、実行。そしてネットの海に放流。
もし手作業で行う場合、たったこれだけの作業でシモベが複製可能。しかも裏切る事は無い。必要なのは電力と、送信された先にスマートフォンが有れば良い。基本放置で、とある条件を満たした者たちが彼のパソコンに戻ってくる。
決してこぼさずに、ゆで卵とマヨのフィリングのサンドを食べきる。少し指先をなめるのはご愛敬だろうか?
その仕草が、食欲に満足し怠惰となった、雄ライオンの様にも見えた。紙ナフキンでぬぐう。
メールソフトを立ち上げつつ、彼は口直し的に水を飲み、今度はハム・レタスに取り掛かる。ハムの塩気を緩和するどころか、主役を奪うかのごとくみずみずしいレタスの自己主張が好きだ。
間にマンゴージュースを挟みつつ。噛みつき、引き千切る様に咀嚼する。レタスの歯ごたえ。
と、メールに何件か有望なものがいくつか入っているかを見受けられる。
何口かで食べきる。そして……。子供っぽいと言われるつつ、ひそかにやめられない菓子パン類の一種――メロンパン。それに取り掛かる。
こいつのどこがメロンなのだろうか? そんな疑問にこたえは求めない。ただ旨ければそれで良い。
クッキー生地の、安っぽくも甘い自己主張。それが良い。
接待で振る舞う、もしくは振る舞われてしまう松坂牛のフィレ・ステーキ一皿3万円や5万円のアワビ。それ対しに500円出せば三つも四つも買える菓子パンたち。
男にとっては旨いか不味いかという、その程度違いでしか無くて、等しく同じ価値である。
「へえ、レイダ・ユミコくんか……」
基本方針の身定め、人事は人に任せているが。採用か不採用か、それを決めかねて、ときおり履歴書が数枚彼のところまで届くことが有る。その時の見定める雰囲気を、自然にまとっていた。彼女の略歴をざっと見終えて、考える事数瞬。ショルダーバッグからイヤホン・マイク一体型のヘッドセットを取り出した。シモベと直接「お話」をする必要があるだろう。
彼の会話は、キーボードにてブランドタッチによる。シモベからの聞き取りは音声情報で。
(……いったん消去されたが、彼女の妹経由で再入手予定か。しかもシモベ判断でステルス・ガジェットも早急に追加メール送信済……と。クラス委員長の鶴の一声で、一斉デリートとはなかなか恐れ入るが。それに対する今後の隠ぺい方法も、申し分無い。この子たちは本当に優秀だな……)
この、痒い所に手が届く対応は、人間関係においてもなかなか得難いモノである。
先ほどの運転手――鈴木氏の気づかいは基本申し分ないが、10代の頃から仕えてくれている彼であっても、行き違う事が、たま有るのだ。その意味で状況に感謝。
いくつかシモベと質疑応答をチャットと音声情報の合いの子で交わす。
柔和だった表情がやや近寄りがたいものになる。怒っているのだ。
彼の半生において、諦めてきたモノがいくつもある。
野球。
10年の一度の逸材とまで言われても、祖父や曾祖父の方針でその望みを絶たれた。
11月に手に入れた「若鮎」。彼はその才能と努力たやさぬ素直さを持ちながら、周囲の嫉妬やネタミに押しつぶされかけていた。彼はただより強い相手と、楽しく野球がしたいだけであったのに!
男の世代ではまだサッカー選手にプロはおらず。プロのスポーツ選手は相撲か野球の知名度が圧倒的な時代。今以上に憧れの存在であっただけに、この若鮎に共感した。……そして彼は甘美な夢を男にくれた。この偶然に感謝。
初恋。
男の場合、年上のお姉さんだった。幼いながらも大人びた少年時代。彼女は家庭教師だった。
優秀ではあったが、家柄が合わない。相思相愛であったと自負していたが、彼女から身をひかれた。いや、曾祖父の言いくるめであったとのちに知る。強い怒りを感じた。まあ、曾祖父には軽く生きたシカバネとなって生きながらえて頂いているが。そちら方面にも使える優秀なシモベも居て心強い。その経験もあって優秀な者でも害になると知る。むしろ能力・コネクション的に厄介な敵ではあった。血の繋がった他人となった。その男の人生と、「友鮎たち」――竜王学院生徒の歳はなれたカップルのそれは、重なる。年甲斐も無く、夢精してしまった事に苦笑交じりに、ある種の満足感を感じさせてくれた。
この偶然にもまたまた感謝。
そして職業の……いや、人生の岐路の選択権。
家を守る。盛り立てる。再興する。
確かに田舎にて総合的な病院を経営し維持していくのは、仁道と言えるだろう。しかしその実態として、プライド・虚栄心を満たす根幹にもなっていないかと実感する。
正直男は「身内」となった人間たちが暮らしていければ、他はどうでもよかった。
ゆえにときおり、冷静に冷徹に無駄な所にメスを入れ、経営を立て直すことに成功する。
跡継ぎ? そんなもの血脈にこだわらず、優秀な者を入れれば良いだろう? 別に一人で何でも決める必要もあるまい? まあ確かに責任を取る最高責任者は何らかの形で絶対に、必要だろうが。男は子宝に恵まれなかった。「お姉さん」と別れたあと、特にこだわり無かったので見合いで結婚した。だが、妻に愛着を感じた。控えめすぎるが、支えてくれる妻。特に問題ない。後継者が必要ならば、養子をもらうなり、一族で優秀な者を適材適所当てはめればよかろうに。今では得難い伴侶。と思っていたら、曾祖父は複数の愛人を進めてくる。妻は離縁する? なんだ!! ふざけるな!!! ならばと曾祖父の手先の、祖父の死期を早め。しかしその過程で気弱ながら優しかった両親の死期が早まったのは、明らかに曾祖父のせいだろう。
まあ適材適所。配置場所さえ適切ならば、この世に役に立たないものは無い。そう言い切れる。
実際畜生道を地で行く曾祖父の、寝たきりの今の余生。臨床試験。実験体。
これがあるからこそ、若鮎や友鮎たちが体力を維持し、後遺症を残さず、甘い夢実現の装置になってくれている、基礎になったわけだし。
人知れず、秘密裏に行えた一連の所業は、男の心にしかし深いキズを残し。妻にも言えない。いや得難い伴侶ゆえに言えるわけがなかろう?
心の奥底に封じたその事を思い出すほどに。礼田弓子嬢の伯父の所業は目に余る。
優秀な人間は何をやっても良いわけでは無い。害する者は排除する。
自身の今の行いと、彼らの事象に義憤を感じるアンバランス。その事にも自覚はある。
野球に、初恋に人生の選択権が大きく、奪われたモノだが、諦めたもので小さいものは無数にある。
誘拐して、点滴して、カテーテルして。夢を視させる装置にする事に、罪悪感はじつはある。
されど。ある程度ならば、彼らの今後の人生の手助けをする用意が彼にはある。金もコネクションもある。
それで罪悪感を上書きし。
金銭もコネクションも、確かに便利過ぎる道具で、何でも出来る道具に思える。
それには限界がある。彼は経験則でそれを知る。
一方で、正式名称はNGガジェットという一連のアプリケーションソフトたち。ネットを経由して、わずかな電力で「疑似生命を維持」し。そして使用者の欲を忠実に的確に叶えるものたち。適材適所に配置するならば。
いったんデリートされたソフトですら、見えないバックアップデータを残せる場合がある。条件付けは必要だが。
彼がHPLの後継者を名乗る者達と交流し手に入れた、こっくりさんガジェット。
それらの場合、こっくりさんを一度でも用いた者は、三匹の使い魔を宿すという。それはこっくりさんガジェット由来では無く。民間伝承であり、ガジェット使用者の中高生――青少年の持つ霊力の表れを、形にしたものだとも言う。
その当たりの説明は良く分からなかったが……そもそも男を「天帝」だの「閻魔」だのに見立てる? そういうのも良く分からない説明だったが。
便利過ぎて、注意事項もよく守り、不具合も全くなかったから男は失念した。
金銭とコネクションで届かない、その部分を完璧に保管出来うるものだと錯覚した。
それほど便利過ぎるものであったのだ。
ゆえに。その油断が、傲慢さが、いつもはしない追加の指示を、シモベ達に出す。
18の方法のうち、失敗した6つは破棄。残りはまだ12ある。礼田弓子周辺のシモベ達に告げる。
最優先は男自身なのは、変わらない。次善に優先するのは使い魔たちの宿主の利益。この基本ラインは変わらないが。
三つ目の「勅命」。そう、彼は彼らの「天帝」にして、彼らを裁くことも出来る「閻魔」なのだから。今一つ理解が追い付かないが、実務的には病院経営で求められるモノと大差ない。なら成り切れる。問題ない。
礼田弓子の情報を集めよ。そして彼女に不利益被るならば排除せよ。スムーズに異界に出迎えよ。
妻は一度流産した。以来子供を産めなくなった。申し訳ないと離縁も彼女からも申し出た。
私を見捨てないでくれ。男には支えが必要であった。彼女と出会い、「お姉さんへの思い」は上書きされた。ただ苦い思いは残り、友鮎たちを見つけるまでは払しょくされなったが。それでもその上書きは、彼が一連のガジェットと出会う前で曾祖父が権力を欲しいままにしていた、時期でもあったから。別の苦い思い出もある。
流産した子供は、女の子だった。その子と弓子を、重ねてしまっている自分に自覚がある。
根元では、自分は狂っているのだろう。でも。それでも。
病院は自分が生きて次代に引き継がさせねばならない。ただし畜生にもとる曾祖父とは異なり、日の当たる場所で方法で。自身は正気を保たねばならない。血の繋がった他人と言う、反面教師をまだ生かしているのは「牢獄に閉じ込める」意味とは他に、こうなるまいという生きたモニュメントという意味もあるだろう。
気が付くと、メロンパンは食べ終えて、マンゴージュースも飲み終えていた。
もう二時間は座っていたか……。
グラス残る融けた氷水。のどの渇きをおぼえ、すする。マンゴーのエキスの風味が残る冷水は、すぐ無くなって下品な音を立てる。
その意地汚さに苦笑する。普段の柔和な雰囲気が戻っていた。うむ、追加注文でもするか?
ここのコーヒーは、チェーン店なれど水出しコーヒーを出すのが売りの店だ。
紅茶派でもコーヒー党でも無い男は、旨ければそれでよい。アイス・コーヒーとあんパンを追加購入する。
修学旅行にも、学園祭にも参加せず。灰色の学生生活だったと思う。その体験が、彼の作る異界から彩りを奪っていることに、彼は気が付いているのだろうか?
その原因を作った曾祖父。
コネクションと金にならない事は全て無駄。あちこちに愛人をつくり、男よりも年下の叔父叔母が多数居る環境は、いかがなものだろうか?
完ぺきとは言わないが、その全てに立つべき道をしるし、助力し尻ぬぐいしたからこそ、今の男の地位が盤石になったとは思えるが。それでも、自分の子は得られなかった。
礼田弓子、中等部1年A組のクラスメイトたちは皆個性的で面白い。その霊的事件も含めて、大小さまざまな出来事は彼の「渇き」を一時癒した。夢見る機械たちに頼らずとも。機械たちに不安を与え過ぎてはいけない。
それも分かっている。誘拐した十数人、彼らを解放した後「先払いして頂いた報酬に見合う」人生を与えねば。その体制も整いつつある。
鳳雛の中等部1年A組の面々は色々破天荒であった。さりながら微笑ましい。ウラヤマシイ。
遠足。社会見学。体育祭に文化祭。自分が望んでも参加させてもらえなかった珠玉の体験の一端。それを味わせてもらえるのか。「あらすじ」だけで、ここまで期待感が膨れ上がった事もない。加えて礼田弓子の半生。他人とは思えない。
(弓ちゃん、小父さんが、いや「お父さん」が助けて上げるよ。あらゆる手段を使ってね)
その顔に浮かんだ笑みは父性を感じさせる「父」の顔だった。