(15)
午後九時。夕食終えて入浴すませ。弓子はほっと一息ついた。
明日日曜日は休み。明後日から学校で、次の土曜日までは伯父と会う可能性は無い。
そう、結局伯父には合わずに済んだのだ。うれしい! 電車が遅れて少し家に帰るのが遅れたけれど。
……関係無いよね?
(おまじないのおかげ? ……まさか……そんなわけない)
彼女の部屋をノックする音。と、同時に入ってくる愛らしい妹。意味のないノックは、いつもの事だ。別に何も弓子は困らない。
「おねえちゃん、こっくりさんって……さっすが、もうはじめてるんだ!」
目ざとく見つけて、うれしそうに笑顔をむける。
「……うん、いろいろアリガト」
「えへへへへーーー。おじさんもうちのパパよりも、とおくにタンシンフニンとかしてえ、いなくなっちゃたらよいのにー」
「…………」
心の奥の奥のおくの底。その中では同意する妹の意見。でも常識的にそんな事は願ってはいけない。
礼田弓子は、そんな優等生的気質を持ち合わせていた。水橋親分や夏海お母ちゃんの個性が強すぎるだけで。
二人が不在の時に、その常識的見解でクラスみなを納得させ、まとめる事が出来るほどには。
顔立ちも両親に似て姉妹ともよく似ている。愛らしい妹、地味な姉。
その地味な印象が拭えない根本は、弓子自身が自信を持てないからなのだが。
案外誰しも、自分自身の事が見えていない事がある。
「なんだったら、こっくりさんにおねがいしたらあ? きっとかなえてくれるよ」
◆◆◆
「どこ?」
「駅近くです。たぶん……ジュウソウ。踏切。本人望んでいないのに、自殺させられちゃう! 死んでしまいます!」
「竜夫さん!」
「任せて」
最短の時間で、最適の効率で車を回す。十三――じゅうそうと読む。私鉄ターミナルビル駅から一駅。大阪のキタで、大阪の良き下町風情を色濃く残す、飲み屋街の側面。
夏海の視界は、既に現実の光景を見ていない。ワゴン車のナビシステムがはやいか、夏海の方向指示がはやいか。
そのタイミング、夏海のそれが凌駕する。カー・ナビゲーションはもう要らない。
父親だからか、様々な地域で様々な道を走った経験からか。ときおり混ざる夏海の抽象的な指示にも、答えきる。
助手席には巴。明と席を交代。現場に突入してすぐ飛び降りれる様に。
「……明さん、紺のりくる―と。すーつ。しんちょうはあきらさんより。ひくい。くらい。すこしふとってる」
その言葉は夏海の意思では無く。何かに追い立てられる様に。何かに突き動かされて、語る。神がかり。
「19歳。いちねんおくれ、高校卒業。しゅうしょくして怒られてばかり。生きているかち。なにも、もくてきも無い」
車は主要道を離れて、問題とされる踏切に。
「なんでぼくはこんなにもだめなのか? つらいつらいつらいつらい――――」
夏海の視界、焦点があっていないのを見て、明は静止する為手を握る。その為なのか、別の理由か。日野作業員がその男性を見つけ、夏海が彼を見つけ指差す。同時だった。
電車の通過前で、けたたましく鳴る警報音に、明滅する赤ランプ。車はゆるやかに、すみやかに適切に停車する。明が下車して、駆け寄る。
列車が踏切に差し掛かる。
けたたましい音の中にも関わらず、竜夫と巴の視界で音が消えたように思えた。
一拍置いて、音が聞こえ始めた時、辛うじて……間に合った!
列車が迫りくる踏切に踏み込もうとした青年と。それを後ろから阻止した日野明。
小太りの彼、その携帯電話はその拍子に地面に落ちて。
明につられて、夏海も車を降りていた。ふと気になって拾い上げた黒く細長いモノ。
折り畳み式のガラパゴス携帯の画面が割れているが。メールの画面は読める。
件名は「17番目」とだけ。何が17番目?
メールの中身も意味が分からない。文字の羅列としか思えないもの。
一行目は丁度下の様な内容で始まる。
[fcdれwp「g5え」Hgrwtg4rw]tg4ra]
何もメールからは感じないはずなのに、天川夏海は何故か寒気がして、体を震わせた。
◆◆◆
「呪術的連縛鎖……だったかな、これは」
「竜夫さん、古い名称知ってますねえ。いまは数珠繋ぎとかデイジーチェーンとか言ってますよ。厳密にはこれ自体は呪術では無く、一種の催眠暗示みたいなものですが」
愛娘が、見知らぬ、しかし人の良さそうな小太り青年に抱き着いて、号泣している最中。
父は彼の不幸さ加減を感じ、ひそかにため息をつく。取るに足らない役立たない才能なので、誰にも言わないちょっとした? 才能なのであるが。
いろいろ気になりはしたが。ワゴンを停車したままでは車道が狭くなり迷惑。なので、竜夫は近くの駐車場に止めてこの場所に戻ってきていた。
それでも、少女はまだ泣いていた。
警察沙汰にこそなっていない。当たり前だ。たまたまか目撃者は夏海達のみで、自殺未遂。踏切への投身自殺……未遂。事件ですらない。明が間に合ったのだから。
明はすすり泣きに変わった夏海を守る様に寄り添い。被害者になり損ねた男性は、ただ見知らぬ少女に抱き着かれるに任せたまま。そんな奇妙な光景になっている。
「デイジーチェーン。これ作る時こそ物凄く使い魔とかファミリアとかの手を借りまくって計算して作るそうですけれど。パソコンを数百台並べて計算させたって話もあるし、呪術なのか催眠暗示の分野なのかで分類結構あいまいなんですよねー」
「本来催眠術では直接自殺には導けないって話を、聞いた事があるよ。微かに呪術寄りというのがNG研究部の主流的見解だったよね」
「んー厄介なのはこのガラケーとかネットとかが、普及しだす前からあるんですよね。それが更にネットで拡大。単なるテキストメール読んだ人間が、感染して被害膨大になりかけたケース。あまりおおぴらに出来ないけれど、相当数疑わしい案件が。証拠が残りにくいので確定出来ないにもまた、厄介で」
「元々は黒板に板書された意味不明文字列の羅列を、生徒たちがノートに書き写す。その羅列を又別に人間たちが書き写し……感染拡大してゆく。ただ余り複雑な命令出来なかったとか。今は違う? 長文な命令系を作るには、膨大な計算が必要だけど、今は色んな手段があるからか……。今回のケースは? 巴ちゃん」
被害者にならなかった彼、そのガラパゴス携帯。その着信メール「17番目」が、彼に自殺を強要し死にかけたと彼らは話している。メール自体は、対象が読んですぐ消去すればよい。もし警察の鑑識課が、メールの復元をしたとしても、その関連性を指摘するものはいないだろう。この呪術式が恐ろしいのは、不特定では無く、条件付けで「特定」多数にのみ狙いを定めて発動する点だ。今回の場合……
「一番考えやすいのは、『列車の運航を妨害せよ』『その路線の指定』とかかな? 『手段は問わない、でも出来うる限り、えげつない妨害方法をとれ』もあるかも。
あくまで推測ですけど。今回の場合、文面の現物が手に入ったので時間さえかければ解析は出来ますが。現物手に入らないのも多いですからねえ、デイジーチェーンのケースは」
夏海はまだ抱き着いている。明も少々複雑な表情を浮かべ始める。引き離すべきか。
被害者青年ももとは誠実な性格なのだろう。言葉少なげに、しかし少女を傷つけない様に離れてくれるように頼みだした。
父一人娘一人の家族。年頃の娘にしては、父親に対して優しい。
裏返すとやや無防備過ぎないかと、親としてやや心配になる。
(あの青年も、結構苦労性みたいだしな。その意味では夏海的に危ういか。娘の男性の好み的に
幼稚園に上がるか上がらないかから、天川夏海はある意味厄介な男に惚れている。ある意味惚れっぽい。
保育園の男性の先生。電車の運転手の人。トラックの運転手。共通項は何?
背中。そう、背中。それも苦労して、でもめげない人の頑張っている、その背中が大好き。
苦労しても他人に優しくできる人の、その背中が大好き。
その極端な好みは、人としてどうなのか。
大地仁。関西に転校して始めて出来た、男の子のお友達。その彼に、
『キミの背中からは、人生の重みを感じれないよ』
そう言って失恋させたのは、父親視点を除いてもソレはどーかと思う。父の記憶ではまだ小学校五年生になる直前だった、と思われる。
その後、呪術を生業とする大地家の息子仁。彼は一念発起して、他県の小学校の転入し、様々な呪術的事件を解決してゆく事になるが。
その輝かしい実績の裏には、夏海に失恋させられたせいなのだと父親は疑っている。その代償に同い年でありながら、彼は小学五年生をもう一度過ごすこととなったとも聞く。……不憫だ。
(背中の不幸さ加減では明くんも大概だから、夏海が明くんにも迷惑かけないとよいなあ)
色々出来過ぎで自慢の愛娘ではあるが、(人を見る目があるせいで?) 惚れた愛娘側よりも、惚れられた相手の方をつい心配してしまう竜夫である。
「ん? 竜夫さんどうしました?」
「いや、そろそろ夏海を引きはがして、ご飯にいこうか。助けた彼は連絡先を聞いて、必要なら後日たずねよう」
「ですね」
幸い大事に至らない、という成果を得て上機嫌な巴女史。その背中を追いかけつつ。
娘の罪状? を脳裏に浮かべて父はため息つく。
(保育園の先生の時はまだ微笑ましく。電車の運転手の人は奥さんには苦笑いで済ませて頂いたが、その娘さんは夏海と同い年で……あまり思い出したくはないな……。トラックの人、ロリコン疑惑が浮上して誠に申し訳ない)
トラックの人は、難儀の一言。その奥さんに、浮気相手を夏海と誤解され、ロリコン疑惑浮上。しかしトラックの人の本当の浮気相手は男性だったから、更にややこしく。
深く深くため息をもう一度ついた。