(13)
神隠し。異境。隠れ里。境い目。
様々な名称はあれど、日野明や望月巴らが所属する団体では異界と言う名称を、正式に使っていた。
曰く、古くは仙人たちや稀代の呪術師たちが避難所――隠れ家として用いる。
曰く、山のヌシ沼のヌシ森のヌシと呼ばれる大妖怪の、縄張り。
曰く、俗なる土地と区別する――聖別された神聖な聖域。
今、明と夏海が居る場所は、自然発生した異界を誰かが都合よくイジッた結果の産物だ、という事。
誰かが誰なのかは分からない。
でも、埴輪型怪人や素焼き焼き物の様な触手群。それらから、その誰かの悪意や欲望が垣間見える。
「……ひの……あきらさん……なん……ですよ……ね?」
日野明。望月巴とコンビを組む、現代対魔術対呪術の専門家。事前に画像で見知っていた青年。その確認。
「はい。そうです。はじめまして、天川さん」
天川夏海は、呆然としつつ。でもしなくてはいけない事柄を覚えている。
呪術的被害者に遭遇した場合。無理をしてはならない。安全圏に移動して助けを呼ぶ。
その意味では夏海の一連の行動は、その原則を逸脱していた。それでも、過去の経験と、専門的知識でいけると判断したゆえに。見通しが甘かったのだろう。詰めが甘いどころか、自分自身も危うくなった。
でもそれは。魔術的呪術的案件で無くても、未成年者で無くても誰にも起りうる出来事である。勉学で、スポーツで、趣味で、そして仕事で。誰もがみな経験していく事柄である。
「かえりみち……ボク……わかります」
「はい」
「こちら……です」
天川夏海、初対面の相手では、一人称は「わたし」。それが無意識に守れていない。真っ青な顔色に、おぼつかない足元。
背の高い青年は、何も言わずにその背中について歩いていく。下手ななぐさめなど不要。アドバイスは出来ても、自分自身で立ち上がる事が肝要。彼はその事をよく知っている。
だから淡々と言葉少なに、しかし的確に。助けられなかった竜王庶務少女の情報を、確認する。これだけでも一連事態の先行きに、一歩前進なのだが、少女にはそんな事は、分からない。意味も無い。落ち込む。
プレ・ガジェットなんて便利ながらも厄介なモノを、その身に生まれた時から宿す少女。望んで、覚悟を決めて その身に受け入れた明とは、夏海は違う。それだけに不用意に事件に巻き込まれれば、ストレスも多いだろう。
その強力さゆえに、宿主少女の覚悟も決意も関係無く、騒動に巻き込まれるに違いない。
少し歩いて、灰色グラデーションの世界に微かに色づきはじめた景色が、見えてきた。
大阪――淀屋橋交差点。半透明な人影――通行人たちが、背景に重なって見え始める。
徐々に戻り始める色彩。赤。青。黄色。様々な色。
その中ではっきりとした存在をしめす望月巴は、小柄でありながら灯台の燈火の様にも思える。巴のスマートフォンのアプリケーションソフトの、おかげだろうか? 誰も二人に気を留めない。要救助対象天川夏海と救助者日野明の生還は、巴女史のみがそれを確認し、この場は終結した。
「あま……かわ……なつみ…………です…………」
「うん、知ってます。初めまして天川さん。望月巴です。えーっと……」
「トモ姉、場所を変えましょう。それと竜夫さんに連絡を」
「それは連絡したよ。もうすぐ来るって。うちのオフィスで合流するってね。天川さんも良い?」
自分は、首を縦にふったのだろうか? 覚えが無い。でもどうでもよい。
頭の中にしびれた様な「芯」がある。足元はふわふわしていておぼつかない。天川夏海は、二人に案内されて淀屋橋をゆく。半ば夢見心地ではあるが。その白昼夢は悪夢である。
メインストリートの御堂筋を一本それただけで、人通りが少なくなる。陽射しは暖かな小春日和。そんな浮き立つ天気も、彼女の冷えた心を温めはしない。
それほど歩くことも無く、立派なエントランスホール持つ建物の前にたどり着く。
良く言えば庶民派、悪く言えば経済的にひっ迫――要は貧乏だった天川家。故に大理石やら御影石やらよく分からない高級感ただようエントランスには、普段夏海はおそれおののく。そんな気持ちのゆれもなく、ただ淡々と。
白や黒の品の良い調度品の置かれた、ビル内部。ところどころに使われた金色は、目立つ事無くしかし高級感を補強する。
入口のガラス扉の自動ドア。その真横のテンキーボードに巴がカギを差し込む。
明と巴、二人が夏海をともなって中に入るのを、カウンターごしにコンシェルジュが笑顔でお辞儀する。
「おかえりなさい」
まごうことなき、ここが高級マンションの証であった。
『オフィス・ツーペア』。
黒を基調とした金属製のドアにかかるネーム・プレート。品の良いそれのバランスを壊さず、こちらも品の良い。
この場所の名前だろう。ポーカーの手札を模した、五枚のカードの飾りついた物。
そのドアをくぐって通された応接間には、ふかふかのソファにテーブルが有る。案内されるまま、席につき。表情は崩れない。能面の様。人形の様。
彼女の父親が、ほどなくこの場に訪れるまでその表情は崩れる事無く。
お茶とお菓子こそ出されたが。ただ何も言葉をかける事少なく、最低限女主人が
「詳しいお話は、竜夫さん――お父さんが来られてからにしようか」
ただそれだけ告げて、そっとしておいてくれた。お茶の準備する青年が席を外した際、救急箱で内股の擦り傷の適切な手当を忘れなかったのにも関わらず。詳しく問いたださず。黙って彼女を見守る二人。
何度も何十回も、巴にもどうしようもなかった場面の経験はあるのだ。それゆえに。
◆◆◆
「……ゴメン……おとうさん。ぼく、ごはん、たべに……いけない」
「ん。だろうね」
天川竜夫――夏海の父は恰幅の良い、長身な上に横幅も大きい人である。優しい巨人。流石に2mは超えないが、長身の明よりも上。体格に比して力持ち。優し気な表情で娘を見守る。そう、見守る。
10分もたたずに合流したものの、何もたずねなかったのは事前に巴たちからのメールで、大まかな事情を知らせて貰っていたからだが。ただどうしたいと、たずねて静かに少女の反応を待っていた。
ずいぶん待たされて、出た言葉がこれだったのだ。
「で、夏海はどうしたいんだ?」
気は優しくて、力が強い。それを地でゆく頼りになりそうな、おとうさん。残る二人も先をいそがない。
「……わからない……わからな……い……」
絞り出す様にもれた言葉と、スッと流れ出た涙。
「……わからない……わからないわからないっっ」
それはやがて嗚咽となり、号泣となる。今までの彼女は本人にも実感が無かった。ただ呆然と事態を見ていた。事態は理解の外だった。――いや、それはウソだ。心のどこかでは分かっていた。あそこまで生の状態で、負の感情を叩きつけられた経験は彼女には無かった。理不尽だとも、考えなくも無い。でもそれ以上に微かに母の匂いがした、あの人からの強い拒絶と怨嗟の声。それが氷のやいばとなって、夏海の胸の奥の柔らかい部分をえぐって、切り裂く。今も。
「僕は夏海ではないから、夏海の気持ちを正確にはわからない」
その父への娘の答えは、鼻ですすった声というか、音だった。
「でも夏海の分からないは、さ。多分何か役に立つ事をしたいけれど、それが分からない。そうじゃないのかな?」
っ!
今まで号泣し、落ち込むだけだった少女の顔。それが一瞬止まって、呆けた色を見せた。一拍。そして少しづつ理解の色が広がる。
「……ボク、何をすればよいかな?」
ポケットティッシュ出して鼻かんで。目元は赤く腫れているが、少し前向きな顔つきになってきた。
「夏海、ちょっと待って」
勢いが戻ってきた娘の気勢を一旦おさえ。
「まずは軽く昼ごはんと、巴ちゃん明くんの予定確認だよ。二人の許可が居るけれどさ。まずは二人のお手伝い。その前にはまずは腹ごしらえだ」
「プラチナ・ポーンのご発言と有れば、軽々にはあつかえませんなあ」
ふざけた口調で、そう返す巴女史。足組んでソファーに座る姿も女優の様に絵になる。執事か秘書の様に、その脇に立つ明は、そのふざけた物言いに、苦笑を隠しきれない。
「ぷらちな・ぽーんですか?」
対魔術の二人組と父の役割は大まかには聞いているが、詳細は知らない夏海。オフィス・ツーペアの二人組を顔立ちを、写真で見知っていたのも、その関連の事だ。
プラチナ・ポーン――言葉の意味としては、プラチナは貴金属の白金で、ポーンはチェスの駒の一種類。将棋でいう「歩」の駒にあたるハズ? それとも違うもの?
気の利く父が、持ち込んだ昼食はデパ地下で手に入れた、有名店のカツサンド人数分だった。100パーセント、ミックスフルーツジュースも供されつつ、それが午後からの仕事の活力となった。