1598-3 落日
<1598年 8月>
臼杵に帰還して早一ヶ月。
朝鮮に残してきた息子の行栄や臼杵兵たちには悪いが、謹慎という名の骨休めを堪能する。
太田一吉への大野郡の代官職の引き継ぎ作業は、家老の岡重政に丸投げだ。
夏の海の日差しを浴びて、日がな一日ぼーっと過ごす日々を送っていた。
縁側に寝転んでウトウトと午睡。
目覚めると、いつの間にか傍らに妻の南御前の姿があった。
湯呑みを持ったまま呆れ顔で語り掛けてくる南御前。
「暇だな。申し開きの場とやらになかなか呼ばれぬではないか。もしや忘れられたか?」
「んんっ。居たのか」
そばに盆に乗った茶受けと湯呑みが置かれている。
手ずから茶を淹れて持って来てくれたらしい。
起き上がって、ありがたくズズッと頂く。
「さて、太閤は形見分けだなんだで、俺に構っている余裕はないのであろうよ。政宗も上洛させたようだしな」
今朝方、宇都宮の盛隆から手紙が届いていた。
国元に戻っていた伊達政宗へ、豊臣秀吉からの至急の上洛命令が下された知らせである。
伊達政宗は昨年も長子の兵五郎を連れて上洛を果たしており、兵五郎は豊臣秀吉の猶子となっていた。
僅か七歳で元服させられて伊達秀宗と名乗り、豊臣秀吉の意向で豊臣秀頼とは義兄弟の契りを交えている。
今回はそれに続いての都合六回目の上洛となる。
「この時期に太閤がわざわざ政宗を呼んだ理由は何だ?夫殿なら読み解けよう」
南御前に請われれば答えねばなるまい。
「徳川家の牽制役を頼む腹づもりであろう。今の豊臣家中での最大の実力者は徳川内府殿。その内府殿が易々と天下を簒奪出来ぬよう、己が死ぬ間際に策を講じておきたいのさ」
伊達政宗が将軍を務める奥羽鎮守府は、あくまで朝廷が設置する軍政府機関である。
つまり、豊臣家の私的な組織である五大老五奉行職とは一線を画す組織となる。
その豊臣家の枠の外にある奥羽鎮守府の力を使って、枠の内で一番大きい力を持つ徳川家康を抑え込む構図だ。
「豊臣家として最悪なのは、徳川内府殿と奥羽鎮守府が連合して叛旗を翻す展開だ。そのあたりの手当もしっかり施してくるはず」
官位や諸々の権限を与え、伊達政宗を持ち上げてくるだろう。
しかし、その策に乗って徳川と伊達の対立軸が成り立ってしまうと、豊臣秀吉の死後に奥州征伐のイベントが発動しやすくなる。
徳川家康は吾妻鏡を愛読書とし、新田氏を祖先に持つと称する徳川家を源氏の棟梁と位置付ている。
豊臣秀吉が成し得なかった奥州征伐を敢行し、源頼朝の事績に倣って天下取りに王手を掛けてくる可能性が非常に高い。
そうなる前に南御前を連れて須賀川に戻りたいのが正直なところ。
二階堂家は徳川領に接する最前線の下野を領している。
この臼杵と下野では遠すぎて、とてもではないが歩調を会わせて対処するのは難しい。
我ら父母の存在が、東国を治める息子の盛隆らの判断の枷になるのだけは避けたかった。
「いっそこの臼杵の領地を返納してしまえれば楽なのだがな」
思わず呟いてしまう。
南御前に嗜められる。
「それは、そなたに付き従ってくれている志賀親次ら在地の武将たちへの裏切りになろう」
まさしく。
それに俺を大聖人と崇め奉る臼杵の民たちの暮し方も、次の領主次第となる。
キリシタン排斥の方針ともなれば、辛い目に遭うのは確実だ。
なお、俺が朝鮮に出征している間に、長崎でルイス・フロイスが亡くなっていた。
彼は亡くなる直前まで、この俺の生涯について調べていたようだ。
書き残した本国への報告書は、二階堂盛義の人物評で埋め尽くされていたらしい。
その好意的な書きっぷりは他の伴天連へも伝播し、結果臼杵の民忠にも還元されていた模様。
「やはり行栄に臼杵藩主の座を譲ってしまうのが一番妥当か。遠征軍が帰って来たら、その線で調整してもらえないか、岡重政から石田三成へ願い出てもらうとしよう」
なんてことを南御前とのんびりやり取りしていたら、その岡重政が焦った顔で現れた。
「大殿、我が義父の石田治部様からの書状です。太閤殿下が至急大殿にお会いしたいとのこと。上洛を命じるお達しです」
豊臣秀吉自ら俺に会いたいだって?
急転直下だな。
さて冥土の道連れにするつもりか、秀頼をよろしく頼むつもりか。
どちらだろう?
<1598年 9月>
俺が臼杵を経つのと同時に折悪く台風が襲来。
九州各地の河川が氾濫しまう。
だいぶ予定を遅れての京への到着となってしまった。
数えてみれば三年と八ヶ月ぶりの京都だ。
街の様子はだいぶ様変わりしている。
もちろん聚楽第の姿は跡形もない。
周辺の大名屋敷も全て伏見に移転されていた。
侘しい気持ちになる。
二階堂屋敷に入る。
吉次の顔を拝むのも久しぶりだ。
「酷い天候の中のご上洛、ご苦労さまでした」
「吉次も息災で何よりよ」
吉次ももう五十歳に手が届きそうな年である。
それでも老いた様子が毛ほども見えないのは、元の造形が良過ぎるからか、それともこの世界観が成せる技か。
輝くばかりの笑顔で迎え入れてくれる。
まずは初陣もまだな息子の行栄を朝鮮送りにしてしまった件を詫びる。
「あちらには前田利益殿もおられるのでしょう。心配はしていません」
強がられてしまった。
吉次に手伝ってもらいながら旅塵を落とす。
そして吉次がまとめてくれていた上方の情勢を耳に入れる。
「なんと従二位大納言か。奮発したものだ」
「はい。それと奥州での大きなガレオン船の建造の許可と、その船を用いての南蛮への使節派遣も、一緒に許可されていますね」
愛妾の香の前の姫出産を見守ってから上洛した伊達政宗。
形見分けの鎬藤四郎脇指と共に、豊臣秀吉から様々な特典を与えられていた。
大納言ともなれば、豊臣政権下では前田利家に匹敵する扱いだ。
しかも、鎮守府将軍と陸奥守との兼任である。
奥羽の主人として、伊達政宗は伝説の北畠顕家を超えた存在になってしまったわけだ。
徳川家康の対抗馬として用意された格付けであった。
そして巨大ガレオン船の建造許可は、伊達政宗自らが請うたものだそうだ。
慶長遣欧使節派遣を十年は前倒すつもりなのだろう。
「京や堺の商人の間で、なんとか南蛮との商いのお溢れをもらえないかって話題になっています。将軍にすり寄る者も多いそうですよ」
「そうであろうな」
豊臣秀吉の大盤振る舞いに驚嘆していると、真田信繁が二階堂屋敷に到来。
「ごめん!左京亮様御来着とお聞きし、お迎えに上がりました」
伏見城への同行を申し出てくる。
行栄を朝鮮に送り届けてくれた礼を述べるも、急かされた。
厳しい顔の真田信繁に案内されて伏見城に登城する。
俺の知っている築城中だった指月の伏見城は、二年前の慶長伏見地震で崩壊している。
木幡山に新造された伏見城へは今回が初登城となり、全てが目新しい。
その伏見城の大手門の前で、他の大名とかち合ってしまう。
「儂が先じゃ!」
強引に割り込まれる。
年は真田信繁と同じく二十代後半。
体格の良い偉丈夫だ。
真田信繁が耳打ちしてくる。
「森右近大夫殿(森忠政)です」
美農金山七万石の領主だ。
鬼武蔵の異名を誇り、長久手の戦さで池田恒興と共に討死した森長可の弟である。
こちらは謹慎の身で、申し開きの場に赴く立場。
それに兄譲りの凶暴性をここで発揮されても困るしな。
揉めても仕方ないので、大人しく譲る。
登城手続きが終わるのを待って伏見城に入る。
城内はバタついていた。
真田信繁が説明しながら、控えの間に案内してくれる。
「今朝方に太閤殿下が突如会いたいと仰られて、奥州の伊達政宗様もおいでになられております。なにぶんそちらも急なことで。こちらへ」
ほう。
伊達政宗がいるのか。
腹心の片倉景綱も同行しているとのこと。
久しぶりに顔を合わせたいものだ。
隣の控えの間には、先に登城した森忠政が通されていた。
荒ぶってる森忠政の声が漏れ聞こえてくる。
「治部殿、太閤殿下に会わせてくれ!」
「急に押し掛けられても困る。きちんと手続きを踏まれよ」
「そこを何とか頼む!」
どうやら森忠政。
押し掛け登城だった模様。
形見分けを終えた豊臣秀吉が死ぬ前に、最期の陳情しようという腹のようだ。
おおかた兄の森長可が本能寺の変で失った、川中島四郡を所望したいのであろう。
真田信繁に見張られながら、隣の部屋のやり取りが終わるのをとにかく待つ。
森忠政をなだめすかして追い返した石田三成が、次いでこちらの控えの間にやってきた。
「急かしてしまったが、太閤殿下と鎮守府将軍の対面が終わっておらぬ。今しばし待たれよ」
そして一本の刀と巾着袋を差し出してくる。
「これは太閤殿下より左京亮殿への形見分けの品。今のうちにお渡ししておく」
兼光の太刀と金子十五枚であった。
ありがたく拝領しておく。
そのまま去るかと思ったら、まだ話があるようだ。
親族と朋輩の暴走を、少しは申し訳ないと思っているらしい。
「誤解が無いよう申し上げておくが、御身の謹慎および代官職の剥奪は、軍目付けの報告に目を通した太閤殿下ご自身がお決めになられたこと」
だから自分を恨むなと言外に伝えてくる。
須賀川に戻るための布石として、こちらも石田三成の心象は良くしておきたい。
石田閥との手打ちの意味を込めて、助言を一つしておく。
「森忠政を手なづけようとしても無駄。余計な労は重ねぬことだ。恩は必ず仇で返されよう」
確か森忠政は豊臣秀吉の遺言と言い張って、川中島四郡への転封を勝ち取る。
しかしながら、便宜を図った石田三成の要請を無視して、徳川家康にベッタリとすり寄った。
史実の石田三成は森忠政に対し、関ヶ原の戦いの前に遺恨格別と激怒している。
少し戸惑った様子の石田三成。
「さて。ご助言、心に留めておきまする。ではごめん」
判断保留で去っていった。
しばらくすると、控えていた真田信繁が興味を堪えきれず質問を投げてくる。
「なぜ森右近大夫殿が裏切ると断言できるのでしょう。後学のためにお聞かせくだされ」
適当には誤魔化せない相手だ。
なのでそれらしい理由を即興で作る。
「我が家に仕える名古屋山三郎の姉だか妹だかが彼の後妻に入っていてな。その線から聞いた話よ。先ほど漏れ聞こえてきたとおり、森家の悲願は川中島の所領を奪還なのだそうだ。本能寺の変の折、兄の森長可を追い落とした北信濃の一揆衆への怨みもすさまじい。必ず復讐すると息巻いているそうな。もし森忠政が領主になってしまったら、一揆を率いた高坂昌元に連なる者たちは酷い目に遭おう。それを哀れと思うただけよ」
高坂昌元は武田四名臣の高坂弾正の次男だ。
長篠の戦いで亡くなった長男昌澄に代わって、高坂家の嫡流を継いでいる。
武田家滅亡後は入封してきた森長可に従うが、本能寺の変を受けて一揆を起こす。
差し出していた人質を見殺しにして森長可を攻撃し、川中島四郡から織田家の勢力を一掃するのに成功。
その後は進駐して来た上杉軍に従い、海津城代を任じられる。
しかし、続く天正壬午の乱にて真田昌幸の調略に応じて北条方に転じ、それがバレて上杉景勝に成敗された。
「高坂昌元殿、ですか」
父が調略した武将の名前を出されて、真田信繁も動揺している。
真田も高坂も同じく、元は武田家の家来同士だ。
もしかしたら幼い時分に面識があったのかも知れない。
石田三成が再び現れた。
「準備が整い申した。案内仕る」
大広間ではなく、豊臣秀吉が療養している寝所に通されるらしい。
控えの間から一歩出ると、奥の寝所から退出して来た伊達政宗一行と鉢合わせとなった。
直接に伊達政宗と会うのは四年ぶりだ。
三十歳を超えて男の色気、ダンディズムに磨きが掛かった様子。
雰囲気がだんだん祖父の伊達晴宗に似て来たな。
ニヤリと笑って話し掛けてくる。
「おお誰かと思えば、義伯父殿ではないか。随分と日に焼けて見間違ったぞ」
豊臣秀吉に讒言して俺を西海送りにした張本人がぬかしよる。
しかし、その傍らに控える片倉景綱の渋い顔に免じて、ここは大人な対応だ。
挑発をスルーする。
「これは政宗殿。大納言を叙任されたとか。諸々祝いの言葉送りたきところなれど、この身は謹慎中かつ太閤殿下御病床の折なれば、失礼仕る」
石田三成もフォローしてくる。
「太閤殿下が左京亮殿をお待ちだ。挨拶はあとにされよ」
「治部殿よ。されどこれは義伯父殿へは伝えておいた方がよかろう。先ごろ聚楽第の火に巻かれず生き延びた、先の関白殿下の姫御が見つかってな。今日はその姫御をどう扱うべきか、太閤殿下よりのご相談があったのよ」
引き下がらない伊達政宗。
なぜ自分が豊臣秀吉に本日呼び出されていたかを明らかにしてきた。
先の関白殿下の姫御と聞いて、思わず後ろに控える真田信繁の顔を確かめてしまう。
驚いた表情で小さくフルフルと顔を振って否定してくる真田信繁。
彼が隠匿している隆姫の話ではないようだ。
今度は事情を知ってる片倉景綱がフォローしてきた。
「姫の名前は阿菊さま。故豊臣秀次公の五女となる姫君にございます」
豊臣秀次の右筆の益田少将が保護し、聚楽第で亡くなった母方の実家に匿われていた。
豊臣家と伊達家の縁をさらに強くしたい豊臣秀吉の意向に従い、奉行補佐の冨田一白が見つけ出して来た、数え年四歳の幼女である。
慶長伏見地震より前に病死していた八百姫に代わり、豊臣秀頼の許嫁とされるはずの姫であった。
伊達政宗が続ける。
「豊臣秀頼様の新しき許嫁は、徳川内府殿の孫娘の千姫殿と定まったばかり。なので菊姫殿は、我が息子秀宗の許嫁として譲り受けることにした」
その方が皆が都合が良かろうと嘯く伊達政宗。
なれば菊姫は豊臣秀吉の養女として扱われて伊達家に嫁ぐはず。
これで豊臣秀頼と伊達秀宗は、本当の意味で義兄弟となる。
「そうか。秀次公の娘がもう一人生き延びていたか」
これで豊臣秀次の血脈は四つ残った計算になる。
尼にさせられる予定の長女の槿姫。
池田家から梅小路家に嫁ぐ次女の梅姫。
真田信繁の側室となる三女の隆姫。
そして伊達秀宗の許嫁となった五女の菊姫。
豊臣秀次の付家老だったこの身としては、可能な限り彼の姫君たちの行く末をサポートしていく義務があろう。
恩着せがましい伊達政宗の態度には若干辟易するが、仕方あるまい。
伊達政宗の白々しい応援の言葉を背に受けつつ、豊臣秀吉の寝所に向かう。
寝所の入り口には片桐且元が控えていた。
石田三成が片桐且元に黙礼。
片桐且元が頷いて豊臣秀吉好みの煌びやかな襖を開ける。
部屋の中央には天蓋付きの寝台が構えていた。
豊臣秀吉はその寝台で休んでいるようだ。
石田三成に案内されて寝台に近づく。
寝台に横たわる豊臣秀吉はやつれ果て、見る影もなく痩せ細っている。
石田三成が寝台の枕元に控え、俺の来着を豊臣秀吉に告げる。
「殿下、左京亮殿が参りました」
「誰じゃ」
「殿下がお呼びになられた、二階堂左京亮盛義殿にございまする」
石田三成と片桐且元に体を支えられて、豊臣秀吉が起き上がる。
じっと見つめられる。
「待っておったぞ」
「はっ。折悪く台風に遭い、遅参してしまったことお詫び申し上げまする」
さて、困った。
予想以上に豊臣秀吉がヨボヨボになっていて、何を考えているのかさっぱり読めない。
いきなり切腹とか申し付けられないだろうな。
「茶を、茶を淹れよ」
豊臣秀吉が何かボソボソとささやいている。
「はい?」
「茶じゃ」
茶だと?
何を言ってるんだ?
あまりに予想外過ぎて反応が遅れる。
困惑していると石田三成が補足してくる。
「太閤殿下は左京亮殿の茶を所望しておられる。片桐殿」
「はっ。こちらに」
片桐且元が寝台から向かって左の襖を開けると、そこには黄金で彩られた茶道具一式が鎮座していた。
驚く俺に対し、豊臣秀吉が掠れた声で要求を突き付けてくる。
「り、利休がの」
利休。
千利休か。
「そちの茶を一服したかったと、死ぬ前に笑って嘆いておったわ」
ふふっと笑う豊臣秀吉。
「あやつが未練した茶ぞ」
逝く前に堪能し、利休が悔しがる顔が見たい。
だから茶を淹れよ。
それが天下人豊臣秀吉の最期の願いであった。
秀頼のことをよろしく頼むんじゃないのかい。
状況を整理しよう。
二階堂盛義が慶長の役で疑いを掛けられた五つの罪。
それらを申し開く場として伏見まで呼ばれたと思ったら、どうやら違ったらしい。
病に犯された豊臣秀吉は、朦朧とした意識の中で自分の業と向き合う日々を送っていた。
千利休の切腹事件もその一つだ。
千利休は未練を断ち切って見事切腹して果てて見せた。
だが、死ぬ直前に遺した俺の茶を飲みたかったという彼の言葉は、豊臣秀吉の中に残り続けた。
その記憶が末期に蘇ったのであろう。
さて、どうする?
抹茶の作法なんぞ、二階堂家お抱えの茶人の佐久間信栄に一通り教わった程度。
俺の茶の手前など適当もいいとこだ。
こんなことなら美味い茶の点て方を南御前からきちんと習っておけばよかったわ。
そもそも何であの茶道の鉄人、茶聖の千利休が俺の茶なんて飲みたがったんだ?
切腹直前に利休から茶を一杯振る舞ってもらったことがあったが、その時分はまだ玉露もどきも開発してなかったし。
玉露は豊臣秀次に仕えてからの話だ。
む、むむ?
わかった!
わかったぞっ!
千利休が飲みたかった茶とはアレのことだ!
「源二郎、これでは材料が全く足りぬ。大急ぎで用意してもらいたいものがある」
部屋の外に控えていた真田信繁を呼び付け、二階堂屋敷への使いを頼む。
抹茶は用意されている。
必要なのは牛の乳と、はちみつと、竹で編んだ茶こしだ。
全て二階堂屋敷に揃っている。
あと天下人に飲ませるなら、出来るだけ完成形を用意したい。
金平糖も欲しいところだ。
片桐且元にお願いして城中を探させる。
作ろうとしているのは抹茶ミルク。
確か千利休の義理の息子、千少庵が試作品を一口飲んで感動していた覚えがある。
おそらく千利休は、千少庵からその味を伝え聞いていたのだろう。
一刻ほど豊臣秀吉を待たせて、大急ぎで抹茶ミルクを用意。
適当に点てた抹茶を茶こしで濾してダマを除去。
牛乳は二階堂屋敷から搾りたてを取り寄せ、伏見城の台所を借りて煮沸消毒したものを注ぐ。
はちみつだけでなく金平糖を溶かした砂糖水も加えて味を調整する。
俺の傍らに片桐且元が張り付き、レシピを書き記していく。
出来上がった量はそれほど多くなかったので、自分が味見した後、毒味役は石田三成のみに勤めてもらう。
片桐且元が羨ましそうにしていたのが印象的であった。
石田三成が抹茶ミルクの注がれた茶碗を手に取って一口味わう。
味的に問題ないことを確かめて頷く。
「大変甘ござる。さ、太閤殿下。お飲みくだされ」
片桐且元に体を支えられている豊臣秀吉の口元に、石田三成が茶碗を運ぶ。
最初は少量だけ口に含まされる豊臣秀吉。
「う、美味い」
口に合ったようだ。
皮と骨ばかりとなった細い手で茶碗を抱え、ズズズと飲み干していく。
「利休よ。美味い、美味いぞ」
固形物をほとんど食せなくなっていたようなので、栄養素と糖分に満ちた抹茶ミルクは干天の慈雨の如きだろう。
お腹を壊されても困るので多く摂取させずに一杯だけに止めるが、それでも満足した様子である。
ゲフッとげっぷをして豊臣秀吉が茶碗を下す。
恍惚とした表情で問いかけてくる。
「褒美は何がよい」
請うならばこのタイミングだろう。
「すでに過分な形見分けを頂いておりまする。それよりも殿下。朝鮮での戦さで掛けられた五つの嫌疑について、弁明させて頂きたい」
しかし、要望は通らなかった。
「何の話だったかの」
豊臣秀吉はすっかり忘れてしまっていたのだ。
体力も限界に近い。
「疲れた。佐吉、寝たい」
「・・・はっ。左京亮殿、本日はここまででござる」
石田三成に促され、退出せざるを得なくなる。
そしてあれよあれよと云う間に、片桐且元に寝所から閉め出されてしまった。
襖が閉まった後、真田信繁が慰めてくる。
「殿下は最近物忘れが多うございます。実は私の名前も忘れられておいでで」
兄の真田信之には国俊が形見分けされていたが、真田信繁には何も無かったそうだ。
真田信繁は十年以上も馬廻として豊臣秀吉の側近くに仕えていたはずだ。
それはあまりに酷かろう。
同情するぞ。
結局この日は豊臣秀吉に茶を一服献上しただけで、伏見城から退出。
二階堂屋敷へと戻った頃には、すでに日も落ちかけていた。
再び登城を命じる声が掛かるのを二階堂屋敷で待つ。
京まで呼び出されてはいたが、謹慎中の身であることは変わらない。
方々に出歩くわけにもいかず、二階堂屋敷に籠ってまんじりともせず過ごすはめになる。
ならばと、留守居役の名古屋山三郎に頼み込み、彼の妻の出雲阿国が率いる一座を召し出してみた。
豊臣秀吉からの形見分けの金子をパッと使い、無聊を慰めるための踊りを所望する。
名古屋山三郎に連れられて現れた阿国は、二十代前半の美女であった。
緋袴の巫女服をベースに、露出を多くした踊り子の衣装が艶めかしい。
「夫がえらい世話になっとります。妻の阿国どす。踊りを所望て聞いたさかい、こないな格好で失礼します」
一座の者たちが、二階堂屋敷の庭をあっという間に舞台へと仕立て終える。
「ほな、踊らしてもらいまひょ」
夫の名古屋山三郎の笛の音に合わせ、舞い始める阿国。
阿国がエロティックな歌舞伎踊りを京の民衆相手に披露するのは、夫の名古屋山三郎が死んだ後の話となる。
この時期はまだ、少女然とした可憐な小唄踊りに跳ねを取り入れたヤヤコ踊りが、彼女の芸の主な題目だ。
成長過程の芸技と言っていい。
それでも大したものだ。
吉次に酌をしてもらいながら、そのパフォーマンスを観賞する。
「もっと私も若ければ、あのように見事に跳ね踊れたのでしょうけど」
称賛の瞳で阿国の舞を見つめながらも、吉次が羨ましそうにつぶやく。
美貌はキープしていても、吉次も寄る年波には勝てないということか。
「生まれ変わったら、次の人生は歌舞音曲の道を極めてみたいです」
言い切る吉次。
それほどハマるとは。
確かに阿国の踊りには、人の心を突き動かす魔性さがある。
ちょうど暇しているので、俺も一差し舞えるように阿国に稽古を付けてもらおうか。
あと茶の点て方もだ。
若くして茶湯の名人と謳われる名古屋山三郎から、この機にきちんとした作法を習っておこう。
名古屋山三郎と阿国夫妻の協力を得て、舞と茶の稽古に励む日々を過ごす。
しかし、いつまで経っても登城を命じる声は掛からない。
そうこうするうちに慶長三年の八月も半ばを過ぎる。
すると、どこからともなく我が二階堂屋敷にも豊臣秀吉が亡くなったとの噂が流れてきた。
吉次が教えてくれる。
「明日、方広寺の三十三間堂で千僧供養が営まれるのだそうです。きっと太閤殿下の供養だと、多くの民が集まりだしているみたいですよ」
確か史実の方広寺の千僧供養は、豊臣秀吉が没してから数日後に営まれたはず。
つまりもう豊臣秀吉は、伏見城の暗い土蔵の内に納められた大壺の中だ。
事の良し悪しは別にして、生涯を通して周囲の人間を振り回し続けた強烈な個性の寂しい死に様である。
朝鮮の戦況への影響を恐れた五大老五奉行は、定石どおりに豊臣秀吉の死を隠していた。
だが、やはり人の口に戸は立てられなかったか。
『秀頼のことをよろしく頼む』
豊臣秀吉のその一言は、最期まで俺には向けられなかった。
なれば、献じた抹茶ミルクの一杯で、この二階堂盛義の豊臣家への義理は果たしたと考えるべきだ。
西の空を見れば、たなびく雲が赤い。
ちょうど日が落ちたところであった。
黄昏時である。
豊臣秀吉は嘘か真か日輪の子だと云う。
落日の次に来るのは闇夜。
これから諸将が繰り広げるであろう暗闘の激しさについては、今は考えないでおく。
この瞬間だけは、不世出の英雄の死をただ純粋に悼もうではないか。
沈んだ夕日に向けて、合掌。
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