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二階堂合戦記  作者: 犬河兼任
第一章 南が来る
8/83

1555 元服

<1555年 04月某日>


 天文二十四年三月末日の吉日。

 ついにこの日、俺は元服を迎える。

 俺もついに大人の階段を登るのだ。


 数え年十二歳。

 幼い頃から毎朝欠かさず牛乳を呑み、折につけては鳥肉や猪肉を食していたこともあり、体の大きさだけはもう一人前だ。

 一昨年頃から背も急激に伸び始め、既に身長は150cmを越えているだろう。

 武者は一般平均よりも一割程度大きな体型となるこの世界観の中でも、やや大柄な方なのではないだろうか。


 まぁ、これからどれくらい背が伸びるかわからないが。


「元服式を始める。よいな竜王丸」


「はっ」


 須賀川城の本丸屋敷の大広間に、二階堂家の一門衆と重臣たちが集まっていた。

 父輝行の号令の下、皆が見守る中、まずは髪上げの儀式が始まる。

 傅役改め俺の側近となる須田盛秀がハサミを入れる。

 続く加冠の儀では、二階堂家中の長老の須田永秀が烏帽子親を務めた。


「若の烏帽子親を務めさせて頂けるとは。この永秀、この歳までしぶとく生き永らえてきた甲斐がございましたわ」


 既に隠居の身であったが永秀は七十歳を超えてまだ意気軒昂。

 須田一族は皆長命と聞くが、何か秘伝の技でもあるのだろうか。


 そうこうする内に加冠の儀も終わり、いよいよ拝名の儀である。


「では、名を授けよう」


 ババーン


 白紙に墨で大書した『二階堂行盛』の字を意気揚々と掲げる父上。


「行盛。今日からそなたは二階堂行盛じゃ!」


 おおー、行盛、おー、行盛となー


 家臣たちがどよめく中、父上に向かって深く一礼し、行盛の二文字を拝名。


「有り難き幸せ。行盛、この名を汚さぬよう、精進して参ります」


 行盛。

 その名は二階堂の者たちにとっては特別な響きを持っていた。


「皆も知ってのとおり、我が二階堂家の祖、源頼朝公の家令にして奥州征伐の軍奉行を務めた二階堂行政様の嫡孫。鎌倉幕府三代執権北条泰時と手を携えて御成敗式目を制定し、三十年余に渡って政所執事として活躍して二階堂家の隆盛の基を築いた、三代目行盛様の名をあやかったのよ!」


 父輝行の誇らしげな説明にさらに沸き上がる家臣団。


 先祖の有名人の名前をチョイスするのは、後世の伊達政宗と同じパターンだ。

 あっちは中興の祖とやらだけど、こっちはもう三百年以上も前の話でコケが生えてそう。

 それだけ父の俺に掛ける期待は大きい。


 重い。

 重い名だ。


 二階堂行盛としての元服。


 これはおそらく史実より一年以上早い元服になる。

 この違いが今後どんな影響を持たらすのか。


 いや違う。

 そんな受け身ではいけないッ

 これを奇貨として二階堂家が生き延びる為の策を一気に加速せねば!






 元服の儀は滞りなく終了し、次いで控えの間に待たせていた近隣諸国の祝いの使者の応対に取り掛かる。

 俺の側近となった須田盛秀が、先駆けて使者の名を告げる。


「伊達殿よりのお使者、陸奥守護代の牧野久仲様にございます」


 まず真っ先に当然ながら奥羽で一番の大国である伊達家の使者らが広間に案内されて来た。

 ほう、あれが中野宗時の次男坊の牧野久仲か。

 伊達家も今回はまともに格式ある使者を出してきたな。

 おや?見た顔があるぞ。


 なかなかに冷たい顔付きの貴公子然とした牧野久仲。

 その後ろには、あの遠藤基信が控えていた。


 牧野久仲が正使。

 久仲の父である中野宗時に仕える遠藤基信が副使のようだ。

 元服したての俺が言うのも変な話だが、どちらもまだ二十代半ばと若い。


「陸奥守護代の牧野家当主自らが祝って下さるとは。真にありがとう存ずる。行盛、挨拶せい」


「はい。二階堂行盛にございまする。お初にお目にかかり恐悦至極に存じ奉りまする」


 父上に習っておもねる挨拶。


 牧野家は伊達家の下で陸奥守護代を務める名族である。

 天文の大乱での功績著しかった中野宗時。

 その宗時のたっての願いにより、伊達晴宗は宗時の次男久仲への牧野家の名跡継承を許可せざるを得なかったと聞く。


「基信」


「はっ。二階堂行盛殿におかれましては、元服の儀をつつがなく終えられました事、お喜び申し上げまする。また先の我が伊達家の嫡男伊達輝宗様の元服の儀にて、手厚い進物を頂きましたる段につきましても、深く御礼申し上げまする」


 その牧野久仲に促され、副使の遠藤基信が祝いの言上を始める。


 俺の元服に先立ち、去る天文二十四年三月十九日に、伊達家の御曹司である彦太郎殿の元服式が米沢で行われていた。

 二階堂家は保土原兵部を祝いの使者に立て、結構な量の祝いの品々を送っている。

 伊達家からの祝儀はその返礼も兼ねており、かなり豪勢なものとなっていた。


 遠藤基信が祝い品の目録を読み上げ、その目録を須田盛秀が受け取る。


「さて、これでもうよかろう。基信、引き上げるぞ」


 すると、そのやり取りをつまらなそうな目で見ていた牧野久仲が、用は済んだとばかりに早々に対面を切り上げようとする。

 おいおい、それはあんまりじゃないか。


「!?久仲様、お待ち下され」


 慌てる遠藤基信を尻目に、軽くこちらに会釈した後、やれやれという風情で立ち去っていく牧野久仲。


「幕府との取次で忙しい時に、このような些細な役目を仰せつけるとは。父上も勝手なものよ」


「久仲様!も、申し訳ござらぬ。これにて失礼つかまつるっ」


 慌ててこちらに深く一礼し、急いで牧野久仲の後を追う遠藤基信。


 広間に何とも言えぬ空気が流れる。

 本来なら怒るべきところだが、あまりに牧野久仲が塩対応過ぎて、逆に毒気を抜かされてしまったというか・・・。

 なんじゃあれは、あれが牧野家の新当主なのか、嘘であろう、と二階堂家臣団も呆気に取られてしまっていた。


 遠藤基信も、なんだかいろいろと大変そうだ。


「ふぅ。もうよいわ。早う次を呼べ!」


「はっ。次は会津の蘆名盛氏殿よりの使者、松本図書助殿にございます」


 父上の指図で次の祝いの使者が案内されてくる。


 次も大物であった。

 蘆名四天王の一人、松本図書助こと松本氏輔。

 主君の蘆名盛氏から『氏』の一字を与えられた人物と聞く。


 その器量は如何ばかりか、じっくりと観察させてもらうとしよう。






<1555年 05月某日>


 父輝行に従って評定の間に進み、父に合わせてその横に座る。


「皆、揃っているな」


 今日は月次の定例評定の日であった。

 俺が元服してからの初めての評定である。


「今日から行盛も評定に加えることに相成った。行盛」


「はい父上」


 父に促され、ズズいと身を乗り出して挨拶する。


「行盛である。見ての通り元服したばかりの若輩者じゃ。皆よろしく指導を頼む」


「「ははー」」


 岩瀬郡西部の一門衆と東部の譜代衆が揃って頭を下げてきた。


 早めに元服して良かった点として、この評定に堂々と参加出来るようになったことがまず挙げられるだろう。

 まだ言葉どおりに若輩ゆえ、発言権は無いに等しいだろうが。

 二階堂家の方策や施策に僅かながらでも己の考えを生かす可能性が生まれた。

 歴史知識チートの生かしどころだ。


 ん?

 なんで皆そんなキラキラした目でこっち見てくるんだ?

 何その半端ない信頼感。

 なんか俺の方を見て、手を合わせて拝み出してる奴とかもいるんですけど???


 父の様子を伺うと、その光景に満足そうに頷いている。


「うむ。行盛が評定に加わるに当たって、行盛の側近も新たに評定衆に加えることとする。須田盛秀!保土原行藤!末席に名を連ねよ」


「はっ」


「はい」


 父輝行の命令に従い、廊下に控えていた源次郎と左近が評定の間に入り、着座する。


「それと、東部衆の守谷秀重の嫡男俊重がこの度元服を果たした。行盛と歳も近い。俊重、行盛の側に侍るように」


「はいッ」


 おっと新キャラ登場。

 ショタ受けしそうなビジュアル。


 でも、んん?

 須賀川四天王の守谷家って、確か二階堂家最後の戦いの最後の最後で、伊達家に寝返るんじゃなかったっけ。

 同じ東部衆の城代須田盛秀に信任され、須賀川城の西の守りを任されていた。

 にも関わらず、長禄寺の伽藍を完膚なきまでに焼き払って敵軍を城内に引き入れたのが、かく言う守谷俊重だ。


 ニコニコと無垢な笑いを見せてくるけど、なんか怖い。


「よし!では、評定を始める」


 父輝行の合図により、須賀川城の本丸屋敷の大広間で今月の評定が始まった。






「兄上。蘆名盛氏の息女がどうやら白河に輿入れするらしい」


 父輝行の弟である横田城主の横田義信が、重大な情報を持ってきた。


 横田氏は二階堂家一門が属するの西部衆の筆頭を務める。

 横田城は須賀川の西部に位置し、猪苗代湖南岸への街道筋を抑える要衝であった。

 会津の動向に耳をそば立て、情報収集に余念がない。


「なんと。それは真か。だが確か白河の結城晴綱殿には男子がいなかったはずだが」


「晴綱殿の年若い弟だそうだ。分家の小峰家を継いだ、確か義親という名の」


「して、輿入れは何時くらいになるのか」


「いや、それがさ。なんと来月とのことじゃ」


「それはまた!随分急じゃのう」


「蘆名四天の一人、松本図書助が急ぎこの話を取りまとめたと聞く」


 松本図書助。

 先々月に俺の元服式の使者として須賀川を訪れた後、白河の結城晴綱の下を訪れ、手早く婚姻外交を展開したか。

 来月にはもう蘆名盛氏の息女である鶴姫の輿入れとは。

 段取りが良すぎる。


「うーむ。秀行、そちはこの婚姻同盟、如何見る?」


 父輝行が東部衆筆頭の須田秀行に見解を求める。


「しからば。白河結城氏は四年前に蘆名と田村の戦さの和議の仲介役を務めておりまする。その時から互いに友好を深めていたとすれば、同盟を結ぶ下地は既に出来上がっていたのではないかと」


「うむ。だが何故今じゃ。それもこんなトントン拍子に」


「それは・・・」


「恐れながら申し上げます」


 須田盛秀が末席から声を挙げ、兄の秀行を助けた。


「常陸の佐竹氏が南郷を狙っているとの噂がありまする。最近は国境での小競り合いの数も増えているとのこと。白河結城氏としては、佐竹氏の北上に備えての婚姻同盟なのではないでしょうか」


「いやさ、会津と白河の位置関係を御覧じろ。この岩瀬を西と南で挟み討ちに出来まする。この同盟、我ら二階堂家を狙ったものに相違ございませぬ」


 盛秀の隣に座っている保土原行藤が異議を唱え始めた。

 それに行藤の父の保土原兵部が反論。


「控えい左近!新参が軽々しく発言するでないわ。蘆名とも結城とも天文の大乱から此の方もっぱら矛ではなく友誼を交えておる。どちらも先日の若殿の元服の折、丁重に進物を送ってきておるではないか。それは穿ち過ぎと言うものよ」


「ははは、父上はお甘い」


「左近、生意気に何を抜かす!」


 保土原父子のじゃれ合いに触発されたのか、他の評定衆たちも思い思いに発言し始める。

 ぎゃーぎゃー、ぎゃーぎゃーとなんとも収集が付かなくなってきた。


「皆さん、ちょっと待って下さーい!若殿のお話もーっ、きちんとーっ、聞いて下さーい!」


 良く通る甲高い少年の声が評定の間に飛び、皆の議論を制する。

 見れば、脇に控えている守谷俊重だ。

 

「さ、若殿。どうぞ」


 ニコー。

 天使のような笑顔で、準備が整いましたとばかりに発言を催促してくる俊重。

 もうこの僅かな時間で側近ヅラしてきてる。

 俺はお前が怖いぞ。


 むむぅ、おおそうじゃ、まだ若殿のお考えを伺っておらん、と重臣一同居住まいを正す。


 皆あっさり俊重に誘導されてるし。

 こいつ、謀略値が結構高そう。


「行盛、存念があれば言うてみよ」


 父上からも促されてしまった。


 仕方ない。

 考えはまだ十分にはまとまっていないが、自分なりに思う今後の二階堂家の在り方も含めて、この場で開陳しておこうか。






「源次郎と左近の考え、両方正しいと見るべきかと」


 まずは己の側近二人を立てる。


「ただ、蘆名と結城。共にあくまで今後に備えて、という思惑での同盟でしょうな。どちらかと言うと結城晴綱の方が緊迫度が高いやもしれませぬ」


 そして、自分なりのこの婚姻同盟の分析結果を父上に向けて言上。

 城中で耳目をそば立たせている皆にも聞こえるよう、声を張り上げる。


「蘆名盛氏からすると、目下の主敵は三春の田村隆顕とその田村家に従う二本松の畠山義国。白河の結城晴綱と盟を結ぶことにより、南会津方面の防備が不要になり、猪苗代湖の東方に戦力を集中可能になりまする」


「また、蘆名盛氏にとって、この同盟は我が二階堂家への今後の対応を睨んだものでもありましょう」


「我らは天文の大乱の折、蘆名家と同じく晴宗方に立ち、田村家をはじめとする稙宗方と戦いました。現在は中立とはいえ、どちらかと言えば蘆名寄り。そして伊達家との盟約もある為、蘆名盛氏も敢えて我らと敵対しようとはしますまい。恐らく結城家との同盟を出しに、田村家と戦う折に中立を維持するよう圧力に使ってくる程度かと」


「ただし、来る蘆名家との決戦に向けて、田村家が先に須賀川を併呑しようとしてきた場合は話が別になりましょう。田村家に取られる前に、と蘆名家も火事場泥棒のように攻め寄せてくることも十分に考えられまする」


「左近の申す通り、岩瀬郡は会津と白河の両面から圧迫可能な位置関係にありまする。結城家と同盟しておけば、二階堂家に対して友好と敵対の硬軟どちらの策も取りやすくなりましょう」


 蘆名盛氏の立場に立って考えると、会津から見て東方の安達の畠山家、三春の田村家、そして我が岩瀬の二階堂家を相手取るのに、結城晴綱以上に有効な同盟相手はいない。


 評定衆からは反論が上がってこない。

 では、続けては結城晴綱の立場に立って考えた分析結果だ。


「もう一方の結城家ですが、結城晴綱が蘆名盛氏との盟を結んだ理由は複数あると推察いたしまする。まずは源次郎の申す通り、常陸の佐竹家の北上を防ぐため」


「結城晴綱が佐竹家に抱く懸念は至極最もなもの。佐竹家の南郷への進出の動きは、相模の北条家の躍進に連動しており、決して止まることはありますまい。一昨年に関東管領の上杉憲政を越後に追い払い、昨年善徳寺の会盟で後背を固めた北条氏康は、下総を攻めて古河公方をも己が掌中に収めておりまする。北条家の勢力は武蔵のみならず上野と下総に拡大し、その影響力は下野と常陸にまで及び始めたとか」


「常州旗頭を標榜する佐竹家ではありまするが、常陸南部に大掾、江戸、小田、多賀谷、真壁らが割拠しているため、実質的な所領は常陸全土の五分の二を押さえる程度。強大な北条家に対抗する為にはもっと力がいり申そう。そして佐竹家は久慈郡の八溝金山を始めとする数多の鉱山から財を得ており、代々鉱山開発が得意な家柄。力を伸ばす先として、佐竹領の常陸奥七郡に隣接し、久慈郡と同様に金山が多く存在する白河領の南郷を選ぶは必定」


「この佐竹家の北方への勢力拡大に、結城晴綱一人で抗うのは到底困難でありましょう。近隣友邦の助けがいりまする。しかしながら、隣国の下野は宇都宮家の家宰の芳賀高定が有力諸侯を暗殺しまくりで、到底それどころではない。磐城郡の岩城重隆は、その息女が佐竹家当主の第十七代義昭の正室なため、盟を結ぶ相手としては論外。石川郡の石川晴光ではあまりに領地が小さく、寡兵に過ぎる」


「そして我が岩瀬郡の二階堂家はかつて白河結城と激しく争った間柄。天文元年には我が烏帽子親の須田の爺に兄の結城刀之助を討ち取られており、結城晴綱にとって言わば仇。現時点では明確な敵対関係にはないものの、いつ戦さになってもおかしくない相手でござりまする。結城晴綱が縋り付ける相手としては、つまるところ会津の蘆名盛氏しかいなかったと言えますな」


 うーん、位置関係を説明するのにやっぱり地図がいるな。

 不便だ。


 評定用にでっかい紙に地図を書きたい。

 けど大きい紙は高価だし。

 板とかに描こうか。

 楯とか丁度良いサイズかも。


 よし、次の評定までに用意しよう。


 あとは、そうだな。

 地政学的な観点だけでなく、もう一つの同盟の理由でもある人情面での必然性も説明しとこう。


「皆も知っているとおり、結城晴綱には我らが親しくしている伊達家と浅からぬ因縁がありまする。晴宗伯父上の正室久保姫様は結城晴綱の元許嫁であり、結城晴綱は花嫁を強奪された当人。晴宗伯父上のみならず、伊達家に道を貸した我が二階堂に対しても思うところがあるのは当然。先の天文の大乱でも、伯父上方に付きながらも積極的な動きを見せず仕舞いであったと聞きまする」


「その恋仇と許嫁が側室も取らずに睦み合ってポコポコと子をこさえ、その子らの一人である鶴千代丸殿は今や岩城親隆として岩城家次期当主。更に次は南姫の我が二階堂家への輿入れが決まっておりまする。己の隣国にこれ見よがしにネトラレた証を配されるとなると、結城晴綱も正直面白くありますまい。近年伊達家から自立し、独自に勢力を蓄えようと仙道筋への進出を目論んでいる蘆名家を、南方から強く支援したいという思惑も当然働いているはず」


 嫁ぐ前なので厳密にはネトラレじゃないけど。

 当時の彼の心情を思いやると、男として同情を禁じ得ない。

 奥州一の美少女が嫁いでくると心踊らせ、結城晴綱はウッキウキだったに違いない。


 あ、ネトラレって言っても皆には分からないかも。

 まぁニュアンスは伝わるだろうから、いいか。


 長々と喋ってしまったが、結論に進む。


「この会津と白河の同盟。我が二階堂家にとって禍となるか福となるか。この行盛が見るところ、福の方が大きいかと。この盟約により、佐竹家の北進をある程度食い止めることが出来ましょう」


「常陸北部の太田を中心とした奥七郡を治める佐竹家は、新羅三郎義光を祖とする源氏の名門。源義光は後三年の役で出羽の清原氏を打倒して名を高めておりまする。さらに佐竹家始祖の佐竹昌義は、正室として奥州藤原氏の初代清衡の娘を迎えており、奥羽との繋がりが特段に深かった武家と言えましょう。現在に至るまで鉱山開発に力を入れているのも、砂金堀りが盛んで平泉に金色堂まで建立した奥州藤原氏から技術を導入したからに相違ありませぬ」


「佐竹家の奥羽にかける意気込みはひとかたならず。奥州探題の大崎家や陸奥守護の伊達家よりも、我ら佐竹家こそが奥羽を統べるに相応しい武家と思っておりましょう。その佐竹家が南郷を手に入れて力を付けてしまったならば。奥州の覇権を争う大戦さを伊達家と繰り広げることになるは必定。現在伊達家と盟を結ぶ二階堂家としては、絶対に避けたい事態となりまする。そこで我が二階堂家が取るべき方策は」


「蘆名結城連合に佐竹の北上対策に専念して頂く為に、我らで田村畠山連合の力を削ぐ」


「我らが田村に優勢なうちは、蘆名も岩瀬に手は出して来ますまい。蘆名が動かねば結城も動けませぬ。田村と畠山の所領を合わせるとおよそ十万貫(二十万石)。その四分の一の程度の所領しかない我らが互角以上に戦うには、伊達家の協力を得ることはもちろんのこと、我ら自身も力を付けることが肝要。弓胎弓も完成に近付きつつあり、椎茸の量産にも目処が立ち申した。戦さに備えて、富を蓄え、武具を磨き、兵を鍛え、調略の隙を探る。当面我らがすべきことはそれでありましょう」


 ふぅー。

 こんなとこかな。

 なんか至極ありきたりな結論になってしまった。


 結局途中で反論も何も無く、誰も発言してこなかったけど。


 これで良いんだよね、と傍の守谷俊重の顔をそっと確認。


 なんだよそのドン引きした顔!

 お前が振ってきたんじゃねーか!


「皆、わかったな。行盛の考えを今後の二階堂家の指針とする」


 厳かに父上が宣言。


「「「ははー!」」」


 平伏する二階堂一門と重臣一同。


 あ、あれ?

 評定ってこれで終わりなのかよ。






<1555年 08月某日>


 一昨日の事になるが、朝方にドンッと大きな縦揺れが来て飛び起きた。

 縦揺れだったので震源は近かったはず。


 この三日間、朝から晩まで側近たちを引き連れ、領内に被害がないか巡検に勤しんでいる。

 幸いにして岩瀬郡の被害は軽微で済んでいるようであった。


「若殿。横田城から早馬が参ったそうですよ。なんでも今回の地震、会津での被害が大きかったみたいです」


 城に戻って足を洗っていると、守谷俊重がささっと側に寄って来た。

 そして、たった今得てきたらしい情報を報告してくる。


「火が出て、会津市中が丸焼けになるほどの大火になったとか」


 大変ですねーと、全然大変そうに思ってない顔の俊重。


 震源地は会津か。

 余震か本震か。

 どちらにせよ五十年後の慶長会津地震と関連してそう。


「蘆名盛氏が黒川城の蔵を開けて、焼け出された人々に米を配っているそうです。これでまた盛氏は名君と謳われますねー」


「俊重、少し黙っておれ!」


 あ、源次郎に怒られてやんの。


 とにかくだ。

 民に死者が多く出ているであろう、西方の会津に向かって祈ろう。






<1555年 12月>


 このところ立て続けに大きいニュースが飛び込んで来ている。


 まずは改元である。

 天文二十四年十月二十三日に改元が行われ、時代は天文から弘治に進んだ。

 日ノ本を覆う戦乱の災異を払うための改元であった。


 その戦乱。

 弘治に代わる直前に西と東で大きな戦いが一つづつあった。


 一つは暴風雨の中で行われたという厳島の戦い。

 天文二十四年十月一日、安芸の毛利元就が陶晴賢率いる大内勢を厳島で撃破。

 大軍を率いる陶晴賢を寡兵で討ち取る劇的な勝利を上げる。

 今頃毛利軍は勢いに乗って大内領に攻め込んでいることだろう。


 もう一つは、二年ぶり二回目の川中島の戦い。

 一回目と異なり武田晴信は退かず、かと言って長尾景虎の挑発に乗って決戦を仕掛けるでもなく、犀川を挟んでの長対陣となる。

 武田晴信と長尾景虎の両雄の不毛な我慢比べは約二百日にも及び、両軍疲弊の末、天文二十四年閏十月十五日に和睦成立。

 互いに得るところ少なく軍を引いたと言う。


 そして、この奥羽では改元と共に驚きの知らせが飛び交った。

 伊達晴宗の奥州探題に補任の通達であった。






「先触れが参りました。もうすぐ殿が米沢より戻られまする」


「あいわかった。大手門まで迎えに参ろう」


 源次郎の知らせを受け、筆を置く。


 先日の伊達晴宗の奥州探題就任式。

 奥州の諸将を集めて米沢で盛大に行われたという。

 父輝行も式に参列するため、北方の郡山城を領する田村方の伊東氏と二本松の畠山氏に通行料を払い、米沢に赴いていた。


 任じたのは朽木谷の仮幕府ではあったが、これにより奥州での伊達家の覇権が中央権力によって追認された。

 叔父の伊達晴宗にとっては、まさしく一世一代の晴れ舞台であろう。


 自分も出席したかったが、流石にそれは無理なのは承知している。

 大人しく留守番を務め、今年数えで四歳になる弟の観音丸の相手をしながら、父上不在の須賀川城を差配。

 いずれは来るであろう代替わりに備え、城主としての経験を積むことを優先していた。

 それでも、もし米沢に行けていたらと、今も悔しい気持ちが残る。


 伊達輝宗殿に会えたやもしれぬ。

 許嫁の南姫の顔も見れただろう。

 著名な伊達家臣団と触れ合える機会などそうそう無い。

 鬼庭左月斎もまだバリバリ現役のはず。

 そして祖父の伊達稙宗は式に参加したのだろうか。


 そんなことをツラツラ考えながら移動すると、タイミング良く父上の帰還に間に合った。


「お帰りなさいませ、父上。米沢は如何でしたでしょうや」


 下馬する父上を手伝いながら質問。


「行盛、ワシが不在な間何事も無かったか」


「特筆すべきことは何も。しいて言えば、養蚕の実験結果が上がってきておりまする。なかなか順調のようです」


「それは重畳。そうじゃ米沢の。随分と賑やかであったぞ。流石奥州筆頭大名の本拠地であった。城も屋敷も見事なものじゃ」


 天文の大乱が静まり、伊達晴宗が米沢に移ってから早七年。

 米沢の発展は眼を見張るものがあったようだ。


 続いて式次第や、祖父の伊達稙宗、そして探題職を奪われた大崎義直の様子を尋ねようとするも、続く父輝行の言葉で全てがすっ飛んだ。


「それでの行盛!南姫の輿入れじゃが、半年後に決まったぞ。今巴とはあのような姫を指す言葉じゃの。凄かったわ!」


 はい???






<年表>

1555年 二階堂竜王丸→二階堂行盛(11歳)


01月

☆尾張で織田信長(21歳)の側室吉乃(27歳)が、信長の長男の奇妙丸を出産。

◆甲斐の武田晴信(34歳)、甲相駿三国同盟に従い、娘の梅姫(12歳)を相模の北条氏政(17歳)に嫁す。


02月

★近衛晴嗣(19歳)、従一位に昇叙。近衛前嗣に改名。

▽薩摩の島津貴久(41歳)、西大隅の帖佐平佐城を攻略。

▶︎︎土佐の本山茂宗(47歳)死去。嫡男で長宗我部国親(51歳)の娘婿である茂辰(30歳)が家督を継ぐ。

■米沢で伊達晴宗の正室の久保姫(34歳)が懐妊。


03月

◆越後の長尾景虎(25歳)、中越で反乱を起こした北条高広(38歳)を降す。

▼横手の小野寺輝道(21歳)、軍師の八柏道為(35歳)の尽力で父の仇の大和田光盛を討つ。

◆下野の芳賀高定(35歳)、宇都宮家に敵対する芳賀高照(34歳)を真岡城で暗殺。


04月

▷周防の陶晴賢(35歳)、毛利元就(58歳)の謀略により江良房栄(40歳)を誅殺。

◆下野の芳賀高定(35歳)、宇都宮城を占拠する壬生綱房(76歳)を暗殺。壬生綱雄(38歳)が壬生家4代目当主となる。

☆駿河で松平竹千代(12歳)元服。松平元信を名乗る。

◆下野で宇都宮伊勢寿丸(11歳)元服。宇都宮広綱を名乗る。

■米沢で伊達晴宗(35歳)の嫡男彦太郎(11歳)元服。伊達輝宗を名乗る。

◎須賀川で二階堂輝行(48歳)の嫡男竜王丸元服。二階堂行盛を名乗る。


05月

◆甲斐の武田晴信(34歳)と越後の長尾景虎(25歳)、共に川中島に兵を進める。第二次川中島の戦い開始。

☆尾張の織田信長(21歳)、尾張下四郡守護代の織田信友(39歳)を攻め滅ぼす。清洲城を占拠。

▼登米の葛西晴胤(58歳)死去。葛西親信(42歳)が家督を継ぐ。


06月

▼会津の蘆名盛氏(34歳)、息女の鶴姫(10歳)を白河結城一族の小峰義親(14歳)に嫁す。蘆名白河同盟成立。


07月

☆遠江の井伊谷に井伊亀之丞(19歳)帰還。元服して井伊直親を名乗る。


08月

◆川中島で長尾景虎(25歳)が犀川を渡って攻撃を仕掛けるも、武田晴信(34歳)が一歩も引かず戦線膠着。

▲会津で地震と大火発生。

☆越前の朝倉宗滴(79歳)、加賀一向一揆を攻める。


09月

▽肥後の相良晴広(42歳)病死。相良万満丸(11歳)、相良家第18代を継いで人吉城主となる。

☆越前で朝倉宗滴(79歳)病死。朝倉家で第11代当主の朝倉義景(22歳)による親政開始。

■米沢で伊達晴宗の六男彦十郎(後の伊達直宗)誕生。


10月

▷安芸の毛利元就(58歳)、村上水軍の村上武吉(22歳)を一日だけ味方に付け、厳島の戦いで陶晴賢(35歳)を破る。

▷安芸の毛利元就(58歳)、防長経略開始。


11月

◆駿河の今川義元(36歳)の仲介によって甲越両軍和睦。約2百日の対陣を終え、第二次川中島の戦い終結。

★年号が「弘治」に改められる。

☆駿河で今川義元(36歳)の軍師太原雪斎(59歳)死去。


12月

■米沢の伊達晴宗(35歳)、足利幕府より奥州探題に補任される。

◎須賀川の二階堂輝行(48歳)、米沢訪問。伊達晴宗(35歳)の奥州探題職就任式に列席。

◆甲斐の武田晴信(34歳)、木曽福島城を攻めて木曽義康(41歳)を従える。木曽義昌(15歳)に真理姫を嫁す。

◆甲斐の武田晴信(34歳)の側室の諏訪御料人(25歳)死去。

☆美濃の斎藤義龍(28歳)、稲葉山城に弟の孫四郎と喜平次を呼び寄せて斬殺。斎藤道三(61歳)に叛旗を翻す。


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▲天変地異

◎二階堂

◇吉次

■伊達

▼奥羽

◆関東甲信越

☆北陸中部東海

★近畿

▷山陰山陽

▶︎︎四国

▽九州


<同盟情報[南奥 1555年末]>

- 伊達晴宗・岩城重隆

- 蘆名盛氏・結城晴綱

- 田村隆顕・相馬盛胤・畠山義国


挿絵(By みてみん)


須賀川二階堂家 勢力範囲 合計 5万1千石

・奥州 岩瀬郡 5万1千石

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