1590-5 釜茹
<1590年 9月上旬>
鎌倉を発つ豊臣秀吉を、豊臣秀次や伊達政宗らと共に見送る。
「秀次よ。儂は京で天下一統を寿ぐ大茶会の準備をせねばならぬ。奥羽の地の視察は、そちに任せたぞ」
「ははっ。叔父上、お任せあれ」
小田原征伐を終えた豊臣秀吉が、会津まで足を伸ばすことは無かった。
長宗我部信親をはじめとする西国諸将を引き連れて、急ぎ上方に帰っていく。
史実と異なり奥羽全域が伊達家の完全な勢力圏となっているため、万が一の事態を恐れたのだ。
この世界線では北野大茶湯は未開催だ。
小牧長久手の戦いが半年延び、九州平定と徳川家康の豊臣政権への帰順の順番が入れ替わった影響である。
まぁ、茶会を理由に面倒で危険な奥羽の視察は甥の豊臣秀次に任せ、可愛い我が子の鶴松の顔を見るのを優先したとも言える。
なお、徳川家康は既に鎌倉にはいない。
江戸を目指して出立しており、今ごろ江戸城に初めて入っていることだろう。
豊臣秀吉の軍勢を見送った後、伊達政宗が豊臣秀次を促す。
「さて秀次殿、我らも参りましょう。仙台までの道案内を仕る」
「うむ。よろしく頼むぞ陸奥守」
伊達政宗の号令で、我ら奥羽鎮守府軍も矛を収めて奥州街道で帰路につく。
進軍は輝宗殿の遺骨を先頭に厳かに行われる。
多くの民たちが沿道に駆けつけ、偉大な王の死に涙した。
各街道の分かれ道ごとに諸将が離脱し、自領へと帰っていく。
我ら二階堂家の軍勢も、宇都宮と須賀川でそれぞれ下野と仙道筋の将兵を解散。
しかし、奥羽視察の豊臣秀次と浅野長政らの相手をする為、俺はそのまま仙台まで伊達政宗に同行だ。
仙台に到着して二階堂屋敷に入った俺は、まずは我が妻の南御前に対面する。
そして今回の小田原征伐の顛末と、今後の身の振り方の説明を行う。
「すまぬ。輝宗殿を守れなんだ」
「・・・それで夫殿は人質同然で京に上るわけか」
「うむ。妻殿も共に参らぬか」
「断る」
あっさり振られてしまった。
「私ももう五十ぞ。足手まといになろう。京での身の回りの世話はあの女にさせよ。業腹だがな」
上方での人脈を考えれば、俺が吉次を連れて行かないはずがないとの判断であった。
吉次を側に置いてから二十余年。
未だに馴れ合うつもりの一切無い南御前のその姿勢には恐れ入る。
「私は再び須賀川に居を移そうと思う。そこで麒麟丸らを見守る。そなたは京で存分に暴れてくるがよい」
盛隆と事前に相談し、俺が上洛して麒麟丸が元服した後、二階堂家は本拠を宇都宮に移すことが決まっている。
当主の盛隆が俺の代わりに宇都宮に入り、元服した麒麟丸が須賀川城主となる。
となれば、南御前が須賀川に居てくれるのは何かと心強いのは確かだ。
「で、戻れるのは何年後になりそうだ?」
「さて、今後の上方の動き次第になるが。十年はかかるまい」
朝鮮出兵を避けられれば、秀吉が没するはずの八年後には自由の身になれるはず。
「長いな」
「手紙は欠かさず書く」
そうか、と頷くも心持ち寂しげな様子の南御前をそっと抱き寄せた。
<1590年 10月上旬>
幾重にも重なる読経の音色が、仙台の紅く染まり始めた木々の間に響く。
輝宗殿の百日法要が盛大に営まれている。
北山五山の一角、覚範寺の墓に遺骨は収まった。
覚範寺殿性山受心大居士。
輝宗殿の戒名だ。
性山公と諡号す。
奥羽鎮守府の文武百官が参列する中、豊臣秀吉の名代として近江宰相の豊臣秀次の姿もあった。
喪主の伊達政宗自らが相手をしている。
豊臣秀次が仙台に滞在して既に半月になるが、仙台到着時にはだいぶ驚いた表情を見せていたのが印象に残る。
草深い辺鄙な奥州に、上下水道が完備された清潔な大都市が突如現れ、そこに十五万近くの民が暮らしている光景を見れば当然だろう。
青葉山に築かれた大城郭の仙台城の豪壮な姿と相まって、伊達家侮り難しの印象を与えられたと思う。
豊臣秀次は伊達政宗の一歳歳下の二十三歳。
豊臣家の不手際で父を失って憤懣やる方ない政宗であろうが、豊臣秀次は豊臣政権の重鎮だ。
同年代の気安さを利用し、豊臣秀次への接近を計っているようである。
豊臣秀次を利用して中央に食い込もうと、その内心は野望で激っているに違いあるまい。
今は法事に集った伊達家の一門の面々を豊臣秀次に紹介中だ。
「これは我が妹の杏、従姉妹の駒で御座る。ほれ、お前たち挨拶せよ」
「杏にございます」
「駒にございます」
杏姫は十三歳、駒姫は十歳になる。
「ほう、これはなんとも可愛らしい姫御たちじゃ」
秀次がやに下がった顔を見せている。
まずいな。
本来ならば奥向きの事は母親の最上御前が政宗の勝手を許さないであろうが、今は既に奥に下がっており、この場には不在であった。
最上御前の父親である最上義守は、小田原征伐の最中に山形で病没している。
さらにその一週間後に最愛の夫である輝宗殿暗殺の訃報が重なり、さしもの最上御前も卒倒。
悲嘆に暮れて過ごす日々を送っていると聞くが、確かに本日も体調が思わしくない様子であった。
豊臣秀次の女好きは、叔父である豊臣秀吉の比ではない。
三十人近くの妻妾を抱えていたはず。
放っておくと杏姫や駒姫を掻っ攫われかねない。
杏姫は我が孫の麒麟丸の許嫁だ。
釘を刺しておかねば。
しかし、身を乗り出そうとしたタイミングで、婿の伊達成実に呼び止められてしまう。
「義父上、ご相談があり申す」
どうやら、この法要が終わった後に予定している越後進駐について助言が欲しいらしい。
伊達成実だが、越後進駐軍の総大将に任じられていた。
彼の父の伊達実元が越後上杉家の血縁であることが考慮されての人選である。
なお我が二階堂家からは、小山受領や成田家中の受け入れで何かと忙しい盛隆に代わって、次男の盛行が副将格で出兵する予定であった。
仕方ないので付き合ってやる。
今の今まで上杉家が治めていた越後の地。
対応を誤れば、史実の葛西大崎一揆や九戸政実の乱のような戦さが越後で起こるだろう。
その点を伊達成実も懸念していた。
「越後の民の人心を得る、何か良い方法はありますまいか」
豊臣秀吉に介入の口実は与えたくない。
スマートな占領を心掛けねばならなかった。
少し考えて、史実では後年起こるはずの細川忠利の肥後入部方式を提案してみる。
「上杉謙信公の霊位を行列の先頭に掲げて入国し、春日山城に入る際には林泉寺に向かって遥拝すべし。謙信公を敬う態度を見せれば、越後の国衆も自ずと婿殿に付き従おうよ」
その上で上杉家家臣や越後国人を多く召抱えるよう助言。
「直江信綱は必ず召し抱えるべきであろう。俺からも手紙を送って説得しておこう」
この世界線では、直江信綱は毛利秀広に殺害されていない。
直江景綱の娘であるお船とは離別しておらず、未だ上杉家の家宰を務めている。
広い越後を統治する上で、その力は絶対に必要だ。
旧知の仲ではある。
必ず口説き落としてみせる。
ただ、あまり心配はしていない。
越後は気の荒い国人衆の多い、尚武の気風の国である。
伊達成実はその兜の毛虫の前立で示すとおり、戦場で決して後ろに退かない気構えを第一とする男だ。
相性は良いはず。
伊達成実であれば、必ずや越後を御することが出来よう。
それに盛行もいる。
物腰が柔らかく何事も如才なくこなす盛行であれば、伊達成実を上手くサポートしてくれるはずだ。
甲斐姫が娘の阿忍を産んだばかりとなり、盛行も仙台を離れ難いであろうが、そこは我慢してもらうしかない。
<1590年 10月下旬>
明日、奥羽検地を終えた(と言っても奥羽鎮守府の検地台帳の正確さに驚愕しただけの)豊臣秀次に付き従い、京に向けて仙台を出立する。
越後に出征した伊達成実と盛行らの軍勢を見送った後は、関係各所への挨拶回りに勤しむ日々を送っていたが、最後にやらねばならない事があった。
片倉邸に向かう。
約束の刻限であったが、まだ片倉景綱は不在であった。
部屋に通されて片倉景綱が政務を終えて帰宅するのを待つ間、片倉家の郎従が緊張した様子で俺を見張っている。
関東出征中に二階堂盛義を上方に追放する策謀を巡らしたのは、伊達政宗の軍師である片倉景綱。
故にくだんの二階堂盛義は片倉景綱に怨みを抱いているらしい。
それが最近仙台で流布されている噂であった。
つまり俺と片倉景綱は政敵同士と目されているわけだ。
片倉家の郎従が警戒するのもわからないではない。
しばらくすると、片倉景綱の正室の矢内重定の娘が、嫡男の弥左衛門を連れて現れた。
狼狽する郎従たちを叱りつけ、まだ幼い弥左衛門を俺の前に座らせ、挨拶するよう命じる。
さすがは片倉景綱の妻であった。
弥左衛門は数え年で六歳。
後の片倉重長、二代目片倉小十郎である。
「さもんにございます」
「二階堂盛義である。よう挨拶できた。菓子を使わそう」
袖から取り出した小袋を開き、中に入っている金平糖を一粒口に放り込んだ後、小袋ごと残り全てを弥左衛門に与える。
この片倉重長には誕生時に一つの逸話がある。
主君である政宗に子が無いのを憚った片倉景綱が、妻の懐妊を知って堕胎させようとしたという。
ショックを受けた妻は義姉にあたる喜多に泣き付き、愛姫のお付きだった喜多の口から伊達政宗の耳にその一件が伝わった。
伊達政宗が慌てて手紙で片倉景綱を嗜めたため、片倉重長は助かったのだ。
俺が後見役を務める愛姫から聞いた話によると、どうやら真実らしい。
そういえば俺の傅役の源次郎こと須田盛秀も、今は小福者だがお冴との間になかなか子供を作ろうとしなかった。
同じ忠臣タイプの武将は思考回路も似通うようだ。
それはさておき、片倉景綱も、この片倉重長も、そしてその次代も。
片倉家は代々小十郎の字名を引き継ぎ、伊達家に忠節を尽くし続ける血統である。
だからこそ、ここに来た。
片倉景綱の妻を呼び止め、夫の酒量を減らすよう強く諭しておく。
今はまだ三十代前半でスラリとした体型を維持しているが、史実の片倉景綱は関ヶ原の戦い時点で大層肥満していたと伝わる。
普通の鎧を着るのも辛そうな片倉景綱を見かねて、伊達政宗がわざわざ軽装な鎧を作って下賜したほどだ。
片倉景綱は大阪の陣の翌年に亡くなるが、酒の飲み過ぎによる糖尿病が彼の死因と思われた。
アクの強い主君を支えるストレスや、軍師としての根回しの為の酒席の多さが、酒量に直に反映されてしまうのだろう。
だが、彼には史実以上に長生きしてもらわねば困る。
「遅くなり申した」
そうこうする間に、片倉景綱当人がやってくる。
遅刻を恐縮しているが、政宗の腹心である片倉景綱の激務は承知している。
謝罪を軽く流し、いきなり本題に入る。
「大した用事ではない。そなたにこれを託したくてな」
袋に入れた太刀を片倉景綱の目の前にドンと置く。
「これは・・・」
「直山公に仕えた小梁川宗朝殿より貰ったものよ。宗朝殿は将軍足利義晴から拝領したこの剣に、己の主人の敵を全て斬ると誓っていたそうな」
もう四半世紀も前の話になる。
「自分も同じように誓ったが、結局果たせなんだ。最早この太刀を帯びる資格も無し。せめてそなたに引き継ぎたいと思うての」
この太刀は伊達家当主を最も側で支え続ける者が持つべき剣。
であれば譲渡先は、伊達政宗の第一の重臣である片倉景綱、そしてその息子の片倉重長が最も相応しかろう。
伊達家を頼む。
この気持ちは伝わったようだ。
「謹んで拝領奉る」
片倉景綱は普段は冷徹なその眼差しを熱く激らせ、俺の差し出した太刀を受け取ってくれた。
これで一つ肩の荷が降りた。
次いでという訳ではないが、片倉邸を辞する際、見送りの片倉景綱にもう一つの厄介事も振っておく。
「明日は輝宗殿の月命日。もし墓前で割腹しようとする者があれば、十万億土とやらにいる左月斎殿が嚇怒するであろうよ。殿のお供は儂一人で十分じゃとな」
ハッとする片倉景綱。
すでに伊達政宗は家中に殉死の禁令を出してあった。
先日の百日法要も無事に営まれている。
そのため家中に油断もあるのだろう。
だが史実の遠藤基信は、葬儀の後の中陰に人知れず輝宗殿の墓前で果てている。
この世界線で違う選択をするとは思えない。
納骨後の初めての月命日ともなれば、特に注意すべきであった。
そうでなくとも、明日は豊臣秀次と浅野長政らの上方の軍勢が、ようやく仙台を去る日となる。
衆目はそちらの出立式に集まり、北山五山の警備も薄くなろう。
伊達政宗の側近足るべく片倉景綱を教育したのは遠藤基信である。
妻である矢内重定の娘を紹介したのも遠藤基信だ。
その大恩ある遠藤基信をみすみす死なせるような愚は、片倉景綱も犯すまい。
「ご助言、感謝いたしまする」
門前で深く礼する片倉景綱に対し、何程でもないと手を振って片倉邸を立ち去る。
背中で感じるに、俺の姿が見えなくなるまで、片倉景綱は頭を下げ続けているようである。
律儀なことだ。
<1590年 11月上旬>
妻の南御前との別れを惜しみつつ、豊臣秀次の軍勢に帯同して仙台を出立。
道中の須賀川で短い時間ながら麒麟丸をはじめとする孫や姪たちの顔を堪能し、白河を経由して宇都宮に至る。
なお既に吉次は白河で商隊を組織し、栄丸を連れて上方に向かっている。
吉次たちと合流するのは、俺が京で豊臣秀吉に拝謁してからとなろう。
そして今、まさに宇都宮城を出立しようとしている場面となるのだが。
いろいろとツッコミどころ満載な状況となっていた。
漆黒の巨馬に乗って朱槍を肩に掛けた前田利益が、なぜか二階堂家の隊列に堂々と混じっている。
「・・・何故そなたがここにおる。壬生の所領はどうするつもりだ」
「昨日息子の虎太郎が元服しましてね。良い機会なので家督も譲ってしまいました。あー、もちろん盛隆殿の許可は取っていますよ」
烏帽子親は奥村永福。
数え年八歳の壬生前田家当主、前田正虎の誕生である。
この前田利益という男。
俺に着いて行きたくて、面倒な領主としての責務を幼い息子に全部肩代わりさせやがったのだ。
そして、屈強な前田利益を俺の護衛役に据えたい盛隆や奥村永福らが、その思惑に乗っていた。
つまり我が養女で元くの一の母親、阿蛍が実質的に壬生四万石を取り仕切る女城主とならざるを得ない。
頭が痛いわ。
「それにそなたのことだ。おおかた末期のまぐわいとでも称し、昨夜も阿蛍とねんごろだったのではないか?また子が出来たら如何する」
既に正虎も含めて三人子供を作っているが、阿蛍はまだ29歳。
女盛りであり、そもそもこの世界の特色として、くの一キャラの美貌と色香は凄まじいものがある。
前田利益が滾るのもわからなくはないが、阿蛍は元々が武家の娘と言えど、流石に身籠った状態での領地経営は無理がある。
「心配ご無用。正虎の補佐役にちょうど良い浪人がおったので、五千石で雇っておきました」
「誰だそれは」
「真田信尹という者です。思うところあって徳川家を出奔して参ったそうで」
「真田昌幸殿の弟御ではないかっ」
思わずツッコミを入れてしまう。
史実の真田信尹は徳川家を辞した後、会津に転封した蒲生家に仕官している。
それが今回の前田利益の稚気によって、我が二階堂家に置き換わった形となる。
小田原征伐の戦功への褒賞に不満があったという話だが、眉唾ものであった。
徳川家康の命を受け、徳川家の北面に位置する我が二階堂家に潜入を図ったと考えるのが普通だ。
その証拠に徳川家からの奉公構えは出ていない。
と言っても、真田信尹は元々が真田家の間諜なのだから、二重スパイが送り込まれてきたことになる。
二階堂家の所領である南会津と日光は、真田家の沼田領と隣接している。
上杉家が潰れた今、真田昌幸としても、近隣の大勢力である二階堂家の動向は逐一把握しておきたいところなのだろう。
「そなた、わかっていて雇ったな」
「今からでも追い出しますかな?」
ニヤリと笑って見せる前田利益。
元が甲賀忍びの出と伝わる滝川一族に連なる彼にとっては、真田信尹の面従腹背程度の謀略など日常茶飯事なのだろう。
ううむ。
真田信尹が優秀な人材なのは確かだ。
いずれ隣国の真田家と連携する機会があれば重宝するはず。
真田家好きな前田利益の思惑に乗るのは癪だが、ここは抱えておくべき武将であった。
<1590年 12月上旬>
二階堂盛義としての人生で、初めての上洛を遂げる。
宿泊所として充てがわれた妙覚寺に入り、豊臣秀吉への拝謁を待つ。
小田原征伐を終えて京に凱旋した豊臣秀吉は、天下一統を記念しての大茶会を北野天満宮で開いている。
天下人の威光なのか、先年の聚楽第落首事件の過酷な刑罰の影響なのか。
茶会開催のお触れに従って畿内の多くの民が北野天満宮に集まり、史実に反して事のほか大盛況に終わったようだ。
その後も豊臣秀吉は多忙な日々を送っているようで、お呼びはなかなか掛からない。
この時代の京都を散策する良い機会を得たと考え、ゆったりと構えておく。
朝食の後に白湯を飲んでいると、前田利益が情報を仕入れてくる。
「関白殿ですが、朝鮮からの服属の使者に会われるようで」
「ああ、ただの慶賀の使節のあれか」
俺の漏らした一言に耳聡く反応する前田利益。
「慶賀?朝鮮国王の入朝を伝える先触れという扱いだったんですがね」
前田利益の情報源は関白に近い前田家の京屋敷のようだ。
適当に誤魔化しておく。
「朝鮮は明を宗主国と仰ぐ国。少し脅された程度で他国に屈するなどあり得ぬ話よ。おおかた、朝鮮と日本の板挟みとなって窮した対馬の宗義智が、降伏の使者と偽って報告しているのであろうよ」
朝鮮国王の入朝を斡旋するよう豊臣秀吉に命じられた宗義智が、舅の小西行長に相談して生じた詐術の結果だ。
実態は、日本統一を慶賀する名目で李氏朝鮮に派遣してもらった、ただの通信使に過ぎない。
結局小西行長は、唐入り決行の直前で李氏朝鮮側が心変わりしたと報告を上げて、有耶無耶に誤魔化してしまったはず。
ただ、今ここでその真実を豊臣秀吉に訴えても、世の流れは変わらないだろう。
逆に唐入りが早まってしまう危険性があり、迂闊には手が出せない事案であった。
それはさておき、今日も豊臣秀吉の呼び出しが無いのは都合が良い。
吉次の話によれば、奥州屋の大阪支店を任せてある吉乃が、本日京都支店に顔を出すそうだ。
久しぶりに我が娘の顔が見れる。
五年ぶりだ。
さっそく京都支店に向かおう。
寒空ながら、京の奥州屋はひどく繁盛していた。
店の中で吉乃が来るのを待たせてもらう。
奉公人たちの中には白河からの商隊に加わっていた者も幾人かおり、俺の正体はバレバレであったが、お忍びという態で黙らせる。
出された茶を啜りながら忙しく奉公人たちが働く様を見物していると、やたら背が高くワイルドな風貌の男が暖簾を潜って店に入って来た。
「吉乃はいるかい?」
気安く奉公人に声を掛けるその男。
「もうすぐお見えになるはずです」
「じゃ、待たせてもらうか。俺にも茶をもらえる?」
奉公人たちとは顔見知りなようだ。
ドカリと俺の隣に腰を下ろす。
歳の頃は二十代半ば。
髪は結っておらず、出立ちは派手。
かぶき者の走りであろうか。
ガタイは引き締まっており、泰然自若ながら隙はない。
決して只者ではなかろう。
吉乃に用があるようだが、何者だ?
瞳を戦闘モードに切り替え、茶を啜りながらそっと男を観察し、
「ぶっーーー」
思わず口に含んでいた茶を吹いてしまった。
男の体力ゲージの上部。
そこになんと『石川五右衛門』の名前が燦然と輝いていたのである。
「うわっ、汚ねぇなっ、おっさん!」
俺の噴霧を避けて五右衛門が飛び退く。
その飛び退いた先の店先に、人影が一つ現れる。
「ふー、やっぱり京の冬は寒いわね。あら父様?五右衛門さんも」
我が娘の吉乃であった。
二十歳になった吉乃は垢抜けてやたら綺麗になっていた。
しかし、それどころではない。
「ちょうど良かった。父様。こちら石川五右衛門さん。私の好い人なの」
五右衛門の腕にその繊手を絡めて紹介してくる吉乃。
な、なんだ、と?
さらに追撃してくる吉乃。
「あの、ちょっと順番が逆になっちゃったけど、お腹の中にはもう、この人のやや子が宿っているわ」
「お、おい。本当かよっ」
五右衛門も知らなかったようだ。
それは驚きだねっ。
って違う!
「か、釜茹で。釜、茹で・・・」
呆然と呟く。
京の街を荒らし回った怪盗石川五右衛門。
最後は豊臣秀吉の放った追手に捕まり、親族はみな磔にされ、五右衛門本人は幼い息子の五郎市と共に釜茹でにされてしまった。
その五郎市が俺の、孫!?
上洛した俺の前に唐突に現れた新たな試練。
それは孫の釜茹で、娘の磔刑の回避という、豊臣政権相手の難ミッションであった。
子育ても放任主義が過ぎると後々大変な事になる。
いわんやそれが年頃の娘となれば、だ。
二階堂家と伊達家の隆盛にばかりに気を取られてきたツケが今、新たなるスタートを切ったばかりの俺に襲い掛かってきた。
〜 第十章完 〜
<年表>
【釜茹】1590年 二階堂盛義 46歳
01月
★大阪の豊臣秀吉(53歳)、徳川家康(47歳)に上洛を要請。津田盛月(56歳)と富田一伯(46歳)に三枚橋城の整備を命じる。北条氏直(28歳)に宣戦布告。
◆相模の北条氏直(28歳)、小田原評定にて防衛方針を決定。麾下の軍勢を動員して臨戦体制に入る。上州碓氷城と伊豆長浜城を改修。
◎仙台で二階堂盛義養女で岩城常隆正室のれんみつ姫(19歳)が懐妊。
▽柳河の立花統虎(22歳)、豊臣秀吉(53歳)の命令に従って正室の誾千代(21歳)と嫡男八幡丸(2歳)を上洛させ、小田原に出陣。
02月
▲安房沖地震。
★駿河の徳川家康の三男長丸(11歳)、上洛して豊臣秀吉(53歳)に拝謁。元服して徳川秀忠を名乗る。
★大和の豊臣秀長(50歳)、病で療養に入る。小田原出陣を回避。
◆大阪の真田信繁(20歳)、豊臣秀吉(53歳)の許しを得て帰国。小田原攻め準備。
★京で立花統虎正室の誾千代(21歳)の懐妊が発覚。
▼仙台で和賀忠親(14歳)の正室於三(17歳)が忠親嫡男を出産。
03月
★駿河の徳川家康(47歳)、長久保城に出陣。織田信雄(32歳)らが続々と三枚橋城に着陣。
■仙台の伊達政宗(23歳)、豊臣秀吉(53歳)の命令に従って軍を動かさず。北条氏直(28歳)の援軍要請を無視。
◎宇都宮の二階堂盛義、徳川家を出奔した曽根昌世(44歳)を召し抱える。
◎二戸の九戸政実嫡男の九戸政信(17歳)と、大久保資近次女のだんみつ姫(15歳)が仙台で婚儀を挙げる。
◆大阪の真田信繁(20歳)、北条征伐準備中に配下の堀田興重息女の桜(18歳)を抱く。
■仙台で伊達家最長老の伊達宗澄(63歳)が病没。
04月
◆大阪の豊臣秀吉(53歳)、帝より節刀を賜り出陣。東征開始。豊臣秀長(51歳)が留守居役を務める。
◆長宗我部信親(25歳)ら1万4千の豊臣水軍が伊豆長浜城攻めを開始。里見氏忠(36歳)率いる北条水軍6千と激突。
◆前田利家(52歳)らの豊臣軍北国勢3万5千、北条氏邦(42歳)率いる上州勢2万の守る碓氷峠を攻撃開始。先手の松平康国(20歳)討死。
◆豊臣方の佐竹義宣(20歳)、北条方の千葉直重(17歳)の守る牛久城を攻撃開始。
◆豊臣方の結城晴朝(56歳)、北条方の小山秀綱(61歳)の守る小山城を攻撃開始。
05月
◆常陸の小田氏治(56歳)、小田城で謀反。牛久城攻め中の佐竹義宣(20歳)の退路を断つ。
◆豊臣秀次(22歳)、豊臣本軍7万を率いて箱根に攻め上る。北条氏照(48歳)ら3万5千の兵が守る北条方の城砦群に苦戦。一柳直末(44歳)討死。
◆織田信雄(32歳)、豊臣本軍別働隊4万5千を率いて韮山城攻めを開始。北条方の北条氏規(45歳)、4千の兵で韮山城を堅守。
◆豊臣秀吉(53歳)、奥羽鎮守府の伊達輝宗(46歳)への出陣を要請。ただし兵数制限あり。
◆上田で堀田興重息女の桜(18歳)の懐妊が発覚。
06月
▽肥前でイエズス会日本準管区長のガスパール•コエリョ(60歳)が病死。
■伊達輝宗(46歳)率いる奥羽鎮守府軍3万、宇都宮を出陣。二階堂盛義と下野中村八幡宮で樅木を詣でる。小山城、古河城、館林城を攻略。
◆東伊豆攻撃中の長宗我部信親(25歳)、独断で下田城を攻略。小田原沖に船を進める。箱根の北条氏照(48歳)、小田原への撤退を決断。
◆箱根攻撃中の豊臣秀吉(53歳)、小田原城に到達。10万の兵で小田原城を包囲開始。
◆碓氷城の北条氏邦(42歳)、豊臣軍北国勢に大敗。鉢形城に撤退。大道寺政繁(57歳)、前田利家(52歳)に降る。松井田城開城。
▼山形で最上義守(69歳)が死去。
◎二階堂盛義、赤岩の渡しで伊達輝宗(46歳)と別れ、1万五千の兵を率いて武蔵東部攻略に向かう。忍城、騎西城、岩槻城を開城。
◆本庄城を攻略した前田利家(52歳)、北条氏邦(42歳)の守る鉢形城攻めを開始。大道寺政繁(57歳)の案内で河越城を開城。
■深谷城を攻略した伊達輝宗(46歳)、鉢形城攻め中の豊臣軍北国勢に合流。樋口兼続(30歳)に暗殺される。
■奥羽鎮守府軍、深谷城に敗走。新発田重家(43歳)、稗貫広忠(50歳)、稗貫重政(25歳)、和賀義長(24歳)、和賀秀親(21歳)、山家公俊(52歳)、浜田景隆(36歳)、佐藤為信(47歳)ら討死。岩城常隆(23歳)負傷。
■伊達輝宗暗殺の知らせを受けた伊達政宗(23歳)、6万の軍勢で二階堂盛隆(29歳)と共に宇都宮城を出陣。
◆小田原攻め中の越前北ノ庄城主の堀秀政(37歳)、陣没。嫡男の堀秀治(14歳)が家督を継承。
■伊達政宗(23歳)、深谷で豊臣軍北国勢を撃破。大道寺政繁(57歳)、奥羽方に再び寝返り。鬼庭左月斎(77歳)、蒲生氏郷(34歳)と相討ち。藤田信吉(31歳)、投降。
◎江戸城攻略中の二階堂盛義、2万の軍勢で深谷に向けて転進。荼毘に伏される前に伊達輝宗の遺体と対面。
07月
◎仙台で二階堂盛行の正室の甲斐姫(18歳)が出産。忍姫を産む。
■伊達政宗(23歳)、深谷にて伊達輝宗の初七日の葬儀を執り行う。大道寺政繁(57歳)の手引きで10万の兵を率いて河越城に入城。
◆上越に戻った樋口兼続(30歳)、故上杉景勝の墓前に新発田重家の首を捧げる。七年越しの殉死。
■伊達政宗(23歳)、密かに河越城を離れ、伊達輝宗の遺骨を奉じて箱根湯本に乗り込む。証人の藤田信吉(31歳)を連れて豊臣秀吉(53歳)と面会。
▽豊前に天正遣欧少年使節帰国。
◆小田原攻め中の豊臣秀吉(53歳)、樋口兼続(30歳)の殉死を確認。伊達政宗(23歳)に謝罪して、上杉家の取り潰しを決定。
◎河越城の二階堂盛義、豊臣秀吉(53歳)に赦免された伊達政宗(23歳)の命令に従い、鉢形城と八王子城を攻略。
◆韮山城の北条氏規(45歳)、徳川家康(47歳)の説得に応じて降伏。
08月
◎二階堂盛義、玉縄城を開城に追い込んで鎌倉に踏み入る。二階堂の地に至る。
◆北条方の太田氏房(25歳)、小田原包囲中の織田信雄(32歳)の陣を夜襲。援軍の井伊直政(29歳)に大将首を阻まれる。
◆小田原籠城中の北条氏直(28歳)降伏。小田原城開城。北条氏政(52歳)、北条氏照(48歳)、松田憲秀(50歳)、大道寺政繁(57歳)切腹。
◎鎌倉の二階堂盛義、故伊達輝宗の四十九日法要を営む。豊臣秀吉(53歳)と対面。
◆鎌倉の豊臣秀吉(53歳)、鶴岡八幡を詣でて東国仕置きを発布。二階堂盛義に豊臣家出仕を命じる。
◆鎌倉の豊臣秀吉(53歳)、徳川家康(47歳)を関東に移封。家康の旧領を豊臣秀次(22歳)の家老衆に分配。
◆鎌倉の豊臣秀吉(53歳)、羽柴秀康(16歳)を結城家の婿養子に入れる。結城家に古河加増。
◆鎌倉の豊臣秀吉(53歳)、伊達家に越後一国を加増。二階堂家に小山を加増。佐竹家に牛久を加増。
◆鎌倉の豊臣秀吉(53歳)、織田信雄(32歳)を出羽の追放。尾張伊勢の所領を豊臣秀次(22歳)に与える。
◆鎌倉の豊臣秀吉(53歳)、長宗我部信親(25歳)の肥後領を伊予半国に転封。
◆鎌倉の豊臣秀吉(53歳)、肥後を加藤清正(28歳)と小西行長(35歳)に分配。
◆鎌倉の豊臣秀吉(53歳)、蒲生鶴千代(7歳)から越中三郡を召し上げて前田利家(52歳)に加増。
◆鎌倉の徳川家康(47歳)、江戸に向けて出立。北条領の接収に取り掛かる。
◆鎌倉の豊臣秀吉(53歳)、小田原征伐を終えて京に向けて出立。
■鎌倉の伊達政宗(23歳)、仙台に向けて出立。豊臣秀次(22歳)と浅野長政(43歳)が同道。
09月
◎仙台で二階堂盛義の養女で岩城常隆の正室のれんみつ姫(20歳)が出産。長次郎を産む。
■伊達政宗(23歳)、豊臣秀次(22歳)と浅野長政(43歳)を仙台まで案内。
◆豊臣秀吉(53歳)、京に凱旋して朝廷に戦勝を報告。
◇白河の吉次(40歳)、栄丸(8歳)を連れて上阪。
10月
■仙台の伊達政宗(23歳)、伊達輝宗の百日法要を盛大に営む。
■会津の伊達成実(22歳)、越後受け取りに出陣。越後衆の武装解除を開始。
◎仙台の二階堂盛義、片倉景綱(33歳)に佩刀を託す。遠藤基信(58歳)の殉死を阻止。
◎真田信尹(43歳)が徳川家を出奔。前田利益(39歳)にスカウトされて二階堂家に陪臣として士官。
◎須賀川の二階堂盛義、豊臣秀次(22歳)と浅野長政(43歳)の帰京に付き添って上洛開始。
★京で立花統虎正室の誾千代(21歳)が次男千虎丸を出産。
▲南関東で地震多発。
11月
★大阪の豊臣秀吉(53歳)、天下一統を記念して北野大茶会を開催。
◎宇都宮で前田利益(39歳)の嫡男正虎(7歳)が元服し、壬生前田家の家督を継ぐ。
◎二階堂盛義、宇都宮で前田利益(39歳)の同道を許可する。
◎宇都宮で前田利益(39歳)の室の阿蛍(29歳)が第四子懐妊。
◇大阪の吉乃(19歳)、石川五右衛門(25歳)の子供を懐妊。
12月
★大阪の豊臣秀吉(53歳)、朝鮮通信使引見。宗義智(22歳)と小西行長(32歳)の共謀により服属と勘違い。
◆上田で真田信繁(20歳)の長女の菊が産まれる。母親の堀田興重の息女桜(18歳)、産後の肥立ちが悪く死亡。
◎上洛した二階堂盛義、石川五右衛門(25歳)を見て茶を吹く。さらに娘の吉乃(19歳)が五右衛門の子を孕んでいると知って卒倒する。
◎二階堂盛義、聚楽第で豊臣秀吉(53歳)に拝謁。御伽衆に任命される。人質生活開始。
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▲天変地異
◎二階堂
◇吉次
■伊達
▼奥羽
◆関東甲信越
☆北陸中部東海
★近畿
▷山陰山陽
▶︎︎四国
▽九州
□外国勢力
須賀川二階堂家 勢力範囲 合計 87万石
・奥州 岩瀬郡 安積郡 安達郡 石川郡 白川郡 26万2千石
・奥州 伊達郡 2万石
・奥州 信夫郡 1万2千石
・奥州 会津郡 3万石
・奥州 標葉郡 楢葉郡 3万石
・奥州 行方郡 2千石
・野州 河内郡 芳賀郡 那須郡 塩谷郡 安蘇郡 足利郡 梁田郡 32万9千石
・野州 都賀郡 8万5千石 + 5万石 (NEW!)
・常州 久慈郡 5万石
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