1589-2 落首
<1589年 7月>
松島湾に広がる蒼天はどこまでも高い。
夏の日差しが眩しい。
黒潮と南風に乗ってポルトガルの船団が塩竈に到来する。
伊達水軍の関船数艘が船団を湾内に先導。
その光景を伊達政宗の隣で見守る。
恐らくガスパール・コエリョの指示なのだろう。
湾内に錨を下ろしたガレオン船は、大砲を海上に向かって撃ち放ってみせた。
轟音が響き渡る。
しかし、予め言い含めていたため、港で待機中の伊達家の精兵三千は咳一つ漏らすことは無い。
政宗がニヤリと笑う。
「派手よのぉ。よし、こちらも礼を返さねばな」
小舟に乗り換えた宣教師や商人、更には医師たちの一行が桟橋に降り立つのを待って、政宗がさっと合図をする。
「放てぇ!」
侍大将の後藤信康率いるずらりと並んだ伊達家の鉄砲部隊が、一斉に空砲を空に向けて放った。
南蛮人たちは皆、驚愕の表情を浮かべている。
政宗はしてやったりの表情だ。
「デハ、イッテキマス」
「うむ」
政宗の側に控えていたロドリゲスが桟橋まで進み出て、一際豪奢な衣装を身に纏っている宣教師に何やら話しかける。
六十歳くらいのその宣教師こそが、ガスパール・コエリョその人であろう。
傲岸不遜な顔付きをしている。
そのガスパール・コエリョの側には、人斬り狂信者のヨハネ五郎の姿もあった。
伊達家とガスパール・コエリョ率いる一行との会談は、新造されたジュリエッタの施療院にて執り行なわれる。
大広間に長テーブルと椅子が用意されて双方が相対し、俺もその場に同席する。
通訳はガスパール・コエリョに従うヨハネ五郎が務めた。
しかし、会談は途中からとんでもない展開となってしまう。
それは、キリシタンの武装決起への協力を求めるガスパール・コエリョの熱弁がひと段落したところで起こる。
ロドリゲスが身重のジュリエッタを皆の前に連れ出したことが切っ掛けであった。
「ヨハネ、礼を言います。よく平戸から皆を連れてきてくれました」
「ジュ、ジュリエッタ様。その腹は如何したことか!」
にこやかに微笑むジュリエッタに対し、惑乱するヨハネ五郎。
ジュリエッタは臨月を迎えていた。
ジュリエッタは奥羽王の第一公子である政宗の妾となった。
その知らせは、既にロドリゲスからガスパール・コエリョや商人仲間たちへと通達されていた。
一夫一婦制が大原則のキリスト教においても、ヨーロッパの各王家の宮廷内に限って言えば、公妾制度が認められている。
ガスパール・コエリョらはジュリエッタを奇特な女だと見做してはいたが、そこに忌避感は無い。
よしんば有ったとしても、表に出すことはしなかった。
ジュリエッタが政宗の子を産むのは、奥羽を教化する上で望ましい展開だったからである。
しかしただ一人、倭人のヨハネ五郎だけにはその事実は伏せられていた。
ロドリゲスの策である。
「おおおっ、ジュリエッタ様を堕落させたのは誰じゃ、誰なのじゃぁあああ」
「きゃあっ」
突如狂乱し始めたヨハネ五郎に圧され、ジュリエッタは夫である政宗に身を寄せる。
「お、お、おぬしか。ジュリエッタ様をよくも!」
ジュリエッタを女神と崇めていたヨハネ五郎には、もはや相手が大名であろうと関係なかった。
脇差を抜いてテーブルに飛び乗り、政宗に迫って刺し殺そうとする。
「痴れ者が!」
咄嗟に護衛の後藤信康が前に出て、一刀でヨハネ五郎を斬り殺す。
「がふっ、ジュ、ジュリエッタさ、ま」
ジュリエッタの名を呼びながら果てるヨハネ五郎。
会談どころではなくなった。
ヨハネ五郎はガスパール・コエリョの従者として今回の会談に臨んでいた。
その為、伊達家はガスパール・コエリョら宣教師たちが政宗暗殺を企んだと見なし、彼らの身柄を拘束する。
ヨハネ五郎の首は落とされ、港に晒される。
結果、ポルトガル船団内の主導権は、ロドリゲスら商人たちの手に渡った。
全て政宗とロドリゲスが描いたシナリオどおりであった。
政宗が得意げに種明かししてくる。
「あのコエリョとかいう坊主は随分追い詰められておってな。本国に援軍を求めても断られ、武器を配って焚き付けようにもキリシタン大名どもは従わぬ。そうこうする間に上役のヴァリニャーノとやらに集めた大砲を送り返すよう命じられ、商人どもの突き上げを喰らっておったのよ」
せっかく日本まで運んだのに、重くて嵩張る大砲をそのままマカオまで持ち帰るとなれば大損である。
商人たちにしてみれば、とにかく伊達家に大砲を売りつけたい。
そして出来るのならば、布教目的の宣教師たちの勝手なディスカウントも回避したかった。
翻って伊達家の方は大砲を是非にも購入したい。
もちろんポルトガル国家が管理している鉱山技術や造船技術も欲しい。
しかし、宣教師たちが必須条件として掲げるであろうバテレン支援の約定は結びたくは無い。
交渉の場から宣教師を排除したいとの両者の思いは見事に合致しており、ロドリゲスが暗躍出来るだけの隙間がそこに生じていた。
ロドリゲスの主導で改めて設置された交渉のテーブルにて、商人たちの目の前でこれ見よがしに砂金の山を積んで見せながら、政宗は宣言する。
「大砲二十門、高く買い取ろう。それとそなたらが持つ地金から金銀を搾り取る術。売ってくれたら、伴天連どもは解き放とうぞ」
「アリガト、ゴザイマス」
政宗とロドリゲスの茶番を見せ付けられる。
ここで大砲を全て売り払っても、全てガスパール・コエリョに責任を押し付けられる。
そして、実際は政宗の意を汲んだロドリゲスの手回しによるものだが、船団には運良く鉱山技師も乗船している。
勝手な技術供与はまずいだろうが、ガスパール・コエリョらの身柄を解放する為との理由ならば、本国から咎められることは無いはず。
計算高い商人たちは、一も二もなく政宗とロドリゲスの思惑に乗ってしまった。
購入した大砲二十門と弾薬を受け取り、更に南蛮絞りの技術移転が終わった後、政宗はガスパール・コエリョらを解放する。
ガスパール・コエリョら宣教師たちは、ロドリゲスら商人たちに引きつられて青褪めた顔のまま船団に乗り込み、急ぎ塩竈から出帆していく。
彼らはこのまま南風に乗って北上し、奥羽鎮守府の支配下にある函館を目指すことになる。
留守政景に庄内水軍を組織させてから十年。
奥羽鎮守府は域内の開墾や治水に並行して、酒田と仙台を繋ぐ航路の開発にも力を尽くしてきた。
日本海側は佐渡、新潟、酒田、土崎、能代、十三湊。
太平洋側は八戸、久慈、宮古、気仙沼、塩竈、岩城。
現在では、各湊間の航路の季節毎の風向きや海流に関する情報が奥羽鎮守府に細かく集積され、水軍内で共有されている。
その航路情報をもとにポルトガル船団は函館で北風を待ち、半年掛けて平戸に戻るのだ。
塩竈で荷卸しした大砲の代わりに、珍しい奥羽各地の物産をしこたま積み込むことになるので、大儲けは間違い無しだ。
無論のこと奥羽鎮守府が所有する航路情報と湊の利用はタダではない。
定期的なポルトガル船団の奥羽来航と、ガレオン船の修理を受け持つ為と称しての技術移転を代価として要求。
平戸に戻った後、ロドリゲスがマカオの議会に掛け合う約束となっている。
奥羽鎮守府と南蛮商人との最初の商取引は、概ね大成功に終わった。
ガスパール・コエリョの願い虚しく、奥羽鎮守府とポルトガルのマカオ市議会は、貿易優先での交流を続けていくことになろう。
九州におけるキリシタンの武装決起は、これで未然に防がれたと考えて良い。
全てが政宗の思惑通りの結果となり、俺の出る幕は無かった。
あくまでこの場では、の話ではあったが。
塩竈での一連の交渉とその結果を見守った後、仙台城に戻る。
書院にて御所の輝宗殿に報告。
「政宗殿の差配、実に見事なものでした」
「ふむ、その割には何か言いたげだの」
長年の付き合いだ。
輝宗殿にはお見通しである。
「此度の大砲の購入は伊達家の商いゆえ、差し出がましいかもしれませぬが」
「よい。義兄上の存念を聞かせてくれ」
許可を得たので、堺より取り寄せた地球儀を輝宗殿の前に置き、提言する。
「商売相手を一つに絞ると足元を見られかねませぬ。複数の取引先と交渉し、一番良い値を付けた相手と売買するのが商売の鉄則にございましょう」
カラカラと地球儀を回してマカオを指し示す。
「政宗殿が此度取引した相手はポルトガル。明国の南岸のマカオを拠点としておりまする」
次いでルソン島のマニラを指し示す。
「堺の我が手の者が聞いた話によれば、ポルトガルの隣国のスペインなる国がこのマニラを乗っ取っておりまする。そしてルソン島と東の大陸を船で盛んに行き来し、交易で莫大な利を稼いでいるそうな」
「ほう、このような大きな海を渡るのか」
輝宗殿が感心している。
「堺にはルソンと取引きしている明や琉球の商人が多く訪れておりまする。その者らに此度の商いの噂を流しましょう」
十六世紀前半にポルトガルとスペインの間で結ばれたサラゴサ条約。
世界における互いの勢力圏確定する為に極東に引かれたラインは、ちょうどここ仙台を掠めている。
ポルトガルはその境界線を侵犯した格好だ。
スペインは黙ってはいられないはず。
スペインは北太平洋海流と赤道海流を用いたマニラ・ガレオンで、新大陸のメキシコと交易を行なっている。
仙台沖は黒潮から北太平洋海流に連結するポイントとなっており、塩竈はメキシコ行きの際の絶好の寄港地になり得る。
ポルトガルが動いたと知れば、スペインは必ず動こう。
「さすがは義兄上よ。政宗もまだまだその手のひらの上か」
苦笑する輝宗殿。
フォローしておく。
「ジュリエッタ殿、いや新造の方との出会いで、政宗殿は日ノ本ならず、外国々に向ける目を養われた。伊達家のみならず、奥羽を率いるに相応しき力、いよいよ身につけられたかと」
ポルトガル船団が去ってすぐ、ジュリエッタは赤子を産んでいる。
塩竈に新造した療養所での第一のお産が、ジュリエッタ本人の出産であった。
平戸から呼び寄せた医療スタッフのおかげで、母子共に健康とのこと。
幸か不幸か産まれたのは姫であり、その青い瞳の可愛らしい赤ん坊は、ジュリエッタの希望で莉沙姫と名付けられていた。
完全なオリキャラだ。
莉沙姫誕生のニュースは既に輝宗殿の耳にも入っている。
輝宗殿にとっては初孫となる。
「政宗もこれで人の親か。頃合いと言えば頃合いであろうな」
「はっ」
先年の輝宗殿上洛のおり、改めて豊臣秀吉には鎮守府将軍職の世襲の許可は取ってある。
伊達家の家督相続の機は熟していた。
輝宗殿が明言する。
「この秋、政宗に家督を譲る。雄勝丸の上洛の際、合わせて政宗の鎮守府将軍職叙任を関白殿下に奏請するとしよう」
伊達家十七代政宗の誕生である。
史実に遅れること五年。
しかし、継承する領土の広さは史実の十倍以上。
権謀術数に優れた政宗であれば、日ノ本の五分の一を元手に中央政権と互角に渡り合っていけるはず。
我が二階堂家は、頼れる藩屏として伊達家に追随して行けば良い。
そして俺と輝宗殿は、若き政宗の覇道を見守るのみだ。
<1589年 9月上旬>
上州北部の沼田城。
利根川と薄根川が形成する河岸段丘の上に整備された、難攻不落の城である。
「これはまた大層な崖だな」
70mはあるだろうか。
物見櫓から遥か眼下の利根川を眺める。
俺は今、輝宗殿の命令で派遣された伊達家の兵に密かに同行し、会津沼田街道を下って沼田にいた。
この春に豊臣家と北条家の間で約定した沼田領の引き渡しがいよいよとなり、この目で検分する為である。
豊臣秀吉の嫡男鶴松の誕生で上方が祝賀ムードに包まれている中、真田家から北条家へと粛々と沼田領の引き渡し作業が進んでいく。
豊臣家の検分役は津田信勝と富田一白。
そして東国取次役の徳川家の検分役は四天王の榊原康政だ。
受け取り側の北条家は、北条氏邦とその配下の猪俣邦憲が二千の兵を率いて出張ってきていた。
沼田城内を案内してくれているのは、真田家家臣の高梨内記だ。
史実では真田信繁と共に大阪夏の陣で討死を遂げた豪の者である。
話してみると、気の良い男であった。
「なんと。内記殿の娘御は今、宮中に仕えておられるのか」
「はっ。我が殿の奥方は京の菊亭家の出となりましてな。その縁でお声掛けがあり、出仕させております。阿桐というて、それは器量の良い娘でして、この前の手紙によれば、宮中ですれ違った近江中納言殿に声掛けされたそうなのですよ」
「それはすごい。近江中納言と言えば、関白殿下の甥の豊臣秀次殿か」
「はい。近江中納言殿は無類の女好きと聞きますので、気をつけろと書き送ってやったのですが・・・」
物見櫓に登ったまま高梨内記と四方山話に花を咲かせていると、二ノ丸館の方が何やら騒がしい。
「嫌じゃい嫌じゃい。儂はこの城で死ぬんじゃいっ」
「父上、お聞き分けくだされっ」
見れば真田家城代の老将矢沢頼綱が、沼田城の柱に自分を括り付けて駄々を捏ねている。
息子の矢沢頼康が諌めるが聞く耳持たない様子。
「こ、これはいかん。失礼仕る」
慌てて高梨内記が物見櫓から降り、矢沢頼康を助けるべく駆けていく。
その様子を物見櫓の上から眺めていると、高梨内記と入れ替わるかのように下から声が掛かった。
「左京亮様、ここにおられましたか」
声の主は鈴木元信。
奥羽鎮守府側の見届け人として派遣された輝宗殿側近であった。
鈴木元信は最近伊達家中で頭角を表し始めた三十代半ばの吏僚である。
なかなかに面白い経歴を持っている。
元は出羽鮎貝の臼ヶ沢金山を経営している一族の息子で、若い時分に畿内に商いに出て、鉄砲を買いに行った先で雑賀衆に参加。
その後、堺で茶を習ってから帰郷し、米沢城下で謡を披露していたところを輝宗殿の目に止まり、仕官に至る。
仕官後は持ち前の優秀な財務行政能力で、伊達家の奥羽鎮守府の円滑な運営に高く貢献していた。
よいせと物見櫓に登って来たその鈴木元信と、二言三言の言葉を交わす。
「名胡桃城の受け取りの方は無事に終わったのか?」
「はい。榊原殿よりそのように承っております」
「それは重畳」
板部岡江雪斎から送られてきた書状によれば、小田原での秀吉嫌いの急先鋒であった茶頭の山上宗二が、今回の沼田引き渡しに際して追放されていた。
正確には、家中からの詰問の数々に臍を曲げた山上宗二が北条家に見切りを付け、上方に勝手に帰ってしまったのが真相である。
山上宗二スパイ説を小田原城下でせっせとばら撒き続けた甲斐があった。
沼田拝領と合わせ、山上宗二がいなくなったことで、北条家中の豊臣秀吉を見る目もかなり変わるはず。
万事上手く運んでいた。
真田家嫡男の真田信幸の差配で、矢沢頼綱が戸板に載せられて退去させられていく。
その光景を見ていると、鈴木元信が隣で不満をこぼしてくる。
「お世継ぎも無事に産まれ、関白殿下の天下はこれで安泰にございますな」
言葉と裏腹にその表情は晴れない。
鈴木元信は伊達家の天下を夢見る男なのだ。
伊達政宗を支える伊達家臣団の主要人物の一人でもある。
ゆえに元気付けてやる。
「世継ぎが無事に成長するとも限るまい。よしんば育ったとしても、豊臣秀吉はもう五十歳を超えていよう。世継ぎの元服まで、豊臣秀吉の健康が保つとは思えぬな」
「たとえ関白が倒れようと、その時は豊臣家には大和大納言、近江中納言らがおるではないですか」
大和大納言は豊臣秀吉の弟の豊臣秀長のことである。
「豊臣秀長は最近ひどく病いがちと聞く。長くは保つまい。となれば残るは豊臣秀次。世継ぎの行く末は、秀吉が秀次をどこまで信頼出来るかにかかっておろう」
チートな史実に基づいた知識で、さらに適当に策を誦じる。
「秀次を煽って秀吉を蹴落とすか、はたまた秀吉に秀次を弑させてその力を削ぐか。いろいろやりようはある。豊臣の世は長くは続かぬさ」
「ほぅ」
鈴木元信が目を輝かせる。
「今の秀吉を支えるのは、かつての織田家の同僚や敵であった者たちばかりよ。彼らは秀吉がどうやって主家の織田を超えたかを目の当たりにしておる。わかるか?」
「官位、ですな」
「そうよ。世継ぎを超える官位を得た武家が現れた時点で、豊臣の世は終わる。その為に今は忍従して力を蓄え、第二の秀吉たらんと目論んでいる者も多かろう。其奴らこそが我らの真の敵よ」
言わずもがな、徳川家康のことである。
ただそれも、ここで北条家が温存されるとなれば話は違ってくる。
徳川家康の運が開けたのは、小田原征伐で潰された北条家の後釜として関東で二百五十万石の大領を得た瞬間だ。
それがこの世界線では起こりそうもない。
ならば警戒すべきは安芸の毛利輝元であろうか。
関ヶ原の合戦が始まるまでは、あわよくばと毛利輝元も天下を伺っていた節がある。
いずれ毛利家随一の知恵者の小早川隆景が、天下取りの布石として豊臣家の血族を取り込もうと動き出すはず。
遠い西国の毛利家の伸長をどのように食い止めるのかは難問である。
そういえば息子の盛隆が長曾我部信親と親しかった。
となれば四国の長曾我部信親を支援し、毛利家を牽制するのはどうだろう?
いつの間にやら史実から外れた今後の展望に思いを馳せ始めていると、隣の鈴木元信が吹っ切れた表情で宣言してくる。
「今は雌伏の刻との左京亮様のお考え、良くわかり申した。それがしも先を見据え、今から支度を整えて参りまする」
史実の鈴木元信は伊達幕府の誕生を予想し、伊達家が天下を治める為の憲法を事前に用意していた。
結局は世に出ること無く焼き捨てられてしまったが、この世界線では是非とも発布までこぎつけたいものである。
<1589年 12月上旬>
天正十七年十月二十六日。
今日というこの日を無事に迎えられたのは幸いである。
妻の南御前をはじめとして、一族や近臣の皆を集められるだけ須賀川城に集め、俺の主催で宴を開く。
何の名目か皆が不思議がっていたが、理由は伏せて押し通す。
仙台から駆けつけた次男の盛行が、嬉しい知らせを持ってきた。
「父上、我が妻の甲斐が身篭りましてございまする」
「なんと、それはめでたい!」
おめでとうございまする!と家臣たちが斉唱する。
二重の喜びだ。
「この夜を皆と過ごせることを嬉しく思う。乾杯!」
感極まって音頭を取り、皆と共に杯を干す。
至福の一杯であった。
改めて周りを見渡してみる。
長男の盛隆は会津に人質に取られることなく、そして寵臣に刺されることもなく、二階堂家当主として立派に成長した。
甄姫という美しい嫁との間に一男二女をもうけ、孫の麒麟丸はすくすくと育っており、もうすぐ元服だ。
次男の盛行は十四歳で病死することもなく、今では新将軍の伊達政宗の側近の一人として活躍している。
甲斐姫という超有名キャラが嫁になって子供までもうけるなどと、誰が予想出来たであろうか。
源次郎こと須田盛秀は、これからも須賀川城の城代としてまだまだ活躍していくはずだ。
共に杯を掲げている長男の須田秀広が、伊達政宗自らの手で射殺されることも無い。
左近こと保土原行藤は、昨年に長男の保土原重行に家督を譲っていたが、二階堂家を離れることはなかった。
盛行の所領の代官を務めつつも、和歌と茶道へより傾倒し、最近では茶頭の佐久間信栄と特に親密な関係なのだとか。
謀臣の守谷俊重はニコニコ笑いながら大人しく座っており、須賀川城本丸西方の長禄寺の伽藍は無事なままだ。
妻女が南御前に刺されそうになることもなく、またせっかく裏切ったのに危険視され、伊達政宗に両耳を切り落とされもしないだろう。
その他、弟の大久保資近や矢田野義正ら一門衆や、遠藤盛胤や塩田政繁ら二階堂家譜代の武将たちも健在だ。
さらに今はこの場にはいないが、二階堂家とは縁が無かったはずの数多くの武将が、俺と盛隆を支えてくれている。
漂泊せずに阿蛍と結ばれた前田利益。
前田家宰相だったはずの奥村永福。
小手森撫斬りを回避し、関東に所領を得た大内定綱。
主家の白河結城家以上に重用されてる河東田清重。
二階堂家の下で養育されて結城家嫡流を守った白河義顕
白河衆の上遠野秀綱、斑目基庸、赤坂朝光。
佐竹家に寝返る切欠を逸した和田昭為。
蘆名家降将の平田舜範の嫡子で、上杉家に仕官していない平田長範。
那須三人衆の大関晴増、福原資広、大田原晴清。
二階堂家の支援で異母弟を凌駕した塩谷義通と、それを支える岡本正親。
居心地が良くて越後に帰らなかった水原親憲。
宇都宮国綱らの無事と引き換えに主家を乗り換えた多功綱継。
領地を返還され、北条家との約定で忠誠を誓う益子安宗。
主君の小田氏治を思いながらも二階堂家で働く菅谷政貞と菅谷範政。
織田家からの亡命組の佐久間信栄と佐久間安政と佐久間勝之。
三男の佐野行久に忠誠を誓う佐野房綱と山上道及。
綺羅星の如き勇将知将たちだ。
大変にありがたい話である。
望んでいた光景がここにあった。
今日は酒が美味い。
目の前の光景が何よりの肴であった。
ついつい杯を重ねてしまう。
すると隣で酌をしてくれていた妻の南御前が、低い声で問うてくる。
「随分と浮かれているようだが、今日なのだな?」
ん?
唐突な南御前の断定的な口調に、思考が追いつかない。
「私がこの家に嫁いで来た夜、夫殿は言った。いずれこの二階堂家は伊達に潰される運命にある、と」
ああ、確かに俺は初夜にそう語った。
もう三十三年も前の話である。
振り返れば随分と遠くまで来たものだ。
あの頃から此の方、南御前に隠し事など通用しないのは変わらない。
その事実が妙に笑えてくる。
「フフッ。敵わんな。そう。俺の知る未来では、須賀川城は今宵燃え落ちるはずであった」
史実での大乗院こと南御前は、俺も盛隆も盛行もいなくなった城を死守しようとする。
しかし、城代の須田盛秀が防戦に努めるも、攻め手の伊達方の保土原行藤の誘いに乗った守谷俊重が、日没に合わせて長禄寺を焼いてしまう。
その火は須賀川城と城下町を舐め尽くし、二階堂家は滅亡する。
それが今日であった。
「しかし、それがどうだ。二階堂家はここまで来れた。日ノ本をぐるりと見渡しても、我が家を超える大名は十指とあるまい」
明確に石高が上なのは豊臣、伊達、北条、毛利(+両川)、徳川の五家。
同格クラスは前田、長曾我部あたりまでで、島津と宇喜多と佐竹らは一段落ちる。
我ながらよくこれほどの所領を切り取れたものだ。
少しは誇っても良いだろう。
「来春には北条氏政も上洛する。もはや東国での戦さは終いよ。順風満帆とはこのことぞ。ハハハ」
グィと杯を飲み干す。
美味い。
もう一杯!
やれやれという表情で酌をしてくれつつ、南御前がポツリと呟く。
「不吉な夜なればこそ、身を律すべきと思うがな」
その勘は正しかった。
突如襖が開き、ノシノシと巨漢が宴の席に乗り込んでくる。
奥村永福と共に宇都宮城を任せているはずの前田利益であった。
「利益、そなた何故ここに」
「大阪の吉乃殿より可及の知らせがあり、吉次殿の命を受けて急ぎ駆けて参りました。義父殿、盛隆様、困ったことになりましたぞ」
先ほどまでの賑やかさが嘘のように静まる中、怖い顔をした前田利益が懐から手紙を取り出し、差し出してくる。
「豊臣秀吉、今春に起こった聚楽第の落首の一件に北条の手の者が関わっていたとして、至急上洛して弁明するように北条氏直を詰問。十一月中に上洛が無かった場合、北条を追討すると息巻いているとか。仔細はこの手紙に」
「な、なんだとっ」
一気に酔いが覚める。
引ったくるように手紙を受け取り、中身に目を通す。
手紙は吉乃から吉次宛に書かれたものであった。
「バカな。秀吉は山上宗二の戯言を信じたというのか」
吉乃の手紙によると、小田原を退去して上方に密かに戻った山上宗二は、千利休のお節介で豊臣秀吉との面会を果たしていた。
その茶席で豊臣秀吉の赦免を断っただけにあきたらず、小田原城中で小耳に挟んだ噂話を絡めて豊臣秀吉をこき下ろしてしまう。
すなわち、北条家の使節の付人が戯れに書いた落首に踊らされ、無辜の京の民を弑てしまうなど言語道断、との直言だった。
聚楽第の落首の犯人が、実際に北条家の手の者なのかどうか真実は分からない。
ただ確かに落首事件の当時、沼田問題を解決するため、板部岡江雪斎率いる北条家の使節団が京都に滞在していた。
小田原に戻った使節の面々が京の土産話で落首事件を吹聴し、武勇伝的に己の手柄話のように語った可能性がある。
それが山上宗二の耳にも入ってしまったのだろう。
普通なら一笑に伏す話だ。
しかし鶴松の親は果たして本当に自分なのか、秀吉自身が疑いを拭いきれないのだろう。
人間秀吉の一番の急所と言える。
その逆鱗を山上宗二は見事に突いてしまった。
ポロリと俺の手からこぼれた手紙を盛隆が拾い上げ、サッと目を通す。
そして断定してくる。
「父上、これは戦さになりましょう」
「なる。確実に戦さになる。大戦さだ」
認めざるを得ない。
ほとんど言い掛かりに等しい秀吉の要求を、北条氏政と北条氏直の父子はきっと呑まない。
箱根の城塞群と難攻不落の小田原城の二段構えで、秀吉率いる征東軍に対抗する道を選ぶはず。
北条家と奥羽鎮守府の両者は、豊臣政権との外交に限って言えば唇歯輔車の関係にある。
北条家が滅べば、次は奥羽鎮守府の番となる確率は非常に高くなる。
奥州の玄関口を守る我が二階堂家は、特に難しい選択を迫られるであろう。
山上宗二が小田原城から追い出されるよう、黒脛巾組を使って仕向けたのは俺だ。
策士策に溺れるとはこのことよ。
沼田にまでわざわざ赴いて密かに練っていた、北条伊達連合による豊臣秀次を担ぎ上げての豊臣政権転覆計画もこれで御破算である。
須賀川二階堂氏が滅ぶはずだった夜。
代わりに消滅したのは、俺が好き勝手に描いていた未来予想図と、東国全域の安寧であった。
避けたかった小田原征伐が、気がつけば目前に迫っていた。
〜 第九章完 〜
<年表>
【示威】1589年 二階堂盛義 45歳
01月
◎宇都宮の二階堂盛義、高山右近(37歳)と共にコエリョとの密約について伊達政宗(23歳)を詰問。南蛮女医ジュリエッタ(24歳)の懐妊が発覚。
■仙台の伊達輝宗(45歳)、南蛮女医ジュリエッタ(24歳)を家臣六郷伊賀守の養女扱いとし、伊達政宗(23歳)の側室としての体裁を急遽整える。
■仙台の伊達輝宗(45歳)、高山右近(37歳)を召抱えて青葉山城の改修を開始。
★駿河の徳川家康(46歳)、左近衛大将・左馬寮御監両官職兼任。
02月
★駿河の徳川家康(46歳)、左近衛大将・左馬寮御監両官職辞任。
☆駿河の徳川家康(46歳)の三男長丸(10歳)、豊臣秀吉(52歳)の推挙により正五位下侍従兼武蔵守補任。
03月
★近江の石田三成(29歳)、禄の半分を渡して島左近(49歳)を家臣に迎える。
◎宇都宮の二階堂盛義、宇都宮城の総構えを完成。佐久間信盛(61歳)没す。
04月
★大阪の豊臣秀吉(52歳)、聚楽第の落首に激怒。警備兵を磔とし、本願寺を締め付けて尾藤道休とその関係者を全員処刑。
◆相模の北条氏直(27歳)、板部岡江雪斎(53歳)を上洛させて服属条件として沼田領を要求。豊臣秀吉(53歳)の沼田裁定を引き出す。
★大阪の豊臣秀吉(52歳)、側室の茶々(20歳)の産所として淀城を用意。
★大阪の豊臣秀吉(52歳)、朝鮮国王遅参を責め、入朝の斡旋を再び宗義智(21歳)に命じる。
05月
◇宇都宮の二階堂盛義の庶子久丸(13歳)が元服。珠姫(13歳)を娶って佐野家に婿入りし、佐野行久と名乗る。
■仙台の伊達輝宗(45歳)、九戸政信(15歳)と津軽信建(15歳)と和賀忠親(13歳)の元服に立ち会って烏帽子親となる。
▼仙台の和賀忠親(13歳)に、稗貫広忠(49歳)の息女の於三(16歳)が輿入れ。
■山形の最上政道(21歳)に、亘理重宗(37歳)の息女の亘理御前(16歳)が輿入れ。
06月
▷安芸の毛利輝元(36歳)、広島城を築城開始。
▽豊前の黒田孝高(43歳)、嫡男黒田長政(20歳)に家督を譲って、大阪で豊臣秀吉(52歳)の軍師に専念。
07月
☆駿府で徳川家康(46歳)の次妻のお愛の方(37歳)が死去。
□ガスパール・コエリョ、ヨハネ五郎と共に大砲を積んだ船で塩竈に来着。奥羽鎮守府に対して豊臣政権への武力決起を訴える。
□ヨハネ五郎、錯乱して斬死。ガスパール・コエリョ失脚。奥羽鎮守府との通商交渉はアルメイダ商会に主導権が移る。
□塩竈で南蛮医者ジュリエッタ(24歳)が女児を出産。莉沙と名付けられる。
★山城の淀城で茶々(20歳)が鶴松を出産。茶々の呼称が淀の方となる。
08月
★大阪の豊臣秀吉(52歳)、小田原に使者を送って北条氏政(51歳)上洛の確約を得る。
☆駿河の徳川家康(46歳)、五カ国検地を開始。
▽対馬の宗義智(21歳)、朝鮮に渡って李氏朝鮮に通信使の派遣を要請。
09月
◆相模の北条氏直(27歳)、豊臣秀吉(52歳)から沼田城と名胡桃城を受け取る。山上宗二(45歳)を追放。
◎宇都宮の二階堂盛義、奥羽鎮守府の検使の鈴木元信(34歳)に密かに同行。沼田領引き渡しに立ち会うついでに、桐(17歳)の情報を収集する。
▽薩摩で島津義久(56歳)の三女亀寿(18歳)が、島津義弘(54歳)の次男島津久保(16歳)に嫁ぐ。島津久保、島津家の世子となる。
☆駿河の徳川家康(46歳)、豊臣秀吉(52歳)の仲介で孫の登久姫(13歳)を小笠原秀政(20歳)に嫁す。
10月
★大阪の豊臣秀吉(52歳)、淀の方(20歳)と鶴松(0歳)を大阪城に迎え入れる。
★大阪の豊臣秀吉(52歳)、全国の諸大名に妻子人質令を発布。
■仙台の伊達輝宗(45歳)、三男の雄勝丸(9歳)を上洛させる。
11月
■仙台の伊達輝宗(45歳)、函館城を完工。天守閣建築開始。
■仙台の伊達輝宗(45歳)、嫡子の伊達政宗(23歳)に家督と鎮守府将軍職を譲り、大御所となる。
◆常陸の佐竹義重(42歳)、嫡子の佐竹義宣(19歳)に家督を譲る。
★大阪の豊臣秀吉(52歳)、大谷吉継(24歳)に越前国敦賀郡二万余石を与え、敦賀城主とする。
★大阪の豊臣秀吉(52歳)、豊臣秀俊(7歳)を元服させて丹波国十万石を与え、亀山城主とする。
★大阪の豊臣秀吉(52歳)、雄勝丸(9歳)を大和の豊臣秀長(49歳)の下に預ける。
★京に戻った山上宗二(45歳)、豊臣秀吉(52歳)と面会。千利休(67歳)の取りなしを断って再雇用を拒否。捕縛される。
12月
◎仙台で二階堂盛行正室の甲斐姫(17歳)が懐妊。
★大阪の豊臣秀吉(52歳)、北条家の落首事件への関与を詰問。北条氏政(51歳)と北条氏直(27歳)に上洛を命じる。
◆相模の北条氏政(51歳)と北条氏直(27歳)、豊臣秀吉(52歳)の上洛命令を拒絶。
★大阪の豊臣秀吉(52歳)、北条征伐を宣言。
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▲天変地異
◎二階堂
◇吉次
■伊達
▼奥羽
◆関東甲信越
☆北陸中部東海
★近畿
▷山陰山陽
▶︎︎四国
▽九州
□外国勢力
<同盟従属情報[1589年末]>
- [伊達輝宗]・二階堂盛義・相馬義胤・岩城常隆・新発田重家・結城晴朝
- [豊臣秀吉] ・徳川家康・毛利輝元・長曾我部信親・大友義統・上杉義真・真田昌幸・佐竹義重・多賀谷重径・島津義久・龍造寺政家・有馬晴信
- 北条氏政
須賀川二階堂家 勢力範囲 合計 82万石
・奥州 岩瀬郡 安積郡 安達郡 石川郡 白川郡 26万2千石
・奥州 伊達郡 2万石
・奥州 信夫郡 1万2千石
・奥州 会津郡 3万石
・奥州 標葉郡 楢葉郡 3万石
・奥州 行方郡 2千石
・野州 河内郡 芳賀郡 那須郡 塩谷郡 足利郡 梁田郡 29万石
・野州 都賀郡 8万5千石
・野州 安蘇郡 2万石 + 1万9千石 (NEW!)
・常州 久慈郡 5万石
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