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二階堂合戦記  作者: 犬河兼任
第九章 小田原カウントダウン
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58/93

1588-2 密約


<1588年 6月中旬>


「大殿、京より早飛脚が参りました」


 須賀川城で政務を見ていると、老臣の須田盛秀が手紙を持ってきた。


 須田盛秀ももう五十九歳。

 今では二階堂家の宿将として歴戦の風格を帯びるに至っている。

 受領名が美濃守のため、巷では梶原政景、馬場信春と並んで天下三美濃と称されるほどと聞く。


 息子の須田秀広が先年に元服しており、もう隠居してもおかしくない歳だ。

 しかし、本人は第一線から退くつもりなど更々無いようである。

 史実では九十五歳まで役目を務めており、この世界線でもまだまだ頑健に活躍してくれることだろう。


 その須田盛秀から手紙を受け取り、封を開いて中身に目を通す。

 手紙は上洛中の息子盛隆からのものであった。


「ほう。これは朗報だな」


 思わず声が漏れた。


「南蛮医者が見つかったとある。奥州行きにも快く応じてくれたと。これは早速にも鴫山城にいる南御前に知らせねばなるまい」


 南御前は先月より南会津の鴫山城に詰めており、病床の彦姫の看病と姪たちの世話をしている。

 奇跡の薬、包仁丸のおかげで彦姫の病気の進行は食い止められているが、予断の許さない状況が続いていた。

 この知らせを聞けば大いに喜ぶであろう。


 しかし、よくこの短期間で南蛮医者が見つけられたものだ。

 盛隆の手紙によると、同じく上洛中の土佐・阿波・肥後の太守の長宗我部信親が親身になって手助けしてくれたとある。

 盛隆と共に正四位下参議に推挙された縁で宮中で言葉を交わすことになり、それがきっかけで高山右近を紹介されたようだ。


 かつて高槻城主であった頃の高山右近を頼り、長宗我部信親は関白秀吉の四国征伐を回避している。

 高山右近はバテレン追放令で領地と財産を捨てて野に下ったが、その後も両者の親交は続いていた。

 敬虔なキリシタンである高山右近は、当然ながら日ノ本のキリスト教徒コミュニティにおける第一人者だ。

 交友範囲はめちゃくちゃ広く、南蛮人にも顔が効く。

 盛隆はその高山右近の伝手に縋った。


「平戸にいた南蛮医者が運良く堺に滞在中だったようだ。すぐにその南蛮医者を連れて京を出立するとある」


「それはようございました。しかし殿は上洛したばかり。もう暇乞いとは、流石に関白殿下の怒りを買いませぬか」


 その須田盛秀の疑問はもっともだ。

 だが、現実はそうはなっていない。

 豊臣秀吉は二つ返事で盛隆の帰国を許可していた。


「豊臣秀吉はそれどころでは無いとさ。側室に迎えた織田信長公の姪の茶々姫に首っ丈だそうな」


 俺の遠い記憶が確かなら茶々は数え年で二十歳。

 北ノ庄城で柴田勝家と共に自害して果てたお市の方の長女で、後に豊臣秀頼を産むことになる姫君である。

 父と母と義父の仇である豊臣秀吉の求愛のアプローチを長く拒んできたが、聚楽第行幸が転換点となった様子。

 帝との交流で箔が付いた豊臣秀吉を天下人として認めざるをえず、今は毎夜閨房で組みしだかれていることであろう。


「それはまた、何と申しましょうか・・・」


 根が忠義な須田盛秀は、酢を飲んだような顔をしている。

 主筋の織田信孝を弑し、織田信雄をねじ伏せ、今また茶々を無理に娶った豊臣秀吉の傍若無人な振る舞いを、旧織田家の家臣たちが許容してしまっている事態が信じられないようだ。


「まぁ良いではないか。盛隆は諸々を京に残る輝宗殿に託して、中山道で戻ってくるそうだ。直接鴫山城に向かうとある」


 会津沼田街道を整備しておいて良かった。

 中山道の高崎から北上して沼田を経由すれば、奥州街道を使うよりも鴫山城へは大幅なショートカットとなる。

 順調に行けば、鴫山城へは一ヶ月後の到着の予定であった。






<1588年 7月中旬>


 盛隆一行が沼田に入ったと聞き、須賀川城から奥会津に移動する。

 弟の資近と妻の南御前らと共に、上洛を終えて帰国した盛隆を鴫山城にて出迎える。


「父上、こちらがお連れした南蛮の医者殿でございます」


「はじめまして。ジュリエッタと呼んで下さい。さっそく患者を診させてもらっても良いでしょうか」


 その南蛮医者は、二階堂家名物の檜風呂で長旅の埃を落とし、こざっぱりとした白衣に着替えて我々の前に現れた。

 わざわざ南蛮人向けに作らせて用意した椅子に座って対面。

 驚くべきことに、若く眉目秀麗な女医だった。


 金髪碧眼で背が高く、遠い未来となった現代でいうモデル体型の美人さんである。

 二十代前半くらいであろうか。

 落ち着いた低めの声で柔らかく響く日本語も流暢だ。


「お、おう」「む、むぅ」


「言葉が通じるとはありがたい。南蛮では女子も医師と成れるのか。まだ若そうだが腕は確かなのだろうな」


 面食らってしまった俺と資近に代わり、そもそも南蛮医者の召喚に疑義を抱いていた南御前がズケズケと物申していく。

 ジュリエッタと名乗ったその女医は、物怖じせず理知的にそれに応対する。


「八年ほど前にこの国に渡り、以降肥後天草の療養所にて日々患者を診てまいりました。出来る限りのことはさせて頂きます」


 ジュリエッタは、もともとが冒険商人であったルイス・デ・アルメイダの実家の商家の出である。

 幼い頃から医学に興味を持って学業に励み、やがて遠く極東の黄金の国ジパングで医者として活躍している叔父ルイスに憧れを抱くようになる。

 十五歳で吸収できる医学の知識を全て学び終えた彼女は、家を飛び出してゴアに向かった。

 更にマカオを経由して日本に渡り、ルイスを師事。

 五年前にルイスが天草で亡くなると、その後継としてルイスの弟子らと共に九州各地の療養所の運営を続けていたという。

 日本語も僅か一年で完璧に習得したとのことで、いわゆる天才の類いであった。


 彼女らを庇護していた大友義鎮亡き後、大友家の実権を握った大友義統は、豊臣秀吉のバテレン追放令にてあっさり棄教してしまった。

 豊後の府内にあった療養所は全て閉じられ、南蛮人を含むキリスト教徒は皆、平戸に逼塞させられてしまっている。

 状況を打開する為、直接豊臣秀吉との面談を求めて大阪に向かったジュリエッタであったが、堺で高山右近の説得を受ける。

 今はバテレン追放令取り下げは厳しい情勢と理解し、今後どう動くべきか思案していたところ、盛隆から声が掛かった。


 二階堂家は日ノ本北方の王者である伊達家の重臣だ。

 その伊達家は鎮守府を構えて日ノ本の五分の一を抑えており、豊臣秀吉でさえ一目置く存在である。

 大友家の次に庇護を願うべき相手かどうかを見定める良い機会と捉え、ジュリエッタは今回の依頼を受けていた。


 高い知性を感じさせるジュリエッタの物腰は、あっという間に我が妻の南御前の信頼を勝ち得てしまう。


「よかろう。阿彦のもとへ案内する。連れの者どもも一緒に参れ。ただ部屋に入れるのはそなただけだ」


「わかりました。問題ありません」


 ジュリエッタは後ろに控える己の従者たちにポルトガル語と日本語で声を掛け、南御前に従って移動を開始する。


 ジュリエッタの従者は南蛮人と日本人の二人。


 ロドリゲスと呼ばれた三十代半ばの黒髪碧眼鷲鼻の南蛮人は、190cm近くある身長でガタイも良く、胸と腕周りの太さが半端ない。

 ハンサムな顔つきで、身に纏っている洒落た衣装はジュリエッタのものよりも高級となり、ただの従者ではないことは一目で見て取れた。

 終始無言ながら、こちらを常に観察する鋭い目つきをしており、油断のならない印象を受ける。


 ヨハネと呼ばれた二十代半ばの貧相な日本人は、もとは五郎という名の地下浪人のようで、一般的な兵士と変わらない体格をしている。

 しかし人斬り特有の雰囲気を纏っており、腕はやたら立ちそうだ。

 ジュリエッタを見つめる目つきに陶酔が入っており、きっと狂信者の類いであろう。


 なんとも奇妙な組み合わせの三人組であった。






 ジュリエッタによる彦姫の診療は南御前に全て任せ、こちらは盛隆から上洛の結果について報告を受ける。

 盛隆の語る京の煌びやかさや大阪城の壮大さは、吉次より仕入れている情報通りだ。

 盛隆は聚楽第行幸に参列し、正親町上皇と後陽成天皇にも拝謁しているが、そちらは特段の興味は無い。

 重要なのは秀吉の為人と、鎮守府が豊臣政権に従属するに当たっての条件である。


「感情が豊かで賑やかな人でした。人たらしと称されるのも頷けます。されど人の情は喜楽のみにあらず。怒哀の深さも喜楽のそれと同等と推し量れば、この日ノ本で誰よりも怖い男ということになりましょう」


 それが盛隆が直接会って得た天下人豊臣秀吉の印象であった。


 人が人を超えて天下人になるには、何かの方法で人の臨界を超えねばならぬ。

 秀吉はその情の深さで人を超えて天下を取った。

 人を超える激甚な情をコントロールする冷徹さが秀吉に残っている間は、刃向かわぬ方が得策であろう。

 天下取りの道程でその冷徹さを担っていた黒田官兵衛は、やがて秀吉自身から危険視され、放っておいても豊臣政権の中枢から排除される。

 それまでは、如何なる条件を呑んでも鎮守府の力を温存するべきだ。


「石田三成らから提示された条件は、やはり父上が予想していた三点にございました。人質の差し出しと、検地台帳の提出と、領内の金山銀山の蔵入れ地として召し上げ。ジュリエッタ殿の件もあり、条件交渉については輝宗様に御一任して京を離れましたが、今頃は交渉もまとまっておりましょう」


「うむ。人質と検地台帳の件は兎も角だ。鉱山の件はいずれ応じると答え、実際には出来るだけ引き伸ばしたい。その間に予定の金銀量を掘り進めておかねばならぬ」


 一つ目の人質の件については、鎮守府を代表し、伊達家から今年数えで九歳になる輝宗殿三男雄勝丸が人質に出されることが内定していた。

 史実では記録に無い男子となり、小野寺家討伐後に東の方が産み、出産と同時期に雄勝の院内銀山が開講した為、雄勝丸と名付けられている。

 東の方の実家の最上家が伊達家に完全従属したことによる、夫婦間のパワーバランスの変化が文字通り生み出した子供であった。

 ただ、もしかしたら記録から抹消されているだけで、史実で武蔵の大悲願寺の住職となった伊達秀雄が、この三男雄勝丸に該当するかもしれない。

 謀反した次男竺丸の成敗後、お家騒動の元となるのを恐れて三男雄勝丸は僧籍に入れられ、記録から抹消されたとも妄想出来る。


 二つ目の検地台帳については、鎮守府はすでに奥羽と下野全域の総検地を昨年実施済みだ。

 豊臣政権の検地方式への切り替えの労は発生するが、机上での数値の変換作業だけで済む。

 今年の刈り入れ時の実績をベースにするにしても、来春には詳細な集計結果を報告可能になるだろう。

 我ら鎮守府が用意した緻密な検地台帳は、きっと石田三成を始めとした豊臣政権の吏僚たちの度肝を抜くに違いない。

 

 問題の三つ目の金山銀山の召し上げについては、鎮守府の財政への被害が大きすぎる為、東国の政情不安を盾に交渉を引き延ばす方針である。

 北条家が豊臣政権に潰されてしまっても困るが、簡単に従属を決めてもらっても困る。

 豊臣政権の東国への浸透は、段階的に進んで欲しかった。

 まずは北条領内への豊臣政権の公権力介入が済んでから、次は奥羽の番という流れを作りたい。

 その為の下準備は、上洛中の輝宗殿と遠藤基信の両者に任せてある。






<1588年 8月中旬>


 上洛を終えた輝宗殿が帰路の途中で小田原に立ち寄り、北条氏政の歓待を受けているとの知らせを受けて、須賀川から宇都宮に移動する。

 第三期拡張工事の真っ只中の宇都宮城で、輝宗殿の一行を出迎える。


 上洛隊の休憩の差配は遠藤基信に任せ、輝宗殿にまずは茶を差し出す。


「お疲れ様でした」


「ふぅ、やっと気を緩められるわ。義兄上、儂が留守の間に政宗が無茶を言い出さなんだか?」


「何やら仙台の湾に沿った大掛かりな堀の開鑿を思いついたらしく、まずは塩竈神社の造成から着手すると息巻いておりましたよ」


「ふむ。塩竈と七北田川と名取川と阿武隈川を川船で繋ぐわけか。我が息子ながら気宇壮大な計画よ。堀が出来上がった暁には、奥州の物資が一所に集まり、仙台は大阪の如く栄えような」


 上洛して上方の繁栄ぶりをその眼で見た輝宗殿は、商いの重要さを改めて身をもって知ったようだ。

 豊臣政権と平和裡に渡り合うには、今以上の富の集約が必要となる。

 しかし、金山銀山が秀吉に取り上げられる未来が見えている中、それに代わる商業振興策を模索している輝宗殿の想いと、政宗の思い付いた後年貞山堀と呼ばれる運河構想は見事に合致している。

 輝宗殿の帰仙後、すぐにでもゴーサインが下ることだろう。


「秀吉という人物をこの目で見定めて参ったが。あの派手好きで人の度肝を抜きたがる性格は、存外我が息子の政宗とは気が合うやも知れぬ。その点だけは安堵出来そうだ。ああ、それと秀吉は義兄上のことをだいぶ気に止めていたぞ」


「なんと!?」


「うむ、狭い茶室で千利休の茶を頂いての。その席で秀吉の口から義兄上の名が転がり出おった」


 原因は本能寺の変の折に滝川一益に渡した三行の手紙だった。

 滝川一益は柴田勝家と組んで秀吉に敗れた後、小牧長久手の戦いでは秀吉に従ったが、一昨年に既に鬼籍に入っている。

 その滝川一益が死の間際に秀吉に対して忠告を残したそうだ。


「亡くなった滝川一益曰く『東国に数多の武者おれど、天下の時流を読める人物は二階堂左京亮ただ一人』なのだそうだ。まさしく、と答えておいたわ」


 何だそりゃ。

 輝宗殿もやめてくれよ、もう。


「それから義兄上について秀吉から根掘り葉掘り聞かれたが、自分のことを猿と評した件、いつか詫びさせねばならぬと息巻いておったわ。巫山戯た態であったが、あの目は本気であろうよ」


 それはまた難儀な話だ。

 滝川一益の意趣返しであろうが、なかなかに深刻な展開になってきたぞ。

 言い訳を今から考えておこうか。


 それからしばしの間、輝宗殿と今後の課題を語らい合う場となる。

 自然と北条家の動向に話が向けられていった。






 輝宗殿が小田原城での北条家の歓待ぶりを伝えてくれる。


「京や大阪の煌びやかさに及ぶべくもないが、十分なもてなしであった」


 伊達家との連帯を強めたい北条家の意向が、強く伝わる設えだったようだ。

 しかし、と輝宗殿が続ける。


「饗応の指南役は山上宗二。千利休の高弟よ。豊臣秀吉と反りが合わずに上方を飛び出したところを、北条幻庵が小田原に招き入れたと聞く。どうも北条家の家人はこぞって山上宗二を師事しているようでな。それが困ったことになっておったわ」


 山上宗二の侘び茶の精神は、質朴を尊ぶ東国の武人の好みに合致する為、北条家の田舎侍たちは皆、山上宗二に感化されてしまっていた。

 そして、山上宗二は理非曲直を直言する男だ。

 有り体に言えば口が悪い。

 豊臣秀吉の為人を聞かれても、彼の口から発せられるのは強調された欠点のみ。

 その結果、北条家中では華美を好む豊臣秀吉を侮る風潮がやたらと強くなっていた。


「まず一族の北条氏規が当主代理として上洛する方向で話が進んでおる。しかし、あの茶人が北条家中に居座っている間は、事が上手く進みそうにない。それと沼田よ。北条氏政は兎にも角にも上州の沼田にこだわっている。角を矯めて牛を殺すなと助言したのだが、随分と頑固でな。義兄上、何か良い手は無いか?」


 史実でも山上宗二が北条家に仕えていたのは知っていたが、そんな厄介な状況になっているとは予想外であった。

 沼田の一件についても、鎮守府大将軍の輝宗殿の助言も効かないとなると、違う歯止めの仕方を考えなければなるまい。

 数瞬の沈思黙考の後、口を開く。


「山上宗二の師の千利休は堺の商人です。弾薬を売る為に豊臣家と北条家の手切れを狙い、千利休が間者として山上宗二を小田原に送り込んだと噂を流しましょう。北条家の風魔衆の相手は我が手の者の忍びには荷が重い故、黒脛巾組をお貸しくだされ」


「沼田の件は放っておいても豊臣秀吉が譲歩しましょう。されど真田昌幸殿は何やかやと理由を付け、名胡桃城だけは手放そうとしないはず。それでは北条家中も納得しますまい。真田家の名胡桃確保の名目を先に潰しておきます」


 ざっと思い付いた策を献ずると、愁眉を開く輝宗殿。


「むうぅ。さすが義兄上よ。あの豊臣秀吉が恐れるだけはあるわ」


 それはやめてー。

 天下人に危険視されるなんて、死亡フラグ以外の何物でもないっての。

 全くもって滝川一益許すまじだわ。






 最後に輝宗殿は彦姫の容態を尋ねてきた。


「それで阿彦の病はどうか」


「南蛮の薬が効いて、順調に快癒に向かっていると聞いております」


「ほう!それは何よりだ。阿彦の容態が落ち着いたら、その南蛮医者を仙台に寄越してくれ。儂からも褒美を取らせねばならぬ」


 褒美は構わないが、提言が必要だ。


 世界情勢を思い出してみると、そろそろアルマダの海戦の時期となる。

 イングランドとの闘争により、スペインとポルトガルは極東へ介入する余力を徐々に失っていく。

 無敵艦隊敗北の情報は、当然ながらバテレン追放令で平戸に集まっている宣教師たちの下へも届けられ、彼らの焦燥感を強めるであろう。

 ジュリエッタらが窓口となり、豊臣秀吉の臣下となった九州の諸大名に代わって、我ら奥羽鎮守府に庇護を求めてくるのは必定であった。


 反対に我ら奥羽鎮守府側も、ジュリエッタらを窓口として南蛮人との交易や技術交流を可能としたいところである。

 豊臣秀吉の発令したバテレン追放令は、あくまで宣教師の追放であり、交易商人の来日は禁止していない。

 特に地金から金銀を取り出す南蛮吹きについては、是が非でも入手せねばならない技術であった。

 そういう意味では、今回のジュリエッタらの奥州来訪は我らにとっても福音なのだ。


 匙加減は難しいが、豊臣秀吉の怒りを買わない程度での南蛮人との交流を成就させる為、ジュリエッタを早々に取り込まねばならぬ。

 今回の褒美として、南蛮船が寄港しやすい塩竈あたりでの施療院開設を認める案を輝宗殿に示す。

 教会の建設は厳しいが、施療院ならば言い訳も効く。

 あの聡明なジュリエッタならば、きっと乗ってくるはずだ。






<1588年 10月>


 北条一門の重鎮、北条氏規が徳川家康に案内されて京に登った。

 北条氏規と徳川家康の二人は、かつて人質として今川家で幼少期を共に過ごした仲だ。

 今では豊臣家と北条家の窓口役を共に担っていた。


 上方で北条家の去就を決める大事な交渉が進む中、信州の上田にて真田信幸と稲姫の婚儀が執り行われる。

 稲姫は徳川家康の養女となり、実父は東国最強と名高い本多忠勝だ。


 沼田問題に本腰で取り掛かるべく、二階堂家からの祝いの使者として、真田信幸とは旧知の中である前田利益を派遣。

 その前田利益が上田に向かうにあたり、一つだけ命令を与えていた。


「祝いの宴の席にて『真田氏の出自は真田庄の土豪と聞き及ぶが、真田家の祖先の墳墓は名胡桃に有りや無しや』と真田昌幸殿に尋ねよ。そうだな、出来るだけ祝いの使者の面々が多く揃う場で問うのが良い。昌幸殿ではなく真田家の武将たちの言質を取って、名胡桃に真田の墓は無い事実を確定させよ」


「何故そのような事を、とお尋ねしてもよろしいですかな?」


「北条は沼田にこだわっておる。真田も沼田は譲れまい。北条が豊臣に降るにあたって、沼田領の問題はきちんと片付けないと後々の遺恨となる。真田は沼田城を失っても、名胡桃城さえ保持出来れば直ぐに挽回出来ると考えよう。それを許さぬ為に、真田が名胡桃を領する特段の名目など何も無いことを、今の時点で明らかにしておこうと思ってな」


「まるで真田昌幸殿が先祖の墓を捏造するのを事前にわかっているかのような口振りですな」


 怪訝そうな前田利益に対し、堂々と言い張ってやる。


「あの表裏比興の真田昌幸殿だぞ。それくらいは平然と嘯くであろうよ」


 史実では、先祖の墓があると言い募って真田家は名胡桃を確保したと伝わっている。

 先にその嘘を潰してしまえ。






<1588年 12月>


 茶々の胎に豊臣秀吉の子供が宿ったとの知らせを受ける。

 正しく豊臣政権の終わりの始まりだ。

 関白就任を政権の発足日としてカウントすれば、僅か三年ばかりでの落日の開始である。


 当初の予定通りに吉次の奥州帰還を決定する。

 当然吉乃も一緒である。


 吉乃は今年数えで十八歳。

 そろそろ婿取りを考えねばならないところなのだが・・・。

 しかし、吉次の商隊を栃木の小金井宿まで出迎えてみれば、その吉乃の姿が無い。


「吉次よ。吉乃の姿が見えないがどうしたことか」


「あの子なら大阪です。いくら言い聞かせても聞かないので、お店を任せて置いてきました。もう子供ではないので、大丈夫でしょう。好いた男もいるみたいですし」


「な、何?好いた男だと!?一体どこのどいつだ!」


「大殿!それよりも是非とも会って頂きたいお人がおります。ジュスト殿をこちらにお呼びして頂戴」


 動転する俺に構わず、使用人に声を掛ける吉次。

 ジュストだと?

 そいつが吉乃の男なのか!?


 そして現れたのは三十半ばの白皙の美男。

 首に大きな傷痕がある。


「そ、そなたが吉乃に手を出したのか。良い度胸だっ」


「もう大殿ってば何を言っているんですかっ。ジュスト殿、こちらが二階堂家の大殿です」


「二階堂左京亮様にはお初にお目にかかります。ジュスト右近と申しまする」


 ジュスト右近だと?

 もしやあの高山右近のことか!?


「伊達政宗殿とコエリョ司祭の取り引きの件をお諫め致したく、是非とも鎮守府将軍にお取り次ぎ頂きたい」


 なんと吉次の商隊に、今度は高山右近が同道してきた。

 深刻な面持ちで輝宗殿への取り次ぎを願い出てきた高山右近。


 その高山右近の口から今、伊達家嫡男の政宗とイエズス会日本支部準管区長ガスパール・コエリョが結んだ、驚くべき密約が語られようとしていた。







<年表>

1588年 二階堂盛義 44歳


01月

★大阪の豊臣秀吉(51歳)、北条家の里見支配を追認。徳川家康(45歳)を東国取次役に任命し、関東奥羽惣無事令を発動。

▽柳川の立花統虎(21歳)の妻の誾千代(19歳)、肥後一揆が無かった影響で懐妊。

▽豊前の黒田長政(20歳)、城井鎮房(52歳)の降伏を受け入れる。


02月

★京に戻った足利義昭(51歳)、将軍職を朝廷に返上。豊臣政権が正式に発足。

★大阪の豊臣秀吉(51歳)、徳川家康(45歳)と真田昌幸(41歳)の対立を仲裁。本多忠勝娘の稲姫(15歳)と真田信幸(22歳)が婚約。

▽豊後の大友義統(30歳)、上洛して従五位下侍従叙任。


03月

★伊賀伊勢の筒井家臣の島左近(48歳)、筒井家を退去。豊臣秀長(48歳)の紹介で石田三成(28歳)に仕える。

☆駿河の徳川家康(45歳)、豊臣秀吉(51歳)の推挙により従二位権大納言叙任。

☆駿河の徳川家康(45歳)の三男長丸(9歳)、豊臣秀吉(51歳)の推挙により従五位下侍従兼蔵人頭補任。

◎須賀川にて二階堂盛隆の正室の甄姫(28歳)が出産。次女の彩子誕生。

◆相模の北条氏政(50歳)、豊臣秀吉(51歳)からの聚楽第行幸への列席要請を拒否。


04月

▽豊後の大友義統(30歳)、上洛を終えて帰国。

★大阪の豊臣秀吉(51歳)、養女の豪姫(14歳)を宇喜多秀家(16歳)に娶せる。

◆相模の北条氏政(50歳)、箱根の山中城と足柄城の大改修を完了。伊豆下田城完成。

◎仙台の二階堂盛行(18歳)、成田氏長(46歳)の長女の甲斐姫(16歳)を娶る。

■仙台の伊達輝宗(44歳)、北奥羽の諸将に命じて五稜郭の築城に着手。

□平戸の南蛮女医ジュリエッタ(23歳)、豊臣秀吉(51歳)にバテレン追放令取り下げを請願すべく上洛。高山右近(35歳)に止められる。


05月

■仙台の伊達輝宗(44歳)、海路で上洛して豊臣秀吉(51歳)に頭を下げる。伊達政宗(21歳)への鎮守府将軍職継承を奏請。従三位権中納言叙任。

◎須賀川の二階堂盛隆(27歳)、伊達輝宗(44歳)に同行して上洛。庶弟の行丸(12歳)の佐野家婿入りを奏請。正四位下参議叙任。

▽肥後の長宗我部信親(23歳)、上洛して正四位下参議叙任。

★大阪の豊臣秀吉(51歳)、聚楽第行幸を実現。

▽豊前の黒田長政(20歳)、城井鎮房(52歳)を騙し討ち。城井党を尽く殺害。

◎南会津にて大久保資近正室の彦姫(36歳)が病臥に伏す。


06月

☆駿河の徳川家康(45歳)、北条氏政(50歳)に上洛を要請。

★大阪の豊臣秀吉(51歳)、浅井三姉妹の茶々(19歳)を側室に入れる。

◎上洛中の二階堂盛隆(27歳)、長宗我部信親(23歳)から高山右近(35歳)経由で南蛮女医ジュリエッタ(23歳)を紹介される。

□南蛮女医ジュリエッタ(23歳)、帰国する二階堂盛隆(27歳)に同道し、奥州へ向かう。

◆上越の上杉義真(9歳)、上洛して従五位下民部少輔叙任。同行した義父の上条政繁、従四位下山城守叙任。

◆相模の北条氏政(50歳)、豊臣秀吉(51歳)に追われた茶人の山上宗二(44歳)を保護。


07月

◎宇都宮で前田利益(37歳)室の阿蛍(27歳)が次女出産。

◎須賀川の二階堂盛隆(27歳)、中山道と会津沼田街道を使って帰国。南会津の鴫山城に立ち寄る。

□南蛮女医ジュリエッタ(23歳)、南会津の鴫山城で大久保資近正室の彦姫(36歳)を治療。

▽上洛中の長宗我部信親(23歳)、上洛を終えて帰国の途に着く。

■上洛中の伊達輝宗(44歳)、上洛を終えて帰国の途に着く。

▷大隈の島津義弘(53歳)、上洛して従五位下侍従叙任。


08月

◆相模の北条氏政(50歳)、帰国途上の伊達輝宗(44歳)を小田原城で歓待。

◎南会津の大久保資近正室の彦姫(36歳)、南蛮女医ジュリエッタ(23歳)の治療で快癒。

□アルマダの海戦。イングランド&オランダ連合艦隊がスペインの無敵艦隊を撃破。

★大阪の豊臣秀吉(51歳)、刀狩令と海賊禁止令を発動。

■仙台の伊達輝宗(44歳)、東海道と奥州街道を使って帰国。下野の宇都宮城に立ち寄る。

▽柳川の立花統虎(21歳)の妻の誾千代(19歳)が嫡男八幡丸出産。

◆上洛中の上杉義真(9歳)、上洛を終えて帰国の途に着く。

■仙台の伊達輝宗(44歳)、南蛮女医ジュリエッタ(23歳)を仙台に招いて歓待。塩竈での療養所開設を許可。

■仙台の伊達政宗(21歳)、伊達輝宗(44歳)から塩竈滞在中の世話を命じられ、南蛮女医ジュリエッタ(23歳)を見染める。


09月

■仙台の伊達政宗(21歳)、塩竈神社造成中にアルメイダ商会番頭のロドリゲスと接触。ロドリゲスを通してコエリョ司祭との交渉を開始。

□南蛮女医ジュリエッタ(23歳)、塩竈で療養所開設に着手。人と医療物資を集める為にヨハネ五郎を平戸に派遣。

■仙台の伊達政宗(21歳)、ロドリゲスの策に敢えて乗り、南蛮女医ジュリエッタ(23歳)と情を通じる。

▷上洛中の島津義弘(53歳)、上洛を終えて帰国の途に着く。

▷安芸の毛利輝元(35歳)、上洛して正四位下参議叙任。

▽柳川の立花統虎(21歳)、上洛して従五位下侍従叙任。


10月

◆相模の北条氏政(50歳)、北条氏規(43歳)を上洛させて豊臣秀吉(51歳)と交渉。

◆上田の真田信幸(22歳)、徳川家康(45歳)の養女の稲姫(15歳)を娶る。

◎宇都宮の二階堂盛義、前田利益(37歳)を真田家の婚儀に派遣。


11月

▷上洛中の毛利輝元(35歳)、上洛を終えて帰国の途に着く。

▽上洛中の立花統虎(21歳)、上洛を終えて帰国の途に着く。

★京で徳川四天王の酒井忠次(61歳)が眼病のため隠居。嫡男の酒井家次(24歳)が家督を継ぐ。

□南蛮女医ジュリエッタ(23歳)、伊達政宗(21歳)の子を懐妊。

★大阪の豊臣秀吉の側室茶々(19歳)、懐妊。

★大阪の豊臣秀吉(51歳)、浅井三姉妹の江(14歳)を豊臣秀勝(18歳) に嫁がせる。江、再婚。


12月

▽肥後の長宗我部信親(23歳)、天草五人衆の反乱を鎮圧。

◇白河の吉次(38歳)、吉乃(17歳)に上方の商いを任せて奥州に下る。高山右近(35歳)を同道。

■仙台の伊達輝宗(44歳)、庄内大堰の延伸を完工。


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▲天変地異

◎二階堂

◇吉次

■伊達

▼奥羽

◆関東甲信越

☆北陸中部東海

★近畿

▷山陰山陽

▶︎︎四国

▽九州

□外国勢力


<同盟従属情報[1588年末]>

- [伊達輝宗]・二階堂盛義・相馬義胤・岩城常隆・新発田重家・結城晴朝

- [豊臣秀吉] ・徳川家康・毛利輝元・長宗我部信親・大友義統・上杉義真・真田昌幸・佐竹義重・多賀谷重径・島津義久・龍造寺政家・有馬晴信

- 北条氏政


挿絵(By みてみん)


須賀川二階堂家 勢力範囲 合計 80万1千石

・奥州 岩瀬郡 安積郡 安達郡 石川郡 白川郡 26万2千石

・奥州 伊達郡 2万石

・奥州 信夫郡 1万2千石

・奥州 会津郡 3万石

・奥州 標葉郡 楢葉郡 3万石

・奥州 行方郡 2千石

・野州 河内郡 芳賀郡 那須郡 塩谷郡 足利郡 梁田郡 29万石

・野州 都賀郡 8万5千石

・野州 安蘇郡 2万石

・常州 久慈郡 5万石


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― 新着の感想 ―
[良い点] 年表良く読むと、、 [気になる点] 政宗サンの独眼竜が荒ぶってるw
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