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二階堂合戦記  作者: 犬河兼任
第九章 小田原カウントダウン
55/83

1587-1 慶弔

<1587年 3月>


 天正十五年の春。

 遠く九州の地で豊臣家と島津家が激しく争っている。


 大坂に滞在中の吉次からの手紙によれば、豊臣秀吉はまだ大坂城に居た。

 黒田官兵衛や小早川隆景らの先発隊を小倉に派遣し、九州の玄関口を地均らし中だという。

 その間に遠征本軍の編成を進めているのだとか。


 仙台城の一室にて輝宗殿と茶を飲みながら、九州の戦況に関する情報交換を行う。


「義兄上。西海道の戦さだが、緒戦は島津方の勝利と言えど、豊臣方の思惑通りの形勢ではなかろうか」


「はい。島津義久としては、豊臣秀吉本人の到来前に豊後を攻め取りたかったところでしょうが、そうは成っておらぬ様子ゆえ」


 豊臣秀吉の九州平定戦の緒戦。

 豊後の戸次川の戦いは、島津方に軍配が上がっていた。

 しかし、大友家の本拠である府内城は未だ落城していない。

 大砲を揃えてある大友宗麟の臼杵城と共に、島津軍の攻勢を食い止め続けている。

 吉次の報告をよくよく読み込むと、戸次川の戦いの経過が俺の知る歴史とかなり異なっていた。


「府内城を寡兵で死守している長宗我部信親とやらは、聞けば政宗と二歳しか違わぬと言うではないか。大したものよ」


 輝宗殿の感嘆の言葉どおり、戸次川の戦いで討死するはずの長宗我部信親が生きている。


 史実では、功名を焦った豊臣方の軍監の仙石久秀が、豊臣秀吉の持久戦指示に従わず暴走。

 鶴賀城を救援すべく戸次川を渡り、島津家久との戦さに及んでしまう。

 結果、島津家のお家芸である釣り野伏せにやられ、大敗して長宗我部信親や十河存保らの多くの将兵を失った。

 豊臣秀吉は面目を失い、反対に島津方は意地を見せたわけだが、しかしこの世界線ではそうなっていない。


 四国征伐を回避した折に長宗我部元親が既に隠居しており、家督を継いだ長宗我部信親が土佐阿波の二カ国の兵を率いていた影響だろうか。

 豊臣方の第一陣の仙石久秀と第二陣の十河存保が戸次川を渡河するも、長宗我部信親の第三陣は川を渡らずに高みの見物を決め込む。

 これには豊臣方の全軍が川を渡り切るのを待っていた島津家久も戸惑い、その隙を突かれて仙石久秀と十河存保に押し捲られる。

 最終的には必殺の釣り野伏せが炸裂して仙石久秀らは粉砕されるわけだが、その頃にはもう長宗我部軍はさっさと府内城に引き返していた。


 首尾良く十河存保を討ち取って仙石久秀を追い散らした島津家久は、長宗我部軍を追尾して府内に攻め入った。

 既に豊後国主の大友義統は府内城を放棄して逃亡していたが、長宗我部信親はその府内城に籠っての徹底抗戦を選択する。

 豊臣秀吉の当初の指示、本隊が到着するまで持久戦の戦法で凌ぐ策を取ったわけだ。


 この結果、攻め手の島津軍一万八千と守り手の長宗我部軍一万が府内城で激突。

 かなり激しい攻防戦になって、双方に損害が出ている様子である。

 吉次が伝え聞いた話によると、長宗我部方は副将格の本山親辰が討ち死にし、島津方は主将の島津家久が手傷を負ったとか。


 島津家久と言えば、三年前の沖田畷の戦いで龍造寺隆信率いる三万余の肥前勢を六千の寡兵で撃ち破った、島津家きっての戦巧者だ。

 守備側が有利な籠城戦と言えど、その島津家随一の軍略を誇る島津家久と互角に戦うとは、長宗我部信親も大したものと言えよう。

 土佐の出来人と呼ばれる長宗我部元親が、樊噲にも劣らないと溺愛していただけはある。


 長宗我部信親は伊達政宗と同年代だ。

 若さを武器に世に躍り出たい政宗にとっては、思わぬライバルの登場だろう。






 輝宗殿が続ける。

 

「我が伊達家の黒脛巾組の調べによると、豊臣秀吉は長宗我部信親の奮戦を称揚し、既に九州へ派遣済みの毛利や長宗我部らの五万の兵に加えて、十五万余の西征軍を仕立てているそうな」


「はっ。吉次からも同様の報告が参りました。島津勢は一溜まりもありますまい」


 府内城が持ち堪えている以外は、ほぼ史実の九州征伐と同じ展開だ。


 この時代の九州の石高は、覚えている限りでざっくり計算して約三百万石前後。

 しかし島津家と同盟関係にある秋月家を除き、筑前・筑後・豊前・豊後には依然として大友家に従う国人衆も多い。

 また肥前の龍造寺家は今でこそ島津家に従っているが、先主の龍造寺隆信が沖田畷の戦いで討たれるまで、九州の覇権を巡って激しく争っていた間柄である。

 豊臣秀吉が大軍を率いて九州に上陸すれば、真っ先に島津家を離反するのは目に見えていた。


 島津が裏切りの心配をせずに運用可能なのは、薩摩・大隈・日向・肥後の四カ国の兵のみ。

 精一杯抽出したとしても五万人を少し超えるくらいのはず。

 秋月種実の兵を加えても七万には届くまい。


 対する豊臣秀吉方の兵数は、九州北部の諸勢力の兵も加えて、最終的には二十二万人近くまで膨れ上がる計算となる。

 両者の間に三倍以上の兵力差が生じている為、島津四兄弟と秋月種実は厳しい戦いを強いられるだろう。

 

「やはり戦さは数よの。我らもいにしえに謳われる奥州藤原氏の十七万騎の手勢を実際に揃えられれば、豊臣秀吉に対抗できようものを」


 人口が多い畿内と中部を基盤とする豊臣秀吉を羨む輝宗殿。

 奥州合戦の鎌倉二十八万騎、奥州十七万騎は明らかに誇張となるが、輝宗殿が言わんとする事は分からんでもない。

 現在奥羽鎮守府が継続的に動員可能な兵の数は、我が二階堂家の手勢も含めて外征時に八万五千人、防衛時に十四万人の計算になる。

 これを最低でも二倍にまで増やしたい。


 輝宗殿に言上する。


「兵の数を増やすためには、民の数を増やさねばなりませぬ。民の数を増やすには農地を広げねばなりませぬ。農地を広げるには先ずは土地を知ることが肝要。この春の庄内大堰と那須疏水の着工と並行して、奥羽の総検地を是非とも成功させなければなりますまい」


「うむ」


「合わせて奥羽の地を隈なく把握する為、各地の風土を調べ、海岸線を含めて領内の測量を行うのです。土地に合った産物を育て、良湊を開き、街道を整える。その上で商いを奨励し、足りている場所から足りていない場所に物資を行き渡らせる。そうやって国を富ますしか、鎮守府が生き残る道はございませぬ」


「国を富ますという意味では、今から会う蠣崎慶広の扱いも重要となろうな」


「はい。蝦夷地の開拓と蝦夷の民との交易もまた、これからの鎮守府の力となりましょう」


 先年の天正十四年の暮れに、豊臣秀吉が従一位関白兼太政大臣を叙任した。

 この時に鎮守府からの慶賀の使者として遠藤基信が上洛。

 祝いの品々を届けたところ、昨年の講和時の条件であった蝦夷地の交易開発徴税を認める朱印状が、返礼として豊臣秀吉の名前で発行されている。


 そして蝦夷地開発のキーとなる寒冷地の救荒作物の代表格、ジャガイモは既にゲット済みだ。

 既に観賞用として複数種日本に持ち込まれていたジャガイモの花を、先年吉次が博多で全て買い付けてくれた。

 そのジャガイモの花々は我が二階堂領内に持ち込まれ、去年一年かけて試験栽培を完了している。


 さっそく渡島半島南部を治める蠣崎慶広を仙台まで招聘しており、今日はこれからその目通りが予定されていた。

 俺も隣席することになっている。


 小姓が茶室の外から声をかけてくる。


「殿、蠣崎慶広殿が登城されました」


「うむ。では義兄上、参ろうか」


「はっ」


 一服を終えて席を立つ。


 正直なところ、奥羽や下野、越後には農地の余地が果てしなく有り、無理して北海道を開拓するメリットは何もない。

 しかし、俺が死んだ後もこの世界線が続いていくと仮定するとだ。

 少なくとも今から二百年の内に、蝦夷地だけでなく樺太や千島まで日本の領土として明確化しておいた方が良いだろう。


 その為の仕組みを用意しておくとしようか。






 蠣崎家は蝦夷管領を称していた安東家の被官である。

 しかし五年前の本能寺に変に乗じた鎮守府の安東征伐により、その主従は断絶していた。

 今回の謁見により、蠣崎慶広は松前姓に名乗りを変え、伊達家の直臣となることが決定する。


 輝宗殿は松前慶広に蝦夷地の海岸線の測量を命じる。

 また俺の進言により、函館の地に新たな城を築くことが決まった。


 蝦夷地に進出した鎮守府の権威と強勢さを象徴する、強力な城を作るのだ。

 その新たな城を足掛かりとし、鎮守府は蝦夷地の開拓に着手する。

 将来的には内浦湾を越えて室蘭、苫小牧、千歳、札幌に進出。

 いずれは北海道全域を支配下におけるよう持っていきたい。


 その為には人、物、金がいる。

 北奥羽の諸大名たちを上手く使う必要がある。

 利をちらつかせ、なだめすかし、ときには尻を叩いて蝦夷地開拓に注力させるべきであろう。


 津軽為信、九戸政実、安東通季、斯波義光。

 彼らは今、鎮守府より領内の検地と測量を強要されて戸惑い、不満を溜め込んでいよう。

 その溜飲を下げさせるのに、ジャガイモは役に立つ。


 寒冷で米の収穫量が期待出来ない彼らの領地にとって、ジャガイモの普及はまさに福音だ。

 毒素の集まる芽や緑色になった皮の除去だけ気を付ければ、十分に主食となれるポテンシャルを秘めている。

 美味しくいただくためのレシピも合わせて教えてやれば、彼らの国力もずっと上がるはず。

 天明、天保の大飢饉の地獄絵図も回避できよう。


 逆にジャガイモに依存し過ぎてしまう恐れもある。

 そうなると19世紀半ばにアイルランドで大飢饉を巻き起こしたメキシコ由来のジャガイモの疫病が怖い。

 複数品種を混ぜて栽培するよう、今から徹底しておかねばなるまい。


 取り急ぎ、新城の縄張りを津軽為信に命じてみた。

 どんな図面が出てくるか、今から楽しみである。






<1587年 4月>


 鎮守府の総力を挙げての奥羽、越後、下野、常陸の総検地が粛々と開始された。

 並行して庄内大堰と那須疏水を着工。

 二階堂家の吏僚たちは測量と土木事業で大忙しだ。


 二階堂領内の検地については、奥州の所領を盛隆、下野常陸の所領を奥村永福に任せてある。

 那須疏水の開削の指揮を取るのは河東田清重だ。

 大関晴増、福原資広、大田原晴清の那須三人衆をその補佐役に配す。

 

 自分はと言うと、自領の内政は息子と部下たちにお任せして仙台に留まり、鎮守府主催のもう一つの大事なイベントの準備に専念している。

 輝宗殿の長女の千姫の婚儀が間近に迫っていた。


 千姫は今年で十四歳。

 史実とは異なり、俺の進言により幼い頃から食育に力を入れ、牛の乳搾りも欠かさなかった事で、無事髪結いを終えていた。

 嫁ぎ先は新発田重家の嫡男治時。

 十六歳の若武者である。


 昨年の関白秀吉との講和時に、下越の揚北衆は正式に伊達家の寄騎大名となった。

 これを受けて、新潟津を抑えて揚北衆の中でも飛び抜けた勢力となっている新発田家については、揚北衆筆頭の地位と共に仙台に屋敷が下賜されている。

 新発田治家は仙台に出府し、岩城常隆や九戸政実の嫡男政信らと同様に、一年のうちの半分を仙台で過ごすこととなる。

 今回の婚儀は、千姫の新たな居となるその新築の新発田屋敷の御披露目も兼ねていた。


 それだけでは無い。

 今年は何と言っても仙台開府十年の記念すべき年でもあった。


 開府当初の都市計画どおり、街の拡張は順調に推移しており、人口も既に十万の大台に手が届きそうなほどとなっている。

 治安を維持したままで、より活力のある都市へと育んでいくためには、ハレの日を出来るだけ多く作って民忠をガンガン上げる必要がある。

 ここらで一発伊達家主導で華やかな祭りを企画開催し、民衆に媚びを売っておくべきであろう。

 輝宗殿に進言し、鎮守府将軍の伊達家の一の姫の婚儀を寿ぐ名目で、仙台市中で様々な催し物を企画してあった。

 

 祭りのメインイベントと言えばやはりパレードだ。

 イベントとしてのフォーマットは、我が領内の宇都宮で毎年秋に開催している盆踊りを流用。

 しかし祭囃子は激しいものに変え、踊りも両手に持った扇子をスズメの羽根のようにして舞う形式に変更する。

 町民たちに扇子を配って舞わせるのである。


 町民への踊りの指導は、次男の盛行が担ってくれた。

 舞踊を特に好み、暇さえ有れば修練を続けているだけあって教え方が上手い。

 長男の盛隆にも劣らない美貌にプラスして、柔らかい立ち振る舞いが好かれるのか、もの凄い人気であった。


「「「きゃーっ、盛行さまーーーっ」」」


 町割ごとに組織された祭連に指導に赴く都度、女子衆からの黄色い歓声が溢れる。

 父親ながらちょっと引くレベルだ。


 なお囃子の指導の方は、今は元服して岡本正富に名乗りを変えた、塩谷の岡本正親の次男清九郎が担っている。

 幼い頃から盛行の補佐を勤めてくれており、今回も同様であった。

 岡本正富は謡曲師の道慶に鼓と笛を習っており、こちらもまた名人級の腕前で教え上手だ。


 僅かな練習ながら、そこそこに見て聞いて楽しめる踊りと囃子に仕上がっていく。

 個人的な思いとしては、このパレードは毎年開催とし、現代まで続く青葉祭りの原型としたい。

 盛行の案内で練習を視察した政宗はだいぶ興奮していたと聞くから、脈はあるだろう。






<1587年 5月上旬>


 婚儀の当日を迎える。

 快晴だ。


 俺の目論見通り、仙台市中は大いに盛り上がっている。


「どうであろう。板部岡江雪斎殿。岡本顕逸殿。この熱気はなかなかのものであろう」


「はい。真に。民の顔が輝いておりますな」


「この華やかさ。噂に聞く祇園社の祭りに匹敵しましょう」


 慶事に託けて北条と佐竹の両家の代表を呼び寄せ、俺自ら次男の盛行と共に、市中を案内しながら外交戦を展開中である。

 盛行が側にいると、踊り手の女子衆たちが良いところを見せようと真剣に踊ってくれるから都合が良い。

 この民衆たちの熱気は、思惑通りプレッシャーとなっているようだ。

 鎮守府の隆盛の程を思い知るが良い!


 先月の三月一日。

 九州に向けて出陣した豊臣秀吉であったが、その出立直前に輝宗殿へ書状を寄越していた。

 北条家と佐竹家の和睦の仲立ちを求める内容で、「北条家が豊臣政権に臣従しやすい環境作りをせよ」とのお達しである。

 自身の九州征伐中に、東国の諸将が連合して後背を突いて来ないよう、牽制してきたわけだ。


 そのオーダーを輝宗殿から下請けした俺は、婚儀を利用して両家を交渉のテーブルに座らせるところから、和平の道を模索し始めていた。

 

 北条家と佐竹家は長年敵対関係を続けており、犬猿の仲で有名である。

 流石に佐竹家が豊臣秀吉に臣従してからは、北条家も露骨な戦闘行為自体は控えている。

 しかし、一触即発な状況には変わりはなかった。


 ここ数年の北条家の動勢だが、一昨年の暮れに本佐倉城を攻め落として千葉家中の反北条派を黙らせ、下総の名族千葉家の乗っ取りに成功している。

 北条氏政の五男直重が千葉家の家督を継ぎ、本来千葉家を継ぐはずであった千葉邦胤の嫡男の千鶴丸は、小田原城で人質生活中である。


 次いで北条氏政は、上総安房の完全支配を目論む。

 里見義弘の陣没で嫡男梅王丸派と弟の義頼派に分裂した里見家を、北条氏政が容赦なく各個撃破したのが今から九年前だ。

 幼年だった梅王丸は出家させられ、降伏した里見義頼も汲々とした日々を過ごすのを余儀なくされる。

 そんな里見家に対し、北条氏政は梅王丸の妹が成人するのを待って弟の氏忠に娶らせ、その上で里見義頼に対してその氏忠を養子とするよう強要。

 つい先日に里見義頼が亡くなると、北条氏政は待ってましたとばかりに義頼の実子らを小田原に隔離し、弟の氏忠を里見家の新当主に据えてしまう。


 九年の長い時間の中で、里見家臣団はすべて北条家に懐柔もしくは討伐されている。

 更に北条家は操り人形である関東公方の足利国朝を使い、里見氏忠の家督継承の体裁を整えていた。

 上総安房の国衆は完全に沈黙し、表立って北条家に抗議しているのは国外の佐竹家くらいだ。


 名実共に上総安房の領国化を成し遂げた北条氏政は、後北条家としての最大版図を得たことで意気揚々である。

 佐竹義重の抗議を鼻で笑い飛ばし、「文句があるなら一戦に及ぶべし」と逆に挑発する態度を見せている。


 これを仲裁するのは、中々に骨の折れる仕事であろう。







 パレードは成功裏に終わり、新発田治時と千姫の婚儀も盛大なフィナーレを迎えた。


 三者会談も同じく締めに入る。

 北条家側の交渉の窓口役の板部岡江雪斎は、幸いなことに豊臣政権と敵対する愚を弁えていた。

 如何に北条氏政の面子を守って話を落着させるかが、この和睦の鍵となろう。

 まずは和睦に向けての課題を出し合い、定例的に会合を開いて交渉を進めていくレベルでの合意で、今回は良しとする。


 北条と佐竹の両家の間には、小山秀綱と小田氏治と千葉良胤の扱いなどの係争中の難問が山ほどある。

 今後の会合を重ねる中で、一つ一つその争点の落とし所を探っていくことになる。


 佐竹家の岡本顕逸も含め、婚儀の参列者たちは皆が帰途に着き始めた。

 しかし、北条家の使僧の板部岡江雪斎だけは最後まで居残っている。

 向き直って深く礼をしてくる板部岡江雪斎。


「左京亮様。折り入ってお頼みしたき儀が御座い申す」


「はて、どのような話かな」


「佐竹家は二階堂家と縁戚同士。しかるに我が北条家は二階堂家との間に確たる縁が御座いませぬ。この度の和議の仲介役をお任せするに当たって、是非とも我らとも縁を結んで頂きたい」


「それはまた急な話よ。北条氏政殿のご意向かな?」


「ははっ」


 二階堂家、ひいては伊達家が豊臣秀吉方に転ばぬよう、鎖もしくは鈴を着けておきたいわけだ。


「しかし、誰と誰を(めあわ)せる?孫の麒麟丸はダメだぞ。輝宗殿の次女の杏子殿という立派な許嫁がいるゆえ」


 今のところ須賀川二階堂家の嫡流筋に、麒麟丸以外の嫁取り可能な男子は存在しない。

 逆にこちらから姫を出すとしたら、姪のだんみつが今年十二歳でもうすぐ髪結いだ。

 となると、また弟の資近と彦姫に泣いてもらうことになる。

 それはさすがに辛いな。


「御次男の盛行殿は、今年何歳に成られましょうや」


「盛行だと?今年で十八よ。ううむ、そこを狙ってきたか」


 俺も盛行に相応しい嫁を探していたが、伊達の宗家や一門衆に適齢の姫がおらず、難義していたところではある。

 本人も色恋沙汰よりもまだまだ舞踊の修練の方が好きなようで、持ち寄られた数々の縁談を本人にやんわりと断られてしまっている現状があった。


 だが国と国同士の国策を絡めた縁談となれば話は別だろう。

 盛行にも覚悟を決めてもらはねばならぬ。

 

 ただしだ。

 あまりにも北条の宗家に近い姫を嫁に貰うのは、我が二階堂家の家中の統制の観点からすると好ましくなかった。

 既に家督を譲っている長男の盛隆の正室は、甄の方である。

 二階堂宗家と壬生家の血を引き、またかつての日光座主を祖父に持ち、さらに輝宗殿の養女でもあって権威は十分とは言え、後ろ盾は無いに等しい。

 そこに次男の盛行の妻として大北条家の姫君が嫁いで来るとなると、二階堂家中のパワーバランスがおかしなことになってしまう。


 その旨を伝えると、板部岡江雪斎はギラリと眼を光らせてきた。


「ならば北条家中の重臣の娘であれば如何でしょうや。氏政様の養女として縁組させて頂く分には差し支えありますまい」


「そういうことになるな」


「わかり申した。必ずや盛行殿に相応しい娘御を探して参りましょう」


 すでに目ぼしい姫の当てがあるのだろうか。

 不敵に笑って板部岡江雪斎は去って行く。


 さてどんな娘御を連れてくるのやら。






<1587年 5月下旬>


 慶事が有れば弔事も有る。


 千姫の婚儀から一週間後、仙台の我が二階堂屋敷に凶報がもたらされる。

 広瀬川向かいの会津伊達屋敷にいる、我が娘のお元からの急報だ。


 婚儀に参列する為、隠居城の大森城から来仙していた義父の伊達実元殿が、朝餉の後に卒倒したとのこと。

 妻の南御前と共にお元のもとへ駆け付ける。


「お元、大丈夫か!?」


「父上!母上!」


「実元叔父の容体はどうなっている?」


「それが、一向に目を覚されないのですっ」


 お元の案内で臥所に急ぎ向かい、伏している実元殿のステータスを戦闘モードで確認する。


 重病状態だ。

 症状から見るに重度の脳卒中であろう。

 残念だが、助かる見込みは限りなく低そうに思えた。


 暫く容体を見守り続けるが、実元殿は昏倒したまま眠り続け、再び覚醒することは終ぞ無かった。


 数日後の天文十五年の四月十六日の黄昏時。

 実元殿は嫁のお元に看取られ、静かに息を引き取る。


 知らせを受け、会津から仙台に急ぎ駆けつけた成実であったが、親の死に目には間に合わなかった。


「父上。完成した若松城を見て頂きたかった」


「成実さま」


 実元殿の亡骸を前に嘆く成実。

 寄り添うお元。


 蘆名氏滅亡後、実元殿が長く城主を勤めていた会津の黒川城は、実元殿の跡を継いだ成実の手によって先年より改築中であった。

 黒川城を大規模に造り替えるにあたり、成実は城名も若松城に改めている。


 この改名には、俺も意図しないながらも一枚噛んでいた。

 改築工事の成功を祈り、着工時に縁起物として「完成のあかつきに城中に植えてくれ」と松の若木を会津に送っていたのだ。

 その松を余程気に入ったのか、それとも俺の顔を立ててくれたのか、若い松に(ちな)んでの若松城である。

 由来は違うが、史実と同じ会津若松城に収束したわけだ。


 世界線の収束の妙に思いを巡らせながら、実元殿の葬儀の準備に取り掛かる。






 伊達実元殿の享年は六十一歳。


 世が世なら、越後守護の上杉家を継いだかもしれなかった御仁である。

 しかしそうはならず、代わりに天文の大乱を巻き起こしている。


 その天文の大乱の泥沼の戦さを経験し、やたら戦さ慣れしていた伊達家中の面子は、ほぼほぼ引退もしくは鬼籍に入ってしまった。

 未だピンシャンしているのは、既に齢七十半ばのはずの鬼庭左月斎くらいであろう。

 事あるごとに「秀吉何するものぞ!」と息巻いて若い政宗を焚き付けている。

 老いてなお盛んだが、鬼庭左月斎は例外中の例外であり、世代交代の波は伊達家にも容赦なく襲いかかっていた。


 俺も含まれるが、四十代五十代のアフター天文の大乱世代も、いつまでも第一線には立ってはいられない。

 組織には新陳代謝が不可欠だ。

 そして、これから強大な豊臣政権と向き合って対抗していく上で、若い力の充実は何よりも重要になってくる。


 俺は既に隠居しており、二階堂家の当主の座は盛隆が継いでいる。

 家督を譲ってから早や六年が経つが、盛隆の直接統治する南奥において、若手たちの最近の台頭には目を見張るものがあった。

 やはり当主が若返ると、当主と同世代の連中は刺激を受け、必然的に成長が促進されるのであろう。


 翻って伊達家は、史実と異なり、未だ第十六代の輝宗殿が当主のままだ。

 代替わりすべきタイミングが来たのかもしれない。


 政宗は今年で二十一歳。

 現代で言う成人の年だ。


 頃合いであった。







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