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二階堂合戦記  作者: 犬河兼任
第八章 ズレゆく世界
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1585-2 関白

<1585年 6月>


 伊達家の佐渡攻略が始まり、大きな支障も無く完了する。

 梅雨入り前には全ての片がついていた。


 庄内を手に入れてから七年。

 慣れない水軍の訓練に明け暮れていた留守政景の苦労が、正しく報われた格好だ。


 佐渡は本間一族が支配する島であったが、一族の河原田家と羽茂家が主導権争いを永年続けており、まとまりが無かった。

 今回の伊達家の進出においても両家は敵味方に別れ、河原田家が上杉方となり、羽茂家は伊達方に味方する。

 佐渡に上陸した留守政景が率いる庄内水軍三千は、羽茂家当主の羽茂高貞の案内で、河原田家の勢力を一気に駆逐した。

 その上で、伊達家の傘下で佐渡支配を夢見ていた羽茂高貞を、俺の献策によって強引に会津に転封。

 佐渡を伊達家の直轄領とするのに成功している。


 表向きは、あくまで春日山城の上杉義真を牽制する為の佐渡占領である。

 佐渡は昔から銀や砂金が獲れるので有名であったが、この時代はまだ北山の金鉱床は発見されていない。

 占領完了の知らせが届いてすぐさま、二階堂家から山師を大量に佐渡に向けて送り込んでいる。

 いずれ吉報が届くはずだ。






 佐渡での戦勝に沸く中、伊達家が仙台城下に用意した新築の屋敷にて、岩城常隆と我が養女のれんみつの婚儀が盛大に執り行われる。

 鎮守府将軍の輝宗殿自らが屋敷に足を運び、二人の婚儀の仲人を務めてくれた。

 関東公方の足利国朝の祝いの使者も来仙している。

 岩城常隆の仙台逗留は、これで東国一円に知らしめられただろう。


 そのまま婚儀の宴が行われる。

 俺や妻の南の方、息子の盛隆と盛行たちの他、れんみつの両親である弟の大久保資近と彦姫夫妻も参加している。

 岩城常隆の妻となったれんみつは、今後はこの仙台の屋敷で暮らすことになるので、弟夫妻も安心だろう。


 宴をしばらく楽しみ、厠に立つ。

 すると厠から戻る途中の廊下で「恐れながら」と声を掛けられる。

 振り返って確認すると、畏まった姿の和田昭為がいた。


「大殿。磐城の件でご報告したき儀が有り申す」


「聞こう」


 和田昭為は佐竹家の元家臣で、今は我が息子の盛隆に仕える吏僚だ。

 佐竹家に戻るタイミングを逸し、須賀川で新たな家族を作り、二階堂家に居着いてしまっている。

 その和田昭為が、佐竹家に在籍した頃の人脈を生かして、情報を取ってきたようだ。


「佐竹義重様ですが、次男の義広殿を療養中の岩城重隆殿の養子とし、岩城家を継がせようと画策している模様」


「それは常隆の母御の桂御前が黙っていないと思うが。ふむ。その筋から得た話か」


 和田昭為は無言で頷いて見せる。

 そして更に重要な情報を上げて来た。


「義広殿の家督相続について、義重様は羽柴秀吉の承認を得ようと動いておられまする」


「秀吉のぅ。つい先日に内大臣になったと聞くが」


 だとすると、いくら鎮守府が岩城常隆の磐城復帰を主張しても、佐竹義重は聞かないだろう。

 交渉を長引かせ、磐城の実効支配を続けようとするはずだ。


「仕方ない。磐城は力尽くで捥ぎ取るしかないようだな」


「はっ」


 今日は祝いの席ゆえに憚るが、明日には輝宗殿に佐竹家との交渉打ち切りを進言するとしよう。






<1585年 9月>


 野州勢一万を率い、佐竹方の那須資晴の本拠の烏山城を包囲。

 烏山城を望む位置に張った本陣にて、二階堂家の諸将を集めて城攻めの軍議を開く。


 今回の那須攻めは、先月から発動している岩城常隆の磐城帰還作戦の一環であった。

 常陸の佐竹義重の兵力を分散させるべく、同様に我が長男の盛隆率いる奥州勢一万が棚倉の東館城を再び攻撃中となる。


 先年の軍事行動と大きく異なるのは、何と言っても伊達家の参戦であろう。

 次男の盛行の案内で、岩城常隆を旗頭とする鎮守府軍二万が海道筋を南進し、同じタイミングで磐城に攻め込んでいた。

 鎮守府軍の主将は伊達家一門の亘理重宗が務め、伊達家の諸隊の他、同じく一門の石川昭光他、田村清顕や相馬義胤らが従軍している。


 まず軍議の席で、芳賀衆を率いる大内定綱がボヤく。


「北条家の常陸出兵は無さそうですな。下総の千葉家の屁の一件がここまで尾を引くとは」


 前田利益に代わって壬生衆を率いる大関親憲が、そのボヤキに反応して嘆く。


「千葉家と言えば桓武平氏の名門。屁の一発でお家の危機とは、まさに諸行無常ではありませぬか」


 本来であれば、関東の覇者である北条家にも、積極的に佐竹包囲網に加わって欲しかった。

 しかし紆余曲折があり、北条家の今回の協力は、結城晴朝への牽制だけに限定されている。


 三ヶ月前、下総で千葉邦胤が家臣の桑田某に刺殺される事件が発生していた。

 なんでも宴の席での放屁を手厳しく叱責したのを逆恨みされ、寝所を襲われて刺されたのだとか。

 これを絶好機と見た北条氏政が、千葉家の完全乗っ取りを画策。

 千葉邦胤には十歳の嫡男の千鶴丸がいたが、同じく十歳となる自身の五男に千葉家の家督を継がせようと、ゴリ押しを開始している。


 千葉家は今でこそ北条家の下風に立っているが、元々は関東八屋形に名を連ねる武門の名家である。

 成り上がりの北条家の下風に立つのを快く思っていない者たちも多い。

 千葉家中の有力者の原親幹が激しく反発しており、北条家は先ずその原親幹の本佐倉城攻めを優先して動いていた。


 佐野衆を率いる山上道及が更に補足する。


「北条家の沼田攻めも上手く運んでいない様子。さすがは真田昌幸殿でござる」


 千葉家の乗っ取り工作と並行し、北条家は上野の完全支配にも着手している。

 同盟締結時の約定の一つである沼田領の割譲の履行を徳川家に求めるも、真田昌幸は沼田の明け渡しを断固拒否。

 豪を煮やした北条氏政は、徳川家康と語らって共に真田討伐に乗り出す。

 徳川家康が上田城を攻めるのに合わせて、弟の北条氏邦を沼田攻めに向かわせた。

 真田家を支援出来そうな周辺勢力は上杉家くらいであったが、現在進行形で伊達家に中越を侵食されており、その余力など無いと考えたのだろう。


 しかし、沼田を実効支配中の真田昌幸は、上杉家ではなく羽柴秀吉を頼って抵抗する構えを見せていた。

 既に次男の真田信繁を大坂に人質として送ったという噂が、上野を越えてこの下野まで漏れ聞こえている。

 噂を流したのは真田昌幸当人と思われ、北信濃の上杉方であった国人衆の中には、落ち目の上杉を見限って羽柴方の真田家の指揮下に入った者も多い。

 関東の覇者である北条家とは言えども、一筋縄ではいかない相手であった。

 案の定、北条氏邦の先手衆の猪俣範直は、沼田城代の矢沢頼綱の守りを崩せずに幾度も撃退されていた。


 奥村永福をわざわざ小田原まで派遣し、真田や千葉よりも佐竹をここで潰すメリットを北条氏政に訴えたが、結局無駄となった。

 かくなる上は、佐竹義重に時間的余裕を与えぬように動かねばならぬ。

 さしあたっては、この烏山城をどう料理するかだ。


 烏山城に籠る那須勢の兵数は千五百と小勢ながらも、那須与一の家系による補正なのか、皆が弓術に優れている。

 強攻策はあまり採りたくない。


 実のところ、我攻めを回避する為の策は既に用意してある。

 策を携えて奥村永福が戻るまで、しばし小休止としよう。






 阿蛍が無事に前田利益の第二子を出産した。

 女の子だそうだ。

 宇都宮から届いたその知らせに目を通していると、奥村永福が本陣に姿を現す。


「大殿、ただいま戻りました」


「待っておったぞ。上手くいったか」


「はっ。ご指示に従い、結城晴朝殿の使者を連れて参りました」


 奥村永福には小田原からの帰りに結城城へ寄るよう命じていた。

 烏山城主の那須資晴の正室は結城晴朝の娘である。

 義父にあたる結城晴朝を口説き落とし、その縁を使って那須家を降す算段であった。


 結城晴朝はこれまで佐竹家を頼り、北条家への対抗を続けていた。

 しかし、三年前に妹婿の江戸重通が謀叛を疑われて水戸を追われてからは、次第に佐竹義重とは距離を取り始めている。

 その間隙を利用する。


 佐竹家に代わり、北条家の圧迫から結城家を庇護する役目を二階堂家が担う事を約束。

 娘の嫁ぎ先の那須家を守りたい結城晴朝は、こちらからのこの提案を受け入れてくれたようである。


「早速烏山城へ向かわせ、和議を整えさせまする」


「うむ。那須の湯泉神社の起請文を取り寄せておる。湯泉大明神に和議を誓えば、那須資晴も逆らえまい」


 和議の取り決めはシンプルに三点。

 那須家の領地は現状維持とする。

 那須家は佐竹家との同盟を破棄する。

 那須家は以降二階堂家に忠勤する。


 那須資晴の妹は、十三年前に当時三歳であった佐竹義宣に嫁ぎ、佐竹家への人質となっている。

 そこは可哀想だが縁切りしてもらおう。






 伊達家の大軍の南進の噂が効力を発揮する。

 思惑通り、佐竹家の後詰めが来る前に那須資晴は和議を受諾。

 那須家の中立化に成功する。


 烏山城の包囲を解き、軍を旋回させる。

 一路、烏山城の北東に位置する武茂城の攻略に向かう。


 武茂城を鎧袖一触で屠った後、東進して依上保一帯を占領。

 月居城を攻めて、棚倉の東館城攻略中の息子盛隆の軍との連携を開始した。






<1585年 11月>


 息子の盛隆と共に、燃えて煙を上げている東館城を眺める。


「父上、佐竹の奴腹をやっと奥州より叩き出せましたな」


「うむ。磐城の方も領内の全ての城が常隆に降ったと聞く。重畳よな」


 三ヶ月の重囲を経て、ようやく東館城が陥ちた。

 東館城を支援する月居城を先に攻略し、補給線を断ち切れたのが大きかった。

 城将の佐竹家軍師の小野崎義昌は、降伏を拒絶して討死。

 二階堂家の二万の軍勢を相手に、わずか二千の兵で三ヶ月も持ち堪えたのは、佐竹武士の面目躍如であろう。


 しかし、太田城に兵を集結させていた佐竹義重は、結局後詰めには出て来なかった。

 棚倉に兵を向ければ磐城の伊達家の軍が、磐城に兵を向ければ棚倉の二階堂家の軍が、本拠の太田城に襲いかかるのだ。

 ただでさえ佐竹家は兵数が足りない中、迂闊に動けないのは当然と言えた。


「さて、次は本命の佐竹討伐だ。太田城までの十二、三里の間に目ぼしい城は小里城のみ。小規模な城郭らしいので何程もあるまい」


 磐城に駐留中の亘理重宗と歩調を合わせ、それぞれ小里城と車城を攻略。

 太田城で合流して佐竹義重を叩く。

 これでチェックメイトだ。


 雪が深くなる前に勝負を決めたいものである。







 しかし、好事魔多し。

 そうは問屋が卸さなかった。


 盛隆と小里城攻めに向けての軍の編成を話し合っていると、保土原行藤が神妙な顔で現れる。


「おお、左近。そちの息子は初陣であったな。どうであった?」


 今回の東館城攻め。

 左近こと保土原行藤の嫡男重行が初陣している。

 今年十六歳になる保土原重行は、史実では人取り橋の戦いに佐竹方として参加し、伊達軍に討ち取られていたはず。

 ただ、この世界線では左様な悲劇はまさか起こりえまい。


「大殿、それよりもこちらを。仙台よりの至急の文に御座います」


 俺が振った息子の初陣話を無視し、仙台から届いた書状を畏まって捧げてくる左近。

 余程の大事のようだ。


 バサリと書状を広げて中身に目を通す。

 中身は伊達家の執政の遠藤基信からの文であった。


「やられたわ。そう来たか」


「父上?」


 盛隆に書状を押し付け、踵を返す。


「これは!関白の命令などとっ。父上、従われるのですかっ」


「仕方あるまい。相手は関白。逆らえば朝敵ぞ」


 遠藤基信の書状には、関白秀吉より九州と奥州に停戦令が発せられたと記されていた。


 織田信雄と和睦した後、羽柴秀吉は己に歯向かう諸勢力の各個撃破に取り掛かっている。

 近畿で大きな地震があり、更に史実から遅延が生じるも、この秋には紀州征伐を成功させていた。

 そして紀州から戻ってすぐに、近衛前久の猶子となって従一位関白に叙任。

 世間をアッと言わせる。


 横死した信長の極官であった右大臣ではなく、左大臣になりたい。

 その秀吉の駄々が原因で、朝廷内で関白争論問題が勃発。

 漁夫の利での関白宣下となる。


 武家の出でも公卿の出でもない、出自のとんと分からぬ地下浪人が、いつの間にか位人臣を極めて関白様だ。

 織田政権下での秀吉の活躍をよく知らない東国や西海の諸将にしてみれば、夢か幻を見せられているようなものであった。


 しかし、出自は卑しくても関白は関白。

 関白とは帝の補佐役であり、朝廷そのものである。

 そして、この国では朝廷に一旦敵として認定されると、どんなに味方でもコロリと敵に回り、家臣たちの忠誠度もガクンと落ちてしまう。

 逆転するには、足利尊氏が北朝を担いだようにもう一方の権威を抱え、相手も朝敵呼ばわりして泥試合に持ち込むしか道は無い。


 仮にこの奥州停戦令を無視した場合、九州統一戦を止めない島津四兄弟と同様に、関白秀吉から討伐対象と認定されてしまうのは確実だ。

 書状を読み込んで動揺したままの盛隆を宥めつつ、磐城戦線に参加中の次男盛行へ使者を出すよう、保土原行藤に命令する。


「左近。盛行に伝えよ。既に主将の亘理重宗には仙台から指示が出ていると思うが、軽挙妄動を控え、決して常陸には踏み込まぬように、とな」


「ははっ」


 確かに史実においても、ちょうどこの時期に九州停戦令が発布されている。

 立花道雪を失った大友宗麟が、島津家の攻勢を支えきれず、秀吉に泣き付いた結果であった。

 佐竹義重は大友家同様に秀吉に対して苦境を申し立て、奥州停戦令を引き出す事に成功したようだ。


 いずれは惣無事令が発動すると考えていたが、もう少し後と予測していた。

 小牧の戦さが長引いた影響で、ここ数年は秀吉も西国の仕置きに掛かりきりになると見ていたのだが。

 まさか今このタイミングで奥州にも停戦令が飛んでくるとはな。


 佐竹義重があえて決戦に及ばず、太田城を動かなかったのはこの為だったのか。


「佐竹を潰す絶好機だったものをっ」


 歯噛みする盛隆。


 俺も盛隆同様に残念ではあるが、フゥーと一つ息を吐いて心を整える。


「遠藤基信宛に奥州停戦令を通達したのは石田治部少輔。その石田治部は、今回の磐城を巡る戦さについて、佐竹義重に非があると認めておる。岩城常隆の磐城差配を認めると言う話だ。我々の面目も一応は立ててくれておるではないか」


 石田三成は、伊達家に送った書状の中で、佐竹義重の望んでいた次男義広の岩城家養子入りを却下した旨を明言していた。

 更には、磐城郡、菊多郡、磐前郡の三郡を岩城常隆に返却する為に兵を動かした鎮守府の有り様を是とし、至極当然の裁定とまで評している。

 その上で、横領していた磐城を失って十分な罰を受けたわけだから、これ以上の佐竹家への攻撃は無用と断じていた。


 佐竹義重を守りつつも、無条件での贔屓はしない。

 石田三成らしい筋を通した公正なジャッジであった。


「磐城の奪取という最低限の目標は達せられた。これ以上の戦さは禁ずると言うのであれば、ここで退いて相手の顔を立てておくのも悪くあるまい」


「父上がそう判断を下されたのであれば、否やはございませぬ」


 不承不承ではあるが、盛隆も納得してくれたようだ。


 佐竹家から奪い取った東館城、月居城、武茂城について、修理と防衛体制の構築を命じ、大多数の兵に帰城を命じる。


 史実に比しての半年余りの遅れなど、秀吉の旭日の勢いの前には何程でも無かったと見える。

 秀吉の脅威を早期に排除出来るのではないかと淡い期待を抱いていたが、あまりにも見当違いであったと認めざるを得ない。


 本日以降、どんなに小さな戦さであっても、遠く大坂にいる関白秀吉の目を気にする必要が出てきた。

 佐竹家への対処を含めて、かなり面倒臭いことになるはずだ。

 鎮守府に属する他の諸大名の統制についても、奥州征伐の口実を与えぬ為により厳しくすべきであろう。

 

 しかし、ある意味、二階堂家を太平の御世まで生き延びさせる為の本当の戦いが、ついに始まったとも言える。

 これまでの三十七年間で培った二階堂家の底力を、満天下と関白秀吉に見せ付ける時が来たのだ。


 望むところであった。






 俺は宇都宮へ。

 盛隆は須賀川へ。

 それぞれ率いて来た軍勢を連れて帰路に着く。


 別れ際、盛隆がポツリと呟く。


「しかし、石田治部少輔とは、どのような男なのでしょうな」


 盛隆のその疑問ももっともである。

 石田三成は一般的にはまだ無名の将校であった。

 賤ヶ岳の戦さで先手衆に加わり、一番槍の武功を挙げた程度の活躍しかしていない。


 それでも治部少輔は従五位下相当であり、俺の左京亮や盛隆の下野守と同位階だ。

 羽柴秀吉は自身の関白叙任に合わせ、子飼いの福島正則や加藤清正らの七将と共に、石田三成にも従五位下の官位を授けていた。

 天下人に今一番近い秀吉が、特に頼りにしている家臣の一人である事は、その位階の高さを見るだけで理解出来よう。


 史実では、秀吉の天下がほぼ定まった後も奥州で暴れ回っていた伊達政宗を掣肘しようと、石田三成は遠隔であの手この手を打っている。

 この世界でも、先の遠藤基信への通達によって、石田三成が奥羽の各家の調整役を担ってくる可能性は非常に高くなった。

 伊達家は今、史実の十倍以上の勢力に膨れ上がっているが、秀吉の天下の為とあれば、石田三成は何が何でも伊達家の力を削ごうとしてくるだろう。

 今からでも石田三成対策は講じておいた方が良さそうだ。


 チート知識だけに頼っていては非常に危うい。

 そうでなくても徳川史観の影響で、石田三成はその評価が二転三転している人物だ。

 石田三成の為人に関する生の情報がいる。


「そうよな。調べておいて損はなかろう。吉次が大坂で奥州屋の支店を立ち上げている。探らせよう」


 盛隆に応えつつ、遠く大坂にいる妻の吉次と愛娘の吉乃のことを思う。

 吉次であれば上手く情報を集めてくれるだろう。


 吉次たちには、秀吉には特に気を付けるよう言い含めてある。

 史実を鑑みるに、関白となった秀吉は生来の冷酷さを徐に開陳し始めるが、まだ猶予は有るはずだ。

 落首事件のあたりから秀吉の感情のタガは外れやすくなっているが、当の茶々は未だ秀吉の側室に収まってはいない。

 浅井長政とお市の方の遺児である茶々が秀吉の子を懐妊するまでは、吉次たちに上方での活動を継続させる予定であった。






 吉次からの最新の知らせによれば、紀州征伐を終えた関白秀吉は、現在近畿で大規模な国替えを決行中である。

 織田信雄から取り上げた伊賀と北伊勢の一部に、大和の筒井定次を転封。

 弟の羽柴秀長に新たに得た紀伊と大和を預け、官位を大納言に昇格させている。


 その間、毛利輝元の伊予侵攻、天正の陣は失敗に終わっていた。

 史実の四国征伐とは異なり、紀州征伐の間に大坂を狙われぬよう、秀吉が毛利家に長曾我部元親の牽制を頼んだ為に発生した戦さである。

 小早川隆景率いる三万余の毛利軍単独での四国上陸となった為、長曾我部家側は四国の全戦力を伊予に集結させて決戦に及ぶ。

 長曾我部元親の嫡男の信親が比類なき勇戦を見せ、土佐の一領具足らが餓狼の如き勢いで信親に続き、毛利軍を追い落としたとのこと。


 伊予の金子城を巡る局地戦で敗れた小早川隆景は、一旦四国から兵を退く。

 小牧の戦いが長引いた影響が、四国の戦線に現れていた。


 また、この長曾我部元親の勝利に勇気付けられたのか、北陸の佐々成政も蠢動を開始している。

 春先の秀吉と織田信雄の和睦以降、佐々成政は加賀と能登の国境を固く封鎖し、能登一国の領国化を優先していた。

 能登内で前田利家に呼応する勢力をあらかた始末し終えた佐々成政は、再び秀吉に挑むべく、徳川家康に仕切りに文を書き送っているらしい。

 加賀で忍び働きをしている前田利益が伝えて来た。


 徳川家康は次男の義伊丸を大坂に送っているが、秀吉に従うとも逆らうとも明言せず、態度を明らかにしていない。

 徳川家康は家康で、第一次上田合戦で真田昌幸に手痛い目にあっており、北信濃の統治に苦心していた。

 この分では一年遅れの佐々成政のさらさら越えとなりそうだ。


 関白秀吉が次に各個撃破を狙うのは、四国の長曾我部元親か、北陸の佐々成政か。

 史実よりも勢力を増強している両者を、関白秀吉がどのように屈服させていくのか。


 二階堂家の生き残る道を探るべく、この野州と奥州の地より、しっかりと見定めさせて頂こう。





〜 第八章完 〜


<年表>

1585年 二階堂盛義 41歳


01月

◎前田利益(33歳)、加賀で養父の前田利久(53歳)の陣に加わる。

■仙台にて片倉景綱(28歳)の嫡男の弥左衛門が誕生。

◆磐城の岩城常隆(18歳)、大館城を密かに脱出。


02月

◎須賀川の二階堂盛隆(24歳)、磐城勢の追手を蹴散らして岩城常隆(18歳)を保護。

◎宇都宮で前田利益の室の阿蛍(24歳)の懐妊が発覚。


03月

■仙台の伊達政宗(18歳)、伊達家一門の飯坂宗康の次女の猫姫(16歳)を側室に迎える。

■山形の最上義守(65歳)が隠居。最上政道(17歳)が家督を継ぐ。従五位下・出羽守叙任。

◎宇都宮の二階堂盛義、仙台の大評定に参加。岩城家の騒動の始末を論ずるも、佐竹家との交渉は難航。

▶︎土佐の長曾我部元親(46歳)、伊予から毛利家の勢力を一掃。四国平定。

★大坂の羽柴秀吉(48歳)、毛利輝元(32歳)と中国地方の国分けを確定。

□ローマ到着の天正遣欧少年使節、ローマ教皇グレゴリウス13世(83歳)に謁見


04月

▽筑後で久留米合戦。大友軍の立花道雪(72歳)と高橋紹運(37歳)、一万の軍勢を率いて龍造寺軍三万と互角に戦う。

★伊勢の織田信雄(27歳)、羽柴秀吉(48歳)と単独講和。徳川家康(42歳)と北条氏規(40歳)、小牧から兵を退く。

☆越中の佐々成政(49歳)、金沢攻めを中断。旭山城まで兵を撤収。能登領国化に集中。

■仙台の伊達輝宗(41歳)、中越攻略を再開。留守政景(36歳)の庄内水軍に佐渡征伐を命じる。


05月

☆遠江の徳川家康(42歳)、羽柴秀吉(48歳)と和議。家康次男の義伊丸(11歳)、秀吉の養子となり羽柴秀康を名乗る。

☆遠江の徳川家康(42歳)、駿府城の改築に着手。

◆相模の北条氏政(47歳)、箱根の防衛力向上に着手。

◇白河の吉次(35歳)、吉乃(14歳)を連れて上方へ向かう。奥州屋安土店を縮小。摂津に奥州屋大坂支店を立ち上げ。

☆若狭越前の丹羽長秀(50歳)、病を苦に自刃。丹羽長重(14歳)が家督を継ぐ。

★大坂の羽柴秀吉(48歳)、正二位内大臣宣下。


06月

■仙台の伊達輝宗(41歳)、本間一族を佐渡から一掃。屋代景頼(22歳)を代官に任じる。

◎宇都宮の二階堂盛義、姪のれんみつ姫(15歳)を養女として岩城常隆(18歳)に嫁す。

◎宇都宮の二階堂盛義、和田昭為(53歳)のリークを受け、佐竹攻めを伊達輝宗(41歳)に進言。

◆下総の千葉邦胤(28歳)、近習の放屁を叱責して暗殺される。千葉家で内紛勃発。

▲三陸で地震。気仙沼で津波発生。


07月

★大坂の羽柴秀吉(48歳)、織田信雄家臣の佐治一成(16歳)を追放。浅井三姉妹の江(12歳)と離縁させる。

▲大坂・京都・伊勢・三河で大震

★大坂の羽柴秀吉(48歳)、地震を受けて紀州を攻めを延期。

■仙台の伊達輝宗(41歳)、佐竹義重(38歳)との交渉を打ち切り、磐城出征を七月十五日と定める。


08月

■仙台の伊達輝宗(41歳)、亘理重宗(33歳)に磐城侵攻を命じる。伊達軍二万、二階堂盛行(15歳)の案内で海道筋を南進開始。大館城に迫る。

◎宇都宮の二階堂盛義、 那須に侵攻。二階堂軍一万、烏山城に迫る。

◎須賀川の二階堂盛隆(24歳)、棚倉に侵攻。二階堂軍一万、東館城に迫る。

◆北信の真田昌幸(38歳)、徳川家から離反。真田信繁(15歳)、人質として大坂に赴く。


09月

▽肥後で阿蘇合戦。甲斐親英(47歳)、島津方の花の山城を攻め陥とすも、島津義久(52歳)の反撃を招く。

◆遠江の徳川家康(42歳)、真田昌幸(38歳)討伐に失敗。第一次上田合戦。

◆相模の北条氏政(47歳)、北条氏邦(37歳)を上野の沼田城に派遣。氏邦、真田昌幸旗下の矢沢頼綱(67歳)の奮闘により敗退。

◎宇都宮で前田利益の室の阿蛍(24歳)が女子出産。

◎宇都宮の二階堂盛義、 那須資晴(28歳)と和議。武茂城を攻略して依上保に侵攻。

■仙台の伊達輝宗(41歳)、大館城を攻略。岩城常隆(18歳)、大館城への帰還を果たす。


10月

★大坂の羽柴秀吉(48歳)、十万の兵で紀州征伐。根来党と雑賀党を一掃。鈴木孫市、切腹。

★大坂の羽柴秀吉(48歳)、近衛前久(49歳)の猶子となって従一位関白叙任。石田三成、従五位下治部少輔叙任。

★大坂の羽柴秀吉の正室の寧々(36歳)、従三位に叙せられて北政所の称号を得る。

◎宇都宮の二階堂盛義、 月居城を攻略。東館城攻略中の二階堂盛隆(24歳)と合流。

■仙台の伊達輝宗(41歳)、磐城内の佐竹派を一掃。船尾昭直(47歳)らを常陸に追放。

▶︎土佐の長曾我部元親(46歳)、天正の陣で小早川隆景(52歳)を撃退。長曾我部信親(20歳)、勇戦。

▲奥州不作。


11月

▽薩摩の島津義弘(50歳)、大軍を率いて阿蘇領に侵攻。阿蘇惟光(3歳)、目丸落ち。島津家が肥後を平定。

▽筑後で立花道雪(72歳)死去。

★大坂の関白秀吉(48歳)、島津家の脅威に晒された大友宗麟(55歳)の求めに応じて九州停戦令を発布。

★大坂の関白秀吉(48歳)、伊達家の脅威に晒された佐竹義重(38歳)の求めに応じて奥州停戦令を発布。

★大坂の関白秀吉(48歳)、近畿で大幅な国替えを敢行。大和の筒井定次(23歳)、伊賀伊勢に転封。弟の羽柴秀長(45歳)が大和に入る。

◎宇都宮の二階堂盛義、 東館城を攻略。小野崎義昌を討ち取る。

■仙台の伊達輝宗(41歳)、関白秀吉の奥州停戦令に従い、佐竹討伐を中止。


12月

◆相模の北条氏政(47歳)、本佐倉城を占拠。四男直重を養子に入れて千葉家を乗っ取る。

◆三河で石川数正(52歳)出奔。遠江の徳川家康(42歳)、真田昌幸(38歳)討伐を中断。

■仙台の伊達輝宗(41歳)、佐渡金山の採掘開始。


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▲天変地異

◎二階堂

◇吉次

■伊達

▼奥羽

◆関東甲信越

☆北陸中部東海

★近畿

▷山陰山陽

▶︎︎四国

▽九州

□海外


<同盟情報[1585年末]>

[南奥・下越]

- 伊達輝宗・二階堂盛義・田村清顕・相馬義胤・岩城常隆・新発田重家


[関東]

- 北条氏政

- 佐竹義重・多賀谷重径

- 結城晴朝・那須資晴

- 上杉義真・真田昌幸


挿絵(By みてみん)


須賀川二階堂家 勢力範囲 合計 75万5千石

・奥州 岩瀬郡 安積郡 安達郡 石川郡 18万7千石

・奥州 伊達郡 2万石

・奥州 信夫郡 1万2千石

・奥州 白河郡 7万4千石 + 1千石 (NEW!)

・奥州 会津郡 3万石

・奥州 標葉郡 楢葉郡 3万石

・奥州 行方郡 2千石

・野州 河内郡 芳賀郡 足利郡 梁田郡 17万石

・野州 塩谷郡 3万7千石

・野州 那須郡 3万5千石 + 2千石 (NEW!)

・野州 都賀郡 8万5千石

・野州 安蘇郡 2万石

・常州 久慈郡 5万石 (NEW!)


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