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二階堂合戦記  作者: 犬河兼任
第八章 ズレゆく世界
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1585-1 磐城

<1585年 2月>


 天正十三年の正月。

 三ヶ日が明けてすぐの宇都宮城。


 前田利益から送られてきた手紙を読む。


「どうやら無事に加賀に着いたようだな。しかし、雪が酷くて戦さにならぬと書いてある」


 昨年の暮れに宇都宮を発った前田利益からの報告である。

 義父である前田利久の軍にあっさり潜り込めていた。

 現在は金沢城を包囲している佐々勢と戦闘中とある。


 加賀を守る羽柴方の前田利家は、佐々成政の大軍にたいそう苦戦中だそうだ。

 しかし、冬将軍の到来により、佐々勢は越中に一旦引き上げる気配を見せているらしい。

 北陸の戦闘も、春までは沙汰止みとなろう。


「どれ、返書を書くか。阿蛍の懐妊は確かなのであろうな」


「はっ。我が妻の阿安の見立てによれば、確実かと」


 手紙を持ってきた奥村永福が応える。


 前田利益の妻で我が養女でもある阿蛍は、今は宇都宮城下の奥村邸の身を寄せていた。

 前田利益と阿蛍の間には既に嫡男の虎丸が産まれているが、それに続く第二子である。

 ちょうど前田利益が加賀に向けて発つ日の、後朝の別れで身籠った計算になる。


「まったく利益にも困ったものよ。子作りは計画的にせねば、帰りを待つ妻も産まれて来る子も可哀想ではないか。のう、永福」


「さて。子は天からの授かり物なれば、言うても詮無きことではありますまいか」


 ぶつぶつ文句を漏らすと、奥村永福は苦笑して応じて来る。


「いや、違うぞ。畑に種を蒔くのに適した時期があるように、女子の体にも胤を受け入れるのに適した時期というものがあってだな」


 オギノ式が発表されるのは二十世紀に入ってからだ。

 この戦国時代では呪術や巫術に近い知識を思わず披露しそうになったタイミングで、大内定綱がやって来る。


「大殿。須賀川からの至急の文にございますぞ!」


 息子の盛隆からの書状とな?






 受け取った書状を一読して唸る。


「うーむ。これはどうしたものか」


「奥州で何か起こりましたかな?」


 身を乗り出して来るギョロ目の大内定綱に対し、書状の中身を告げる。


「うむ。二日前、岩城常隆を名乗る若者が僅かな供回りを連れ、御斎所の鎌田の関に駆け込んで来たそうだ。仙府までの道を貸して欲しいと言うてな」


 御斎所街道は、我が領土の石川郡から磐城に通じる道だ。

 そして鎌田の関は二階堂家側の検問所となり、石川城と竹貫城とのちょうど中間地点に位置している。


「ほう、佐竹義重。ついに折れましたか」


「いや、どうもそうではないらしい。一行を追って磐城の兵どもが現れ、其奴らは罪人ゆえ引き渡せと居丈高に談判に及んで来たとある」


「それは面妖な」


「関守が断って小競り合いになり、危うく関を破られかけている。石川城の軍勢が急ぎ駆けつけて事無きを得たが、岩城家にとっては余程重要な者たちだったわけだ」


 奥羽鎮守府の伊達家と、常州旗頭の佐竹家。

 両家は今、岩城家の帰属を巡って揉めている。


 岩城常隆の後見役を務める佐竹義重は、常隆の仙台出府の条件として伊達家の関東出兵を求めていた。

 越後経略を優先中で、北条家との泥沼の戦さに引き釣り込まれたくない伊達輝宗殿は、佐竹義重の要求を無視。

 この佐竹・岩城の一件を俺に一任してくれている。


 未だ小牧では羽柴秀吉と北条家の援兵も含む織田・徳川連合軍が対陣中である。

 上方の戦さの動向を見据えた上で、北条家と連携して佐竹家を封殺しようと目論んでいたのだが。

 その前に状況が動いていた。


「恐らく岩城常隆本人であろう。このままでは佐竹に使い潰されるだけと考えた岩城家中の反佐竹派が、常隆を大館城から脱出させたのだ」


「如何なされるので?」


 その大内定綱の問いに応える。


「盛隆には常隆を仙台に送るよう申し伝える。我も後を追って仙台に参る。定綱、永福。しばし宇都宮を任せる」


 うまく立ち回れば、一兵も損ずることなく磐城が手に入ろうぞ。

 この好機を活かさない手は無い。






<1585年 3月>


 仙台城で開催される月次の大評定に参加する。


 執政の遠藤基信が議題を一つ一つ進めていく。


 最初は伊達家の内々の話であった。


「御一門の飯坂宗康の次女の猫姫殿が、若殿の御側室に入ることが決まり申した」


「「「おめでとうございまする」」」


 皆の祝福の声の中、顔を上気させた飯坂宗康が誇らしげにしている。


「なお、猫と云う御名は、若殿がネズミを扇子を振って追う姫御をご覧になられて、お付けになられたお名前でござる」


「うむ。まことにネコのようであった」


 基信の説明にシタリ顔で頷いている政宗。


 ここ数年、伊達家中では政宗と愛姫の仲が上手くいっていないとの噂が流れていた。

 その噂は事実だ。


 愛姫の輿入れには二階堂家が深く関わった経緯がある。

 鎮守府内で力を持ちすぎな俺を警戒する政宗が、愛姫に馴染めないのも当然と言えた。

 そこで猫姫の登場である。


 妻の南御前が伊達一門の子女たちを集めて薙刀を指導している関係上、ちらっと拝見する機会があった。

 確かに猫目がちな美少女だったと記憶している。

 政宗が気にいるのも、分からないではない。


 政宗と愛姫の夫婦仲の件に関しては、全く心配していない。

 いずれ打ち解けて子が出来るのは、俺の中にあるチート知識が証明してくれている。


 問題は、政宗と愛姫の間に出来る子供たちの生育だ。

 愛姫が伊達家に嫁いだ折、二人の間に生まれた二人目の男子を実家の田村家の跡取りとする約定が交わされた。

 しかし、史実では長女の吾郎八姫と嫡男の忠宗以外の子供たちは、病により早逝してしまっている。


 やはりここは乳牛の出番だろう。

 現在我が二階堂家では、下野の領内の那須高原で大規模な放牧事業の立ち上げを企画中である。

 仙台から北楯利長を招聘し、那須疏水の実現性を調査させている。


 上手くいったら、猫の子にも牛を充てがおうと思う。






 続いては山形の最上家の家督相続の件だ。


 三年前の鎮守府軍による南部征伐の折、山形を追放されていた最上義光は伊達家への恭順を示し、その活躍もあって鹿角一郡を与えられている。

 最上義光は甘んじて鎮守府より新領地を受け取り、別の家を立てることで最上宗家を継ぐ資格を放棄してみせた。

 今年六十五歳になる最上義守が隠居し、養子としていた孫の政道(竺丸)を後継とするのに障害は無くなっていた。


「このたび殿の御次男の政道様が、最上家の家督をお継ぎになられ申した」


 遠藤基信の紹介で、最上政道が挨拶する。


「父上。この政道、兄上をお支え出来るよう頑張りまする。皆も、よろしく頼む」


 十八歳の爽やかな政道の態度に、輝宗殿は満足気に頷いている。

 また、兄を立てる政道の謙虚な姿勢に、政宗も満更でもなさそうだ。


 この世界線では、政道は幼い頃から最上家へ養子に出ており、政宗と政道の兄弟の間に確執は生じていない。

 羽州最上郡の大半の約二十四万石を占める最上家の当主として、最上政道は伊達家を支えていくことになる。

 母のお東の方も最上政道の実家継承には満足しているようで、史実のような悲劇は起こるまい。

 政宗と政道の兄弟には、出来うるならば甲斐の武田信玄と武田信繁のような関係性を築いてもらいたいものである。


 尚、最上政道の最上家の家督相続に合わせて、亘理元宗殿の娘の山形への輿入れも発表された。






「儂もそろそろ隠居じゃのう」


 隣に座っている伊達家長老の伊達実元殿が呟く。

 見れば、実元殿は若さ溢れる最上政道の姿を眩し気に眺めていた。


 もともと伊達実元殿は数年前から隠居を望んでいた。

 しかし、会津という要衝を任せられるのは一門の重鎮である実元殿しかいない。

 輝宗殿と俺の両方から強く請われ、もうすぐ六十歳の実元殿は未だ現役を続けている。


「何を申される。叔父上にはまだまだ頑張って頂かねば」


「いや、越後攻めで体力の衰えを実感したわ。直宗の件もある。病を得て体が動かなくなる前に、後進に道を譲るべきであろう」


 昨年の夏、輝宗殿の一番下の弟である杉目直宗が、病を得て三十歳で病で亡くなっている。

 実元殿にとっては、甥でもあり義弟でもあった。

 力も落とそう。


「倅の成実も、もう政道殿と同じく十八歳。来年にはそなたの娘が嫁に来てくれる。頃合いよ」


 実元殿の言葉通り、我が娘のお元も今年で十二歳。

 髪結いをして姫となり、伊達成実のもとへ嫁入りする日も近い。


 吉乃も大坂に行くと言って聞き入れないし、つまり可愛い娘たちが二人とも手元から去ってしまうのだ。


 何だろう。

 涙が溢れそうになる。

 

「おお、儂の為に泣いてくれるのか」


 ん?

 実元殿が何故か感動してウンウン頷いている。


 いや、違うがなー。






 雪溶けを待っての中越侵攻再開。

 そして、庄内水軍の佐渡への派兵。


 改めて直近の軍事計画を確認した後、最後の議題に移る。

 もちろん一番議論が紛糾しそうな岩城家の一件であった。


「お入りなされませ」


 遠藤基信の呼び込みにより、二人の男が大広間に姿を表す。


「岩城常隆にございまする」


「拙者、岩城家臣の駒木根利政でござる」


 政宗と同い年の岩城常隆。

 輝宗殿の実兄の岩城重隆殿の息子であり、俺にとっても甥に当たる。

 元服の折に一度だけ大館城で会っているが、確かにその時の面影があった。


 お供の駒木根利政は、叩き上げ感がバリバリに出ている三十歳前後の武将だ。

 岩城家の支族の出だが、家中での席次は端の端。

 戦さ場働きを生業とする、鉄砲が得意な荒くれ者である。

 岩城家中では数少ない反主流派となり、主君の岩城常隆が繰り広げた今回の脱出劇の立役者であった。


 既に双方とも俺を含めた鎮守府上層部とは面通ししており、岩城常隆本人であると認定を受けている。

 戦闘モードで確認しても、ネーム欄の表記に不審なところは無かったので間違いない。


 岩城常隆は、佐竹家から課される軍役の重さについて、幼い頃から苦々しく思っていたそうだ。

 更に近年では、二階堂家と北条家の接近を受け、佐竹家の先行きに危うさを感じていたと言う。

 そして、先年の二階堂家と田村家の磐城侵攻を受けて、岩城常隆はついに決断する。

 正月の宴の隙を突いて大館城を脱出し、駒木根利政の案内で二階堂領に駆け込んだのだ。


「叔父上。岩城家を我が手に取り戻す為、是非ともお力添えをお願い致します」


「お願い致す」


 岩城家の現当主である岩城常隆の正式な要請である。

 磐城を鎮守府の版図に加える上で、これ以上の大義名分は無かった。


「うむ、儂に任せておけ。奥羽の鎮護を職責とする鎮守府としては、公私を区別して、これに応えずばなるまい」


 輝宗殿が岩城常隆の要請を受諾する。


 ただし、輝宗殿が強調した通り、伊達家と佐竹家は私的な部分で婚姻同盟を結んでいる。

 輝宗殿や我が妻の妹である宝姫が佐竹義重に嫁いでおり、世子の佐竹義宣まで産んでいた。


 我が二階堂家は別として、伊達家は未だ正式には佐竹家と弓矢を交えた事は無い。

 同盟を破棄して決別するにしても、家中に不満や不安の漣が立たぬ様、踏まねばならぬ手順というものがある。

 まずは建前上、外交での磐城奪還の可能性を探るところから始める必要があった。


 輝宗殿の強い視線を受けて一つ頷き、発言を開始する。


「されば盛重殿。佐竹義重は何と言って来ているのか」


 佐竹家相手の渉外担当である伊達盛重を問い正す。


「いや、その。岩城常隆殿は今も大館城で大禍無く過ごしており、何かの間違いであるとの一点張りでござった」


「ここにいる岩城常隆殿は偽者と、あくまで言い張るわけか。よろしい。佐竹家には以下の要求を突き付けた上で、然るべき対応を求めましょうぞ」


 佐竹家から出向中の付け家老の船尾昭直の追放と、佐竹寄りの家老の大塚親成の罷免。

 反佐竹派の駒木根利政の家老職就任。

 鎮守府軍の一定期間の大館城駐留。

 岩城常隆の一年の半分の仙台出府。

 岩城常隆の正室と世子の仙台屋敷常在。

 

 岩城常隆を磐城に戻す上での条件として、この五つを読み上げて皆々の賛同を得る。

 尚、五つ目の条件の体裁を整えるのはこれからだ。


「この仙台にて常隆殿に屋敷を下賜されませ。その屋敷で我が養女のれんみつとの祝言を挙げるのです。そして、関東公方の足利国朝様にも祝言への祝いの使者を出して頂く。さすれば、ここにいる常隆殿こそが本人であると、東国の誰もが認めましょう」


「うむ、けだし名案である」


 輝宗殿も俺の策に納得だ。


 姪のれんみつの岩城家への輿入れについては、俺と佐竹義重が十三年前の大館城で誓紙を交わしている。

 岩城常隆とれんみつの二人は、従兄妹同士でありながら、言うなれば許嫁の関係にある。

 伸びに伸びていたその婚儀を行ってしまえば、佐竹義重はぐうの音も出まい。


 尚、れんみつの実母は、輝宗殿の実妹の彦姫となる。

 つまり輝宗殿にとっては甥と姪の挙式だ。


「儂が仲人を務めようぞ。すぐに城下に屋敷を用意させよう」


 輝宗殿の号令により、岩城常隆とれんみつの婚儀に向けて全てが動き出す。


 屋敷の建築や輿入れ準備、関東公方を擁する北条家との調整などの諸々の状況を鑑み、挙式の時期は三ヶ月後に設定された。

 挙式まで時間的な余裕がかなり有る。


 それまでの間、岩城家中の切り崩しを進めておくとしよう。






<1585年 5月>


 吉次と吉乃を送り出す日がついに来てしまった。

 息子の久丸と共に見送りに出る。


 史実に遅れること約半年。

 羽柴秀吉と織田信雄の単独講和によって、一年にも及んだ小牧の戦いが終結していた。


 意外な事に、長曾我部元親の四国統一がその講和の切っ掛けとなる。

 伊予から押し出される格好となった毛利家が、羽柴秀吉と揉めていた中国国分けを承諾。

 これで羽柴秀吉は、西に張り付けていた兵力も東に振り分けられるようになり、その圧迫に耐えかねた織田信雄が音を上げた格好だ。

 

 羽柴秀吉を討つ為の大義名分を失った徳川家と北条家は、既に各々の領国に兵を撤収済みである。

 三介殿のなさる事で骨折り損のくたびれもうけ、と世間から揶揄されている両家であったが、俺はそうは思わない。

 長久手の戦いで池田恒興や森長可を討ち取った徳川家康は、史実通りに東海一の弓取りの称号を手にしている。

 また史実と異なり、羽柴方の巨大な戦力を実際に目の当たりにする機会を得た北条家は、帰国後すぐに箱根の防御を固め始めていた。

 つまりは、羽柴秀吉の天下統一に向けてのハードルが上がったように思える。


 とにかく、日ノ本の中央で発生していた戦さが終わったことで、東山道と東海道の封鎖が解かれ、東国と畿内の商流が再開した。

 吉次の商家も大規模な商隊を組織し、久方ぶりの交易に乗り出そうとしている。

 

 まず美濃の加納を目指し、そこから安土に向かう行程となる。

 本能寺の変の折に織田信雄が安土城の天守を焼き落として以降、安土城下は一気に寂れてしまったと聞く。

 諜報活動の重要性が著しく低下した奥州屋安土支店を縮小し、その分のリソースを活用することで、短期間で摂津に大坂支店を立ち上げる算段であった。


 吉次に同行する吉乃は今年で十五歳。

 金売の名を将来継ぐ為の修行のお題目での上方行きだ。


 うーん、心配だ。

 上方で悪い虫が付かねばよいのだが。

 親の贔屓目だが、何せ吉乃は東国で一二を争う可愛さなのだ。

 もちろん争っているのは、もう一人の我が娘のお元である。


「久丸。栄丸の世話は頼んだわよ」


「はい。姉様」


 十歳になる弟の久丸に訓示する吉乃。

 次いでこちらに向き直り、決意表明してくる。


「父様、任せておいて。日ノ本一のお婿さんを探してくるから!」


「待て。どうしてそうなる」


「だって大商いをするには、使える金づるがいないと始まらないでしょう。母様はそれで成功したのだもの。見習わない手はないわ」


 む?

 金づるとな?


「こーら、吉乃。バカな事を言ってないで行くわよ」


 べしッと頭を叩いて、吉次が吉乃を引っ張っていく。


「あ、おい、吉次」


「大殿、久丸と栄丸をお願いしますね。ではではー」


 笑って誤魔化しながら去っていく吉次。


 ううむ。

 吉次にとって俺は、文字通り体のいいATMだったのか。


 か、悲しいなぁ。

 ヨヨヨ。






 吉次たちを送り出してから半月後。

 上方の近々の情勢を知らせる吉次からの飛脚が、早速宇都宮に到着する。


 丹羽長秀自刃。

 羽柴秀吉に協力して賤ヶ岳の戦いで同輩の柴田勝家を討って以降、寄生虫病に苦しみ抜いての自殺であった。


 織田政権下では米五郎左と呼ばれたロジスティックのスペシャリストだ。

 安土城の普請も担当しており、丹羽一族は石垣作りに秀でている。

 若狭、越前、加賀南部を領し、その所領は百二十万石を超えていた。

 羽柴秀吉を掣肘出来る、唯一の織田家の遺臣だったと言える。


 本当の意味で織田家の天下が潰えたのは、もしかしたら丹羽長秀が果てたその瞬間だったのかも知れない。

 丹羽長秀の死により、織田家の家督を継いだ幼年の三法師を主君として仰ぎ見る者は、誰もいなくなった。


 そして羽柴秀吉の正二位内大臣の宣下である。


 羽柴秀吉は、織田信長の成しえなかった正親町天皇の譲位を実現すべく、上皇の座する仙洞御所の造成に大金を注ぎ込んでいた。

 朝廷は長年の悲願であった譲位に向けての羽柴秀吉の貢献を高く評価し、内大臣の位階を用意する。

 朝廷と羽柴秀吉の蜜月時代の始まりだ。


 主筋であった織田信雄を臣従させ、何かと顔を立てる必要があった丹羽長秀が亡くなり、羽柴秀吉は完全に自由となる。


 豊臣政権の誕生が間近に迫っていた。






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