1574-1 驍将
<1574年 1月下旬>
天正二年正月。
産後の南の方の臥所に足を運び、その労をねぎらう。
「よくやった。珠のような姫ぞ」
「ああ、此度はさすがに疲れた。子を産むのもこれで仕舞いにしたいものだ」
南の方にとっては三人目となるが、今回が一番難産だった。
自嘲する南の方。
「母は偉大と言うが、六男五女を産んだ我が母の強さにはとても敵わぬな」
久保姫は前田利家正室のお松と並んで、ちょっと特殊過ぎる例だと思うぞ。
それにしても、待望の娘の誕生である。
疲労に陰りつつも、南の方の顔には充足感が満ちていた。
盛隆や勢至丸の時以上に、俺も心が沸き立っている。
「さっそくだが名を決めたい。お元はどうであろうか」
「ふふっ、相変わらず我が夫殿は気が早いな。この娘が元気に育つかどうかはまだわからぬと言うのに」
「俺とそなたの子だ。心配はいらぬさ」
文字通りに元気に育って欲しいので、お元だ。
母の南の方のように、強く健やかに美しく育ってくれることを願っての命名である。
南の方は苦笑しながらも受け入れてくれた。
成人して髪結いしたあかつきには、我が娘は元姫と呼ばれるようになるだろう。
たっぷり南の方の乳を吸ったお元をあやし、眠りにつくのを見守ってから仕事に向かう。
今年初めての評定の場で論じるのは、我が嫡男の盛隆と婚約中の甄姫絡みの対応である。
伊達家への養女入りと今秋の挙式が決まった段階で、実父の晴泰殿が甄姫の母方の実家にも通達していた。
相手は下野の壬生家。
壬生家の勢力圏である日光山近辺では、この件が結構な騒動になっていると聞く。
もともと壬生家は宇都宮家に仕える下野の有力国人領主だ。
下都賀郡の壬生城を拠点としていたが、五十年程前に上都賀郡の鹿沼氏を討って鹿沼城を手に入れ、日光まで勢力を伸張する。
そして壬生家三代目当主の壬生綱房は、日光の寺社勢力を完全に手中に収めるべく、己の次男をその座主に押し込んでしまう。
しかし、当の次男の座禅院昌膳は、あまりに露骨な父の日光山介入に嫌気が差したようで、勝手に還俗して久野村に隠居。
怒った壬生綱房は、嫡男の綱雄に命じて久野村を攻めさせて、座禅院昌膳を誅してしまった。
この時に昌膳の妻も一緒に殺害されるのだが、産まれたばかりの幼い赤児は壬生綱房の弟の徳雪斎周長によって保護される。
それが甄姫の母であった。
北条家との縁を深めて宇都宮家からの独立を図る壬生綱房と、親宇都宮路線を維持したい徳雪斎周長の兄弟。
当時は二人の間で対立が深まりつつあった頃だ。
兄である壬生綱房の手が及ばぬよう、徳雪斎周長は大姪となる昌膳の娘を在京の壬生家の親族に預けた。
その娘が成人して足利義輝の側室の小侍従に仕え、二階堂晴泰に見初められるに及ぶ。
時は移ろい、五月女坂の戦いでの宇都宮尚綱敗死を奇貨として壬生綱房は宇都宮城を占拠するも、芳賀高定によって謀殺される。
跡を継いだ壬生綱雄も佐竹義昭の率いる五千の援兵の前に宇都宮城を追われ、永禄五年の五月に天満宮にて父親同様に暗殺者の手により命を落とす。
現在は壬生綱房の孫にあたる壬生義雄が壬生城で逼塞中である。
壬生家の主流は鹿沼城を支配する徳雪斎周長に移っており、今度はその徳雪斎周長が日光山への支配力を強めようとしていた。
そこに降って湧いたかのような甄姫の登場である。
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<壬生家系図>
壬生胤業(壬生氏初代。京の地下官人の出。下野に下向し宇都宮氏に従う。-1493)
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└壬生綱重(壬生氏二代目。鹿沼氏を討って鹿沼地方へ進出。1448-1516)
│
├壬生綱房(壬生氏三代目。親北条路線を取って宇都宮城占拠。1479-1555)
│ │
│ ├壬生綱雄(壬生氏四代目。天満宮で暗殺される。 1517-1562)
│ │ │
│ │ ├壬生義雄(壬生城主。壬生家氏五代目。親北条路線継承。1552-)
│ │ │
│ │ └鶴子(皆川広照室)
│ │
│ ├座禅院昌膳(日光座主から還俗して久野村で討たれる。1518-1542)
│ │ │
│ │ └女(足利義輝側室の小侍従付きの女官 1542-1565)
│ │ │
│ │ ├★甄姫(伊達輝宗養女1560-)
│ │ │ │
│ │ │ [二階堂盛隆(須賀川二階堂家の次期当主 1561-)]
│ │ │
│ │ [二階堂晴泰(元幕臣、信濃流二階堂宗家 1530-)]
│ │
│ └大門資長(村井城主。第三の壬生家)
│
└徳雪斎周長(鹿沼城主。甥の座禅院昌膳の娘を保護して京に逃す。1501-)
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徳雪斎周長から見れば、己は二階堂家嫡男の正室の母の恩人になる可能性が高く、主家の宇都宮家以上の勢力を誇る二階堂家を後ろ盾に頼む絶好機である。
対する日光山の寺社勢力から見れば、先の座主の孫娘が嫡男の正室になるということで、二階堂家は庇護を求めるに最適な大名だ。
両勢力から熱烈なアプローチがあり、これにどう対処すべきかを決める必要があった。
しかし、家中の意見はバラバラだ。
「徳雪斎周長殿と友好を深めれば、我が二階堂家の下野への影響力は強まるのでは?」
「いやいや、宇都宮家の身内争いに巻き込まれるだけじゃ。それに友邦の佐竹家の機嫌を損ねましょうぞ」
「日光山の輪王寺は長引く戦乱で荒れていると聞きます。庇護すれば関東一円での我が二階堂家の威徳は高まること間違いなしでござる」
奥州の外の話となり、皆がピンと来ていないようだ。
漠然としていて具体的な話は何も出てこない。
そうだな。
妻となる甄姫の関わる話だ。
元服後に評定に加わることになった盛隆の意見も聞こう。
「盛隆、何か意見はあるか」
「はい。徳雪斎周長殿の差配が無ければ、甄姫はこの世に産まれておりませなんだ。まずはお礼をしとうございます」
「うむ。それは人の道として当然のことであるな」
「されど父上。鹿沼城と日光は須賀川からは遠ございます。まずは道をなんとかせねばなりますまい」
「よう見た盛隆。道の整備は重要ぞ」
須賀川から下野の上都賀郡に至るまでの道は二つある。
一つは須賀川から西に進んで山中に分け入り、下郷まで進んで日光街道にぶつかったら南下するルート。
道中の全て我が二階堂家の勢力圏の為、敵がいないというメリットはあるが、山中の行程が難所続きだ。
去年の河原田家攻めは途中までこのルートを使ったが、今のままでは使い辛くてかなわない。
もう一つは奥州街道を下って宇都宮に至り、そこから西に向かうルート。
奥州と関東を繋ぐ主要幹線道路であり、当然だが那須家や塩谷家、宇都宮家の勢力圏が重なる。
この春に出発を予定している吉次の商隊による交易の為にも、是非とも抑えておきたい道である。
尚、織田信長の焼き討ちからの復興が進む上京に奥州屋の二つ目の支店を出すべく、吉次には商隊の組織に動いてもらっていた。
「阿武隈川の河岸の曳舟道の開通も来春で終わろう。その後は長沼城から塩生館までの鳳坂峠越えの整備だな。和田昭為、人足を手配して資近と図って整備を進めよ」
「かしこまりました」
また大層な金はかかってしまうが、奥会津の大久保資近の所領との連携強化の為にも、必要経費と割り切る。
「奥村永福。一昨年に那須家は佐竹家に降っているが、それを面白くないと考えている者もいるはず。上那須衆の動向を探れ」
「承りました」
那須資胤は佐竹義重の圧迫に耐えかね、二歳の娘を義重嫡男の三歳になる徳寿丸に嫁がせている。
その化粧領として領土の一部を割譲しており、佐竹家に苦渋を強いられていた。
大関三兄弟らが那須資胤と和解したのはもう七年も前の話になるが、まだ間隙は残っているはず。
「仮に上那須衆が我ら二階堂家側に転べば、那須の本家は更に佐竹義重殿を頼らざるを得まい。佐竹家にとっても悪くない話であろう。和田昭為、いかに思う?」
「・・・はっ。ごもっともにございます」
よし。
あとは塩谷領だが。
それは守谷俊重に任せてある。
どう転ぶにしても兵の機動力確保は必須だ。
下準備が整うまでは、徳雪斎周長と日光山の両方ともに良い顔をしておくか。
<1574年 2月上旬>
須賀川城に米沢からの使者が到来する。
盛隆や主だった家臣たちを集めて広間に通すと見知った顔であった。
まだ若い二十代のその使いの名は山口常成。
輝宗殿の御近習衆を務めており、かの支倉常長の実父である。
三年前に次男の常長が産まれた時には、幼い時から西洋に興味を持たせておくべく祝いに舶来の品を送っている。
よほどの重大事のようで、挨拶もそこそこに要件を切り出してくる。
「去る元日に山形城主の最上義光が挙兵の及び、中野城に進軍。弟の中野義時殿を自害に追い込み申した。我が殿は義父であらせられる最上義守様からの求めを受けて出兵を決断。つきましては盛義様より山形攻めのご助言を頂きたいとの言伝に御座います」
口上を終えて山口常成が平伏する。
天正最上の乱の勃発であった。
二階堂家臣団の間にも緊張が走る中、息子の盛隆が疑問を呈してくる。
「父上、最上家の家督争いは数年前に収まったはずでは?」
盛隆の言うとおり、四年前にも最上家では家督争いが起きている。
今は亡き最上家宿老の氏家定直が病を押して調停に駆け回り、最上家の内輪揉めは一旦は収まっている。
史実と異なっていたのは、その時点で最上義守を支援していた伊達家が蘆名を滅ぼしていた点だ。
そして我が二階堂家がその後背をカバーしていた為、伊達家の周辺に敵がいない状況にあった。
史実以上に強大となった伊達家を、最上義光も氏家定直も無視出来なかった。
輝宗殿の意向に沿って、家督は父の最上義守が保持したままで、最上義光には本拠の山形城のみが譲られて落着となる。
長谷堂城に移った最上義守の下で、山形城の最上義光と中野城の中野義時がそれぞれの勢力圏を統治する体制へと移行する。
その中途半端な状態が、史実では未発生と推測される最上義光の中野義時成敗のイベント発生フラグとなったようだ。
「前回は実を得て引き下がったが、滾る熱き野心を抑えきれなかったのであろう。今回は最上家当主の名を得るまでは決して退くまいな」
最上義光の野望の値の高さは、伊達政宗と共に東北で一二を争う。
三位は津軽為信あたりか。
それに阿武隈川の拡幅工事が完了し、伊達家の宮城名取の両郡への支配力は格段に高まりを見せている。
最上義光から見れば伊達家の隆盛は驚異でしかなく、このままでは最上家と同族で妻の実家である大崎家も危ういと感じたのやもしれない。
最上郡を一統するのに手段を選んではいられず、実力行使の強襲に及んだ可能性もある。
「しかし、父上。伊達家を敵に回すとは、あまりに無謀ではありますまいか。勝機は万に一つもありますまい」
盛隆に限らず、誰もが無謀と思うだろう。
現状の出羽国の最上郡のざっくりとした勢力図は、最上家とその庶流の中野家が八万石、寒河江や白鳥などの大江氏系列が八万石、そして天童八楯と呼ばれる国人衆が十六万石と、小勢力の寄り合い所帯だ。
足利家の同族の斯波家の系統として、最上御所を名乗って権威付けしているが、最上家はあくまで旗頭的な立ち位置であった。
ライバルであった弟の中野義時を滅ぼしたとしても、最上義光はまだ最上領の過半を制した程度。
当主の最上義守が未だ健在な以上、最上郡の国衆たちが最上義光の下に集うとは思えない。
妻の実家の大崎義隆は助力するだろうが、合わせて百万石近い伊達家と二階堂家を相手に回して戦うには小勢に過ぎた。
「盛隆、そなたは勢至丸を斬ることが出来るか」
「無理にございます」
キッパリと答えてくる盛隆の反応が心地良い。
父もそなたらが争う姿は見たくないなと笑いつつ、最上義光の凄さを説く。
「そなたが出来ぬと言う弟殺しを最上義光はやってみせたのだ。断固として戦い抜くという不退転の決意が見える。大敵に抗うのにあたって一番重要なのは、兵の多寡や勝機の有無などではなく、果断さを示すことだと彼の者は心得ているのだ」
大将としての気概を持ちようの手本にするべきと告げると、盛隆はむむむむと押し黙ってしまった。
最上家の三男の楯岡光直は長兄の義光に対して忠実と聞く。
ライバルとなるのは父である最上義守の寵愛厚い次男の中野義時のみ。
その中野義時をあえて斬ることで、最上家の後継者に相応しい者は自分しかいないと国人衆らの知らしめた。
最上義光の将器は尋常のものではない。
足利将軍家を追放して三好家を滅ぼした織田信長も、尾張統一の折に実弟を斬り捨て桶狭間の戦いに臨んでいる。
最上義光を織田信長に準ずる大将だと評するのは、言い過ぎだろうか。
天正最上の乱。
史実では最上義守・伊達輝宗連合が終始優位に事を進めるも、和睦を契機にいつの間にか最上義光が出羽の最上郡の支配権を確立してしまった戦さだ。
伊達家の影響力排除に成功した最上義光は、味方や和睦した諸侯を調略や暗殺で各個撃破していき、二十四万石の戦国大名にまで成長する。
伊達家による奥羽一統を望むならば、ここが勝負の分かれ目であった。
山口常成に輝宗殿への返答を頼む。
「今年は特に雪が深い。大軍を率いても身動きが取れず、後三年の役で沼柵の攻略に失敗した源義家の如き按配になろう。まずは置賜の精兵をもって長谷堂城までの経路を確保し、最上義守殿の身柄を守ることに専念されよ。しかる後に雪解けを待って伊達家と二階堂家の総力を挙げて全軍で山形城に攻め込むべし、とな」
「全軍、でありますか」
「うむ。最上義光殿は羽州随一の驍将。油断も慈悲も無用。全力で挑まねばとても退治出来ぬ相手よ」
山口常成だけでなく、盛隆や家臣らも、俺が最上義光の軍才をかなり高く見積もっている理由がわからずに困惑気味である。
関ヶ原の戦いで兵力に勝る上杉百二十万石の猛攻を、ほぼ独力で凌ぎ切った最上義光の恐るべき技量を知るのは俺だけだ。
この史実の知識があるだけでも十分にチートだろう。
実弟の中野義時を殺した時点で、もはや実父の最上義守との和解の道は閉ざされている。
最上義光は後には退けない状況にある。
そして伊達家と最上家の争いに必ずと言って良いほど介入してくる輝宗殿の正室の東の方は、幸いなことに現在妊娠中で動けない。
彼女が出張って来ると話が途端にややこしくなるので、その前に大兵を集めて一気に勝負を決してしまおう。
知識チートを使って、ここで最上義光を封殺する!
<1574年 4月上旬>
吉次が京に向かって出立しようとしていた。
商隊を率いる吉次を白河城下まで見送る。
「吉次、気をつけて行ってまいれ」
「はい。貴方様も健やかに。吉乃のこと、よろしくお願いします」
後朝の別れとはこういうシチュエーションを言うのだろうか。
最近富に輝きを増した吉次の白き肌は名残惜しいが、そうも言ってられない。
公方の側近くに仕えて絶大なコネクションを持っていた信濃流二階堂宗家の晴泰殿が京を離れ、今は須賀川に居を移した。
これは二階堂家の上方の情報収集能力が激減したことを意味する。
上京に奥州屋二号店を出して、吉次にはその穴を埋めて貰わなければならなかった。
予定通りなら彼女と再びまみえるのは二年後だ。
その間、三歳になる愛娘の吉乃は、白河城下の吉次の実家に預かってもらう手筈になっている。
生まれたばかりのお元も可愛いが、育ち盛りの吉乃も可愛い。
吉次が不在であっても、須賀川と白河を往復する生活が続くのは確定だ。
梅の花の美しく咲き誇る山々に消えていく吉次の後ろ姿を、時間の許す限り見送り続けた。
泣く泣く吉次と別れた後、白河領の兵を動員して須賀川城へと向かう。
須賀川城で嫡男の盛隆率いる岩瀬衆、弟の資近率いる奥会津衆と合流する。
行先は勿論のこと山形城である。
そしてこの戦さは我が嫡男盛隆にとっては初陣となる。
「盛隆の武運を祈ってます」
「甄姫、大丈夫。必ず戻るから」
須賀川城にて、盛隆と甄姫の緊張気味の二人のやり取りを微笑ましく見守っていたら、妻の南の方がぶっ込んできた。
「盛隆よ。そなたの父の戦さぶりを良く見ておけ。そして存分に怯えよ。屈辱がそなたを鍛える力となろう」
「わかりました。母上」
母親の助言に対して神妙に肯く盛隆。
あまり怖がらせても仕方なかろう。
「大丈夫さ。此度は兵の数で敵を圧するだけよ。よしんば戦さになっても、盛隆の近侍の遠藤盛胤は驚くほどに強い。若いながらに剛勇の士よ。必ずや盛隆を守ってくれよう」
初陣の盛隆の安全を守る為、家中から特に優れた武勇を誇る者を選別して、側近に配している。
遠藤盛胤は須賀川四天王の遠藤雅楽頭勝重の一族の若武者で、今年で二十歳となる。
史実では遠藤壱岐守を名乗って須賀川城攻防戦で奮戦し、敵方の伊達政宗から稀代の傑物と称されたほどの男である。
「そういう意味ではないのだがな。まぁ良い。盛隆、しっかりやれ」
「はいっ」
何やら南の方が苦笑しているが、どういうことだろうか。
二本松で保土原行藤率いる安達勢、大内定綱率いる塩松勢と合流し、更に北上を続ける。
伊達領内の信夫郡に入った頃には、田村家への牽制に残した安積勢を除く、総勢六千の軍勢が揃っていた。
そのまま米沢まで進んで、伊達家の会津・信夫・伊達・刈田の兵一万二千と共に最上郡に入る。
伊達方の上山城を経由して長谷堂城に到達し、既に布陣済みの輝宗殿率いる置賜勢五千と合流。
合計二万三千の兵で山形城まで怒涛の勢いで進軍する。
これまでの数ヶ月間、最上義光は神出鬼没なゲリラ戦法で輝宗殿を撹乱し、得意の局地戦での勝利を積み重ねていた。
しかし、その戦上手の最上義光も、本拠の山形城を直撃するこの大兵力に対しては、抗ずる手段を持たなかった。
史実における後年の慶長出羽合戦と異なり、最上義光は最上と村山の両郡を統一しておらず、長谷堂城や畑谷城などの支城による山形城の防衛体制も築けていない。
庄内方面からの侵攻は無いとは言え、上杉本軍に匹敵する数の伊達・二階堂連合軍を正面から迎え撃つだけの力は未だ無い。
こちらの思惑どおり、開戦当初から付き従っている実弟の楯岡光直と共に、最上義光は山形城での篭城戦を選択せざるを得なくなっていた。
<1574年 4月中旬>
大軍で山形城を囲む。
しかし、城攻めの下知は容易には出さない。
輝宗殿に進言して城を包囲したままの状態を維持する。
すると最上義光方の形勢不利を見て、大江氏系列の寒河江・白鳥らや天童八楯らの国人衆が、続々と我らの陣に駆け付けて来た。
山形城を包囲する最上義守方の兵の数は、数日の間に三万余までに膨らんでしまう。
対する山形城に籠った最上義光方の軍勢は、義弟の大崎義隆の援軍を入れても三千。
初手から勝負にならない状況だ。
当然ながら、しばらくすると守備側の最上義光方から講和を求めてくる。
最上義光の腹心の氏家守棟が、講和の使者として包囲側の陣中を訪れる。
氏家守棟は、四年前に同じように最上義守・義光が相争った時に仲介役を務めた、亡き氏家定直の嫡男である。
早速この申し入れに対しての吟味が本営にて行われる。
だが既にこの時点で俺の仕掛けた手回しは全て完了していた。
包囲軍の本営に諸将が一同に会する。
上座には最上義守と輝宗殿の二人が座り、その左右にまず伊達家と二階堂家の武将が並ぶ。
最上郡の国人衆はその列の端に連なっている。
もちろん輝宗殿のすぐ横には俺が控える。
盛隆はその隣だ。
まずは使者の氏家守棟に命じ、最上義光の提示して来た講和の条件を皆の前で読み上げさせる。
「一つ中野城は返却仕る。一つ家督については異議を唱えず・・・」
要するに『父の義守に詫びを入れるので、今後は最上家として出羽の諸将を取り纏めて全員に伊達家への忠勤を誓わせるから許してくれよ』という内容であった。
講和と言いつつ、敵に回った国人衆を自分の下に置こうとする最上義光の強かさは好感が持てるが、一言で斬り捨てる。
「話になりませぬな」
俺が矢面の立ち、憎まれ役を務めるのは事前の打ち合わせどおりだ。
使者の氏家守棟よりも、末席に連なる最上郡の国人衆たちの思い違いを正す為の言葉を連ねる。
「ここで論ずるは和睦の条件にあらず、義光・光直兄弟の赦免の条件であろう。二人は大崎への追放が妥当と思うが如何か」
「なっ、それは!?」
慌てる氏家守棟と、驚く最上の国人衆。
伊達家がここまで厳しい処断に出るとは思っていなかったようだ。
既に血縁の中野義時が討たれているので、これでも全然厳しくないんだけどね。
上方基準に沿えば、問答無用でひっ捕らえて首を跳ねるところだ。
しかし、輝宗殿の正室の東の方を慮り、また最上義守にとある条件を飲ませる為にも必要な措置でもあった。
離合集散を繰り返すだけの、戦国とは名ばかりのぬるま湯に未だ浸かったままの国人たち。
あらゆる手練手管を用い、一気にその状況の打破を図った最上義光の生き様は、ただただ眩しい。
この世界線において惜しむらくは、彼が自立して行動を開始するのが三年遅かったことだろう。
蘆名家が健在なうちに最上家の家督を奪取出来ていれば、史実に準ずる勢力を手に出来ていたのではなかろうか。
氏家守棟は最上義守に詰め寄ろうとして、伊達家の兵に制止される。
「殿!義光様と光直様のお二人が追放となれば、最上家の跡取りはどうなりまするか!」
必死に訴えるが、それを遮って容赦なく現実を突き付ける。
「守棟殿、ご案じめさるな。輝宗殿の御次男の竺丸殿が最上家へと養子に入る。これは既に義守殿も了承されておる」
「な、何と。と、殿」
疲れた顔の最上義守が俺の言葉を肯定する。
「守棟、まことの話ぞ。義光はやり過ぎた。わかってくれ」
最上義光と楯岡光直の二人の命と引き換えに、最上義守に呑ませた条件がこの竺丸殿の養子受け入れである。
竺丸の生母は最上義守の長女で最上義光の妹の東の方であり、血筋的には最上家を継ぐのになんら支障は無い。
将来の伊達家の家督相続争いを未然に防ぎつつ、最上家を合法的に伊達家の傘下に収める。
ついでに最上義光と東の方の兄妹の仲も引き裂くことも出来る。
まさに一石三鳥の策だろう。
呆然とする氏家守棟と対比するように、最上郡の国人衆たちのザワザワとした動揺が鎮まらない。
天童八楯や寒河江、白鳥の者たちは味方として参陣しつつも、その実は早急な和睦を望む勢力である。
それも伊達家の支配が最上郡に及ばない形での和睦を望んでおり、本音では伊達軍の早期退却を希望していた。
彼らはとにかく自分たちのテリトリーに対して、伊達家に介入されたくないのだ。
最上義光があえて強大な伊達家を敵に回したのは、他国の介入を嫌う国人衆らの性分を利用して、自陣営を逆に強化出来ると踏んだからだろう。
伊達家に支配されるよりは自分を主の据える方がまだまし、という状況の構築を最上義光は目論んでいた。
今回はその反発を上回る兵力を揃えた事で、まだ最上郡の国人衆たちに鞍替えされていないが、我ら伊達・二階堂連合軍が本当に相手をすべきは彼らであった。
竺丸殿養子入りに反感を抱いている国人衆たちにプレッシャーを与えるべく、使者の氏家守棟に対して告げる。
「山形城に返答を持ち帰るにあたって、もう一つ義光殿のもとへ届けて頂きたいモノがある」
そして国人衆の中から、一人だけ名指しする。
「寒河江兼広殿、前へ出られよ。もそっと近くへ」
いきなり名を呼ばれ、おずおずと最上義守と輝宗殿の前に出てくる四十半ばの武将。
名族の大江氏に連なる寒河江大江氏の十七代目の当主であった。
今回の天正最上の乱の当初、寒河江兼広は最上義光方に属していた。
しかし、伊達方に付いた縁戚の白鳥長久らに寒河江城を攻められ、落城寸前にまで追い込まれて降伏。
輝宗殿に詫びを入れる為に、当主自らが残存兵を率いて山形城攻めに加わっていた。
その寒河江兼広を輝宗殿に代わって問責する。
「一度目は目を瞑ろう。二度目もまだ何とか許せる。されど三度目ともなれば、見逃せば我らの沽券に関わる。なぜ叛かれたか」
「な、何を仰っておられるのか」
「左近、連れて参れ!」
俺の合図を受けて、保土原行藤こと左近が簀巻きにした男を引っ立てて登場する。
連歌を謡うような朗々たる美声で、捕虜の素性を明かす左近。
「これなるは寒河江殿の陣中と山形城を行き来していた素破にございます。寒河江家御家中の郎党と白状して候」
史実の天正最上の乱では、降伏したはずの寒河江兼広が再び最上義光に接近した事で、伊達家は苦境に陥った。
その知識があったので、包囲軍に寒河江勢が参加した時点から、その動向を左近の手の者に見張らせていたのだが。
案の定である。
素破が隠し持っていた書状を左近から受け取り、読み上げる。
「どれ。講和が成らない場合は、城からの合図を待って夜半に陣中で騒動を起こし、敵の耳目を本陣より逸らすべし。我ら隙を見計らって一丸となって本陣に押し寄せ、敵将輝宗の首を必ず挙げ候・・・。さすがは最上義光殿、見事な手際の良さよ」
見れば寒河江兼広の顔は蒼白となっている。
最上義光の謀臣を自認している氏家守棟も同様であった。
寒河江兼広に向き合って、一挙手一投足の間合いで断罪する。
「永正十七年。今から五十三年前、我が祖父にして伊達家先々代の直山公(伊達稙宗)は南奥羽の諸侯を率いて最上に討ち入り、此度のような大軍でそこもとの寒河江城を囲んだ。直山公は慈悲の心で寒河江家を許して和睦に及んだが、その恩義を忘れて再び逆らい、あまつさえ降った後もまた裏切りに及ぼうとしている。最早是非に及ばず。その首、貰い受ける」
「なっ!?」
鎧甲冑を身に纏った武者の首を一刀で斬り落とすなど、凄腕の剣豪でもなければ土台無理な話だ。
精々その首筋の赤々と光るウィークポイントを、刀を抜きざまに一歩踏み込んで斬り裂くくらいが関の山である。
ズシャッ
「グォッ、お、おのれ。ぬぬぅうう」
俺に問答無用で首筋を斬られ、血を吹き出しながら転げる寒河江兼広。
致命傷ではあったが、命尽きるまでにせめて一太刀とでも考えたのだろう。
噴き出す血を抑えながら腰間の刀を抜き、この場で一番非力な盛隆に向かってヨロヨロと斬り掛かろうとする。
ドカッ
「ぐ、ぐふ」
恐怖で固まる盛隆の前で、護衛の遠藤壱岐の槍に肺腑を突かれた寒河江兼広が生き絶える。
まだ十四歳の我が息子には、刺激が強すぎたであろうか。
PTSDにならなければ良いが。
いや、二階堂家の跡取りなれば、いずれは通らなければならない道だ。
ここはあえて鬼になろう。
「壱岐、首桶を用意せよ」
「御意」
懐紙で血糊を拭き取って太刀を鞘に納めつつ、遠藤壱岐に寒河江兼広の首をはねるよう命じる。
「盛隆、戦陣での首の狩り方を良く見ておけ」
「は、はい。父上。ウップ」
盛隆だけでなく、寒河江兼広の縁者の国人衆たちにも、じっくりとその首を検分して頂こうか。
吐きそうな盛隆の世話を遠藤壱岐に任せ、輝宗殿に向き直って一礼する。
「返り忠の寒河江兼広の首、整いまして候」
険しい顔で口を真一文字に閉ざして沈黙を守っていた輝宗殿がゆっくりと頷く。
そして上座から最上の国人衆たちを睥睨しつつ、厳かに宣言する。
「我が伊達家に歯向かう者への処罰はかくの如しである。不服に思う者は陣を離れ、今すぐに山形城へと入城すべし。大不孝者の義光・光直兄弟共々、成敗してくれよう」
「「「は、ははーっ」」」
輝宗殿の威を受けて、国人衆たちは皆その場に畏って首を垂れる。
さすがに表立って反抗出来る空気ではない。
皆が伊達家から要求された誓紙血判に応じる構えを見せるが、当然ながら白鳥長久を筆頭に面従腹背の徒だらけだ。
しかし今はこれで良い。
あとは史実の最上義光の足跡に倣い、時間をかけて個別に排除していけば事足りる。
首桶に入った寒河江兼広の首を氏家守棟に引き渡す。
「守棟殿。義光殿のもとへ届けて頂きたいのはこの首よ。我らが本気である事がこれで義光殿にも伝わるであろう」
「・・・承知、仕った」
屈辱に震えながらも首桶を受け取る氏家守棟。
ギリリと歯がみしつつ、大人しく山形城に戻っていく。
さて、まず陣中の八百名からなる寒河江勢の捕縛から始めようか。
あと今のうちに、許可なく中央の織田信長に使いを出して出羽守への推挙を求めないよう、白鳥長久を脅しておかねばなるまい。
山形城開城の交渉が纏まったのは、氏家守棟に寒河江兼広の首を山形城へ持ち帰えらせてから、三日が過ぎた後であった。
渡された寒河江兼広の首をあらためもせず、かくなる上は城を枕に討死せんと息巻く最上義光を、氏家守棟が必死に説得したという。
最上義光とその妻の妙姫は、援軍の大崎勢千騎に守られて大崎領に落ちて行く。
最上義光を慕い、氏家守棟を含む五百騎の郎党とその家族たちが大崎に同道した。
大崎で力を蓄えての捲土重来を目論んでいるだろうが、そうはさせない。
最上を片づけた後は大崎である。
来たる大崎攻めを睨んで、大崎義隆と近年領土争いを繰り返している葛西晴信と、伊達家は既に水面下で盟を結んでいる。
今回の天正最上の乱において、最上義光は山形城を包囲されるのに先立って、相馬や田村だけでなく仙北の小野寺に対しても使者を遣わしている。
伊達・二階堂連合軍の後背を襲うように、周辺各国をけしかけていた。
城を固く守り、調略を仕掛け、外交を操って敵を退ける。
劣勢の中でも採りうる限りの最適手を打っており、まさに羽州随一の驍将である。
だからこそ、チートだろうがなんだろうが、この俺も最後の一手まで全力を尽くさなければならなかった。
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