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二階堂合戦記  作者: 犬河兼任
第五章 英傑たち
30/83

1571 浪人

<1571年 3月下旬>


 会津の蘆名を滅ぼし、更に伊達領内の反乱騒ぎも鎮圧して、我が二階堂家の領土は束の間の平穏を楽しんでいる。

 北と西は伊達家の勢力圏となり、東の田村家とは停戦中だ。

 南は伊達家と同盟中の佐竹家と、その影響力が色濃い上那須衆の領土であり、今のところは友好関係にある。

 ここ数年は戦さばかりで民と兵が疲弊していた為、四方全てが安全な今は絶好の休養タイミングであった。


 この元亀二年春の時点での二階堂家の版図は仙道筋の四郡となる。

 岩瀬郡は須賀川城代の須田盛秀。

 安積郡は郡山城主の須田秀行。

 安達郡は二本松城主の保土原行藤。

 腹心たちにそれぞれ各郡の統治を任せ、自分は専ら小峰城で新領土の白河郡の内地化に努めていた。


 二階堂家中も代替わりが進み、外様衆も増えてきている。

 東部衆は大久保資近、横田治部、保土原行藤、矢田野行正、浜尾行泰らが名を連ねる。

 西部衆は須田秀行、須田盛秀、守屋俊重、遠藤勝重、矢部義政らが主力だ。

 外様衆は安達郡の大内定綱と、白河郡東部の河東田清重、上遠野盛秀、斑目広綱、赤坂政光らとなる。


 しかし、ざっと見渡しても武力偏重で、内政のスペシャリストが見当たらない。

 本拠の須賀川城と小峰城を行き来するのも結構疲れるし、家族の時間も削られる。

 自分の代わりに白河の新領土を任せられる万能政治型の武将が喉から手が出るほど欲しい。

 その願望を叶えてくれそうな我が女神の到来を、日々心待ちにする今日この頃であった。






「白坂に参る」


 小峰城での政務中に一報を受け、いてもたってもいられず馬に飛び乗る。

 その知らせは、遠く美濃に赴いていた吉次一行の白河到着を告げる飛脚であった。


 既に関東と奥州の往来は、白河関を経由する東山道よりも、芦野から白坂を経由して小峰城に至る街道がメインになっている。

 後に奥州街道と呼ばれるルートである。

 街道を南に爆走する。


 小氷期も真っ盛りのこの年代。

 現代に比べて梅の開花時期も一月ほど遅い。

 奥州の最南端に位置する白河でもやっと梅の花が咲き始めている。


 吉次率いる商隊の一行の姿が確認できたのは、梅の花の美しく咲き誇る山の麓辺りであった。

 吸い寄せられるように馬上の吉次の姿が目に入り、その隣に馬を寄せる。

 二年ぶりの再会である。


「おかえり。吉次」


「え?お殿様!こんなところまでお迎えに来て頂けるなんて」


 少し驚いている。


「お前に少しでも早く会いたくてな。飛んで参った」


「ふふ、その物言い、また奥方様に怒られますよ。吉次、ただいま戻りました」


 編み笠を取り、微笑んで挨拶してくる吉次。

 こんなに美人だったかと見惚れてしまう。

 旅が彼女の魅力をまた一段と磨いたようだ。

 長旅で商隊の皆は埃まみれの中、吉次だけ光り輝いていた。


「奥州ではまだ珍しい反物や茶器や道具、書物、食品を数多く持ち帰ってきました。それと約束どおり船大工と浪人も連れてきています。お城に着いたらご紹介しますね」


 今は隊列の後ろに付いて来ているとのこと。

 早速顔を見たいと思ったが、初めてお殿様にお目見えする時は身形を整えたいでしょうから、とやんわりと吉次に諭される。

 それもそうか、と思い直して後のお楽しみとする。


 轡を並べて吉次と語らいながら、小峰城に向けてパッカパッカと移動を開始。

 甘酸っぱく心躍る一時であった。






 小峰城の本丸屋敷の広間。

 上段に俺が座り、右手に吉次が控えている。

 正面には鵜飼船の船大工の辰五郎。


「では辰五郎、よろしく頼む。褒美ははずもう」


「へへぇー」


 深く平伏して辰五郎が下がっていく。


 次は浪人衆か。

 楽しみだ。

 ワクワク。


 美濃から持ち帰った茶を吉次に立ててもらい、一服しながら浪人衆の登場を待つ。


「失礼仕る」


 現れたのはかなり大柄ながらも涼やかな顔立ちの若い侍である。

 年の頃は二十歳前後だろうか。


 大分若いなと何気なく戦闘モードで確認し、茶を吹いてしまう。


「ぶほっ」


「きゃっ、お殿様ってばもうっ。汚いですよ」


 吉次が慌てて布を取り出して茶を拭いてくれる。


「す、すまんすまん」


 戦闘モードで見たその若侍の名前表示に動揺してしまった。

 甲斐甲斐しく口周りの汚れも拭き取ってくれた吉次が、その浪人を呼び入れる。


「これでもう大丈夫かしら。奥村殿、どうぞ入って下さい」


「はっ」


 スススと広間の中央まで進み、ふわりと座って挨拶してくる。


「奥村永福と申します」


 後の加賀百万石の柱石となるはずの男が、何の因果か俺の目の前に現れたのであった。






 奥村永福。

 尾張の荒子城主の前田利久に仕え、若くして荒子城代まで務めた男である。

 主の前田利久は病弱で実子もいなかった。

 織田信長の鶴の一声により、利久の養子の利益ではなく、弟の利家が荒子城を継ぐことになる。

 しかし城代の奥村永福は、主である利久の命令が届くまで荒子城の受け渡しを拒否。

 主への忠義を立てて男を上げて、その後に浪人となった。

 これが二年前の話だ。


 ただ史実の奥村永福は、荒子城引き渡しの際に確か既にアラサーだったはず。

 でも目の前の奥村永福はどう見ても二十歳。

 この世界が史実ではなく、何らかの格闘ゲームをベースにしていることを改めて強く認識させられる。


 動揺している俺に対して、吉次が奥村永福を紹介してくる。


「今回美濃から連れて来れた浪人は、この奥村殿ただ一人になります」

 

「一人か」


「はい。奥村殿には五千貫の知行を約し、遠くこの奥州まで足を伸ばして頂きました」


「・・・流石は吉次だ。俺の目に狂いは無かった」


 吉次には浪人採用枠として五千貫を提示していたが、それを奥村永福一人に全ぶっ込みして引っ張ってくるとは。

 自分の女ながらも、これには恐れ入った。

 瞠目していると吉次がテヘペロしてくる。


「本当はもう一人、前田利益殿もお誘いしたかったんですがフラれてしまいました。自分に提示した分を奥村殿に上乗せしてほしい、とのことだったのでその言葉に従ったまでです」


 ちなみにだが、奥村永福の仕えていた前田家の荒子の知行が二千貫。

 足利義昭を引き合わせた明智光秀が織田信長から与えられた知行が五百貫。

 甲斐の武田信玄が軍師の山本勘助を雇った時の知行が二百貫。

 二十歳の無名の若者に五千貫とは、如何に破格かがわかろう。


 奥村永福は妻の阿安と四歳になる嫡男を連れ、この奥州まで下って来ていた。

 その決意と吉次の面子を踏み躙るわけにはいかない。


「・・・この二階堂盛義、二言は吐かぬ。奥村永福、俺にはお前が必要だ。五千貫で俺に仕えよ」


「はっ。身命を賭して御奉公仕る」


 白河の領地の一万石を奥村永福の差配させる。

 旧来の家臣たちは大いに動揺するだろうし、東白河郡の諸将も納得いかないだろう。

 だがそこは強引に黙らせる。

 それだけの力が今の俺にはある。


 ゆくゆくは奥村永福には外様衆のまとめ役になってもらい、二階堂家中に新たな風を吹かせたい。

 父輝行も解決できなかった二階堂家の宿痾である東部衆と西部衆の対立に、もう一軸を追加するのだ。

 毛利元就ではないが、それでこそ三本の矢のように折れず、鼎の如く安定した家中となろう。


 しかし奥村永福が二階堂家の仕えるとなると、前田家の将来はどうなってしまうのだろうか。

 今から心配になる。


 それに奥村永福の親友である前田利益。

 かの大武辺者が奥州に来る日も大分早まったのかもしれない。






「もう、お殿様。久しぶりで興奮するのはわかりますけど、激しすぎです」


 閨房で吉次に怒られる。

 汗ばむ躰を絡ませたまま、寝物語がてら吉次から上方の情報や土産話をヒアリングだ。

 織田信長はかなり苦戦しているらしい。


「一向衆を敵に回したのが痛いですね。私が美濃を離れる少し前に、あれほどキツく当たっていた公方様に和睦の中立ちを依頼したそうですから」


 世に言う石山合戦の開始と、第一次信長包囲網の形成である。

 織田方は摂津の石山と伊勢の長島の周辺で、かなりの被害を出している。

 一向門徒の二大拠点であり、史実どおりに事態は推移していた。


「比叡の御山も浅井朝倉の味方ですし、織田信長様は仏門の徒との相性が悪いのかもしれません」


 比叡山は京洛の東の守りで、北陸路の出入り口になる。

 浅井朝倉軍が京へ進出する為の橋頭堡となっており、比叡山が敵方な限り織田信長の京支配は不安定なままだ。

 近いうちに必ず織田信長は比叡山を焼き落とすだろう。


 比叡山の天台座主は正親町天皇の弟の覚恕法親王だ。

 その親王を追い払い、時の天皇さえも凌ぐ勢力を誇った比叡山を滅ぼしたとなれば、信長の威勢は内裏を超越してしまう。

 それはすなわち、内裏から武家統治を委託されている足利幕府、将軍足利義昭との対立が決定的となる瞬間でもある。


 来年の暮れあたりから京が戦場となるはず。

 吉次の商隊の上方への再派遣は先延ばしすべきだ。


 自分が今進めようとしている、信夫と須賀川の商圏との阿武隈川を使った伊具・亘理・名取との交易路の整備。

 しばらくはそのアドバイザーを務めてもらい、昼も夜もなく綿密な打ち合わせを行っていこうと思う。

 こういう風に。


「えっ!?またですかっ。んんっ」






<1571年 5月上旬>


 吉次を連れて米沢に向かう。


 先月末のことだ。

 伊達家の跡取り息子である梵天丸が疱瘡に罹患し、生死の境を彷徨っていた。

 その知らせを受けたのは、小峰城下の阿武隈川の畔で鵜飼舟のテスト版の初号機がようやく組み上がった頃である。


 後の工程の監督を吉次に任せ、慌てて須賀川城に戻って輝宗殿からの書状に目を通す。


「何故だ。梵天丸殿の誕生祝いに雌牛を送ったはずなのに・・・」


 愕然としている俺に対し、妻の南の方が謎解きをしてくれる。


「ああそれか。以前の輝宗からの私信に書いてあったぞ。乳搾りは東の方の意向で一回しか出来なかったとな。呪いや迷信の類いを信じるとは何事かと烈火の如く怒られたそうだ。夫殿の手紙も乱筆過ぎると東の方に一顧だにされなかったとあったな」


 ガックシである。


 そして今日になって輝宗殿より連絡が入る。

 なんとか命を取り留め、ようやく容体も落ち着いたとのことで、快気祝いの為に米沢に向かう途上であった。


 小峰城から吉次を呼び寄せて同行させたのは、快気祝いの品を用意して運ばせる為だけではない。

 鵜飼舟の運用テストの結果を受けての阿武隈川拡幅工事計画のプレゼンターとしてであった。






 吉次を連れて米沢城に入り、快気祝いの品々を進上する。

 だが輝宗殿の顔は晴れない。


「うむ。梵天丸だが・・・。命を取り留めたは良いが、疱瘡の毒が右目に入ってしまったようでの。片方の光が失われてしもうた」


 やはりそうなったか。

 これも定めか。


「輝宗殿。一人の親としてのその辛い心情お察し致しまする。されど伊達家棟梁として見れば、これほど悦ばしいことはござりませなんだな」

 

「何っ?悦ばしいとな」


 怪訝そうな表情を浮かべる輝宗殿。

 重ねて言上する。


「孟子に曰く、天は大任を降す人に必ず大きな逆境を与えるとあります。試練はそれを乗り越えられる人物にしか訪れませぬ。梵天丸殿は将来きっと日ノ本にその名を轟かす将になりましょうぞ」


「ムムッ」


「見えなくなった事で逆に見えてくるものも有り申そう。きっとそれは梵天丸殿の将器を磨く為に役立つはず。されど幼くして試練を負った梵天丸殿を健やかに育成するには、生半な先導では難しいと存ずる。梵天丸殿の為に良き師、良き傅役をお探しなされませ」


「あいわかった!義兄上のその言葉で蒙が啓かれましたぞ!」


 パシリと己が膝を叩いた輝宗殿の顔からは曇りが無くなり、いつも通りのギラギラした目力が戻ってくる。

 梵天丸の為に日ノ本随一の師を探して見せる!と息巻いている。

 それは良いんだけど、しっかり苦言も呈しておかないとな。


「輝宗殿。聞けば須賀川からお送りした雌牛は、東の方様の命令で既に城中には居らぬと言うではありませぬか。良いですか。会津にはこのような伝承がありましてな。平安の御代に会津で疱瘡が流行ったおり、牛を飼っていた村は不思議なことに一人も死人が出なかったそうなのです。今でも赤い斑点のある牛は厄除として・・・」


 会津のみならず、入会地の多い自領の安積郡での調査結果を交えて乳搾りの効能を輝宗殿に力説。

 後ろで控えている吉次に止められるまで滔々と語ってしまった。


 俺の熱意は輝宗殿にしっかりと伝わったようだ。

 疲れた顔で約束してくる。


「あいわかった。お東を説き伏せ、竺丸や今後授かるであろう子には必ず乳搾りさせることを誓おう」


 ならば良し!






 議題は今後の伊達家の戦略に移る。


 現在伊達家では外への影響力行使を控え、先年の元亀の変を奇貨としての中央集権化が急速に進められている。


 高畠城の小梁川盛宗は隠居して泥播斎と号し、輝宗殿側近の小梁川宗重が高畠城主となった。

 白石城の白石宗利も若くして隠居し、輝宗殿近習の若干十九歳の白石宗時が白石城主だ。

 伊具と亘理の伊達家諸将に攻め落とされた角田城には、輝宗殿近習の若い田手宗時が角田城主として入った。


 中野宗時・牧野久仲の居城であった小松城は宿老の桑折景長に預けられていたが、その景長も高齢を理由に今年に入って隠居し、嫡男の桑折宗長が小松城主の座を継いだ。

 ただ上方がバタバタしており、足利義昭の御教書発行が織田信長に抑えられてしまっている関係上、陸奥守護代職の継承は宙に浮いたままだ。

 同じく陸奥守護代であった石母田光頼の忘形見の石母田景頼が今年十三歳になって元服を果たし、輝宗殿の後見の下で石母田城主となるも、同じ理由で陸奥守護代職の継承は見送られている。


 つまり唯一の陸奥守護代となったこの二階堂盛義が、奥州探題の伊達輝宗殿を支える体制が出来上がりつつあった。


 さればと輝宗殿が相談してくる。


「領内もあら方落ち着いて参った。そろそろ本拠を会津の黒川城に移そうと思うが、義兄上はどう思われるか」


 新領土の会津の統治を万全にする為、また未だ定まらない関東の覇権争いに介入する為の本拠地移転案である。

 相模の北条氏康は昨年の秋に中風で倒れ、一時は回復したらしいが最近めっきりその動向が分からなくなっている。

 以前に伝えたように関東での勢力図が一変しそうな兆しが見えてきた。


 ただ、この会津への本拠地移転に関しては、避けた方が良いというのが俺の意見だ。


「関東は上杉に北条武田と大敵が多うございます。また宝姫が嫁いだ佐竹家も利害が合わねば敵に回りましょう。今は宮城・名取・亘理の三郡を伊達家の版図にしっかりと咥え込むが先。その上で更にその先の大崎と葛西まで飲み込んでしまえば、奥羽一円は等しく輝宗殿の手中に収まりまする」


 レッドオーシャンに挑むには、ブルーオーシャンを全て食い散らかし、力を十分に蓄えてからでも遅くない。


「奥州と羽州を合わせれば日ノ本の五分の一程の広さにはなりまする。五分の一も持てれば天下を相手に大分好き勝手が出来ましょうぞ」


「ふむ。奥州藤原氏の夢をもう一度、と言うわけか」


「伊達家は秀郷流の奥州藤原氏と同系の藤原北家の出。後継となる資格は十分かと」


 ちなみに我が二階堂家は同じ藤性だが、藤原南家の出だ。

 日向の伊東氏や、肥後の相良氏が同族に当たる。


「義兄上がそこな女御に吉次を名乗らせている理由にやっと合点がいきましたぞ。されば我が伊達家が本拠地を移すべき先は、南ではなく北と言われるか」


「はっ。仰せの通り。吉次、地図を」


 吉次に命じて輝宗殿の眼前に地図を広げる。

 ざっくり俺が書いた東日本の概略図だ。

 その中の一点を扇子の先でビシリと指す。


「伊達家が本拠を構えるべき場所。それは、すなわち宮城郡の千代なり!」


 言わずと知れた東北の中核都市にして唯一の政令指定都市の仙台。

 今は国分領であった。






 宮城・名取・亘理の各郡を完全に伊達家の版図に加える方策として、信夫郡からの物流経路の整備を進言する。

 宮城の留守政景、名取の泉田景時、亘理の亘理元宗。

 既にしっかりとした主従関係にある泉田一族は別として、留守氏や亘理氏は伊達家の血族が当主に養子として入ってはいるが、半独立状態にある。

 単にそれは米沢に本拠を置く伊達本家とは物理的に距離がある為、好き勝手が出来ているだけだ。

 兵站が確保され、素早く大量に兵を送り込める状態になれば、無理に逆らおうとはしなくなるはず。

 その為の阿武隈川拡幅であった。


 吉次に説明を任せる。


「拡幅が必要な箇所はこちらの朱入れしている部分です」


「信夫から丸森までは、鵜飼舟と呼ばれる小舟を使います。美濃の長良川から導入した舟で、図面はこちらです」


「拡幅工事の為の人足は領内から集めて頂きますが、私たちにも利のある事業ですので、二階堂の家の持ち出しで関東からも人を集めます」


「拡幅が完了した後の戦時と平時に運行する舟の台数と、曳舟に必要となる人足の数の資料はこちらです」


 立板に水を流すような吉次の説明は、輝宗殿にも好評であった。

 次の伊達家の大評定で決が取られる事となる。


 概ね滞り無く話が進んでいくのだが、一点だけ問題が生じる。

 いや本来は問題では全然無くて、実に喜ばしいことなのだが。


「大丈夫か、吉次!」


「ううっ。ちょっとすみません。胃の腑の辺りがムカムカしてしまって」


 輝宗殿への説明を終えて吉次と共に退出しようとした折だ。

 吉次が吐き気を訴えて、口を抑えて慌てて庭に降り、嘔吐してしまう。


 吉次が美濃から戻って来てからというもの、少しばかり毎晩熱心に打ち合わせし過ぎてしまったようだ。

 悪阻であった。


 馬はもう乗せられない。

 急いで輿の用意をさせねば。






<1571年 12月下旬>


 阿武隈川の拡幅という大事業に乗り出したら、あっという間の年末だ。

 師走とは良く言ったもので、とにかく忙しい。


 まずは阿武隈川の拡幅が進むのと並行し、先年から築城を行なっていた鞍馬城が落成する。

 鞍馬城は安積郡の西端に位置し、白河街道の赤津宿を眼下に望む館山を利用した小規模な城郭だ。

 蘆名氏を滅ぼした折に得た猪苗代湖南岸の統治を万全にする為という意味合いもあるが、白河街道の整備の一環であった。


 先々月に相模の北条氏康が病で没した知らせが届いている。

 跡を継いだ北条氏政が、今頃は氏康の遺言の従って武田信玄との盟約を復活させている頃だろう。

 上杉謙信と名乗りを変えた上杉輝虎との交渉次第だが、伊達家の奥会津攻略は恐らく来年から本格化する。

 我が二階堂家の将兵を会津へ出兵し易くなるように、先手を打って白河街道の中間地点に補給基地を用意しておいたのである。


 鞍馬城の落成を見届け、雪が散らつく中で小峰城に戻ると、今度は吉次の出産である。

 須賀川城では正室の南の方も愛人の吉次も双方共に気苦労してしまうので、吉次は小峰城に居てもらっている。

 小峰城代の奥村永福の妻の阿安殿も第二子を同時期に出産予定で、小峰城は非常にバタついていた。


 初産ということで不安だろうに、いつも通りに気丈な素振りを見せる吉次。


「私もこの子もきっと大丈夫ですから、奥方様のところに戻って下さい。また怒られてしまいますよ」


「そういうわけにもいくまい」


 既に吉次の才知は米沢の輝宗殿も認めるところである。

 俺が彼女を手元に置きたがっている理由にも、十分に理解を示してくれている。

 正室の南の方は決して側室と認めてはいなかったが、吉次は既に伊達家公認の愛妾の地位を得てしまっていた。

 南の方はともかく、出産への立ち会いに伊達家が目くじらを立てることは無い。


 そして産まれたのが珠のような女の子である。

 自分にとっては初の娘であった。

 名は吉乃と名付けた。


 ホッと一安堵しているところに、奥村永福が現れる。


「殿、先ほど寺山城の斑目広基殿が参りました。至急目通りさせたい人物がいるとのこと。常陸の浪人だそうです」


「常陸から?」


「はっ。和田昭為と名乗っております」


「・・・大物だな。会おう」


 和田昭為。

 佐竹家の内政・外交の分野で活躍した吏僚である。

 常陸の蕭何、と言ったら褒め過ぎであろうか。






「つまりそこもとは政敵の車斯忠に破れて常陸を追われた、ということだな」


「お恥ずかしい限りでございます」


 和田昭為に年を聞いたら今年で四十歳だそうだ。

 二十歳そこらの若造の車斯忠に政争で破れ、国まで追われてしまうとは屈辱だろう。

 ただこれも家中の統制力の強化を図りたい佐竹義重主導の亡命劇だ。

 側から見れば、側近の車斯忠の讒言を佐竹義重が利用し、父の義昭の代から大手を振っていた和田昭為を排斥しただけ。

 昨年に中野宗時と牧野久仲の父子を滅ぼした伊達家と何ら変わらない。


 和田昭為を連れてきた斑目広基が、気の毒そうに言上してくる。


「それがしが調べたところ、和田殿の居城は佐竹義重に攻められ、既に和田殿の子息三名を含めて一族は皆、処刑されております」


「くっ、ううう」


 和田昭為が堪えきれず嗚咽を漏らす。

 念のいった話である。


「我が二階堂家と佐竹家は縁続きよ。義重殿の妻は我が妻の妹御。今のところは佐竹家とは友好関係にある。しかし、そこもとを匿うとなると、いろいろと文句を言って参ろうな」


「ううっ。そこを伏してお頼み申す」


 ただ単に追い返せば、懐に入った窮鳥を見殺しにした亡仁の徒として俺の評判が下がる。

 かと言って佐竹家の内部情報目当てで受け入れれば、佐竹義重は何それと難癖をつけてこよう。

 念のいっただけでなく、至極面倒な話である。

 いっそのことその素っ首を叩き斬って、佐竹義重に送り返してやろうか。


 問題はだ。

 和田昭為なんて大物を、なぜこの時期に間者に仕立てて佐竹義重が送り込んで来たかだ。

 1571年から1572年に掛けて、史実の南奥州で起こったイベントは何だったか。


「そうか。磐城か」


 しまった。

 すっかり忘れていたぞ。


 俺が思わず漏らしたツィートが耳に入ったようだ。

 頭を下げたままの和田昭為の嗚咽がピタリと止まる。

 図星か。


 ここまでやるってことは、既に岩城家中の根回しはあらかた終わっているということ。

 やはり奥方が佐竹の姫なのは強い。

 今からの挽回は難しそうだが、このまま磐城十二万石、海高も含めると概ね十五万石相当をみすみす佐竹にくれてやるのは業腹であった。


「のう和田殿。そこもとの身柄は我が二階堂家で責任を持って預かろう。その代わりと言っては何だが、佐竹義重殿に伝えて欲しい。羽黒山城と東館城の割譲で手を打たぬかと、この盛義から提案があったとな」




 岩城親隆の狂乱。

 奥州の勢力図はまた一つの変化を見せようとしていた。






<年表>

1571年 二階堂盛義 27歳


01月

◆越後の上杉輝虎(41歳)、不識庵謙信を名乗る。

★岐阜の織田信長(37歳)、朝廷と足利義昭(34歳)に調停を依頼して浅井朝倉軍と講和。浅井朝倉軍撤兵。


02月

☆三河の徳川家康(28歳)、従五位上侍従補任。

☆三河の徳川家康(28歳)、上杉謙信(41歳)に接近。新春を賀して太刀を贈呈。武田信玄(50歳)を牽制。


03月

◆越後の上杉謙信(41歳)、越中に出征。松倉城・新庄城・守山城を攻略。

★岐阜の織田信長(37歳)、浅井家の磯野員昌(48歳)を調略。佐和山城を降す。

▷能島の村上武吉(38歳)、備前の浦上宗景(45歳)と結び毛利家から離反。毛利三村包囲網に参加。

◇白河の吉次(21歳)、尾張より浪人の奥村永福(20歳)を連れて戻る。奥村永福、二階堂家に一万石で仕官。

◇須賀川の二階堂盛義、吉次(21歳)から上方の情勢を寝物語で聞く。


04月

■米沢の伊達輝宗の嫡男梵天丸(4歳)、疱瘡に掛かり右目を失う。


05月

◎須賀川の二階堂盛義、阿武隈川の難所の拡幅と小鵜飼船の導入を伊達輝宗(27歳)に進言。

◇白河の吉次(21歳)、二階堂盛義の子を懐妊。

▷備後の小早川隆景(38歳)、村上武吉(38歳)の拠る本太城を攻略。

▼津軽の大浦為信(21歳)、沼田祐光(32歳)の策を採用して石川城を騙し討ち。南部信直の実父・石川高信(76歳)を自害に追い込む。


06月

☆岐阜の織田信長(37歳)、長島の一向一揆を攻める。第一次長島侵攻。失敗。氏家卜全(59歳)討死。

▷備前の浦上宗景(45歳)、三好家の篠原長房(58歳)率いる阿波水軍衆の援軍を得て、備前児島の毛利軍を撃破。

▷備前の宇喜多直家(42歳)、庄勝資を調略して備中松山城を占拠させ、その隙に三村領に侵攻。幸山城を奪取。

▷安芸で毛利元就(74歳)死去。毛利輝元(18歳)を吉川元春(41歳)と小早川隆景(38歳)が補佐する両川体制へ移行。

▷能島の村上武吉(38歳)、毛利家と和解。


07月

▽薩摩で島津貴久(57歳)死去。島津義久(38歳)、義弘(36歳)、歳久(34歳)、家久(24歳)の四兄弟が島津家中を統制。

★阿波の篠原長房(58歳)、摂津に上陸して河内に侵攻。幕臣の畠山昭高(37歳)を攻撃。


08月

★摂津で白井河原の戦い。荒木村重(36歳)と池田知正(16歳)、幕臣の和田惟政(41歳)らを攻めて討ち取る。

★摂津の荒木村重(36歳)、和田惟長(20歳)の籠る高槻城包囲。河内の三好義継(23歳)、大和の松永久秀(63歳)が村重に合力。

▽大隅で肝付良兼(37歳)病死。異母弟の肝付兼亮(13歳)が婿養子となり家督を継ぐ。

▷備後の小早川隆景(38歳)、村上武吉(38歳)の拠る能島を包囲・海上封鎖。


09月

▷出雲の尼子勝久(18歳)、毛利輝元(18歳)の攻撃で出雲最後の拠点真山城を失陥し、隠岐に逃亡。第一次尼子再興運動失敗。

★岐阜の織田信長(37歳)、浅井朝倉軍を匿った罪で比叡山を焼き討ち。天台座主の覚恕法親王、甲斐に逃げる。


10月

◆相模で北条氏康(56歳)死去。当主の北条氏政(33歳)が弟の氏照(29歳)、氏規(26歳)、氏邦(23歳)らを従えて関東制覇を目指す。


11月

◆越後の上杉謙信(41歳)、関東出征12回目。上野に出陣し、佐竹義重(24歳)の小田氏治(37歳)攻めを牽制。

★岐阜の織田信長(37歳)、明智光秀(43歳)を摂津に派遣。荒木村重(36歳)、高槻城包囲解除。

★大和の筒井順慶(22歳)、明智光秀(43歳)に取次を依頼して織田信長(37歳)に臣従。


12月

▶︎土佐の長宗我部元親(32)、一条配下の津野氏を攻め滅ぼす。

◆相模の北条氏政(33歳)、北条氏康の遺言に従って越相同盟破棄。甲斐の武田信玄(50歳)と手を結ぶ。

◎須賀川の二階堂盛義、猪苗代湖南岸に鞍馬城を築城。

◇白河で吉次(21歳)が女児出産。須賀川の二階堂盛義、吉乃と名付ける。

◎須賀川の二階堂盛義、佐竹家を出奔した和田昭為(39歳)の亡命を受け入れる。


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▲天変地異

◎二階堂

◇吉次

■伊達

▼奥羽

◆関東甲信越

☆北陸中部東海

★近畿

▷山陰山陽

▶︎︎四国

▽九州



<同盟情報[南奥 1571年末]>

- 伊達輝宗・二階堂盛義・石川昭光・岩城親隆・佐竹義重

- 田村隆顕・相馬盛胤

- 山内舜通・河原田盛次


挿絵(By みてみん)


須賀川二階堂家 勢力範囲 合計 24万7千石

・奥州 岩瀬郡 安達郡 12万1千石

・奥州 安積郡 3万5千石 + 1千石 (NEW!)

・奥州 伊達郡 1万5千石

・奥州 白河郡 7万3千石

・奥州 田村郡 2千石


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