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二階堂合戦記  作者: 犬河兼任
第五章 英傑たち
29/83

1570 元亀

<1570年 2月上旬>


「「「あけまして、おめでとうございまする」」」


 永禄十三年の正月。

 須賀川城で家臣一同から年始の挨拶を受ける。


 妻の南の方が産み月の為、今年の正月の米沢詣ではスキップだ。


 一通りの挨拶を受け終わった後に書斎に戻る。

 そして方々から送られてきた年賀の文に目を通していく。

 

「殿、こちらは美濃の吉次殿からの書状になります」


「おう、待っておったわ」


 須田盛秀こと源次郎より手紙を受け取り、早速その流麗な文字を読み漁る。


「これは御方様」


「何を熱心に読んでいるのだ?」


 南の方が書斎に現れ、源次郎が平伏する。

 臨月のお腹を抱えて随分と億劫そうだ。


「動いて大丈夫か?」


「少しは体を動かしておかねば、体力も落ちよう」


 そろそろ十月十日も過ぎる。

 陣痛を即す為にも確かにウォーキングは必要か。


「しかし嬉しそうだな。その文に何か良い事でも書かれていたか」


「うむ、吉次よりの報告よ。美濃の加納にて無事に支店を構えられたとある」


 嬉々として彼女の報告を南の方にも伝える。


「長良川の鵜飼船の船大工連中とも繋ぎが作れたようだ。須賀川に戻る際に奥州まで同行可能な船大工を見繕っている最中とな」


「ほう」


 これで阿武隈川の拡張工事にも着手可能となる。

 阿武隈川の舟運が整備されれば、商圏拡大だけでなく名取亘理方面への派兵もスムーズになる。


「吉次が帰ってくるのが待ち遠しいわ。早く来年にならぬものか。のう源次郎」


「いえ、その、殿」


「いや、正月早々に来年の話など、鬼が笑うか。はっはっは」


「殿」


 ん?


 げっ。


「ふふふふふ」


 文字通り目の前で鬼が笑ってた。

 かなり怖かった。







 寒空に月が煌々と輝く夜半。

 昼間の騒動が原因なのかわからないが、南の方の陣痛が始まってお産となる。


 オギャーオギャー


 赤子の泣く声が細く聴こえて来た。

 どうやら無事に産まれたようだな。

 良かった。


「父上、産まれたようです!」


 鶴王丸が産所に駆け付けようと立ち上がる。


「鶴王丸、落ち着け。今行っても母上が疲れるだけぞ。面会出来るのは明日の朝よ」


「そ、そうなのですか?」


 まだ数えで十歳にもかかわらず、普段は歳に似合わぬマセた振る舞いを見せる鶴王丸であったが、まだまだ子供のようで安心する。

 憤然と座り直した鶴王丸が問いを発してくる。


「父上は何故そのように落ち着いていられるのです?」


 正直に答えると、歴史として二階堂行親の誕生を知り得ているからだろう。

 だがそれだけとは言い切れぬ部分もあった。

 強いて言うならば経験だろうか。


「出産をこのように見守るのも、資近とそなたに次いでこれで三度目よ。慣れもしよう」


 思い返せば過去二回とも、亡き父上と二人で悶々とした覚えがある。

 時は巡ると言うが、なんと今は俺が父親のポジションだ。


 代を重ねるってきっとこういう事なんだろう、と感慨深いものがある。


 しばらくしてお甄が報告に来る。

 今年十一歳となるお甄は聡い娘で、自らお産の手伝いを申し出ていた。

 南の方が後学のためと許可を出しており、邪魔にならない程度に役目を担ってくれている。


「盛義さま。無事に生まれました。男の子ですよ。おめでとうございます」


「男か。お甄、知らせてくれてありがとう。そなたも疲れたろう」


 大丈夫ですと微笑むお甄に、鶴王丸が心配気に問い掛ける。


「それでお甄殿、母御前は無事だろうか」


「ええ。今は休まれているけど、産婆さんは大丈夫って言ってたわ」


「そうか、良かった・・・」


 お甄と手を繋いで無事の出産をひとしきり喜び合った後、鶴王丸が振り返ってくる。


「そうだ!父上、弟の名は何とするのです?」


「そうよな。今年は午年だ。守り本尊である勢至菩薩にあやかり、勢至丸と名付けようと思う」






 慶事というものは重なるものらしい。


 翌朝に弟の大久保資近が勢至丸の誕生を祝いに参り、そこで新たな慶事を告げてくる。


「そうか、彦姫に子が出来たか」


「はい。元気な子が産まれるよう、義姉上にあやかりとうございます」


 三年前に伊達家から嫁いで来た資近の妻、彦姫が無事懐妊とのこと。

 まずはめでたい。


 史実の彦姫は二人の夫との間に一男三女をもうけている。

 この世界線では伴侶が異なり、どのような子供が生まれてくるか予想は出来ない。


 ただ、子供が出来れば親となって自然と責任感も増し、大人としての自覚も促される。

 弟の資近はまだ十九歳だが、いずれは領内の重要拠点を任せられるようになるだろう。

 我が二階堂家が選択出来る戦略の幅も、だいぶ広がると言うものだ。


 白河を併呑したことで下野と領土が接した。

 下野の諸侯との交渉ごとも増えて来ており、資近の今後には大いに期待したい。






<1570年 4月上旬>


 輝宗殿より諸々の事を相談したいと連絡が入った。


 急ぎ米沢に向かう準備を進める。

 今回率いる兵数は五百人と決めた。

 それも鉄砲の数が多めの編成だ。


「随分と物々しい兵の数よな。夫殿は米沢に戦さに赴くつもりか」


 勢至丸をあやしながら南の方が問うてくる。


「遠藤基信が先月の連歌の会の帰路に何者かに襲撃されたそうだ。幸いにして袖を斬られただけで傷は無かったらしいが、米沢は随分と物騒ゆえにな」


「それは私も聞いた。下手人はまだ捕えられていないようだが、まぁ推して知るべしだな」


 もちろん物取りなどではなく、輝宗殿の政治に反発する者たちの犯行と見て間違いない。


 先年滅ぼした蘆名の旧領には大森城主の伊達実元殿が駐留しており、暫定で統治を行なっている。

 輝宗殿は会津の黒川城へ将来的に伊達家の本拠地を移転したい意向を示しており、側近の遠藤基信にその為の調査を任せてしまった。

 伊達家中は大いに動揺していると聞く。


 反対派の筆頭は中野宗時。

 もともと遠藤基信は彼の部下で、今は輝宗殿の下に派遣されているだけ。

 使いっ走りのくせに腹心顔して何を調子づいているのかと脅したのが真相だろう。


「米沢で中野一派と争いになる。夫殿はそう考えているのだな」


「ああ、その通り」


 遠藤基信暗殺未遂事件を伝え聞いたときにピーンときた。

 これはそろそろ“元亀の変”の時期なのではなかろうか、と。


 永禄十三年と言えば、史実では有名な“金ヶ崎の退き口”が起こった年である。

 上洛命令に従わない朝倉義景を追討する為に、織田信長が越前に出陣。

 妹のお市の方から両端を縛られた小豆袋を送られ、浅井長政の裏切りを悟った信長が、慌てて京へ逃げ帰ったエピソードだ。

 ちなみに、その留守中に足利義昭が“元亀”への改元を勝手に進めており、後でそれを聞いた信長はかなり不機嫌になっている。


 伊達家絡みで“元亀”となると、当然“元亀の変”だろう。

 中野宗時とその息子の牧野久仲が伊達家から追放されるクーデター未遂劇である。

 周辺の勢力状況は大分史実からねじ曲がっているが、遠藤基信暗殺未遂のフラグが立ってしまった以上は無視できない。

 即応が可能なように、平時の十倍の兵を率いて須賀川を発つつもりでいた。


 ただ、その前に南の方にも頼みがある。


「杉目の義父上宛に一筆を書いてくれぬか。天文の大乱の二の舞とならぬよう、中野一味に加担なされるな、と」


「うむ。容易いことだ。武運を祈る」


 杉目城(福島城)に隠居中の義父・伊達晴宗。

 その動向こそ真っ先に注視すべきであった。






 今回の米沢行きは、奥州街道から二本松街道を経て米沢街道を進む、会津経由の道を選択した。

 随分と物々しい隊列となるが、蘆名の残党が俺の暗殺を企てている噂有り、と適当に理由を付けている。


 蘆名を滅ぼしてその旧領を抑えたのは輝宗殿だが、切っ掛けを作ったのは俺である。

 亡き蘆名止々斎は会津の領民から慕われており、俺の暗殺云々もあながち嘘とは言い切れないほどの真実味があろう。

 中野一派も警戒はするだろうが、迷うはずだ。


 米沢に到着後、定宿となっている城下の寺院に兵を留める。

 その際、中野邸に探りを入れるよう、同行の守谷俊重には命じておいた。


「わっかりましたー。気取られないようにします」


「頼むぞ。早馬が邸宅に入る等、何か少しでも動きがあれば、すぐに兵たちの武具を整えて俺の下知を待て」


 そう言い残して、早速米沢城に登城する。






 日が暮れた米沢城にて輝宗殿に挨拶する。


「義兄上、よう参られた。明日の評定の前に諸々の方針を決めておきたいのだ。早速良いかの?」


「はい、問題ありませぬ」


 例の如く腹心の鬼庭良直と遠藤基信の二人だけが控える場である。

 そこで輝宗殿の口から出てきた最初の議題。

 それは最上家の内輪揉めの件であった。


「今年に入ってからお東の実家が揉めに揉めておっての。家督を譲れ譲らぬの親子喧嘩よ」


「さよう。最上義守殿は、嫡男の義光殿よりも次男の中野義時殿を偏愛されているそうですな」


 鬼庭良直がダミ声で補足してきた。


 中野義時。

 史実においてはその存在は疑わしい。

 しかし、この世界線ではどうやら実在しているようだ。


 遠藤基信が状況分析する。


「現在のところは最上義守殿が優勢ですが、いつひっくり返るかわかりませぬ。重臣の氏家定直がいずれに付くかで決まりましょう」


 今年六十七歳になる氏家定直は、病を押して両者の仲介に奔走していた。


「儂としては義父の義守殿を支援したいと考えておるが、義兄上はどうお考えか」


 義光は出羽の驍将。

 伊達家の傘下に収まるのを決して良しとしないはず。

 最上家を継がれると真に厄介だ。


 しかしだ。

 史実では伊達家が露骨に介入したが故に、氏家定直らが危機感を抱き、後継が義光に急速に一本化されていった側面もある。

 どうせ天正年間に最上の家督争いは再燃するのだし、ここは放置を推奨してみるか。


「ここは見守るだけに留めませぬか。戦さではなく話し合いで跡目を決めるよう、双方に呼びかけるのです」


「ふむ。あえて仲違いを長引かせようと言うのか」


「はっ。平和裏の解決を目指す呼びかけであれば、出羽の諸将を刺激しますまい。お東の方も納得されるのでは?」


「良かろう。基信、小松城の牧野久仲に交渉させよ。それぐらいならば奴も引き受けるであろう」


「承知仕った」


 そして議題は次に移る。


 三通の手紙が眼前に置かれる。






 鬼庭良直がダミ声で説明する。


「一通は上杉輝虎殿、一通は北条氏康殿、一通は武田信玄殿からの殿宛の書状にござる」


 名だたる戦国大名たちからの呼びかけであった。

 我が二階堂家と連携して会津を飲み込んだ伊達家は、東国の三巨頭からもその動向を注視される存在になっていた。


「基信、義兄上に説明せよ」


「はっ。さすれば要約させて頂きまする。上杉家からは不戦、北条家からは友好、武田家からは同盟を求められておりますな」


 上杉家は、越中や関東出征時に後背を襲われないように、伊達家とは不可侵条約を結びたい意向のようだ。

 その代わりと言ってはなんだが、奥会津の処分については上杉家は一切関与しないと餌を撒いて来た。


 北条家は、越相同盟中の上杉家の邪魔をしないよう求め、また反北条色の強い下野への抑えを伊達家に期待していた。

 今のところ明瞭な依頼は無いが、今後の動向を睨んでの対応であろう。


 武田家は、上杉輝虎外征中の越後を襲って領土をかすめ取るように伊達家を煽って来ている。

 三家の中で一番露骨であったが、同じ源氏で甲佐同盟を組んでいる佐竹家経由での依頼というのがまたいやらしい。

 佐竹家現当主の義重の正室は言うまでもなく輝宗殿の妹の宝姫であり、この夏に出産を控えている。


「どうすべきと思われる。義兄上」


「うむ。その前に身共も見て頂きたいものがあります」


 輝宗殿の問いを受けて懐から手紙を三通取り出し、同じ様に並べる。


「下野の宇都宮、那須、壬生から送られてきた手紙です。それぞれ手を組まぬかと持ち掛けて参りました」


「むぅ、これはややこしくなってまいりましたぞ」


 鬼庭良直が唸る。


「確か宇都宮には佐竹義重殿の妹御が嫁に入っておりますな。そして上那須衆は佐竹と昵懇。仮に我らが越相同盟に与すれば、佐竹・宇都宮・那須の三者が手を組み、盛義様の白河を常陸下野の両面から圧迫して参りましょう」


 遠藤基信の分析通り、宇都宮は武田方の佐竹に近く、那須は一貫して反上杉だ。

 残る壬生は北条方となり、下野の諸将は大駒に付き従う小駒の如くである。


「かと言って我らが甲佐同盟に与するとなれば、その時は上杉が敵となる。奥会津の攻略に支障が出ようぞ」


 鬼庭良直のその心配も最もだ。

 シンプルに言うと、上杉に味方すれば佐竹が敵に回り、佐竹に味方すれば上杉と戦争であった。


 ただそれはあくまで今の時点での話。

 なのでここでも保留を提案する。


「輝宗殿、上杉と佐竹が再び手を組むまで待ちませぬか。上杉と北条は所詮は水と油。早晩手切れとなりましょう」


「ほう。面白い。義兄上はそれがいつと読まれている?」


「保って一年から二年」


 遠藤基信が身を乗り出してくる。


「何ゆえにそう読まれましたか?理由を聞きとうござる」


「そうじゃそうじゃ」


 鬼庭良直も追随する。

 まさか史実を知っているからとは答えられない。

 虚実を織り交ぜ、それらしい理由をでっち上げる。


「されば。上方では将軍・足利義昭を奉戴した織田信長殿が着々と勢力を強めております。その織田の同盟相手は三河遠江の徳川。武田が生き残る道は、織田が大きくなり過ぎる前に徳川を飲み込み、その余勢を駆って西に進んで織田を討つほかない。最早関東の戦さに関わっている暇など無いことを、武田信玄殿は理解しておりましょう」


「翻って北条家の悲願はあくまで関東制覇。此度上杉家に養子に入るのは北条氏康殿の七男の三郎殿。当主の氏政殿は己が実子を越後に送ることを拒んだと伝え聞きます。つまりいつでも手切れが可能と言うこと。越相同盟を主導する氏康殿の身に何かあれば、北条家は即座に方針を転じるはず。そして、その肝心の氏康殿は最近とみに病気がちだとか」


「上杉家は上杉家で、最近では関東よりも越中の統治に関心が移っている様子。常陸統一を急ぐ佐竹義重殿や、先年の三船山合戦で息を吹き返した里見義堯殿らが反北条の気炎を上げる中、それら関東の諸将を宥める上杉輝虎殿の素振りは非常におざなりなもの。北条方の堪忍袋もいずれ切れるは必定です」


 一つ、武田家と北条家の利害は実は一致している。

 一つ、越相同盟を主導する北条氏康の健康不安。

 一つ、越相同盟維持に懸ける上杉輝虎の熱意の低さ。


 越相同盟が一年は保つだろうが二年は厳しいとの己の読みを、その三点で輝宗殿に説明する。


 遠藤基信がパシリと膝を叩いて納得を表す。


「これは見事な読み。つまり旗幟を鮮明にするのはそれからでも遅くはない、ということですな!」


 逆に鬼庭良直は困惑してる。


「しかし、そうなると山内と河原田を討つのはだいぶ後になりますぞ」


 輝宗殿がそれを嗜める。


「上杉と戦わずに奥会津が手に入るなら越したこともあるまい。それに佐竹とも手切れせずにすむ。妹のお宝も安堵して稚児を産めるというものだ。ただ問題はどう理由を付けてはぐらかすかだが」


 悩む素振りを見せる輝宗殿だが、理由なんてものは決まっていた。


「例えば、家中の大掃除で手が離せぬゆえ、というのは如何でしょうや」


 さらりと提案。


「む?大掃除、とな」


 輝宗殿の顔が一気に険しくなった。


「大掃除でござるか」


「そ、それは!」


 理解してない鬼庭良直と、理解している遠藤基信。

 対照的だ。


 そのタイミングで輝宗殿の近習の田手宗時が現れる。


「失礼仕る!新田景綱殿が至急御目通りしたいとのこと!」


 始まったか。






 新田景綱は伊達家への忠義に厚い武人であった。

 その新田景綱が謀反人として実の息子である新田義直をしょっ引いてきた。

 中野宗時の孫娘を娶った縁から、新田義直は強引に中野宗時の計画に加担させられていた。


 輝宗殿自らが立ち会う義直の詮議が始まる前に米沢城を抜け出し、松明片手に馬を駆って夜の米沢城下を爆走。

 二階堂勢の宿舎の寺院に駆け込む。


「俊重!準備は整ってるか?」


「はいー、バッチリですー」


 総勢五百名の部下たちが完全武装で待機中だ。

 中野邸に早馬が入ったのを察知した俊重が、下知どおり装備を整えてくれていた。

 あとで褒美をやらねばな。


「よし!手筈どおりに俺に続け!」


 刻が惜しいのでそのまま出陣する。


「殿ーっ、鎧をーっ、着ないとーっ」


 俊重の忠言を背に、中野邸に向けて駆けに駆ける。


 謀反がバレた中野宗時は、まずは息子の牧野久仲が守る小松城に逃げ込もうとするだろう。

 それは構わないのだが、米沢を逃げ出す時に放火する恐れがあった。

 今日は風が強い。

 大火となって米沢の民が焼け出されてしまうのは絶対に避けたい。


 戦闘モードでのマップ表示を確認しながら、夜のしじまを引き裂いて馬を走らす。

 後続の兵たちは俺の松明を目印に必死に付いて来る。


 あれか!

 あれが中野宗時の屋敷か!


 ちょうどギギギギギと門扉が開き始めている。


 武者が一騎、門から飛び出してきた。

 先導役だろう。

 俺と同じよう松明を持っている。


「はいやーーーっ」


 そのまま馬で突っ込む。

 松明を棍棒代わりに振り回して、その兜を思いっきり殴りつける。


 バカーン


「ぐぅお!」


 脳震盪を起こして転げ落ちる武者をそのままに、門を塞ぐように馬を操る。

 次に中野邸を脱出しようとしていた騎馬武者と相対。


 それが目的の相手の中野宗時であった。


「おや、これは中野殿。夜分に失礼仕る」


「ぬぅ、二階堂の小倅か。忌々しや!」


 既に六十代も半ばを超えている筈だが、堂々たる体躯で老いを感じさせぬ騎乗姿だ。

 加えて完全武装である。


 さて、どう料理するかな。






 青白い妖気を漂わせ、馬を一歩進める中野宗時。


「そこを退け。青二才」


「そうさの。町に火を放たぬ、と約束してくれれば通してやっても良いが」


「おう、約束してやろうぞ」


 いけしゃーしゃーと吐かしてくる。


「やれやれ、守る気などあるまい」


「何を言う。そなたもであろうよ」


 まぁそれはそうだ。

 取り逃した時に備えて部隊を二手に分け、一隊は既に北に先回りさせてある。


 松明を投げ捨て、互いに刀を抜く。


「抗ってくれて助かる。下手に投降されると、命乞いの嘆願の山で輝宗殿が苦労されるのが目に見えているゆえ」


「ぬかせ。無抵抗でこの首をくれてやる程、耄碌はしておらんわ」


 ふー、投降してくれた方が楽にその首を斬り落とせたのだが仕方ない。

 鎧が無いのは不利過ぎるが、手勢が来るまで頑張りましょうか。


 しかしあの鎧、やたら硬そうだな。

 苦労しそうだ。


 あ、そう言えばあの手が残ってた。


「しかし中野殿も迂闊だったな。中野殿の孫婿に新田義直を推挙したのは、遠藤基信だというではないか」


「なに?」


「忠義に厚い新田景綱の息子を中野殿の縁者に据え、謀反の気を事前に察知出来るよう備えた遠藤基信の深謀遠慮。実に見事」


「・・・」


「滑稽にも何も気付かずに遠藤基信の手のひらの上で踊らされていたわけだが。中野殿、今の気分を是非お聞かせ願いたいものだ」


「だ、黙れーーーっ!」


 容易く激昂して斬りかかってくる中野宗時。

 遠藤基信のことになると沸点低すぎ。


 隙、有り!


 ザシュッ


「ぐぉ、お、おのれ、基、信、ぐふっ」


 中野宗時にとってのかつての宿敵、小梁川宗朝の刀に斬られて散る。


 史実では放浪の果てに虚しく餓死したと聞く。

 それよりはちょっとだけ上等な最後かとも思うが。

 いや、そうでも無いか。


 手勢に中野邸を囲ませ、鉄砲を浴びせて残りの者たちの逃げ道を塞ぐ。

 館に火を放たれたが、後から駆け付けてきた鬼庭良直の部隊と連携し、なんとか火消しに成功。


 他の邸宅への延焼を防ぐ事が出来た。






 中野宗時とその息子の親時の首を輝宗殿に届けると共に謝罪。


「勝手に米沢城下で兵を動かした事、中野宗時父子を生け捕りに出来なかった事、幾重にもお詫び申し上げる」


「逃げられなんだは重畳であったが、義兄上にあるまじき不手際でありましたな」


 表向きの輝宗殿の叱責を甘んじて受ける。

 中野宗時の首を取った功はこれで帳消しだが、それでも構わない。

 米沢の大火が防げれば俺はそれで良い。


 伊達家中で栄華を誇った執権の中野宗時が、親族筆頭の二階堂盛義の手で斬り殺される。

 伊達領内は騒然となるが、そんな中で牧野久仲が中野一族と共に小松城に籠城。

 輝宗殿自らが小松城攻略の為の軍を率い、米沢から出立する。


 この小松城攻めは俺も志願したが、遠藤基信に止められていた。


「親族とは言え、暦とした他家の盛義様にこれ以上に家臣を討たれたら、伊達家中が立ち行きませぬ。ここは譲って頂きたい」


 それもそうだと考え直し、先陣の新田景綱と鬼庭綱元の軍を見送る。

 新田景綱の部隊は切腹した嫡男義直の汚名返上に燃えており、鬼庭綱元の部隊は摺上ヶ原の戦いの活躍を経て精鋭が揃っている。

 反対に一族の族長たる中野宗時を失った小松城の士気は下がっており、負ける要素は見当たらなかった。


 結果、数度の戦いで小松城はあっけなく開城。

 一族全員を引き連れての相馬領への逃亡も選択出来ず、牧野久仲が全ての罪を被って切腹する。

 陸奥守護代にふさわしい見事な死に様だったと伝え聞く。

 息子の牧野為仲は追放に処された。


 牧野久仲は元亀の世を見ることなく、この世を去った。

 我が二階堂家とはいろいろと因縁浅からぬ関係であったが、なんとも呆気ないものである。


 ただ史実と異なり、米沢の城下町だけでなく中野邸も全焼を免れている。

 中野宗時の計画への参加を表明した者たちの確たる証拠も出てこよう。


 仙道四郡を抑える俺の協力と会津併呑により、伊達家当主の輝宗殿の権勢は史実に比して隔絶したものとなっている。

 今なら一族重臣連中の反発など容易く捻じ伏せることが可能だ。


 この世界での元亀の変の本番はこれからだった。






<1570年 10月下旬>


 城が燃えている。

 輝宗殿の要請を受け、俺は三千の兵を率いて八丁目城を攻め立てていた。


「我が君、謀反人の堀越宗範が自刃したと実元様からの伝令です」


 二本松の手勢を率いて参陣中の保土原行藤こと左近が報告を上げてくる。

 今回の八丁目城攻めの総大将は大森城主の伊達実元殿であった。

 ちなみにその実元殿だが、二年前に待望の嫡男の時宗丸を得ている。

 後の伊達成実だ。

 

「終わったか。今頃は角田城も落ちていような」


「はっ」


 中野宗時の謀反の計画に名を連ねていた大身の数は多い。

 主だったところでは高畠城主の小梁川盛宗、白石城主の白石宗利、八丁目城主の堀越宗範、角田城主の田手宗光あたりの名前が並ぶ。

 ただし、計画が具体化される前に首謀者の中野宗時の首が飛んだ為、各々の連携もろくに取れておらず、その後の対応も見事に割れる。


 まずは小梁川盛宗と白石宗利の二人は、杉目城の晴宗を通して輝宗殿に早々に詫びを入れた。

 輝宗殿は遠藤基信の進言を受け入れ、隠居と守護不入権返上を条件に両名を赦免。

 ある程度は晴宗の面子も立て、天文の大乱の二の舞を避けたわけだ。


 反対に堀越宗範と田手宗光の二人は、度重なる勧告にも関わらず恭順を拒否し続けた。

 田手宗光に至っては輝宗派の息子の田手宗時を勘当してしまった程で、ついに輝宗殿の追討を受けるところとなる。

 各々の城に籠城すると共に相馬や田村に援軍を要請したようだが、彼らにとっては時期が最悪だった。

 頼みの相馬盛胤は、領土の南端の楢葉平野を巡る岩城親隆との戦いで劣勢となっており、他の戦線に兵を振り分ける余力が無かったのである。

 相馬が動けない以上、独力では戦力に劣る田村家が動けるはずもない。


 堀越宗範の籠る八丁目城は、伊達実元と我が須賀川の手勢が攻略。

 田手宗光の籠る角田城は、梁川宗清と亘理元宗ら伊具亘理の諸将が重囲中と聞く。


 時代は既に元亀だ。

 上方では織田信長が姉川の合戦に勝利し、次は畿内に再上陸した三好家を四国に押し戻そうとしていた。

 織田家の強さの一つの要因として、信長個人への中央集権化が進み、他家よりも家臣の統制が優れていた面が挙げられる。


 伊達家中の大掃除ももうすぐ終わる。

 元亀の変を奇貨とし、伊達家もまさに今、輝宗殿を中心とした専制国家に生まれ変わろうとしていた。






<年表>

1570年 二階堂盛義 26歳


01月

☆越後の上杉輝虎(40歳)、甲斐の武田信玄(49歳)が上野に攻め入ったために越中から撤退。

▼三戸の南部晴政の嫡男鶴千代(後の南部晴継)誕生。南部信直(24歳)と関係悪化。

▼檜山の安東愛季(31歳)、弟の茂季(30歳)を湊安東家の当主に据える。湊安東家吸収。

▷備中の三村元親(29歳)、毛利軍と共に備中佐井田城に攻め込むも、備前宇喜多家の戸川秀安(32歳)の援軍に敗退。


02月

◎須賀川にて二階堂盛義の正室の南姫(29歳)出産。盛義次男の勢至丸(後の二階堂行親)誕生。

◎須賀川にて大久保資近正室の彦姫(18歳)懐妊。

▼山形の最上義光(24歳)、弟の中野義時(20歳)を偏愛する父の最上義守(49歳)に反抗。

◆越後の上杉謙信(40歳)、関東出征10回目。唐沢山城を攻める。

☆甲斐の武田信玄(49歳)、駿河の花沢城と田中城を攻め落とす。


03月

▼陸奥石川の石川親宗(20歳)、上洛して足利義昭(33歳)に拝謁。偏諱を受けて昭光に改名。大和守授任。

▽薩摩の島津義久(37歳)、入来院氏や東郷氏などの渋谷一族の帰順を受け入れる。島津家による薩摩統一成る。

▷安芸の毛利輝元(17歳)、布部山の戦いで山中幸盛(25歳)率いる尼子再興軍を撃破。毛利家、月山富田城防衛成功。

■米沢の伊達輝宗(26歳)、本拠の会津移転を宣言。

■米沢にて中野宗時(67歳)、伊達輝宗側近の遠藤基信(38歳)の暗殺を謀る。


04月

▼羽後で湊騒動勃発。檜山の安東愛季(31歳)と秋田の豊島玄蕃が抗争開始。

★京の足利義昭(33歳)、岐阜の織田信長(36歳)を正四位下弾正大弼に推挙。

■米沢の伊達輝宗(26歳)、新田景綱の注進により、中野宗時(67歳)・牧野久仲(38歳)父子が反乱を察知。

◎米沢滞在中の二階堂盛義、小松城への逃亡を図る中野宗時(67歳)を討ち取る。

■米沢の伊達輝宗(26歳)、小松城を攻略して牧野久仲(38歳)を切腹に追い込む。中野一族離散。


05月

★年号が「元亀」に改められる。岐阜の織田信長(36歳)、足利義昭(33歳)が勝手に改元を進めたことを怒る。

◆相模の北条氏康の七男の北条三郎(15歳)、上杉家に養子に入る。上杉輝虎(40歳)の意向で上杉景虎を名乗る。

☆岐阜の織田信長(36歳)、上洛命令に従わない朝倉義景(37歳)を討つ為に越前に出陣。金ヶ崎の戦い勃発。

☆北近江の浅井長政(26歳)、長年の友誼を重んじ朝倉方に転じる。妻のお市の方(23歳)、小豆袋を兄の織田信長(36歳)に送る。

☆越前金ヶ崎攻略中の織田信長(36歳)、両端縛りの小豆袋を見て撤退を決断。僅かな供回りを率いて朽木谷経由で京に戻る。

☆越前金ヶ崎から織田軍撤退。木下秀吉(33歳)と明智光秀(42歳)、金ヶ崎の退き口で殿を務め上げて武名を挙げる


06月

▼山形の最上義光(24歳)、父の最上義守(49歳)と和睦。


07月

★摂津の織田方の池田勝正(31歳)、弟の知正(15歳)に放逐される。池田知正と荒木村重(35歳)、三好三人衆方に転じる。

★南近江で野洲河原の戦い。柴田勝家(48歳)、甲賀の六角承禎(49歳)・義治(15歳)父子を撃退。甕割り柴田の威名を轟かす。

☆三河の徳川家康(27歳)、遠江国の曳馬城を浜松城に改め、徳川家の本拠とする。

★北近江で姉川の戦い。織田徳川軍が浅井朝倉軍を破る。岐阜の織田信長(36歳)、琵琶湖東岸の横山城を占拠。


08月

◆常陸の佐竹義重の嫡男徳寿丸(後の佐竹義宣)誕生。


09月

◆相模の北条氏康(55歳)、中風で倒れる。当主の北条氏政(33歳)が政務を引き継ぐ。

▼山形の最上義守(49歳)、嫡男義光(24歳)と一旦和睦。家督は譲らず。

▼南会津の河原田盛次、久川城を築城。

◎須賀川にて大久保資近正室の彦姫(18歳)が出産。れんみつ誕生。

★摂津に三好三人衆の三好長逸(56歳)・岩成友通(41歳)が再上陸。岐阜の織田信長(36歳)、摂津遠征。

▽肥前の龍造寺隆信(41歳)と鍋島信正(32歳)、今山の戦いで大友軍を打ち破る。肥前統一に一歩踏み出す。


10月

■米沢の伊達輝宗(26歳)、中野一派の小梁川盛宗らを赦免。反抗する田手宗光の角田城を攻め落とす。亘理元宗(40歳)に加増。

◎須賀川の二階堂盛義、伊達実元(43歳)に援軍して八丁目城の堀越宗範を討つ。

▼磐城の岩城親隆(30歳)、相馬盛胤(41歳)を攻めて楢葉城と日向館を奪還。

★摂津で野田城・福島城の戦い。本願寺顕如(27歳)、三好三人衆と結び織田家を攻撃。石山合戦開始。

★西近江で宇佐山城の戦い。浅井朝倉軍、織田家の防衛線を破り山城に迫る。織田信治(26歳)、森可成(47歳)ら討死。

★摂津出征中の織田信長(36歳)撤退。京に軍を返す。浅井朝倉軍、比叡山に籠城。第一次信長包囲網形成。


11月

▷備前の宇喜多直家(41歳)、謀略で金光宗高を切腹に追い込み、岡山城を手中に収める。

◆越後の上杉謙信(40歳)、関東出征11回目。上野で武田勢と戦う。

◆常陸の小田氏治(36歳)、平塚原の戦いで下総の結城晴朝(36歳)の軍を破る。


12月

☆三河の徳川家康(27歳)、甲斐から異父弟の松平康俊(18歳)を救出。

★西近江で堅田の戦い。織田方の坂井政尚(39歳)戦死。織田軍、西近江の物流の差し押さえに失敗。

☆北伊勢にて本願寺顕如(27歳)の命により長島一向一揆衆蜂起。織田方の城を攻撃。織田信与(22歳)ら戦死。



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▲天変地異

◎二階堂

◇吉次

■伊達

▼奥羽

◆関東甲信越

☆北陸中部東海

★近畿

▷山陰山陽

▶︎︎四国

▽九州



<同盟情報[南奥 1570年末]>

- 伊達輝宗・二階堂盛義・石川昭光・岩城親隆・佐竹義重

- 山内舜通・河原田盛次

- 田村隆顕・相馬盛胤


挿絵(By みてみん)


須賀川二階堂家 勢力範囲 合計 24万6千石

・奥州 岩瀬郡 安達郡 12万1千石

・奥州 安積郡 3万5千石

・奥州 伊達郡 1万5千石

・奥州 白河郡 7万3千石

・奥州 田村郡 2千石


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