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二階堂合戦記  作者: 犬河兼任
第二章 高玉を獲れ
14/83

1559-3 高順

<1559年 10月某日>


 郡山城から早馬が来る。

 再び田村勢が動いたとの報せだった。


 我ら二階堂家はこの春の渋川合戦で田村家に大勝し、安積郡の大半を手中に収めている。

 その後に田村家とは講和の話も上がってはいたが、意地の張り合いとなって条件が折り合わずに決裂。

 表向きは戦争状態が継続していた。


 とはいえ春先の敗戦の痛手が大き過ぎて、田村家に外征の余裕は無いはずであった。

 その状況が変わったのは、昨年以上の冷夏による飢饉の襲来を受けてである。

 田村家は糧食を求め、再び安積郡に踏み入って来ようとしていた。

 それも今度は単独ではなく、同盟国である二本松の畠山義国と語らっての出兵のようだ。


 郡山城の北、安積郡に唯一残っている田村方の拠点である日和田城に、田村と畠山の両家の軍が集結。

 三千の兵を揃えて郡山城に押し寄せようとしている。

 すぐさま須賀川城で軍議が開かれ、郡山城救援の策が練られる。






「行盛。まずいことになったぞ。どうやら蘆名が動いておるようだ」


 軍議の席上で横田城主の叔父上、横田義信が告げてくる。


「ええ、片平城に密かに兵を集めているようですね。我らと田村畠山が争っている隙に、漁夫の利を得ようとしているのでしょう」


 同じ情報は会津に潜ませている守谷俊重の手の者からも入ってきていた。

 三森峠を越えて安積西部の蘆名方の拠点である片平城に集結中の蘆名勢は約二千。

 春先の渋川合戦は電撃的に始まって一瞬で終わってしまい、蘆名盛氏が雪深い会津から戦さに介入してくる間もなかった。

 今回は同じ轍は踏みたくないと見える。


 興味深いのは、保土原行藤にマークさせている二本松の間者もその噂を須賀川で広げようとしていること。

 敵方の田村家の同盟者であった畠山と連携してでも、蘆名盛氏は安積出兵の機会を作りたいらしい。

 まぁその畠山も蘆名の事を利用する気満々のようだが。


「どうするのじゃ行盛!田村畠山だけならまだしも蘆名までとなると、とてものことだが兵が足らぬぞ!?」


 叔父上の言葉に、そうじゃそうじゃと動揺する重臣一門達。


 今、我が二階堂家が領国の防衛に動員出来る兵は、岩瀬郡の二千と安積郡の六百。

 そして春先から継続雇用している傭兵部隊の五百を合わせると総計三千一百になる。


 既に須田盛行率いる岩瀬衆四百と三百の安積東部衆が郡山城に籠っている。

 安積衆の残りの三百、中南部の伊東諸氏の兵は面従定かならぬため当てにはできない。

 人質は取ってはいるため、表立って敵に回らないだけマシと考えるべきであろう。

 つまり実質のところ現状我らが自由に動かせうる兵は二千一百しかない。


 敵方は北の田村畠山連合軍三千と西の蘆名軍二千の合わせて五千。

 我が方の二倍以上だ。


 ここは勝負どころである。


「案じめさるな。この行盛に必勝の策がありまする。必ずや田村畠山だけでなく、蘆名も追い払って見せましょう」


 内心の不安を押し隠し、大風呂敷を広げてみる。

 おおっ、流石は須賀川の陥陣営よ!と歓喜に沸く重臣一門達。


 渋川の合戦での目覚ましい戦果を讃えられ、最近須賀川では俺のことを陥陣営と呼称する風潮が出来上がっていた。

 陥陣営とは三国志に登場する呂布旗下の猛将高順の渾名である。

 少数の兵を率いて敵の陣と城を次々と陥していったのが、その高順に比する活躍だったからなんだと。


 なんか、微妙だよなー。

 そもそも高順って、主君の呂布と一緒に下邳で曹操に斬首されたんじゃなかったっけ?

 斬首じゃなくて鉄鎖での絞首刑だったか?


 まあいいや。

 今はそれどころじゃない。

 気を取り直して父輝行に向き直って策を述べる。


 それは、少ない兵を更に分けて別の敵に当たらせるという、側から見るとあまりにも奇想天外な策であった。






 郡山城を包囲する攻め手は田村と畠山の二つの家の連合軍だ。

 兵の士気も練度も両家の間には当然差が生じている。

 攻城戦においての攻撃の連携は難しいだろう。


 そして郡山城の守将の須田盛行は堅実な用兵をする男だ。

 更に最新の火縄銃百挺が配備されている。

 火縄銃は特に防衛戦で威力を発揮する武器である。

 そう簡単には落城しない、という読みがあった。


 まずは保土原行藤に命じて、大槻城と堂山城が蘆名方に寝返ったという虚報を須賀川城に届けさせる。

 そして、安積南部に侵攻してきた蘆名方の理非を正す!と号して、須賀川城から西北の八幡方面に全軍を進発。

 畠山の間者が須賀川を離れた事を確認した後、事前に打ち合わせていたとおりに父の二階堂輝行と行動を別にする。


「行盛。我が岩瀬の陥陣営よ。此度も手柄を期待しておるぞ」


「はっ。父上、ご期待くだされ。我が矛先に穿てぬ敵陣はありませぬ」


 周囲の兵の士気を挙げる為か、大真面目に俺のことを陥陣営と呼称してくる父上。

 仕方ないので俺もそれに乗る。

 こそばゆいが仕方ない。


 そして互いの健闘を願いつつ、馬首を分けた。


 父上の率いる岩瀬衆千五百は八幡への街道を逸れ、敵方の間者に悟られぬよう間道を使ってゆるりと郡山城に向かう。

 そして俺は例のごとく傭兵を中心とした遊撃隊六百を組織し、八幡方面への道をそのまま爆進する。


 まずこちらが最初に向かう先は、叛旗を翻したことになっている堂山城と大槻城であった。






「い、いきなり何事でございますか!」


「うむ、出迎えご苦労。源次郎、斬れ」


「はっ。御免!」


 ザシュ!


 曲がりなりにも、堂山城は現時点では歴とした味方の城である。

 強引に乗り込む。

 そして慌てて出迎えに来た城代の大河原弥平太を須田盛秀に命じて斬り殺す。


「この弥平太は相楽勘解由と語らい、蘆名方への寝返りを画策していた故に討った!他に刃向かうものはいるか!?」


 辺りを睥睨し、威嚇。

 よし、大丈夫そうだな。


 大人しくなった堂山城の兵を接収し、城内の女達には今泉城に退避するよう指示を出す。

 兵糧も全て今泉城に送ってしまい、コメ一粒残さない。


 さて次は大槻城の相楽勘解由か。

 そちらも手早く終わらせてしまおう。






 大槻城も堂山城と同様に兵と兵糧を接収して空城にしてしまう。

 その後、北上して蘆名方の片平城に向かう。


 まさか寡兵の二階堂勢の方から兵を向けてくるとは夢にも思っていなかったのだろう。

 片平城の山麓にある城館の片平下館周辺で集結中だった蘆名勢は、慌てて迎撃準備を開始する。

 しかし難所の三森峠越えの疲労が残っているのか、部隊展開にかなり手間取ってしまっている。


 自分たちが動き出すのは郡山城で二階堂勢と田村畠山勢がぶつかり合ってから。

 そんな思惑が透けて見える動転した動きだった。


「俊重、相楽勘解由と大河原弥平太の首を相手の陣の前に掲げてくるのだ。名札とこの書状を添えてな」


「はーい、お任せ下さいー」


 さて、蘆名勢に追い付かれないようにさっさと撤収だ。

 次は急いで郡山城に向かわないと。


 守谷俊重に任せた書状に書き記した内容はざっと以下の通り。


 〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

 蘆名家中の皆さん、秋冷の候如何お過ごしでしょうか。

 わざわざ我が二階堂家に加勢する為に安積まで来て頂いてご苦労様です。

 でも御足労かけてしまって申し訳ないのですが、もう大丈夫です。

 田村清顕と喧嘩したのか、畠山義国がこちらに付いてくれることになりまして。

 畠山勢と一緒に既に田村勢は郡山から駆逐しちゃいました。

 その証拠に田村畠山勢へ寝返ろうとしていた相楽勘解由と大河原弥平太の首を置いておきますね。

 あ、せっかく安積までいらして何もせずに会津に帰らせるのも業腹ですよね。

 田村清顕との講和交渉の仲介をお願い出来ませんか。

 お返事は大槻城までお届け下さい。

 色好いお返事待っています。

 かしこ。

 奥州の陥陣営こと二階堂行盛。

 〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜


 最後はちょっとだけ自棄っぱちになっての署名である。

 後悔はしている。


 本当は相楽勘解由も大河原弥平太も蘆名方の調略に応じていたのだけども。

 蘆名方を一切悪く書かないのがミソである。

 

 畠山との連携へのクサビ。

 内通者の首のプレゼント。

 大槻城と堂山城の空城化。

 行方のわからない陥陣営。


 この四点セットで蘆名の疑心暗鬼を極限まで高める作戦に出てみた。

 これで時間が稼げると良いのだけれど。

 

 正直上手く行く確率は半々と見る。


 そもそもの話、今回の蘆名の安積への出兵は本気ではないのだ。

 その証拠に、三森峠を越えて片平城まで派遣されている兵数は、蘆名が遠征に動員可能な数の半分以下であった。

 三森峠が大軍の通過に向かない難所と言う事もあるが、まともに二階堂勢なり田村畠山勢なりと戦うつもりなら、白河街道なり二本松街道なりを使用して大軍での侵攻を選択しているだろう。

 つまりは、あわよくば苦労せずに安積郡の領土を掠め取りたいというスケベ心での出征である。


 それが一転やたら謀略値の高そうな敵将に煽られ、いつどこから奇襲を仕掛けられるかわからない状況に追い込まれたのだ。

 蘆名にとっても宿敵であった田村家の軍師の田村顕頼が、先の渋川合戦でこの二階堂行盛の空城計に敗れ去ったのは、蘆名家中にも伝え聞こえているはず。

 我ら二階堂勢との決戦を回避する方向に倒れてもおかしくはない。


 まぁ、もし大槻城と堂山城が取られてしまっても、それはそれで問題はない。

 両城共にこの秋刈入れた兵糧は全て今泉城に移送済みである。

 この飢饉の最中だ。

 蘆名勢も両城の維持に苦労することになるだろう。


 とにかく現時点で蘆名勢に対しては打てるだけの策は打った。

 その策が上手く運ぶかどうかは、郡山城を囲む田村と畠山の手勢をどれだけ早く追い払えるかに掛かっている。


 郡山城へ急ごう。






 郡山城の手間で小休止し、夜になるのを待つ。

 その間、保土原行藤に策の進捗状況を確認する。


「若君、二本松の間者は昼の内に郡山城を囲む畠山義国の陣に入っております。順調にございますよ」


「そうか。上手く噂は畠山陣中で広まっているか」


 蘆名勢が安積南部への侵攻を開始し、相楽勘解由と大河原弥平太が裏切って大槻城と堂山城が失陥した。

 二階堂勢は蘆名勢に対応する為に西方に出撃しており、この郡山城の後詰には出てこない。

 そんな偽報を二本松の間者に掴ませ、畠山義国の耳に入れさせて油断を誘う策である。


 策が上手く働いている証拠に、昼間の城攻めは田村勢が中心になって行われたらしく、畠山勢の戦意は低かったと言う。

 畠山義国としては、本格的な城攻めは二階堂勢が蘆名勢に安積南部で敗れ去ってから、という腹づもりになっているようだ。

 兵の損耗を避ける為に、郡山城の士気が高いうちは先の渋川合戦の雪辱に燃える田村勢に攻撃を任せてしまえと、ほくそ笑んでいるのだろう。


 配下の兵達に先行し、夕闇に紛れて郡山城の偵察に向かう。

 斥候の報告通り、畠山勢と田村勢は陣地を分けて郡山城を包囲している。

 西側に畠山勢千五百で東側に田村勢千四百となる。


 予想通り、昼間の城攻めで田村勢は郡山城の鉄砲部隊にだいぶ苦しめられたようだ。

 聞いていたよりも、既に百名ほど数が少なくなっている。

 戦闘モードで確認すると、両軍の軍気は面白いほどに真逆だった。

 言うなれば、畠山勢は弛緩と睡魔と侮りで、田村勢は緊張と疲弊と怒りである。


 田村勢は渋川合戦で我ら二階堂家の縦横無尽な用兵を身を以て経験している為、滾る復讐心と共に恐怖心と警戒心も抱いている。

 翻って畠山勢は二階堂家の兵の強さと鉄砲の威力を味わっておらず、本気を出すのはまだ先という態度で、やる気の無さが前面に出ていた。

 さらには二階堂家が後詰に出て来ないという偽報を信じ切ってしまっており、夜襲への警戒心もおざなりになっている。


 父上率いる岩瀬本軍の千五百も、作戦通りに郡山城の側まで来ていた。

 決戦は今夜であった。






 敵軍の状況を踏まえ、時間差での夜襲を計画して岩瀬本軍に通達。

 まずは我が二階堂遊撃部隊が西側の畠山勢を襲撃する段取りとなった。


 敵陣に踏み込むにあたって、配下の兵たちに訓示する。


「敵の首は取るなとは言わぬが、次の二つは必ず守れ。裏切り者と叫んで敵を東に追い込め。退き鐘が鳴ったら北へ離脱せよ。よいな!」


「「「はっ」」」

 

 我らの夜襲はあくまで陽動。

 畠山勢を動揺させ、いかに東側の田村勢の陣に駆け込ませるかが勝敗の分かれ目である。


「よし、参るぞ」


 遊撃部隊の先頭に立って、静々と出来るだけ音を立てずに畠山の陣に接近。

 俺の戦闘モードの視野が部隊全体の隠密行動の成功率を上げる。

 見張りの薄い方面から鉄砲が届く距離まで遊撃部隊を誘導。

 頃合いである。


「源次郎」


「はっ」


 小声で須田盛秀に指示を出す。

 須田盛秀が配下の精鋭鉄砲部隊に合図を送る。

 この日の為の夜間戦闘訓練の成果が示された。


 隊員全員の火縄銃に玉が装填され、火蓋が切られる。


 そして。


「はなてぇーーー!」


 俺の号令と共に、次々と引き金を引いていく鉄砲部隊。


 ズダダダダーーーーーンッ


 月明かりの下、夜のしじまを雷鳴のような銃声が切り裂く。

 その後の一瞬の静寂。


「突喊ーーーっ!」


「「「わぁーーーー!!!」」」


 先頭に立って突撃を敢行。

 畠山陣営に斬り込む。

 我が二階堂遊撃隊の蹂躙が始まった。






 陣営に焚かれている篝火を蹴倒して進む。

 弱い。

 弱すぎる。

 虚を突かれた兵とはここまで脆いものか。


 わぁわぁと逃げ惑う畠山勢。

 敵地での野営にも関わらず、具足を脱いで寝ていた者も多くいたようで、我が二階堂勢に容易く斬り殺されていく。


「おのれぇーーー、若造がっ!」


 中には刀だけ手にとってこのように斬り掛かってくる剛の者もいるが。


「しっ!」


「ぐはっ」


 間合いの外から無防備な急所を突けば全然問題ないわけで。

 我が槍に胃の腑を貫かれて絶命。


 無駄な殺生をさせてくれる。


 自分が策を用いてこの状況を作り出したにも関わらず、何故か無性に腹が立ってきた。


「若、あちらを。畠山義国でございましょう。討ちますか」


 俺の背後をそれとなく守ってくれていた保土原行藤が声を掛けてくる。

 保土原行藤が指し示す方向には、なるほど一際大きな体力ゲージが。

 あれが畠山義国か。

 近侍の武者たちや配下の武将たちに固く守られながら、自軍の混乱を収めようと指示を出しまくっている。


 わぁーーーーーーっ!!!


 その時、東の陣の方から一際大きな吶喊が聴こえてきた。


「裏切り者ー」「畠山が寝返ったぞー」「いや寝返ったのは田村の方じゃーっ」


 どうやら思惑通り同士討ちが始まったようだ。

 畠山勢の陣中の混乱はより一層深まった。


 見れば畠山義国も動揺している。


 無理をすればここで畠山義国を討ち取れないこともないか。

 だが当初の目的は達成された。

 退き時を見誤るのは愚将であろう。


 一つ深呼吸して、腹に溜まった怒りと胸に湧き出した未練を吐き出す。


「左近、やめておこう。策のとおりに。退き鐘を鳴らせ」


「はい。仰せの通りに」


 にこりと笑って鐘を取り出す保土原行藤。


 さて、皆と落ち合う場所は、郡山城の北に位置する日吉神社と決めてあった。

 保土原行藤の鐘の音と共に走るとするか。






 それから一刻後。

 日吉神社で配下の兵たちの集結させていると、再び郡山城の方が騒がしくなる。

 父の二階堂輝行率いる岩瀬衆本隊が、今度は東側の田村勢に向けて夜襲を仕掛ける頃合いであった。


 田村勢は我が二階堂家の恐ろしさを良く知っている。

 昼間の攻城戦で被害の大きさと相まって、復讐心と警戒心に凝り固まり、田村勢は気が張った状態で夜営していた。

 そんな彼らに直接攻撃を仕掛けても、いきり立って反撃されて被害が増えるだけである。

 そのため、まずは警戒心が緩くて組みし易かった畠山勢に我ら二階堂遊撃部隊が襲いかかり、田村勢との同士討ちが発生するように誘導する。

 これは、田村勢の鋭気の矛先を味方の畠山勢に向けさせ、一旦発散させてしまう策であった。


 一度放出してしまった気力を再び奮い立たせるのは、なかなかに難しい。

 その弛緩の隙を突いての、岩瀬衆本隊による夜襲第二弾であった。


 父輝行が率いる岩瀬衆の千五百の軍は、ゆるりと須賀川から郡山城に移動してきた後も、しっかりと休息を取っている。

 翻って田村勢の方は、昼間の戦さと先程の夜間戦闘で疲れ切っている。

 そうなると、復讐心よりも渋川合戦で焼き付けられた恐怖心の方が俄然鎌首をもたげてくるはずであろう。


 兵の布陣も数も体力も士気も、何もかも田村勢に比して岩瀬衆の方が上であり、負ける要素は一切見当たらない

 更に郡山城の須田盛行もこの機を逃さずに出撃し、畠山勢を痛めつける段取りとなっていた。

 

 さて我が二階堂遊撃部隊だが。

 このまま郡山城まで引き返して攻撃に加わっても良いが、その場合は今度はこちらが同士討ちしてしまう恐れがあった。

 ここは南に向かうよりも、田村勢と畠山勢を一層絶望に追い込む一手の方を先に打つべきであろう。


 兵の集結度合いは九割程度で、更に既に夜半が近づいていたが、日吉神社からの進発を決断する。


 ちなみにこの日吉神社。

 初代征夷大将軍の坂上田村麻呂が阿弖流為を討ちに陸奥に向かった際、近江国日吉大社より分祀した神社であった。

 坂上田村麻呂と言えば今戦っている田村家のご先祖様である。


 出立の前にお参りし、坂上田村麻呂に謝っておく。

 子孫の方々を虐めてしまってごめんなさい。

 もうあんまり殺めないようにするので許して下さい。

 なので祟らないで下さい。


 そして引いたおみくじはなんと大吉であった。


「見よ、北に向かうが吉と出た。いざ、日和田城に向かう!」


 大吉をアピールして兵たちの士気を鼓舞。

 疲れているだろうが、もう一戦だけ付き合ってもらおう。


 さぁ、大吉効果で田村勢の安積郡唯一の拠点である日和田城を攻め落とすぞ!

 奥羽の陥陣営の名に恥じぬ働きを今一度皆に見せてやる。






<1559年 10月某翌日>


 朝靄の中、郡山城の夜戦で惨敗した田村勢の姿が日和田城に近付いてくる。


 どうやら畠山勢とは既に別行動を取っているようだ。

 保土原行藤の放った斥候によると、畠山義国は日和田城ではなく、更に北西に位置する自分たちの勢力圏である前田沢城に向けて直接敗走したとの事であった。


「開門!開門せよ!」


 田村勢の先頭に立っていた武者が告げてくる。

 だいぶ若い。

 俺と同じくらいの年か?


 城門の脇の櫓に顔を出して告げてやる。


「すまぬがそれは出来ぬ相談じゃ。日和田城は、この東国の陥陣営こと二階堂行盛が頂戴致した」


 さっと手を上げて合図。

 ざざっと配下の兵たちが弓や火縄銃を構えて城壁の上に顔を出す。


「な、なんとぉ」


 狼狽する若武者。


「もう我らに勝てぬのは十分にわかったであろう。追撃せぬ故、三春に帰られよ」


「ぬぬぬ、我ら田村家を愚弄するか!許せぬ!」


 うざっ。

 この猪武者、何としてくれよう。


「これ。其方、名は何という」


「我は田村家重臣の郡司家に連なる者、郡司敏良!」


「では郡司敏良。よいか。俺は日吉神社で坂上田村麻呂公に誓ったのだ。もう田村家との戦さは手仕舞いにするとな。其方らの祖先である坂上田村麻呂公への誓いを、其方ら田村家の者共が破らせると言うのか?何という大不考者よ!!」


「む、むむむっ」


 流石は坂上田村麻呂。

 その名を出されると田村家の者は弱いらしい。


「主君の田村清顕殿に伝えられよ。我らは阿武隈川以東に興味無し。このまま三春に退いてくれるのであれば、渋川と此度の戦さで亡くなった田村方の武者たちの遺骨と骸は、残らず三春に送り届けるとな」


「それは、ま、まことでござるか!?」


「ああ、これも坂上田村麻呂公の名に誓おう。だからさっさとお伺いを立てて来い」


「くっ、御免!」


 何とか言いくるめることが出来たようだ。

 郡司敏良は馬首を返して駆けていった。


 この日和田城に籠っている我ら二階堂遊撃隊は六百。

 目の前の田村の敗軍は千二百余。

 攻撃三倍の法則に従えば負けることは無いだろう。

 だが、日和田城に拘束されてしまう時間が勿体無かった。


 しばらくすると田村勢は東へゆっくりと軍を退いていった。


 これで田村と畠山は一旦片付いた。

 残る懸案事項は蘆名の方だ。


 守谷俊重の報告によると、どうやらまだ蘆名勢は片平城近辺でまごまごしているらしい。

 こちらが蘆名勢の目の前に放り出した大槻城と堂山城には、ビビっているのか手を出してくる気配が無い。


 いらないと言うのなら、捨てた城を拾いに行くとしようか。


 さて、蘆名家中の皆さん、日ノ本の陥陣営が今再びそちらにお伺いしますよ。

 覚悟はよろしいかな?






<年表>

1559年 二階堂行盛 15歳


01月

▽01月 筑前の秋月種実(11歳)、毛利家の支援を得て大友家より古処山城奪還。


02月

▽肥後の龍造寺隆信(30歳)、肥前勢福寺城を攻め、少弐冬尚(49歳)と千葉胤頼(27歳)を滅ぼす。

★北近江で浅井賢政(14歳)元服。南近江の六角義賢(38歳)の意向により、烏帽子親の六角家臣平井定武の娘と結婚。


03月

☆尾張の織田信長(25歳)、軍勢5百を引き連れて上洛。足利義輝(23歳)に拝謁。洛中の情勢を視察。

▼三春の田村隆顕(70歳)、嫡男の田村清顕(33歳)に岩瀬郡への侵攻を命じる。渋川合戦勃発。

◎須賀川の二階堂行盛、田村顕頼(72歳)の急襲を察知して空城の今泉城を防衛。顕頼の負傷により、月一統撤退。

◎須賀川の二階堂行盛、田村方の大槻城に攻め込む。相楽勘解由・大河原弥平太を寝返らせ、伊東高行を討ち取る。

◎須賀川の二階堂行盛、空城となっていた田村方の郡山城を乗っ取る。周辺諸城を攻略。

◎須賀川の二階堂輝行(52歳)、田村清顕(33歳)を阿武隈川西岸まで追撃。田村勢、三春へ撤退。


04月

◆甲斐の武田晴信(38歳)、出家して徳栄軒信玄と号す。

★摂津の三好長慶(37歳)、鞍馬寺で花見。

☆駿河で松平元康(16歳)の正室瀬名姫(16歳)、元康の長男竹千代を産む。

▽日向の伊東義祐(47歳)、日向北原家中の反対派を粛清。

☆尾張で織田信長(25歳)の側室吉乃(31歳)が第三子を懐妊。

◎須賀川の二階堂行盛、須賀川城に帰還。南姫と花見。


05月

◆筑波の小田氏治(25歳)、家臣菅谷政貞(41歳)の活躍で佐竹義昭(28歳)から小田城、海老ヶ島城を奪い返す。

☆尾張で前田利家(20歳)が織田信長(25歳)の茶坊主拾阿弥を斬って出仕停止となる。


06月

★越後の長尾景虎(29歳)、精兵2千を率いて海路で上洛。足利義輝(23歳)に拝謁し、管領並みの上杉の七免許を得る。

◆甲斐の武田信玄(38歳)、川中島で築城開始。


07月

▽肥後の相良家中で内乱。相良義陽(15歳)の家老の丸目頼美が、縁者の東直政と共に謀反。獺野原の戦い開始。

★南近江の六角義賢(38歳)、嫡男の義治(14歳)に家督を譲り、六角承禎を名乗る。

★京の足利義輝(23歳)、豊後の大友義鎮(29歳)を豊前と筑前の守護に任じる。

★洛中の長尾景虎(29歳)、近衛前嗣(23歳)と意気投合し盟友となる。内裏を修繕してから越後に帰国。


08月

★摂津の三好長慶(37歳)の家宰の松永久秀(51歳)の尽力により、南朝の楠木正成赦免。


09月

◆下総の結城政勝(56歳)病死。下野の小山高朝(51歳)の三男の晴朝(25歳)が結城の名跡を継ぐ。

▽豊前で第二次門司合戦開始。毛利隆元(36歳)の扇動により豊後で反乱続発。大友軍の留守を突き、反乱軍が門司城を占拠。

◆筑波の小田氏治(25歳)、下総の結城城を攻めるも真壁久幹(37歳)に撃退される。

▷安芸の毛利元就(62歳)、本城常光(46歳)の守る石見山吹城を攻撃。

★摂津の三好長慶(37歳)、松永久秀(51歳)に大和攻略を命じ、筒井藤勝(11歳)を撃破。

▽肥後相良家の犬童頼安(38歳)、湯目城を攻めて東直政を討ち取る。丸目頼美逃亡。獺野原の戦い終結。


10月

◆常陸の佐竹義昭(28歳)、筑波の小田氏治(25歳)を攻めて海老ヶ島城を落とす。

▽豊前の大友軍、一時跳ね返されるも巻き返して毛利方から門司城を奪還。第二次門司合戦終結。

▷安芸の毛利元就(62歳)、石見銀山攻略に失敗。降露坂の戦いで出雲の尼子晴久(45歳)に大敗。

◎須賀川の二階堂行盛、蘆名盛氏(38歳)の南安積侵攻を、内応者の首と空城の計で足止めする。

◎須賀川の二階堂行盛、郡山城に押し寄せて来た田村・畠山連合軍を夜襲で撃破。

◎須賀川の二階堂行盛、日和田城を攻め落とす。田村勢を安積郡から追い出す。


11月

☆尾張で織田信長(25歳)の側室吉乃(31歳)が、信長の長女徳姫を出産。

◆相模の北条氏康(44歳)、嫡子氏政(21歳)に家督を譲り、代替わりの徳政令を発布。

☆駿河で松平元康(16歳)の正室瀬名姫(16歳)懐妊。


12月

★北近江の浅井賢政(14歳)、父の浅井久政(33歳)を幽閉して家督を相続。平井定武の娘と離縁し、浅井長政に改名。六角家と手切れ。

▷備前の宇喜多直家(30歳)、浦上宗景(33歳)の命で義父の中山信正(49歳)を誅殺。沼城城主となる。

★京の足利義輝(23歳)、豊後の大友義鎮(29歳)を九州探題に任じる。


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▲天変地異

◎二階堂

◇吉次

■伊達

▼奥羽

◆関東甲信越

☆北陸中部東海

★近畿

▷山陰山陽

▶︎︎四国

▽九州


<同盟情報[南奥 1559年末]>

- 伊達晴宗・二階堂輝行

- 蘆名盛氏・結城晴綱

- 田村隆顕・相馬盛胤・畠山義国・亘理元宗

- 佐竹義昭・岩城重隆


挿絵(By みてみん)


須賀川二階堂家 勢力範囲 合計 7万1千石

・奥州 岩瀬郡 5万1千石

・奥州 安積郡 2万石 (NEW!)

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