1559-1 空城
<1559年 03月某日>
永禄二年。
この世界での二階堂家の行末を決める運命の年がやってきた。
ちなみに昨年末に足利義輝と三好長慶が和睦した為、永禄は晴れて足利幕府公認年号となっている。
昨年秋の大槻城の伊東高行との争い以降、冬が訪れるまでの間、安積郡の田村方との小競り合いが幾度も勃発している。
その都度、我が二階堂家と三春の田村家との関係は険悪化していき、冬が訪れてからも周辺の諸大名を巻き込んでの告げ口外交合戦。
つまり手紙を使っての罵り合いが続いていた。
今年の奥羽の冬はどの家も軍事行動が取れない程の豪雪だったが、その間も両家の敵対ムードは確実に醸成されていったのである。
そしてこの永禄二年二月。
やっと雪解け、というタイミングで三春の田村清顕が総力を挙げて兵を動かしてくる。
冬の間に入念に準備をしてきたのか、安積郡の富岡まで進出して来たその数はざっと三千五百。
安積の田村方の各伊東氏の兵もほとんどが動員されており、田村勢としては我らの虚を突いた心算であろう。
だが、こちらも備えは万全である。
迎え撃つ我ら二階堂家の手勢の数は岩瀬衆二千と、隠し玉の傭兵部隊の五百。
この傭兵部隊は、守谷俊重に命じて冬季に北関東から密かに集めさせておいた荒くれ者たちである。
更に今の二階堂家には、奥州の他の武家が未配備の火縄銃が百挺も揃っていた。
俺の未来知識により、保土原行藤が田村方の間者をマークしており、田村家の軍略は筒抜けだ。
狼煙や早馬を使っての即応体制は整っており、また想定される戦場の陣地化についても、雪が降る前にはもう仕込み終わっていた。
十年掛けて苦労を重ね、これだけの好条件を整えたのだ。
きっと互角以上の戦いが出来るはず。
既に岩瀬郡と安積郡の北西の境、渋川に田村清顕が攻め寄せている。
二階堂家が事前に想定していた田村勢の侵攻ポイントである。
まずは最寄りの舘ヶ岡城主の須田佐渡守父子が防衛の為に出撃。
橋を落とし、予め隠して配置してあった建材を使って簡易な陣地を渋川に構築。
そして現在、今泉城の矢部義政を初めとする岩瀬北部の二階堂家諸将がそこに駆けつけ、陣地を活用して田村勢の渋川渡河を阻止中となる。
優勢に戦闘を進めているとのことであったが、田村勢との兵力差自体はかなりある為、須賀川で兵を集結中の我が父の二階堂輝行の出馬が急がれた。
そんな中、俺は父の軍勢に先行して須賀川城を出撃している。
須田盛秀の手勢と共に傭兵部隊を率い、二階堂行盛直属の遊撃隊として渋川に向かっていた。
須田盛秀の手勢の中には、火縄銃を扱う鉄砲隊三十名も含まれている。
「若、左近殿が参りました」
行軍中に須田盛秀が告げてくる。
別行動中だった保土原行藤が馬を駆って颯爽と現れた。
「左近、どうだ?」
「若君の読み通りですよ。弥惣なる三春の間者、今泉城から姿をくらまし鍋山方面に向かっています」
やはり、田村顕頼、後の世に「攻めの月斎」と恐れられる男が鍋山に来ているか。
彼が率いるのは田村家中の軍事集団、月一統。
敵の最精鋭である。
「よし!左近、渋川の前線と須賀川の父上に使いを出せ。我らは田村勢のもう一手を叩く、とな」
「はい。しかし果たして渋川は持ち堪えられましょうや?」
「我ら二階堂勢の弓は全て新式よ。この日の為に長槍も揃えておる。田村の別働隊が渋川に呼び戻されないよう、むしろ勝ち過ぎるなと伝えておけぃ!」
周囲の兵や傭兵たちの目を意識して、豪快に振る舞う。
「者共、これより行き先を変える!敵は今泉にあり!我に続け!」
どうやら間に合ったようだ。
勝ち戦では無類の強さを発揮するが、負けの気配を感じると直ぐに逃げ去るのが傭兵である。
その傭兵たちを主力として率いる手前、常に平静な振りを装っていたが、内心はドッキドキであった。
七十歳を超え、まだ意気軒昂に戦場に立つ老練なる田村顕頼。
今泉城の城兵が出払っていると知らされても、間者が裏切っている可能性を当然考慮するだろう。
鍋山から今泉城に至る間道を進軍する最中も決して警戒体制は解かないはず。
だが、もし間者の言うことが本当で、警備の兵がほとんどいない城が実際に目の前に転がっていたらどうだろう。
よしんば田村顕頼本人は別としても、率いる兵たちの戦気は確実に緩む。
その状況が目の前にあった。
夕暮れ刻に今泉城を取り囲む田村勢の別働隊約一千。
後ろへの警戒は薄い。
夕闇に紛れて密かに部隊を展開。
「放てぇー」
残念ながら田村顕頼本人は火縄銃の射程圏外であったが、戦闘モードでの索敵によって敵本陣位置は判明している。
俺の号令と共に、須田盛秀率いる手勢の火縄銃三十挺が敵の本陣に向けて一斉に火を噴く。
ズダダダダーーーーーンッ
今回は敵軍を威嚇して混乱させるのが目的なので、三段撃ちはせずに一斉射撃。
初めて奥州の戦場で雷鳴のような鉄砲の銃声が鳴り響く。
今まで経験した事のない音とバタバタ倒れていく外周の兵。
そして突如後背に現れた我ら二階堂勢に田村勢は激しく動揺している。
田村顕頼の周囲を守る月一統も同様で、形無しだ。
「突っ込めぃ!」
もう幾度か戦場を経験しており、人の死にも慣れた。
味方の士気を揚げる為にも、今はただ一匹の餓狼と化して戦場を駆け抜け、敵を喰らうのみ!
須田盛秀の制止を振り切り、率いる手勢の先頭に立って突貫する。
駆けながら馬上で弓胎弓を手に取り、一際大きい体力ゲージが見える方向に矢を番える。
「うぬぅ、空城の計であったか!謀ったな弥惣!」
「ひえっ、お助けっグハッ」
兜も着けずに馬に跨っていた白髪の武将が、傍らから逃げようとしていた平民をスパッと斬り殺す。
あいつが田村顕頼、田村月斎か!
「喰らえぃ!」
ビョンッ
「ぬおぉ!?」
ギンッ、ズダンッ
俺が馬上から放った矢は、残念ながら田村顕頼の刀で防がれてしまう。
だが、俺の弓勢に圧されて体勢を崩した田村顕頼が、刀を弾き飛ばされ馬から転げ落ちる。
チャンスだ!
田村顕頼は田村家の軍師だ。
後の世の御代田合戦において、佐竹義重率いる奥州南部連合と相対し、一歩も引かぬ奮闘を繰り広げてその名を知らしめた田村月斎こと田村顕頼。
九十歳を超えて尚「畑に地縛り、田に蛭藻、田村に月斎無けりゃ良い」と謳われるほどの活躍だったと伝えられていた。
まさしく妖怪だ。
御代田合戦での田村顕頼との戦さで負傷した二階堂盛義は、その傷が癒えずに翌年亡くなっている。
つまり田村顕頼は、この俺、二階堂盛義自身の未来の仇であった。
だからこそ、チートを使って卑怯と謗られようと構わない。
今ここで何としても、その田村顕頼を討っておかねばならないのだ!
弓を放り投げ、腰間から刀を引き抜く。
「くたばれぇー、妖怪ジジイ!!!」
よろよろと立ち上がった田村顕頼のシワ首に向けて、駆け抜けざま一刀を放つ。
「何者じゃお主は!?ぐぅ!」
ザシュッ!
斬り飛ぶ田村顕頼の右手。
ちぃ!
躱されたか!
俺の一撃は咄嗟に翳された田村顕頼の右手によって防がれてしまう。
慌てて馬首を返す。
「顕頼様!?」「顕頼様を守れ!」「退け、退けぃ!顕頼様をお連れしろ!」
再度突撃しようとするも、混乱から回復した月一統の近衛連中が田村顕頼の周りを固くガード。
「ええぃ邪魔だ!」
月一統の精兵たちが統主の田村顕頼を守る為に命を投げ出してくる。
手間取っているうちに、俺に斬られた腕を手早く処理され、月一統連中に田村顕頼が運ばれていく。
くそっ、千載一遇のチャンスを逃したか。
しかし田村顕頼という絶対的な将の負傷により、田村勢の別働隊は総崩れだ。
今泉城をコの字に囲むように布陣していたことも影響し、まとまった反撃は全くない。
鍋山方面に落ちていく田村顕頼を追うように、右翼も左翼もてんでバラバラに戦場から離脱していく。
「若、大勝利にございます。追撃の下知を!」
首級をいくつも上げた須田盛秀が追撃戦への移行を進言してくる。
田村勢は混乱しており、田村顕頼にはかなりの深傷を負わせた。
今すぐ追えば田村顕頼を討てる可能性もある。
あくまでここで田村顕頼を討つことに固執すべきか、それとも。
パパーーーンッ
その時、北の空に花火が上がる。
「むっ、あれは守谷俊重からの合図。源次郎、追撃はせぬぞ。兵をまとめて急ぎ北に向かう!」
情報通信の手段としての花火。
高価な火薬をふんだんに使う為、おいそれとは使用出来なかったが、これもまた俺の未来知識を活用した二階堂家の新兵器であった。
<1559年 03月某日夜>
田村勢の策源地である八幡を迂回し、我ら二階堂遊撃隊は間道を通って敵方の城、大槻城に迫っていた。
大槻城は田村方の勢力圏の西端の拠点となり、安積郡西部の蘆名方の片平城を牽制する絶好の位置にある。
蘆名方が今回の戦さに気付いて漁夫の利を狙ってくる前に、絶対に抑えておきたい城だ。
間道の先に松明を持った人影が立っている。
大きく丸を二回描く松明。
守谷俊重である。
「ご苦労、俊重。上手くいったようだな」
「はーい。注文通り、堂山城の相楽勘解由と大河原弥平太を寝返らせておきましたー」
ニッコニコで報告してくる守谷俊重。
堂山城は大槻城のすぐ近くに位置する支城である。
「よくやった。それで大槻城の様子は?」
「田村勢と一緒に渋川に出陣中のようで、兵は確実に少なくなっていますねー。あ、城主の伊東高行は居残ってるみたいですよ」
伊東高行は昨年の我ら岩瀬勢との小競り合いで負傷し、療養中のようだった。
「よし、まずは堂山城に入る。夕餉の支度は出来ているな」
「若殿に頂いた手付け金と三倍返しの約束が効きましたねー。田村勢への差し入れと偽って、堂山城の女ども総出で握り飯と汁を準備済みです」
昼に須賀川城を出立して甲冑を着たまま今泉城まで10km強の移動。
そこで田村勢と一戦してから、さらに堂山城までの約10kmを移動する強行軍であった。
堂山城で一旦小休止としよう。
そして本日二戦目も出来るだけ楽なものとするよう、もう一手打っておく。
「まだ田村顕頼が今泉城で我らに敗れたことは伝わってはおるまい。相楽と大河原に大槻城に注進させ、一緒に兵を城中に送り込むのだ。夜陰に我らが攻め寄せるのに合わせて、城門を開けさせよ」
「わっかりましたー」
守谷俊重を堂山城に送り出す。
長い夜になりそうだ。
堂山城で一刻ほど休憩した後、月明かりを頼りに1km先の大槻城に兵を進める。
戦闘モード中は闇夜でも周囲の索敵と重要ポータルの把握が可能なため、不意打ちで襲撃される危険性は薄い。
我ら二階堂遊撃隊は田村方の斥候に見つかる事なく、大槻城の間近に迫っていた。
「若殿、既に仕込みは終わってますー。合図と同時に城門が開く手筈ですよ」
傍らの守谷俊重がヒソヒソ声で報告してくる。
「よし、源次郎。やれ」
「はっ」
言葉少なに暗闇の中で器用に火縄銃の火蓋を切る須田盛秀。
ズダーーーーーンッ
闇夜の静寂の中に響く銃声は、埋伏兵だけでなく大槻城の不寝番の注意を引くのに十分であろう。
ここからは時間との勝負だった。
城兵が城門の異変に気づき、再び城門が閉じられるまでの間に、城内に雪崩れ込む必要がある。
さて始めるか。
「かかれーーーっ!」
「「「うおーーーー!!!」」」
俺の号令と共に、大槻城の城門に突撃していく兵たち。
今回は無理する場面じゃない。
部下たちに任せておこう。
俺が突出するのを心配していたのか、視界の端で須田盛秀がホッとした表情を浮かべていた。
大槻城の制圧は僅か一刻で完了した。
相手方に兵がほとんどいなかった事もあり、今回もまた圧勝である。
こちらの被害はほとんど無い。
戦闘モードで時刻表示を見ると、まだ日は変わっていなかった。
大槻城内に進駐。
控えめに言っても城内は阿鼻叫喚の地獄絵図である。
何せ城中には僅かな兵の他には、女子供しか残っていなかったのだ。
そして俺の配下のほとんどは荒くれ者の傭兵たち。
これ幸いと乱暴狼藉に走るのは当然であった。
兵は不詳の器、とは良く言ったものである。
まずは配下の兵たちの規律を回復するよう、須田盛秀と保土原行藤に命じる。
これはモラルがどうとかそう言う話ではない。
まだ戦さは始まったばかりなのだ。
余計なことで兵たちの体力を損耗させたく無かった。
傭兵達には高い金を払っているのだから、そこは我慢してもらおう。
次に敵将の伊東高行の首と対面する。
首に向かって手を合わせ、その霊を弔う。
恨んでくれるな。
これも全てお家の為よ。
其方が岩瀬の田畑を狙って狼藉を働いた故に、俺は其方を討ったのだ。
武門の家に生まれた以上、このような末路に至ることもあると覚悟していたであろう。
だから恨んでくれるな。
伊東高行の首を前にして改めて思う。
明日は我が身、である。
もしも負けたら俺も伊東高行同様に生首になるのだ。
そして、この大槻城のような地獄絵図が須賀川城でも繰り広げられるだろう。
武者は犬ともいへ、畜生ともいへ、勝つことが本にて候。
これは数年前に亡くなった越前の朝倉宗滴の言葉だったか。
だからこそ俺は、勝って勝って勝ち続けてやる。
伊東高行を討った者に褒美を与え、首実検を終える。
それから須田盛秀に命じ、大槻城中の骸を整理して兵たちが休息できるスペースを作らせた。
一日の内に二回も戦闘を行った為、配下の兵たちは疲労困憊なはず。
いかに楽な戦いであったとしても、生死のやり取りの場である。
今は戦さの直後でアドレナリンが出ていて平気なように見えるが、精神的な疲労の蓄積は相当なものだろう。
日が昇るまでの間、兵たちに交代で休息を取らせるように指示を出す。
また、守谷俊重に堂山城から朝餉用の握り飯を運び込むよう手配させる。
さて、次はこれからの軍略だな。
保土原行藤を呼ぶ。
「左近、渋川の父上に全て順調に進んでいる旨を伝えよ。そして向こうの戦況を朝までに知らせて欲しい」
「既に使番は出しておりまする。若君も少し休まれた方がよろしい」
ぬぅ。
怖い顔で睨まれてしまった。
「若、左近殿の申し分はもっともに存じます。兵の指揮はそれがしらが引き継ぎますゆえ」
須田盛秀まで出てきて苦言を呈してきた。
まぁ、渋川の戦況次第だが、明日はもっとキツくなる可能性もある。
ここは素直に腹心たちの助言に従うか。
渋々ながら采配を須田盛秀に渡す。
するとそこで守谷俊重が俺の寝床を指定してきた。
「あっ、若殿。伊東高行の寝室が空いてるのでそこ使っちゃて下さーい。床下とか天井は調べ終わってますので安全ですー」
え、俺、先ほど首実検した相手が討たれた場所で寝なきゃならんの?
それって戦場よりもずっと怖いんですけど。
<1559年 03月某翌日>
なかなか寝付けないまま、ウツラウツラしていたら朝を迎えていた。
鎧を着たままで窮屈だったとか、襖に付着してる血痕が気になって仕方なかったとか。
いろいろ理由はあったが、まだ俺には戦場でスヤスヤ寝るだけのタフさが備わっていなかったと言うことだ。
まだこの体は15歳を迎えたばかりで、成長期の途中なのである。
「若君、おはようございます。渋川より使番が戻っています。戦況はこちらが有利とのことですよ」
保土原行藤の声で目が覚める。
そう言えば朝一で状況を伝えるよう命じていたな。
「今起きる。左近、詳しく状況を教えてくれ」
保土原行藤の報告では、田村勢は昨日一日の間ずっと渋川の我が方の簡易陣地を攻めあぐね、かなりの被害を出したらしい。
そこに父上が率いる岩瀬衆本隊の増援が到来したため、一旦八幡まで兵を退いたそうだ。
鍋山方面に派遣していた田村顕頼の敗残兵ともそこで合流することになり、八幡に留まったまま夜を越している。
あと特筆すべき情報としては、八幡から月一統の一団が輿を抱えて離脱し、三春の方面に撤収していったとの事。
恐らく俺の一刀により深傷を負った田村顕頼を三春まで護送したのであろう。
昨日の今泉と渋川の二つの敗戦と精鋭の月一統の離脱。
これにより八幡の田村勢の兵力は三千近くまで目減りする。
士気も大きく下がっており、特に手伝い戦さで動員された安積伊東氏の各軍からは、既にもう逃げ出す者も出始めたようだ。
兵の再編成も思うように進んではいないようで、もうしばらくは八幡に留まり続けることが予想された。
翻って我が二階堂家の軍勢は、八幡の田村勢を挟み込むような位置取りで布陣している。
八幡の南の渋川に、父の二階堂輝行率いる岩瀬衆本隊が二千弱。
そして八幡の北の大槻に、俺の率いる遊撃部隊が五百強。
兵の練度も、士気も、武装の質も、全てこちらが上。
圧倒的に有利な情勢であった。
唯一危惧すべき点は、各個撃破の危険性があるところか。
その場合、兵数の圧倒的に少ない我らの方が先に狙われるであろう。
大槻城と堂山城の守りを固めるべきか。
しかし、まだ田村勢は我らが大槻城を攻め落とした事自体を知らないはず。
渋川の岩瀬衆本隊と連携し、密かに大槻城を出て後背から八幡に襲いかかるという手もある。
いや待てよ?
渋川がそこまで優勢なら、今のまま田村勢を八幡に釘付けにしておくことも十分に可能だろう。
ならば。
「左近、源次郎と俊重を呼べ。軍議を開く!そしてその間に兵たちに朝餉を取らせよ!」
兵たちには今日もまた、甲冑を着たままで長距離走してもらう事になりそうだ。
しっかりその分のスタミナを取ってもらいたい。
蘆名勢が怖かったが、大槻城については、再び寝返られたり、攻め取られたりしても構わないと割り切ることにした。
寝返ったばかりの相楽勘解由に大槻城の守備を任せ、俺は全軍を率いて大槻城を出立する。
田村勢が八幡から動けない間に、大槻城よりもっともっと大きな成果を求めて一路東にひた走る。
そして、それから一刻もかからず、我ら二階堂遊撃隊は新たな城攻めに取り掛かり始める。
ターゲットは阿武隈川西岸の郡山城。
安積伊東系列の郡山氏の主城であり、田村氏の安積郡支配の基点でもある。
郡山重信率いる郡山勢は田村勢に付き従い、今は八幡に出陣中だ。
郡山城の守備隊の兵は数える程で、今は正真正銘の空城であった。
「かかれーーーっ!」
「「「うおーーーー!!!」」」
俺の号令と共に、郡山城の城門に突撃していく兵たち。
さて、今日はいったい幾つの空城を乗っ取れるだろうか。
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