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二階堂合戦記  作者: 犬河兼任
第二章 高玉を獲れ
11/83

1558 初陣

<1558年 05月某日>


 上方より帝の即位と改元の知らせが届く。


 弘治四年二月二十八日、時代は永禄に移る。

 正親町天皇の御代の始まりである。


 この時期、将軍足利義輝は朽木谷におり、京を不在にしていた。

 つまりこの改元は、京の実質的な支配者であった三好長慶が朝廷と図り、足利幕府に無断で行ったものであった。

 三好長慶の専横もここに極まったと言えよう。


 二階堂晴泰の手紙にも足利義輝が激怒していることが認められている。

 足利義輝は三好長慶に対抗し、幕府の発給文書に意地でも弘治を使い続けるようだ。

 それだけでなく、南近江の六角義賢を頼って京に攻め上り、三好長慶を成敗せんと息巻いているとのこと。

 また京で戦さが起こりそうだ。

 

 この歪な改元と同様に、世は乱れに乱れている。


 西国では、毛利元就が長門に追い込んだ大内氏を昨年のうちに完全に殲滅していた。

 自刃した長門守護代の内藤隆世との助命の約束を違え、勝山城開城後に大内義長をあっさり殺してしまった毛利元就。

 更に防長占領直後、一旦安芸に兵を引き揚げてわざと隙を見せる。

 そうして大内遺臣の決起を誘発させ、故大内義隆の遺児でわずか9歳の亀鶴丸ごと撃滅する徹底ぶりであった。

 しかしその間、西国太守と謳われた大内氏の二つの富の源泉、九州博多は豊前の大友氏、石見銀山は出雲の尼子氏が接収していた。

 毛利にして見れば、大友と尼子の両氏に漁夫の利を取られた形となっており、このままにはしておけないだろう。

 大内氏の遺領を巡っての本格的な争いはこれからであった。


 東国では、先年暮れの足利義輝の仲裁で甲越和睦がやっと成った、かのように見えて全然違っていた。

 長尾景虎の早期上洛を願ってさっさと決着したかったのか、それとも武田晴信の差し出す甲州金に目が眩んだのか。

 足利義輝が武田晴信を信濃守護職に任じたせいで、逆に武田家の北信濃侵略に大義名分を与えられてしまっている。

 そして恐らくだが、足利義輝は長尾景虎に対しても、上洛に先立って関東管領職の継承を内諾したものと思われた。

 今年に入って長尾景虎は本庄繁長らを上野に派遣し、関東出征の地固めを開始する。

 上野に入った長尾勢は、長野業正ら上杉勢と合流した後、未だ宇都宮広綱の統治の定まらない下野に乱入。

 唐沢山城の佐野豊綱と小山城の小山高朝がこれに与し、壬生綱雄の壬生城を攻撃したと聞く。


 そしてこの奥州では。


「し、失敗しただと?」


「いやー、流石は蘆名四天王の松本図書助。見事に防がれちゃいました。てへ」


 この二階堂行盛の対外的な渾身の初手。

 会津への謀略がものの見事に失敗していた。


 てへ、じゃねーよ守谷俊重!






 山内俊政と俊範兄弟が狙っていた金山谷岩谷城は、松本図書助氏輔の持ち城である。

 横田山内氏の治める会津南西の只見から会津盆地に出るには、金山谷を必ず通らなければならない。

 その為、蘆名氏に対抗したい山内氏にとって、岩谷城攻略は喫緊の課題であった。

 守谷俊重の報告によると、山内俊政と俊範兄弟は松本図書助の留守を見計らい、岩谷城への潜入を試みたそうだ。


「でもそれが罠だったんですよねー。計画が筒抜けだったらしくて。図書助、待ち構えてたそうです。結構な数の傭兵を押し付けたので、山内兄弟の兵の数自体は揃ってたんですけど、バレてたら流石に無理ですよね。すぐに黒川城から蘆名盛氏の後詰も出てきて、追い散らされちゃいました。山内兄弟、生きてるといいなぁ」


 ふー。

 深呼吸して心を落ち着け、それらの守谷俊重の報告を吟味する。

 失敗してしまったものは仕方ない。

 それを今後どう活かすかだ。


「それで、その後の蘆名の動きはどうであった?奥会津に攻め込む気配は見せているのか?」


「それがー、蘆名盛氏は奥会津征伐を取り止めたとか。山内一族で蘆名傘下の沼沢某が取り成して、和解に向かってるようですよ」


 うーん、中途半端な。

 せめて完全に蘆名と山内の主従関係が決裂すれば、手を打った甲斐もまだあったというのに。


「二階堂家が支援していたこと、蘆名にバレてはおるまいな」


「それは勿論。あぶれ者たちは全て下野で雇いましたしー、間者も南会津経由で撤収させましたから」


 エラくめんどくさかったですけど、と顔を顰めながら報告してくる守谷俊重。

 その甲斐あって蘆名盛氏は今、南会津の長沼実国を疑っているようだ。


 関東八屋形の小山氏傍流の長沼氏もまた、山内氏と同様に南北朝時代より会津に根付いている武家である。

 石高は低いが領内に鉱山を多数持ち、またかつて長沼惣領家の所領だった下野北部にも、未だに影響力を保持している。

 その下野への圧迫を強めたい長尾景虎からの要請もあったようで、今現在の蘆名盛氏は南会津方面に兵を向けているとの事。


「それで次はどうします?今度は長沼実国の方を支援しますか?」


「いや、止めておこう」


 守谷俊重の言を退け、会津辺境への謀略については手仕舞いを宣言。


「えー、まさか、このまま蘆名から手を引くんですかー」


 俊重、不満か?


「挽回の機会が欲しいなーって」


 俊重なりに責任は感じているらしい。

 ならば、と新たな命令を与えてみる。


 長沼実国の名を聞いて思い出したのだが、蘆名盛氏には庶兄がおり、時期は忘れたが長沼氏と組んで反乱を起こすはずであった。

 そちらを突いてみよう。


「蘆名盛氏の兄の氏方。母が白拍子のせいで蘆名家中で重く用いられていないと聞く。氏方に与する者を増やすべし」


「白拍子いいですねー。頑張ってみます!」


 俊重が鼻息荒く俄然やる気を見せてきた。

 白拍子というキーワードで何か変なスイッチが入ってしまったようだ。


 史実での蘆名氏方の反乱は、僅か数日で鎮圧される。

 もしも氏方の与派が増えたなら、その反乱を長引かせることが出来るかもしれない。

 その可能性を探ってみよう。






<1558年 09月某日>


 今年は昨年に比べても一層の冷夏であった。

 恐らく来年はもっと酷くなるだろう。

 永禄年間に東日本全体を襲うことになる大飢饉。

 その兆候がすでに奥羽では出始めていた。


 永禄飢饉。

 我が二階堂家では既に八年前からこの飢饉に向けての備えを始めており、蕎麦を始めとする救荒作物の栽培に余念が無い。

 対策を打っていない他家の領地は、武家も民も相当苦しむことになるだろう。

 

 この飢饉が東国の戦国史に与える影響はとてつもなく大きい。

 

 相模の北条氏は四公六民の民に優しい戦国大名として知られる。

 民政への影響の大きい為、徳政令はほぼ実施しない大名でもあったが、その北条氏でさえも徳政令に踏み切らざるを得なくなる。

 北条氏康は嫡男の北条氏政に家督を譲り、代替わりを名目に徳政令を発布する事になる。


 越後の長尾景虎の関東出征も、決して彼の求める正義の為だけの戦さではなかった。

 建前は関東管領の権威と東国の秩序回復であったが、糧食略奪や口減らしの性格が多分に強い遠征であった。

 そうでなければ、あそこまで執拗に秋口に関東へ踏み入り、何度も関東で越年することはないだろう。


 先ごろ家督を嫡男の今川氏真に譲った駿河の今川義元もそうである。

 松平元康に養女の瀬名姫を娶らせ、攻め取った三河の領国化を推進していたが、飢饉により更なる領土が必要となる。

 それが尾張遠征にまで発展し、桶狭間の戦いに繋がっていく。


 もし永禄飢饉が無かったならば、北条氏康は関東を制覇し、長尾景虎は北陸から京へ向かい、今川義元の桶狭間の敗戦は無かったやもしれない。

 そしてこの奥州では、我が二階堂家が三春の田村隆顕と戦さを始めることも無かったであろう。






 朝から南姫が恍惚の表情を浮かべている。


「むー。まさかこの三つを合わせると、このような味になるとは」


 最近開発に成功したタンポポの根を炒って煮出したタンポポ珈琲と、採れたて牛乳と、高価なハチミツ。

 その三種を適量混ぜ合わせて出来上がった珈琲牛乳は、珈琲否定派の南姫を唸らせるに十分な完成度の高さであった。


「若殿、殿がお呼びでございます。急ぎ評定の間まで参り下さいませ」


 朝の日課のミルクタイムを南姫と楽しむひと時。

 そこに須田盛秀からの注進が入る。


「なんぞあったか?」


「はっ。今泉城の矢部周防守殿より急ぎの知らせが。他領の兵が音無川を越えて岩瀬に踏み入り、刈田狼藉を行なっているとのこと」


「どこの兵か?」


「恐らく安積の大槻城の手の者と思われまする」


 大槻城は二階堂家の北西の防御の要である今泉城から10kmほど北東にあり、安積郡内の南西に位置する。


 奥州の安積郡。

 奥州藤原氏討伐で戦功を挙げた工藤祐経が、鎌倉幕府より恩賞として賜った地である。

 曾我兄弟に仇討ちされた源頼朝の寵臣として有名な工藤祐経。

 その次男の伊東祐長の子孫が、安積伊東氏として代々安積郡を治めてきた。


 しかしながら惣領制を取って分知を繰り返してきたため、現在では乱立する小領主の連合体になってしまっている。

 周辺の大勢力の傘下に入って離合集散を繰り返しており、安積伊東氏としての主体性は消えていた。

 八年前の会津の蘆名氏と三春の田村氏の安積郡の支配権を巡る戦いを経て、現状の勢力図は以下の通り。


 安積郡の西部の片平城を治める安曇伊東氏の惣領家は、会津の蘆名氏に従属。

 安積郡の北部の前田沢館や安子島城らの領主たちは、二本松の畠山氏に従属。

 安積郡の東部の郡山城や日和田館、南部の大槻城らを治める領主たちは、三春の田村氏に従属。


 今回問題を起こしたのは、大槻城を治める伊東高行。

 その背後にいるのは田村隆顕となる。

 やはり田村と戦さになるか。


「いよいよのようだな。夫殿」


 共に朝の牛乳と珈琲を酌み交わしていた南姫が、その切れ長な瞳で強い視線を送ってくる。

 

 え、何が?


「決まっているだろう。夫殿の初陣が、だよ」






 結論から言うと、南姫の推測通りであった。

 俺の初陣が急遽決定する。


「どうやら此度の大槻城主伊東高行の蛮行。田村に図ったものではなく、独断での刈田狼藉の模様。兵の数も少のうござる」


 その証拠に三春や郡山に動員の気配はありませぬ、と保土原兵部が父輝行に戦評定の場で報告する。


「よし。田村隆顕の軍勢が出張ってくる前に、一戦して大槻勢を撃破し、刈られた稲を奪回する。此度は行盛も帯同させる。行盛の初陣ぞ。皆、励め!」


「「「オウッ」」」


 父の宣言に士気を揚げる家中一同。

 その後、あれよあれよという間の怒涛の出撃準備。

 奥に戻っての鎧の装着は、南姫自らが手伝ってくれた。


「では、行ってくる」


「うむ。しっかり戦ってくるように」


 そして須賀川城の大広間で出陣式の三献の儀。

 清酒と共に打ち鮑、勝栗、昆布を食べて皆でエイエイオー。


 通常なら戦勝祈願で神社に立ち寄るのが普通だが、一刻も早く刈田狼藉を止めなければならない為、今回は簡易仕様。

 大広間の神棚に向かって祈り、いざ出陣。


 巧遅は拙速に如かず。

 直ぐに集められるだけの手勢を率いて戦場に向かう須賀川勢。

 昼前にはもう着陣し、敵軍と向かい合っていた。






 父輝行の横に控え、馬上にて戦場を望む


「はぁー、こう見えるのか」


 思わず感嘆して呟いてしまう。


「ん?何が見えるのだ?行盛」


「父上。天に立ち昇る軍気が見えまする。敵方の軍気を見るに、大いに動揺している様子」


「ははは。面白いことを言いよる。しかし敵が乱れているとは幸先が良い。ならば一気に片をつけてしまおうぞ」


 父輝行に答えたことは本当であった。

 初めての戦場。

 戦闘モードの視界には、兵士個人個人の上方にウジャウジャと表示される雲のような小ゲージ群の他に、その上空に部隊単位の中ゲージ、更にその上空に軍全体の大ゲージが見えている。


 伊東高行率いる大槻勢の大ゲージは、まさかこんなに早く我ら岩瀬衆が部隊展開してくるとは思っていなかったのか、動揺を示す青色に変色していた。

 大槻伊東氏自体は万石に満たない小領主だが、後ろに控える田村と畠山は合わせて15万石を越える石高だ。

 亘理相馬と係争中の伊達と、山内長沼と緊迫関係にある蘆名が動けない今、たかだか5万石程度の二階堂が正面から歯向かってくるとは思えず、侮っていた部分もあったろう。


「よし、かかれー!」


 父上の号令で戦闘が開始される。


 兵の数自体は同程度だが、こちらは武者の数も多く、練度と士気は段違いである。

 更に敵は朝早くからの稲刈りで疲労も溜まっていた。

 接敵してすぐに我ら岩瀬衆が敵の大槻勢を駆逐していく。


 この分では秘密兵器の鉄砲隊の出る幕も無さそうだ。


「ご注進!大槻勢、刈り取った稲を捨てて北に撤退していきます!」


「うむ!追撃せよ!安積まで踏み入り、逆に彼奴等の田畑を薙ぎ取ってやるのだ!」


 父上が追撃を指示する。


 さて、そろそろ出番か。

 逃げる敵であれば、いつぞやのツキノワグマよりは断然楽であろう。


「よし、行盛。追撃は味方に任せよ。其方は稲を回収して今泉城に運ぶのだ」


 えっ?

 父上、今何て?






 大槻勢を散々に打ち破り、日が暮れるまで安積の田畑への刈田狼藉を行なった後、意気揚々と引き上げてくる岩瀬衆。

 この戦さの本営となった今泉城に部隊を集結させ、被害状況を確認した後、須賀川城への凱旋を果たす。

 到着したのは夜であったが、お味方大勝利の報に、須賀川城は感喜で大盛り上がりであった。


 帰陣式で清酒と共に勝栗、打ち鮑、昆布の順に口に含み、最後はエイエイオー。

 そのまま宴に突入する。


「若殿、お見事なる初陣でございました」


「敵の動揺を見抜き、突撃の絶好機を殿に進言されたとか。流石は須賀川の麒麟児よ」


「刈られた稲を今泉城に運び込む時の差配。初陣とはとても思えぬ見惚れるような手際だったそうですな。いやワシも見たかった」


 家臣一同からの見事なまでの阿諛追従。

 居たたまれなくなった俺は、父上に退席の許しを得て早めに奥に引き下がることにする。


「おかえり、夫殿。勝ち戦さ、祝着至極だ」


 奥で南姫と対面して、やっと人心地が着いた。

 南姫に鎧を脱ぐのを手伝ってもらいながら、昼間の戦場からずっと悩んでいた件を思わず溢してしまう。


「結局何もしていないんだが。これで良いのだろうか?」


「初陣とは、往々にしてそう言うものと聞くよ」


 無茶をして死なれては困るため、勝てそうな戦さを選んで初陣を済ませてしまうのは、武家の御曹司には良くあること。

 そう諭してくる南姫。

 要するに箔着けって大事だよねってことだが。

 何か釈然としない。


「何にせよ。無事に帰って来てくれて良かった」


 鎧を外し終えた後、向き合った南姫がふわりと抱き締めてくる。

 思わぬ展開に動揺を隠しきれない俺。

 汗臭いから!と抱擁から逃れようとジタバタしてしまうが、南姫は笑って離してくれなかった。


 そこでハタと気づく。

 もう二人の背丈はそんなに変わらず、そして押し付けられる胸のボリュームも意外なほど凄いことになってる事実に。


 牛乳と成長期って偉大だな、そんな感想を抱いた初陣の夜であった。






<年表>

1558年 二階堂行盛 14歳


01月

▽東肥前の神代勝利(47歳)、龍造寺軍に奇襲を掛けて三瀬城を奪還。

◆朽木谷の足利義輝(22歳)の勧告で甲越和睦。甲斐の武田晴信(37歳)、信濃守護補任。


03月

★正親町天皇即位のため年号が「永禄」に改められる。


04月

▽薩摩の島津貴久(44歳)、大隅の肝付兼続(47歳)と敵対する。

▽日向の伊東義祐(46歳)、日向北原家の乗っ取りを画策。

☆尾張で織田信長(24歳)の側室坂氏(20歳)が、信長の三男三七を出産。


05月

☆尾張で織田信長(24歳)の側室吉乃(30歳)が、信長の次男茶筅丸を出産。

☆尾張で前田利家(19歳)がまつ(11歳)と祝言を挙げる。

▼会津の山内俊政と俊範兄弟、金山谷岩谷城を武力占拠しようとして失敗。逃亡。

◆越後の長尾景虎(27歳)、上野の上杉勢に下野乱入を命じ、壬生綱雄(41歳)の壬生城を攻め落とす。


06月

★朽木谷の足利義輝(22歳)、六角義賢(37歳)の後援を受けて坂本へ兵を進める。

▷安芸の毛利元就(61歳)、石見侵攻開始。温湯城攻略に着手。

◆下野で多功ヶ原の戦い。多功長朝(73歳)、上杉勢先陣の佐野豊綱(54歳)を討ち取る。上杉勢、上野に撤収。

◆常陸で小里の戦い。佐竹義昭(27歳)、岩城重隆(58歳)と和睦。岩城親隆(18歳)に娘の桂姫(8歳)を嫁がせる。


07月

★京の東山で北白川の戦い。足利義輝(22歳)、将軍山城を攻略し、三好一党と小競り合い。

▽豊前で第一次門司合戦開始。毛利隆元(35歳)、二万の軍勢で門司城を攻め落とす。筑前、豊前方面の諸将を調略。


08月

☆駿河の今川義元(39歳)隠居。遠駿の統治を今川氏真(20歳)に任せ、自らは三河の領国化と尾張攻略に集中。


09月

◎須賀川の二階堂行盛、大槻伊東氏との争いで初陣を飾る。

▽東肥前の神代勝利(47歳)、龍造寺方の小河信安(49歳)を討ち取る。鉄砲を使って龍造寺軍に大勝。

☆駿河で松平元康(15歳)の正室瀬名姫(15歳)が第一子を懐妊。


10月

◆常陸の佐竹義昭(27歳)、宇都宮広綱(14歳)に娘の呂姫(8歳)を嫁がせる。佐竹家と宇都宮家の婚姻同盟成立。

★摂津の三好長慶(36歳)、四国から増派し、東山の足利義輝(22歳)を圧迫。


11月

▽豊後の大友義鎮(28歳)、一万五千の兵を豊前に派遣。戸次鑑連(45歳)の活躍により門司城奪還。第一次門司合戦終結。

★南近江の六角義賢(37歳)、戦況不利を悟って足利義輝(22歳)と三好長慶(36歳)の和睦を仲介。

▽東肥前の神代勝利(47歳)、龍造寺方の小田政光(49歳)を討ち取る。肥前の龍造寺隆信(28歳)、政光の蓮池小曲城を攻略。


12月

★東山の足利義輝(22歳)、5年振りの帰京を果たす。細川晴元(34歳)、逐電して姿を消す。


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▲天変地異

◎二階堂

◇吉次

■伊達

▼奥羽

◆関東甲信越

☆北陸中部東海

★近畿

▷山陰山陽

▶︎︎四国

▽九州


<同盟情報[南奥 1558年末]>

- 伊達晴宗・二階堂輝行

- 蘆名盛氏・結城晴綱

- 田村隆顕・相馬盛胤・畠山義国・亘理元宗

- 佐竹義昭・岩城重隆


挿絵(By みてみん)


須賀川二階堂家 勢力範囲 合計 5万1千石

・奥州 岩瀬郡 5万1千石

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