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二階堂合戦記  作者: 犬河兼任
第二章 高玉を獲れ
10/83

1557 火蓋

〜 第二章 高玉を獲れ 〜


主人公:二階堂行盛 13歳


正室:南姫 16歳

実父:二階堂輝行 50歳 須賀川二階堂家6代目当主

実弟:二階堂観音丸 5歳


義父:伊達晴宗 38歳 伊達家15代目当主 奥州探題 従四位下 左京大夫

<1557年 05月某日>


 苦労して数多の特産品の開発に勤しんだ甲斐があり、須賀川の城下は今や大きな賑わいを見せている。

 須賀川産の珍しい物品を求めて、遠方より多くの人々、特に商人がやってくる。

 彼らは金の匂いに敏感だ。


 勿論のこと須賀川まで手ぶらでやってくるわけではない。

 奥州では中々手に入らない上方や西国の産物を荷台に乗せ、売り込みに来る。

 ただし、小なりとはいえ須賀川の商圏にも座はある為、売り先は民間ではない。

 相手は我が二階堂家であった。


 この日、待望していた売り込みが、遂に須賀川へやってきた。

 火縄銃である。


 戦さが無ければ武具は売れない。

 そういう意味では、商人たちは金以上に戦さの匂いにも敏感である。

 武器商人の来訪は、須賀川に戦さの火の粉が近づいてきた証左でもあった。




 四年前の伊達家の懸田攻め以降、奥羽は比較的平穏な時を過ごしてきた。

 しかし今、奥羽に再び戦乱の暗雲が立ち込め始めている。

 全ては昨年夏、亘理宗隆が亡くなったことに端を発する。


 陸奥の亘理郡を本拠とする亘理氏。

 桓武平氏の千葉氏庶流の武家である。

 現在は伊達家の傘下に入っており、亘理宗隆は娘を伊達稙宗の側室に差し出していた。

 稙宗方として戦った天文の大乱終結後、宗隆は稙宗と娘の間に生まれた外孫の亘理元宗に家督を譲る。

 そして亘理郡の南方、小平城と周辺の村々を自分の隠居領とした。


 その隠居領が戦さの火種となった。

 亘理宗隆の亡き後、伊達晴宗はその地に宗隆の女婿で、かつ己の側近である泉田重隆を入れようとする。

 小平城は、天文の大乱で伊達晴宗に敵対した相馬氏の領土に隣接している。

 言うなれば伊達家にとっては対相馬の最前線であったため、晴宗としては当然の采配であろう。


 面白くないのは宗隆後継の亘理元宗だ。

 晴宗の妾腹の弟でもある。

 もともと小平城を含む宗隆の隠居領は亘理家代々の土地であり、養父の死後は自分の所領に返還されるものと考えていた。

 それを兄弟とは言え、歴とした他家の当主に掻っ攫われてしまったのである。

 当然反発する。


 亘理氏にとって隣国の相馬氏は、同じく千葉常胤を祖に持つ同族である。

 天文の大乱では一緒に稙宗方として戦った仲でもあった。

 その相馬氏を頼り、伊達晴宗への抗議を開始する亘理元宗。

 遂には伊達勢との間で小規模な戦さにまで発展する。


 この三月、亘理元宗は相馬盛胤と語らい、一部を領有している北方の名取郡に出兵。

 名取の伊達派諸侯と座流川を挟んで一戦を交えた。

 戦さ上手の相馬勢を主力とする亘理相馬連合軍が戦いを優勢に進めており、今もまだ名取での紛争は続いている。




 白河の関の向こう側の下野でも、先月大きな戦さがあった。

 宇都宮家の家宰の暗殺大好き芳賀高定が、遂に壬生綱雄から宇都宮城を奪還。

 足掛け八年で伊勢寿丸、今は宇都宮広綱と名乗っている若き主君を下野の主城に戻すことに成功したのである。

 芳賀高定に助力したのは、常陸太田の佐竹義昭であった。


 佐竹義昭は下総の結城政勝と手を組み、筑波の小田氏治と係争中である。

 その小田氏治を支援しているのが、相模の北条氏康。

 北条氏康は下野の壬生綱雄も支援している。

 北関東まで及んで来た北条の影響力排除が、佐竹義昭の喫緊の課題となっていた。


 佐竹義昭は先立って小田氏治の本拠である小田城の攻略に成功している。

 勢いに乗る佐竹義昭は、同盟国の多賀谷政経らと語らい、佐竹勢のほぼ全軍に当たる五千騎を率いて下野に入る。

 佐竹の援兵を得ることが出来た芳賀高定は、壬生綱雄の専横を快く思っていない下野の諸侯を糾合。

 下野守の宇都宮広綱を奉戴して宇都宮城に進軍。

 圧倒的兵力差で壬生綱雄を追い払った。


 芳賀高定の忠誠と佐竹義昭の武名は関東に轟くこととなったが、下野の情勢は未だ落ち着いてはいない。

 壬生綱雄は宇都宮城から追い払われただけで、本拠の鹿沼城に籠って虎視眈々と反撃の機会を待っている。

 その壬生綱雄を支援する北条氏康も、決して黙ってはいないだろう。




 こうして須賀川の北と南は今、見事にキナ臭い状況にある。

 北関東と南奥州の大小名に擦り寄る武器商人も、最近は急増していると聞く。

 そんな中、羽振りの良さそうな二階堂家がそのターゲットとなるのは当然の帰結であろう。


 岩瀬までやってきた紀州根来の武器商人が、須賀川城下で火縄銃を喧伝。

 上方で流行っている新式の武具と称し、実演を兼ねての商談の機会を求めてきた。

 待ってましたとばかりに応じる。


 父上にお願いして一門重臣を招集。

 家中の皆にも火縄銃の威力を知ってもらおうと思う。

 これから戦さの有り様が大きく変わっていく。

 その事を少しでも感じ取って欲しかった。






 広間に面した中庭に一門重臣が並ぶ。

 広間の縁側に床几を立てて父輝行が座る。

 その横に俺。

 その更に横に南姫。

 その更に更に横に南姫の侍女たち。

 

 ん?なんで南姫もいるの?


「鉄砲の噂は聞いている。一度この目で見たくてな」


 そうですか。


 ザッザッザッ。


 中庭にえらく迫力のある老年の男が現れ、平服する。


「紀州根来寺、津田算長で御座いまする。目通り叶い恐悦至極」


 なんと。

 津田監物自らがやってくるとは。

 興奮を抑えきれない。


 鉄砲伝来は諸説あるが、この津田監物が種子島まで足を運び、一挺の火縄銃を購入して畿内まで持ち帰り、量産に着手したと聞く。

 密かに日ノ本の歴史に大きな影響を与えた人物である。

 その本人の登場に身体が震えそうになる。


 しかし、容貌を見るにもう五十代半ばを過ぎているのではないか。

 この歳まで現役で、自ら遠方に赴いて販路開拓に勤しむとは、鉄砲は相当売れているようだな。

 いや、鉄砲の運用術を自ら確立した事で、根来自身が近隣大名に鉄砲を売り付ける危険性に気付いたか?

 敢えて遠方の大名達に優先して鉄砲を融通する事で、畿内での自分たちの勢力を高めようとしている?

 その為の津田監物の奥州入りか。


「百聞は一見に如かずと申します。まずは試射をご覧頂きたい」


 従者達に火縄銃の準備をさせる津田監物。

 中庭には予め流鏑馬で使う的を用意している。


「最初にこの槊杖(かるか)で火薬と弾を筒先から押し入れます」


 津田監物の実演が始まった。


「続いて火皿に口薬を盛り、火蓋を閉じます」


 側近の須田盛秀がそっと体を動かす。

 津田監物と俺の対角線上にいつでも割り込める位置に付いた。

 俺の方は良いから、南姫の方を守って欲しいんだが。


「火縄に火を付け、的に向かって構えます」


 さすが実演販売のプロフェッショナル。

 手際は流れるように滑らかだ。


「合図と共に火蓋を開け・・・」


 隣の我が妻にそっと耳打ち。


「妻殿、耳を塞がれよ」


「む?」


 怪訝な表情を浮かべつつも、俺の言葉に大人しく従う南姫。


「引鉄を引きます」


 ズダーーーーーンッ


「きゃーーー」「ひぃーーー」「うぉおおおお」


 耳を塞いでいなかった南姫の侍女たちが、あまりの轟音にパニックになる。

 重臣一門の一部も混ざっているようだが、そちらは見なかった事にしてやろう。


「ご覧の通りの威力にございます」


 津田監物の火縄銃から放たれた弾丸は、流鏑馬の的を見事に吹き飛ばしていた。






「試し撃ちしてみたい方はおられますかな?」


 その津田監物の申し出をありがたく受け入れ、自ら火縄銃を手に取ってみる。

 やたら重くてバランスが悪い。

 10kg以上はあるだろう。


 戦闘モードで観察してみる。

 よく手入れしてあるせいか、武具としての耐久度も目減りしておらず、暴発の危険性も無さそうだった。

 あとは射撃時に的がどう表現されるかだ。

 弓の場合は、的まで到達するのに必要な張力がゲージ化されていた。

 火縄銃の場合はどうだろうか。


 津田監物の指南に従って火薬と弾と口薬をセットし、火縄に火を付け構えてみる。


「筒先が擦り上がったり擦り下がったりせぬよう、肩と頬で筒を固定することこそ肝心です」


 その津田監物の説明はありがたかったが、俺には無用の助言であった。


 筒先を的に向ける自動でロックされ、赤い弾道予測が視界に浮かび上がり、ピピピピという幻聴が鳴り出す。

 幻聴は弾道予測が的の中央に寄るほどピーピーピーと間隔が長くなり、中央に重なった瞬間ピーーーと鳴り響いた。

 その瞬間に火蓋を切って引鉄を引く。


 ズダーーーーーンッ


「なんとっ!初めてで真ん中を撃ち抜くとは」


 驚いている津田監物には悪いんだけど、何このチート。

 やばいだろ。

 スナイパー仕様かよ?


 呆然としながら津田監物に火縄銃を返す。

 これはやばい。


「あの、私も。私も撃ってみたいのだが良いだろうか」


「姫様、危のうございます!姫様!」


 南姫が目を輝かせて詰め寄り、津田監物を狼狽させている。

 それを尻目に、俺はこのチートの使い所を探すのに没頭し始めていた。






 商談の場に移る。


 津田監物から提示された値段は一挺につき二十貫。

 高すぎる!という困惑の声が、周囲の評定衆の中から巻き起こる。


 そうだろうか。

 元亀・天正の頃になると、一挺につき十貫程度の値段だったらしい。

 時期的に今はやっと量産体制が整い始めた頃だろう。

 更に遠方の奥州までの輸送費や人件費を考えると、だいぶ勉強してくれているように思えるが。


 何も言わずにじっとこちらの反応を伺っている津田監物。

 品定めされてるな。

 この機会を逃す手は無いだろう。


 父輝行に許可を得て、俺主導で商談を開始する。


「それで津田殿。その火縄銃、何挺用意できるのか」


「さすれば。今すぐにご用意出来る数は十挺ほどになります」


「わかった。全て買い取らせて頂きたい」


 俺の言葉にクワっと目を見開く津田監物。

 更に津田監物へ語りかけようとするも、、、


「若殿!」「お待ちくだされ!」「金子がもったいのうござる」


 家臣達が騒がしくて邪魔されてしまう。

 うーん、鉄砲の威力をその目で見ても、その重要性がまだわからんのか!


「静まれ!わずか二百貫程度でオタオタするでない!」


 イラっときて思わず一喝してしまった。

 そして続ける。


「津田殿。追加であと九十挺届けて欲しいのだが、どれくらいで用意出来ようか?」






 南姫を交えた夕餉の後、父上に書斎に呼ばれる。

 そこで向き合った父上は、昼間の津田監物との商談の件に触れてきた。


「行盛。あの場では口を挟まなかったが。百挺、二千貫ともなれば、これまで酒や椎茸などで稼いだ分の大半を吐き出す事になろう」


「問題ありませぬ。今は何より近隣の武家に先んじて鉄砲を揃えることこそ重要にございます。金子はまた稼げば良い」


 手付け金として更に三百貫余計に支払うことで、津田監物とは商談が成立していた。

 これから半年毎に計三回、三十挺ずつ火縄銃が須賀川に届けられ、その都度五百貫ずつ支払う契約となっている。

 最悪津田監物に詐欺られ、手付けの三百貫が無駄になる恐れもあったが、その時はその時だ。


 ただし、鉄砲本体の代金より、弾薬側の代金が厄介なんだよなー。

 日ノ本では天然の硝石が取れず、ほぼ輸入に頼らざるを得ないのだ。

 最終的には弾薬の方が高く付くことになるだろう。

 今からでも硝石の開発にも着手しておいた方が良さそうか?

 暗く湿った便所の漆喰から取れるんだっけ?


「しかし、気づいておったか?行盛」


「何にでございますか?」


「其方が鉄砲の購入を告げた時、反対したのは一門親族の連中であった。東部衆は騒いでおらなんだ」


 え、そうだっけ?


「一門親族は鉄砲の性能に不満があるわけでも、其方の才気に不満があるわけでもない。彼奴らはの。須賀川城の奥を守る薫や南の侍女達が、自分たちよりも重臣達の方を頼りにしている。その一点にのみ不満があるのよ」


 侍女達にしてみれば、主君の親戚筋の口煩い西部衆よりも、従順な家臣達の東部衆の方が甘えやすい。

 東部衆の連中もそれは承知しているので、進んで御用聞きして自分たちの売り込みを行う。

 それを傍目で眺めるしかなく、快く思っていない西部衆。

 彼らは、いずれ奥を通じて俺も東部衆に取り込まれてしまわないかと、不安なのだ。


 二階堂家滅亡の一因ともなった家臣団の亀裂。

 思ったよりも水面下でヒビ割れは進んでしまっていたようだ。


「行盛。東部衆と西部衆の扱いに注意せよ。それとな。薙刀ばかり振ってないで、しっかりと侍女達を御するよう、お前から南姫に言い聞かせておけ」


「はっ。承知いたしました」


「儂の方も、やれることはやっておく」


 そう告げた父上の顔は、何故か少しだけ寂しげに見えた。






<1557年 06月某日>


 入手した鉄砲十挺を使用し、空砲ではあるが既に射撃訓練を開始している。

 今泉城を守りきる為の手駒が順調に揃ってきたが、更にもう一手欲しい。

 そして今泉城を守りきった先の事も、今から考えておかないといけないだろう。


 腹心の須田盛秀、保土原行藤、守谷俊重の三名だけを集め、須賀川城内で密かに謀議する。




 二年後、田村月斎は予め岩瀬郡に潜ませておいた間者から情報を得て、空城となっていた二階堂方の今泉城を攻め落とす。

 出来る事ならば、その間者を今のうちから特定しておきたい。

 まずは保土原行藤に命じる。


「他国の間者が領内に入ってないか密かに洗え。三春、二本松、会津、白河から来て岩瀬に居着いた者がいないか調べるのじゃ」


「それは手間ですね。しかし若殿のご命令なら仕方ありません。承知仕りました」


 左近、最近茶の湯に興味を持ち始めたそうだが、ほどほどにな。




 田村家との抗争に打ち勝ち、安積郡に進出して無事に高玉金山を押さえられたとしても、その時は必ず蘆名氏が出張ってくる。

 会津を撹乱する術を、今のうちからいくつも用意しておかなければならない。

 次は守谷俊重に命じる。


「奥会津に潜入し、天文の大乱の折に蘆名と争った山内氏との繋ぎを作れ。蘆名との仲をいつでも裂けるようにな」


「わっかりましたー。こちらが二階堂家であることは、勿論伏せておきますねー」


 俊重、結婚してもう子が出来たというが、そのノリは相変わらずか。




 蘆名氏と白河の結城氏は同盟関係にあり、仮に二階堂家が蘆名と敵対した場合、後背から攻めかかられる恐れがあった。

 白河への仕込みも今のうちにしておく必要があるだろう。

 最後に須田盛秀に命ず。


「其方には白河の調略を頼む。須田の一族が白河結城氏に仕えていると聞く。その線から当たれば容易に事は進もう」


「はっ」


 源次郎、お前まだ冴に手を出していないとは、何もそこまで主君の俺に遠慮することはないのではないか?




 探索に、密通に、内応。

 三人にそれぞれ指示を出す。


 今までずっと内政コマンドしか実施してこなかったが、やっと調略コマンドを使った感がある。


 ふと我にかえるが、これって本当にフィールドタイプの格闘ゲームなんだろうか。

 やってる事はまるっきり歴史シミュレーションゲームだよな。






<1557年 11月某日>


「我が息子の観音丸に大久保の名跡を継がせることにした。傅役は義信に任せる。元服まで横田城で養育するように」


「承知。兄上、お任せくだされ」


 評定の場での父輝行の突然の宣言。

 仕込みは既に終わっているらしく、どよめく評定衆を尻目に、叔父の横田義信が恭しく拝命している。


 そうきたか父上。


 大久保郷は須賀川の西方に位置し、叔父の横田義信が領する横田城からは程近い。

 かつては二階堂家の一門が一家を立てて治めていたが、いつしか直系が絶え、本家が接収して今に至る。

 その名跡を復活させるのか。


「行盛。何か意見はあるか?」


 勤めて冷徹な顔で父上が尋ねてきた。


 観音丸に別家を継がせる。

 この取り決めで、二階堂家を継げる者はこの行盛しかいない事が内外に示された。

 長尾家や織田家及び将来の伊達家のように、家中の派閥争いで兄弟相克が発生しないよう、父上は予め手を打ったのである。


 そして、これはとても良く練られた策であった。

 まず、俺に長女を嫁がせた伊達晴宗は当然気を良くするだろうから、伊達家の歓心を買える。

 伊達閥に染まらない状態で観音丸を温存しておきたい、と考える者が少なくない為、一門衆からも文句は出ない。

 それでいて、俺の身に何か起こらない限りは観音丸の本家継承の大義名分が立たなくなる為、擁立を企む者が出難くなった。


 問題は、私的な部分の話である。

 可愛い盛りの5歳の息子、弟と離別出来るかどうか。

 父上にとっては亡き母の忘れ形見でもあり、断腸の思いの決断であろう。

 であれば、俺も従うしかない。


「いえ、特にございませぬ。父上」


 やっと懐いてきたばかりなので、南姫は残念に思うだろうな。






 評定が終わった後の、腹心三人のみを集めた謀議の場。


「輝行様も思い切った決断をなさいましたね。この左近、感服仕った。若君は聞かれておらなんだのですか?」


「ああ。だがその件はもう良い。俊重、会津の件で何やら進展があったようだな」


「ええ、そうですー。横田山内家に接触出来たんですけど。一族の山内俊政と俊範の兄弟が、山内家の復権を狙って独自に動いてますね」


 会津山内氏は藤原秀郷の後裔と知られる山内首藤氏の傍流である。

 会津地方に蟠踞し、会津の覇権を巡り、百年以上の永きに渡って蘆名氏と争ってきた武家であった。

 惣領家の横田山内家は、越後に程近い会津南西の山間を領土としており、現在は蘆名氏に形ばかりの臣従をしている状況と聞く。


「どうやら、黒川城西方の金山谷の岩谷城を乗っ取ろうと画策しているみたいですー。決行は来春あたりかなーと」


 どうすべきか。

 蘆名の力が弱まり過ぎると、佐竹の北上の勢いが強まる。

 匙加減が難しい。


「あと耳寄りな情報として、越後の長尾と会津の蘆名が関係を修復しようとしてます。山内家はそれに反発してるようですよー」


 昨年の長尾景虎の出家騒動中、長尾家重臣の大熊朝秀が甲斐の武田晴信に通じて謀反を起こした。

 武田晴信の要請を受けて大熊朝秀を支援し、上越まで兵を進めたのが奥会津の山内舜通である。

 結局出家を取りやめた長尾景虎が越後に戻り、山内軍共々大熊朝秀を早々に駆逐してしまったが、これによって越後と会津は険悪な仲となっていた。


「源次郎、川中島の合戦は如何なったか聞いておるか?」


「はっ。どうやらこの度も決着がつかず、甲越両軍とも兵を引いたとのことでございます」


 二年ぶり三度目の川中島の戦いも史実通り引き分けか。

 両雄とも態勢を立て直す為、周辺諸外国との関係を見直し始めたようだ。

 長尾景虎が蘆名盛氏にアプローチし、武田晴信寄りの山内舜通がそれに反発している?

 

「よし、決めた!長尾景虎と組まれては蘆名の力が増大し過ぎる。俊重、山内兄弟を密かに支援せよ!」


「はーい。結構金子がかかると思いますけど、いいですかー?」


「構わない。ただし、こちらが二階堂家であることを蘆名盛氏に決して気取られるな。他家を装え」


 了解でーす、と応じてくる俊重。


 今、対蘆名戦の火蓋は切られた。

 うまく火縄の火が火皿に落ちて、点火される事を祈ろう。






<年表>

1557年 二階堂行盛(13歳)


01月

■亘理の亘理元宗(27歳)、養父宗隆の遺領を巡って兄の伊達晴宗(38歳)に反発。相馬盛胤(28歳)と結ぶ。


02月

☆駿河の松平元信(14歳)、今川義元(38歳)の姪の瀬名姫(14歳)を娶る。松平家嫡流を示す為、祖父清康の偏諱で元康に改名。


03月

◆常陸の佐竹義昭(26歳)、海老ヶ島城を攻める。黒子の戦いで小田氏治(23歳)を破り、小田城、海老ヶ島城を落とす。

■米沢の伊達晴宗(38歳)、名取の座流川にて亘理元宗(27歳)と相馬盛胤(28歳)の連合軍と戦う。

◆甲斐の武田晴信(36歳)、北信濃の葛山城を攻略。

▽肥後で上村頼興(67歳)死去。相良頼房(13歳)親政開始。上村一族謀叛。


04月

▷安芸の毛利元就(60歳)、周防の須々万沼城を攻略。大内家臣の山崎興盛自刃。大内義長(25歳)、周防を捨てて長門に逃れる。

◆下野の芳賀高定(37歳)と宇都宮広綱(13歳)、常陸の佐竹義昭(26歳)の援兵5千騎を受け入れ、壬生綱雄(40歳)から宇都宮城奪還。

▷安芸の毛利元就(60歳)、長門の勝山城を攻略。長門守護代の内藤隆世(21歳)、大内義長(25歳)の助命を条件に自刃。


05月

▷安芸の毛利元就(60歳)、内藤隆世との約束を違えて大内義長(25歳)を自刃に追い込む。毛利家の防長制圧完了。

◎須賀川の二階堂行盛、鉄砲を入手。試射実施。

◎須賀川の二階堂行盛、会津と白河に対する謀略戦開始。

◆越後の長尾景虎(27歳)、北信濃に出撃。武田方の諸城を攻略。


06月

▷安芸の毛利元就(60歳)の帰国と同時に、防長で大内遺臣たちが一斉蜂起。

▽薩摩で島津貴久(43歳)、大隅の蒲生範清(33歳)を降す。


07月

▽肥後の相良頼房(13歳)、叔父の上村頼堅(31歳)を斬る。

◆川中島に武田方の同盟軍の北条綱成(42歳)来着。長尾景虎(27歳)、武田方の尼飾城を攻撃。


08月

▽豊後の大友義鎮(27歳)、毛利元就(60歳)の調略に応じた筑前古処山城主の秋月文種(45歳)を成敗。秋月種実(9歳)、周防に落ち延びる。

▽肥後の相良頼房(13歳)、叔父の上村頼孝(34歳)を追い払い、領内の反乱を鎮圧。

◆相模の北条氏康(42歳)、下総の千葉親胤(16歳)を暗殺。親胤の叔父で親北条路線の千葉胤富(30歳)を千葉家当主に据える。


09月

◆北信濃で第三次川中島の戦い。上野原で甲越両軍激突。勝敗着かず。

★洛中で後奈良天皇(60歳)崩御。

☆尾張で織田信長(23歳)の側室坂氏(19歳)が懐妊。


10月

☆尾張で織田信長(23歳)の側室吉乃(29歳)が第二子を懐妊。

◆越後の長尾景虎(27歳)、甲斐の武田晴信(36歳)、互いに川中島から軍を引き揚げる。


11月

☆尾張の織田信長(23歳)、弟勘十郎信勝(21歳)を誘殺。末森城を接収。

◎須賀川の二階堂輝行、四男観音丸(5歳)に二階堂一族の大久保家の名籍を継がせる。

◎須賀川の二階堂行盛、会津の山内家への支援を密かに開始。


12月

▷安芸の毛利元就(60歳)、防長の大内遺臣の反乱を完全鎮圧。大内義教(9歳)を処刑。

▷安芸の毛利元就(60歳)、本拠の吉田城に帰還し、三子教訓状を残す。


-------------

▲天変地異

◎二階堂

◇吉次

■伊達

▼奥羽

◆関東甲信越

☆北陸中部東海

★近畿

▷山陰山陽

▶︎︎四国

▽九州


<同盟情報[南奥 1557年末]>

- 伊達晴宗・岩城重隆・二階堂輝行

- 蘆名盛氏・結城晴綱

- 田村隆顕・相馬盛胤・畠山義国・亘理元宗


挿絵(By みてみん)


須賀川二階堂家 勢力範囲 合計 5万1千石

・奥州 岩瀬郡 5万1千石

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>今、対蘆名戦の火蓋は切って落とされた。 火蓋は切られたor幕は切って落とされた、ですね。
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