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第8話 この別れに涙は似合いません

「ど、どうして、そんな突然?」


 驚きに戸惑うルヴィオは唇をわずかに震わせながら、せわしなく眼鏡を上げます。

 白雪姫は自身の指を絡ませて、悲しそうに眉を下げると上目遣いでみんなの様子を窺います。


「先生の旅に付いて行こうと思っているの」

「帰って来たのは、別れを言うためだったってこと?」

「……ええ、そう」


 エメラッドに聞かれて、白雪姫は答えます。帰って来た時と似た、それでももう少し戸惑いを含んだ空気が緩やかに床を這っていきます。

 マンダリは彼女の顔を見ないまま、ズボンのポケットに手を入れて尋ねます。


「どこに行くんだ?」

「分からないわ。先生も特別決めているわけではないから。ただ、あの家は長く過ごしたから、違う場所に行くつもりなの。わたしはそれに付いて行って、ここでは知れない世界を見つけに行きたいの」


 カイヤナが白雪姫に近付くと、ハンカチで鼻を拭きながら、反対の手で少女の後れ毛を優しく耳にかけてやります。


「旅はきっと危険なものですよ。野鳥に襲われるくらいでは済まないかもしれません。それでも行くのですか?」


 心配の滲む頬に細い指で触れると、白雪姫は頷きます。


「怖くないの……?」

「怒ったお義母さまの顔の方が、よっぽど怖いもの」


 控えめに聞くサファイに、肩を竦めて見せます。愛らしい笑みを向けられて、サファイは恥ずかしそうに下がりました。

 そんな中で、コツン、と小さな音が弾けました。それはエメラッドがテーブルを拳で叩いた音でした。


「どこへでも行けばいいよ」

「エメラッド兄さん、それは」

「だって姫の人生は姫だけのものなんだから」


 彼なりの励ましの言葉でした。白雪姫はお礼の言葉を返します。


「でも忘れちゃいけないからね。いつだってこの家はここにあるんだから」

「ええ、忘れるはずがないわ」


 少女の声が響きます。それに続いてシトリーが高らかに声を上げました。


「きっとどこに行ってもそこは素敵なところになるだろうね、なんたって白雪姫がいるんだから!」


 戸惑いが祝福へと変わっていきます。外で鳥の鳴き声が、楽しげなハミングを奏でています。

 もちろん、全員が手放しで喜んでいるわけではありません。ですが少女の前途を見送りたいとも思っています。

 よーし、とマンダリが明るく言いました。


「それなら、最後に盛大なディナーと行こうぜ!」


 黙ったままの兄を肘で突いて、


「町で極上の食材を調達してさ。旅に出たらこんな美味いもん食べられないってくらいのやつ、食わしてやろうぜ」


と、元給仕たちの心を奮い立たせます。

 彼はくしゃっと顔を歪ませて笑っていますが、その目尻がぴくりと動くのを、兄弟たちは見逃しませんでした。寂しさを必死に隠して元気に送り出してやろうとしていることに気が付きました。口は悪いですが、優しい心を持っていることを兄弟たちは知っています。

 そしてまだ残りが沢山ある食材を使わず町へ出ようとしているのは、きっと涙を見せないためであることも。


「それならさっさと行こうよ。もたもたしてたら陽が暮れちゃう」

「そうですね。ワタシは久し振りに塩釜焼きでも作りましょうか」

「くしゃみするなよ? んじゃ、俺はスープな。サファイ、メインはなににする?」

「え、うん……鶏の丸焼き……?」

「お祝いに丸焼きって安直。でもいいんじゃない? 僕はサラダでもしようかな」

「ボクは思わず踊り出したくなるようなフライ料理を担当するよ!」

「踊り出したくなるフライってなんだよ。おい、アメジはどうする?」

「ぼくは、特別な飲み物を探してくるよう」

「特別ですか、楽しみですね」


 小人たちが盛り上がる中、いつもなら率先して指揮を執る人物が、未だに口を開きません。


「ルヴィオ、お前はどうするんだ?」


 マンダリに問われると弾かれるように顔を上げましたが、悲しい気持ちを隠すことができず、今にも泣き出しそうに俯いてしまいました。

 白雪姫はそんなルヴィオに駆け寄り、こう言います。


「ルヴィオおじさま、わたしとデザートを作りましょう? 今ある材料でも食べきれないほど作れそうだから」

「白雪姫……」


 少女の気遣いにまた泣いてしまいそうです。ですが、そんなことを望んでいないことは彼女の澄みきった瞳を見れば分かりました。


「それじゃ、姫とルヴィオ以外は町に行くぞ。準備しろ」


 マンダリの掛け声で二人を残して小人たちは動き出します。八人での最後のディナーは、城でのディナーと負けず劣らず豪華なものとなることでしょう。彼らの心は湧き立っています。

 


 六人の小人が足早に出て行くと、白雪姫はルヴィオに話しかけます。


「おじさま、いつも勝手なわたしを許して、根気強く教えてくれてありがとう」

「……いや、私はなにもできなかったよ。君が立派だっただけだ」

「いいえ、だってこの家で初めてこうして抱きしめてくれたのはルヴィオおじさまよ。抱きしめてもらえるのがこんなにも暖かいって、教えてくれたんだもの」


 ルヴィオの小さな体を強く抱きしめて、少女は言いました。どんな難しいことを学ぶより、ひとりぼっちだった白雪姫にとってはそれが一番知るべきことでした。

 その言葉が嬉しくて、ルヴィオも大きくて小さな体を優しく抱きしめました。


「今日のディナーはうんと素敵な時間になるだろう。君のためのディナーだからね」

「あら、昨日までのディナーも最高だったけど」

「あんなものは目じゃないさ、私たちは君だけの最高のシェフなのだから」


 顔を見合わせて二人は笑い合います。


「それなら、最高のシェフにお返しをするためにもとびっきり美味しいデザートを作らなきゃ」

「よしきた。私はまず水を汲んでこよう、裏の美しい湧き水がデザート作りにはぴったりだからね」

「ええ、お願い」


 バケツを持って出て行くルヴィオを見送ると、白雪姫はキッチンでどんなデザートにするか考えます。なにか思い出に残るようなものがいいですが、家にある食材でなにが作れるでしょうか。

 食材がぎゅうぎゅうに詰め込まれた戸棚を開けて中身をひとつずつ出しながら、あれでもないこれでもないと思案します。


「小麦粉……ケーキでは定番すぎるかしら? ああ、フルーツは沢山あるわね、でも……あら?」


 戸棚の奥に、ひっそりと隠すようにして置かれているかごを見つけます。座り込んでいなければ気付かなかったことでしょう。取り出して上にかかっていたビロードの端切れをめくると、五個の美味しそうな林檎が入っていました。


「まあ、なんて美味しそうな林檎。こんなところに押し込んで、特別なものなのかしら?」


 不思議に思いながらも林檎の爽やかな香りを嗅いでいると、懐かしいおぼろげな記憶が蘇ってきます。


「林檎、アップルパイ。だれかがわたしのために作ってくれたような……沢山の人、あれはだれだった?」


 彼女は知りません、城には七人の小さなシェフがいたことを。幼すぎて覚えていないのです。

 そしてアップルパイは彼女の母親の好物であり、今よりもっと幼かった彼女も何度も食べたものでした。


「アップルパイを作りましょ! もしかしたら特別な林檎かもしれないけれど、またいつ帰って来られるか分からないから、最後に怒られたっていいわ」


 白雪姫はその林檎を使うことに決めてしまいました。その林檎は七人の小人の家に届いてからもう半月以上が経っていましたが。驚くことになんの変化もなく、むしろ一層瑞々しい香りを放っています。

 白雪姫もその香りに引き寄せられて、ひとつを手に取ります。


「せっかくだから味見をしてみようかしら、うん、そうしましょ」


 少女の愛らしい赤い唇が開いて林檎に近付きます。恐ろしいことです、その林檎には命を奪う仕掛けがあるかもしれないのです。

 そこに水を汲みに出たルヴィオが戻って来ました。今にも林檎に齧りつこうとしている白雪姫を見つけて、叫びました。


「食べてはだめだ!!」


 がぶり、と鮮やかな音が弾けました。終わりだ、とルヴィオが思った瞬間、白雪姫はたった今口に含んだ林檎をペッと吐き出しました。


「なあに、この美味しくない林檎。あら、これ毒でも入っているみたいだわ」

「だ、だ、大丈夫なのか!?」


 おろおろと心配するしかできないルヴィオを他所に、ちょっとごめんなさい、とバケツの中の水をカップに取ると、口をゆすぎ始めます。


「ふう。ああ、大丈夫よ。先生が毒のあるきのこを食べた時はすぐに吐き出して口をゆすぐように教えてくれたから」

「いや、そ、そうかもしれないが……」

「毒があると舌がちょっと痺れるの。気付いた時に吐き出せば問題ないんですって。でも林檎に毒なんて珍しいこともあるものね。これ全部そうなのかしら」


 そうだとしたらもったいないわ、と次の林檎を手にして、躊躇なくまた一口齧りました。


「ん、これはとっても美味しいわ! こっちはどうかしら、これも!」


 次々に林檎を齧る白雪姫の姿に、夢を見ているような気持ちになるルヴィオ。たったひとつと分かった歯型の付いた毒林檎と逞しい少女の姿を何度も見返しながら、あまりにも呆気ない幕切れに思わず笑いが零れるのでした。


    

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