第2話 届け先が分かりません
どんなに手入れの行き届いている森でも、日が暮れて暗くなるのが他より早いのはどこでも同じことです。
七人の小人の家では、夕食後の夜のひとときを思い思いに過ごしています。
そのうちの一人、テーブルで大きな鳥の羽をくるくると回しているのは、末っ子のアメジです。
「アメジ、どうしたんだい?」
アメジの元に近づいてきたのは、長男のルヴィオです。弟を優しく気遣うように肩に触れると、隣の丸太の椅子に座りました。
「お手紙の続きが書けなくって……」
「どれどれ、たくさん書いているじゃないか」
「昨日のお手紙と同じことを書いちゃったんだよう。これじゃ姫は帰って来ない……」
白い便せんにはたくさんの言葉が書かれていましたが、これでは昨日の手紙と同じになってしまうから、とアメジは頭を悩ませていたようです。
そのことを聞いたルヴィオは、なんと返答したものかと眼鏡を上げました。
「それならいっそ、書くのをやめたらいいんじゃない?」
そう言ったのは四男のエメラッドです。切り捨てるような言葉にルヴィオが厳しい顔を向けます。
「エメラッド、アメジの気持ちを無視したその提案には、愛がないよ」
「でも本当はルヴィオだって、やめたらいいのにって思っているんでしょ?」
「そんなことは」
「部屋の隅に溜まり始めた、送れない手紙を見たら誰だって思うはずだけどね」
エメラッドが示した方には、失敗して丸められた便せんと、しっかり封をされて今まさに届いたかこれから届けようかというところの厚みのある封筒が全部で九通、床に転がっていました。
今日書いている手紙の書きだしには「十日」とありました。小人の家を出たらしい姫という人物へのアメジの手紙はその一通さえ相手に届けられないまま、なぜかこの家に残されているのです。
アメジが真一文字に引いた唇が、ほんの小さく震えています。
「エメラッド兄さん、仕方がないことですよ。だってどこに届けたらいいのか、だれにも分からないんですから」
六男のカイヤナがため息交じりに話に加わります。
「はじめの数日は大変だったじゃないですか。郵便係のコーネーさんに場所が分からないと送れないと断わられているのに毎日呼びつけるものだから、コーネーさんは威嚇し始めるしアメジは泣くし」
「人を困らせるのは恥ずかしいよ……」
「コーネーは人じゃなくてコウノトリだけどね」
指摘されて小さくなる五男のサファイの隣に腰かけたエメラッドは、呆れたようにこう続けました。
「ルヴィオもそうだけど、出て行った人間のことをくよくよ考えるのはよそうよ。そんな時間、馬鹿馬鹿しくて眠っている方が有意義さ」
五人の間に静かな空気が漂います。それは少し冷たくて、自然と体を縮こませます。
自分で出て行ったならいい、とルヴィオが言いました。そうならいいんだ、とさらに続けます。
「あの子――白雪姫はまだ幼い。たとえBig girlだとしてもね。
城を出て初めて見た世界を追いかけただけなら、それでいいんだよ」
「だったら」
「エメラッドは忘れたのかい、あの子が城を追い出されたことを? その理由も?」
忘れてなんていないよ。エメラッドはそこで大きな態度の角を砕いて、抱いたままの枕を撫でます。みんなまた、俯いてしまいました。
その空気を温めたのは、カップから伸びる湯気でした。全員に配られたカップからは甘いミルクと香ばしいナッツの香りが漂います。それを運んできたのは、次男のマンダリです。
「外面はきれいに着飾ったあの城も、その中には醜い猛獣を飼ってるってことだな。鏡に映る自分が大好きで、乱暴な尻尾の長い猛獣が」
優しい香りと軽い冗談に、それぞれの顔が綻びました。ミルクをすする音と吐いた息が交差します。
「あれでこの国の王妃だっていうんだから、民は可哀そうだよな。森に住んでる俺たちには関係ないけど」
「いたいけな少女を捕まえて、美しさで対抗しようとしているなんて馬鹿馬鹿しいよね」
「それで姫を、っていうのはちょっと恥ずかしくてとても怖いね……」
「心の醜さを鏡に見抜かれてるってな。年増の女は末恐ろしいぜ」
大げさに体を震わせてみせるマンダリ。兄弟たちはその姿にくすりとしながらも、一人の少女のことを思い目尻を下げます。
ルヴィオはカップを置くと、腕を組んで難しい顔をしました。
「白雪姫はいい子だ。私たちの賑やかで、ほんの少し寂しい暮らしに花を咲かせてくれた。それが継母である王妃に追いつめられた結果だとしてもね。
だからあの子の足で出て行ったなら、それはいいことだと思う。誰かの手で、願わぬ場所に放り出されているのでさえなければ――」
七人の小人たちの家を出て行ったのは、この国の美しい城の王女で名前を白雪姫と言います。
彼女の母親で今は亡き前王妃が願った通り、降り積もる雪のように白い肌、滴る血のように赤い頬と唇、窓を囲む黒檀の木枠のように黒い髪を持ち、その姿から白雪姫と名付けられた少女です。
白雪姫が生まれたすぐ後、母親は亡くなり、しばらくしてから白雪姫の継母として現王妃がその立場に取って代わりました。
現王妃は自身の美しい容貌を鼻にかけた、とても高慢な女性でした。
するべき王妃としての仕事はすべて召使いに押し付け、自身は自室に籠って自分のための指図をするばかり。大抵は問えばなんでも真実を答える魔法の鏡の前で、「鏡よ鏡、世界で一番美しいのはだあれ?」と問いかけ、毎度自分の名前が呼ばれることに恍惚の表情を浮かべて一日を終えるのでした。
しかし、やがて事は変化します。王妃の大切な魔法の鏡が、いつもの問いに違う答えを出したのです。「それは白雪姫です」と。
何度問いかけても鏡は答えを変えようとはせず、まだほんの子どもである白雪姫を世界で誰よりも美しいと語ります。
そんな屈辱を受けた王妃は、城の中で白雪姫の存在を感じる度に腹の底が沸騰するように怒り狂い、なんとかして白雪姫を亡き者にしようと画策します。
そこで城のお抱え狩人を呼びつけ、白雪姫を自分の見えないところまで連れ出してそこで殺してしまうように、と命令しました。
狩人は幾らかの手付金を受け取ると、さっそく白雪姫の姿を探し始めます。しかし城のどこを探しても白雪姫を見つけることはできません。命令を完遂しなければ多額の報酬金が手に入れられず、王妃からどんな罰が下るか分からないと恐れた狩人は、白雪姫を探して城の外へと出ていきます。
その頃、白雪姫はというとなんと王妃と狩人の秘密のやり取りを聞いており、殺されてはたまらないと城を抜け出すことを決めます。
それで向かおうと決めたのは、森でした。母親が遺してくれたお手製の絵本の中に、森には心優しい小人たちが住んでいるとあるのを覚えていて、この国の森にも小人が住んでいて助けてくれるかもしれない、と考えたのです。
「家で姫さまが眠っているのを見つけた時は驚きましたよ」
「王妃の画策をあんな子どもの口から聞いた時は、さらに驚いたけどな」
「マンダリは相当怒っていたよね」
「なんだエメラッド、やるのか?」
白雪姫は本当に、森の奥で小人を見つけたのでした。
彼らが家を留守にしている間にこの家を見つけた白雪姫は、小人の家に違いないと感じ、安心して力が抜けるとそのまま眠ってしまいました。そうして帰ってきた小人たちと出会うのです。それがもう二月ほど前のことです。
「助ける代わりに家をいつもきれいにしておくように。その約束をあの子は忠実に、愛らしく果たしてきてくれたね」
「約束は壊してはいけないものだ、ってルヴィオが最初に言ってたじゃないか」
「そうさ。その言葉さえ、あの子が小さな頭で考えて理解して、私たちに良くしてくれたんだ。仕事から帰ってきた時、あの子が笑顔とキスで迎えてくれるのを心待ちにして出かけなかった者が、この中にいるかい?」
問いかけられて、そっと頬や額に触れる小人たち。大きくて小さな愛おしい少女からのキスを思い返しているのでしょう。
それまで話に加わっていなかった三男のシトリーも、鼻歌交じりに輪に加わります。
「ボクはその時間が、世界で一番幸福な時間だと毎日感じていたよ!」
各々がその言葉に頷いたり、照れたようにはにかんだり、むしろ寂しそうに唇を噛んだりしました。
その様子に、ルヴィオは静かに言います。
「だから、気にかけないでいられるはずがないだろう? 突然いなくなってもう十日も戻っていないんだ、置き手紙のひとつもなく。
白雪姫がどこにいてもいい、ただ涙を零していなければね」
そうしてから、空気を変えるように元気な声で兄弟たちの背中を叩きます。
「さあ、明日も仕事だ! 白雪姫がいつでも帰って来てパーティーができるよう、稼いでこようじゃないか!」
「ハイホー!」