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歴史とDNA

弥生人とは何か

作者: とびうお君

 これまで新しい情報が入って発展させたものを追記や再度考え直す事で書いてきました。今回のものは1つ中国の難民の歴史です。ただし、これ今までも分かっていたのですが事実として調査したものじゃなくてそういうものがあったと言う話しが残ってるだけです。これを今まで扱いたくなかったのは、難民が何故発生するか?だと後に歴史を残すものが大半の原因だからです。残すわけ無いんですよ。


 ナチスもユダヤ人を虐殺したかったわけじゃなくて、追い出したかったんですよ。でもそれが受け入れられないから、殺す事にしたとなります。似たような事があり、不穏分子を殺してしまうかどっか行ってくれってのが勝った政権の希望となります。調べてみると亡命王族の裏で殺された、辛うじて生き残れた。そして最後に逃げてきたってのあるだけなのが分かりました。逃げてきたから助かったんじゃなくて、様々なケースの中で助かっただけで、こりゃ歴史に残したいわけが無いと分かります。


 じゃあやふやなものも含めて書いてみるかと思いなおしました。戦国の興亡だけじゃなくて、歴史的には怪しげな漢族の南下がかなり大きいです。これは歴史的じゃないが、骨が知らしてくれます。骨によってハプロを推測するのは危険だといいましたが、多分変わっただろうと予想できるのと、それを嫌がった人達は居なかったのか?です。例えば日本の蝦夷です。


 長く日本で勘違いされていて、遺伝子によってやっとすっきりしたのですが、混血によって広がっていったのに、原住民の駆逐ってイメージばかりが先行してしまったため、縄文VS弥生って単純化されてしまったことです。中国の古代政権はどっちかと言えば酷くまざりまくった形です。民族浄化なんて単純なものじゃ無いです。どういう理屈か?分かりませんが、O2系はとにかく増えます。人口こそがO2の武器で民族浄化なんて無いんじゃないか?って思います。


 O2系はとにかく増えます。そして混血します。混血を嫌がったら少数民族化して衰退します。これを民族浄化みたいに捉えて良いのか?と思います。武力よりも農業の方にポイントがあると思います。武力で勝ち取った多数の初期系統がじわじわと人口の増え方でいつのまにかO2に乗っ取られてるイメージです。


 夏は歴史としては居ませんが、夏みたいな集団がいたのはもう事実で良いと思います。おそらく南方系じゃないか?と思います。初期の舜と言う王の子孫がO1B1系です。南方系です。夏は系統が違うので関係ないのですし、皆が黄帝の子孫なのでハプロどおりならO2系がすべてになります。実際違います。多分日本も似てて、史実どおりの民族と、そうじゃなくて、母系で繋がったものや、全く関係ないけど、民族としての統一感を創るためにすべてつなげてしまう事が日本でもあります。それに儒教精神も関わってるかもしれません。無条件の父への敬い。黄帝への尊敬を1つに集中するための偽装です。


 黄帝の子孫ってのが多分正しいのもあれば間違ってるのもあると思います。意図的な偽装と、適当にあれもこれも言ってしまってるんのが混ざっています。所詮神話だから真面目に捉えてもあるのですが、ざっくりと、民族の形成の歴史を擬人化してやってると見ています。初期は実際治水が重要なキーだったんじゃないか?と思います。その系統は長江で活躍したO1B1だったのではないか?そうなると夏は南方系の可能性があります。


 これは、いろいろな人が中国の起源なども南方系じゃないか?など言われています。だから、すぐに今の様に全部入れ替わったと言うのは無いと思います。ただこのハプロは分からないけど、骨の形質から漢民族=O2の南下ってのがまず一番重要な事で発生します。時期は分かっています。骨が変わるからです。あれそっくりじゃん?ってそうです。弥生と縄文と同じ事が起きています。ただ中国が複雑なのは、間にO1B1やO1Aなどの南方系のO系が存在するためです。


 ベトナムがわかりやすいのですが、ベトナムはO2とO1の区別つきにくい形で南下が始まっています。中国は玉突きになります。まずO1系が過去のC系やひょっとしたらチベットと日本の共通したD系の痕跡を消していきます。ここで骨の形質が変わったのか?が分かりません。骨を変える一番の要因は北方モンドロイドの形質で、それは確実に持ってるのはO2系です。


 だからO1系の玉突きは無視して良いんじゃないかな?と思います。現在O2系は南方アジアも侵入しています。ですが、初期はO2系の南下によるたまつきでO1が南下しました。O1B2が北方で生まれたものじゃないとみてるのは、この流れと稲作の伝播に深く関わってるからです。


 南部で米が生まれた可能性はまだ0ではないです。ただ大規模な稲作が生まれたのは長江のみで考えれば良いです。東南アジアの陸稲水筒はすべて中国発です。歴史が浅いんですよ。かりに稲の栽培が南方起源であっても、それをすべて塗り替えています。ただ稲の種自体は、インディカに変わっていくのですけどね。


 何故O1B2は江南から姿を消したか?で私はこの陸稲の担い手としてO1B2が早かったのじゃないか?と見てるからです。東南アジアのどの国もO1B1やO1Aの方が発達しています。中国ほどO2の南下が大規模じゃないのと、後は多分後れてきています。それでO2が中国ほどの圧力を見せていません。


 そのせいもあるのかもしれませんが、O1B2がきちんと南方は残っています。でも私は違う風に見ています。逆にO1B2を駆逐したのはO1B1じゃないか?と見てるんですよ。稲作って点で被るからです。O1Aは国によって偏っていてO1B1が少なければO1Aが多くてO1B2が増える隙を与えません。


 満州は多分O1B1が米と関わってないんですよね。んで見事にこのO1B1が居ない地域の日本と半島だけ増えてるんですよ。O2が稲作をやらないなんて話じゃ無いです。確かベトナムの変化は3500年から4000年ぐらい前だったと思います。必然的に中国での南下はもっと前になると思います。この頃日本の弥生縄文のように突然骨の形質ががらっとかわります。南方系と北方系が混在、混血いろいろな形で現れます。


 日本における弥生の変化が、一番古くて2500~30000年前ぐらいがスタートかと思います。ただし、米だけならもっと早く3000年前とはっきりとしています。中国では4000年から5000年と出ています。


 戦国の難民で語られることが多いのですが、実際は夏3代の時代こそが最大の拡散時期です。だからその時期じゃないか?と見ています。山東省4000年前付近、遼東半島に3500年付近。松菊理遺跡が2500~3000年前ぐらい。日本の菜畑遺跡3000年ほど前です。実際はモット前かもしれません。O1B2は3000年付近に本格的な水稲栽培をもってきたグループじゃない可能性があります。最古の遺跡を陸稲で繋いだグループじゃないか?と見ています。それはタイムラグがあると思っています。


 夏3代の中に東夷に対する斉の征服過程があります。これは農業じゃなくて、狩猟採取民だといえなくも無いです。ですが、稲の広がりってこれに近いんですよ。時系列で見るとすごく違和感があります。


 下手すると神話の時代にすでに広がってるって話しになります。東夷は本当に狩猟採取なのか?そうなると見えてくるのは、この人達どことかに移動する可能性があるなです。それぐらい山東省の最古の稲が見つかった時代って古いんですよ。年代測定の誤差の幅を考えると、神話時代まで突っ込むのでモット古い可能性もあります。


 この人達が移動したってのは噂でもないですけどね。まだ文字が無いですから…。山東省の人が難民化して渤海へ移住したの言うのはもっと後の時代の斉の衰退時期です。斉って滅亡は遅いらしいです。大きく衰退して、小さく残った国が最後に秦に滅ぼされるって事で、一応一番最後まで残る王国になります。公的な事実じゃないです。そういう事があったらしいと文献が残ってるようです。呉越より後なので、弥生時代の中です。


 これ、あまり重要じゃないのですが、弥生時代って古墳時代大和朝廷時代も絡めて断続的に移民が来てるので、初期の頃来た人の稲作を持ってきた人って話しと、大きな集団はどこだったのか?って2つの話しに絞られると思います。でも何故日本人は縄文人より渡来人に近いのか?の答えは実は、たっぷり後から継続的に入ってきたから?じゃないかと思っています。


 初期の頃どう考えても縄文人が多いんですよね。何故こうなってしまったのか?で人口増加が全く違うから血の薄い縄文系が増えてしまったのが大きいと見ています。後は断続的にどんどん入ってきたのが馬鹿にならないと見ています。稲作の起源にとってどうでも良い人が後から入って労働力になっていったんじゃないか?って見ています。だから稲作を持ってきた人と、日本人の遺伝子を変えた人は別かもしれないと思っています。


 これで繋がってくると思うんですよ。難民の話しが。そもそもハプロの割合はほんとどうでも良いです。参考値でしかないです。実際私達は大半漢民族や朝鮮人で出来てると見ています。それがハプロで分かってるだけです。


 例えばO1B2の47zは藤原だと過程して、それで過剰に直系増えてるだけじゃないの?実際は47z以外のO1B2=韓国系の割合と変わらないんじゃ無いか?そうなると中華の割合って馬鹿にならないわけで。D系はおそらく天皇による明らかな過剰です。実際は天皇じゃないのですけどね。おそらく九州縄文のDだけ増えたが真実です。沖縄の系統はあれ九州南部人だと見ています。歴史的にも九州の南部から移住したのが残っています。


 かなり下位のハプロまでチェックし無いと、近代の歴史的な血統については述べられないです。


 私はモンゴル系の稲作と全く関係ないグループが日本に来てると見てるんですよ。騎馬民族征服説?それは無いです。ただ騎馬戦闘をそのまま持ち込んで日本に来たわけじゃないって話です。私はやっぱり天皇家は縄文で間違いないが、文化的にはそれに汚染されてると見ています。悪い言い方で汚染なんていいましたが、政権をとるのにそういった文化を利用したと見ています。


 稲作ばかりで話し合われる渡来って単純だと思っています。日本での伝播を混血縄文がやってのけたので、集団としてそれは少数で良いんですよ。O1B2ってハプロの割合の高さに本質を見失ってる気がします。金属文化だってありますし。馬が居ない騎馬民族に何の意味があるのか?私は支配者原理ってやつじゃないか?と見ています。本格的に騎馬民族的性質が強くなるのは、明確に馬の輸入が始まってからです。でも天皇政権は最初からその集団の核となりうる何かを持った集団だと見ています。


 例えば実力が拮抗してる中で強さってどこにあるか?と言えばやったものガチなんですよ。天皇に対してすべての人が後手に回ってて、結局天皇の強さってそれなりの権威と気合なんですよね。天皇多分一度ボロ負けしています。ただ神武天皇をそのまま信じるわけにはいかなくて、神話的に幻術の類の話しは、ボロ負けしたのを比喩として書いてるんだろうなと。最終的に勝つのは強い支配の意思だと見ています。これを後に、馬も揃えて様々な軍備を整えて本当の実力にしてきます。


 東湖、扶余、この辺りが候補になります。C系やN系の土台の狩猟採取のツングースじゃないと思います。それも多分入ってきています。そもそもそれが、日本語のツングース的な部分だと思います。


 水田稲作と渡来人をすべて同一視して考えてはいけないって思っています。すべての人達が縄文人の様に労働力として稲作に関わったのと、先端の水田稲作技術をもってきた渡来人は分けるべきです。そして稲作労働者、他の仕事の技術集団、こっちの方が多いんじゃないの?って見ています。なら起源なんて分かるわけ無いだろ?って話しになります。雑多な難民で良いわけですから。これで今回の主題と繋がるわけです。思ったより弥生初期後の難民の話が多いので、その人達は取りあえずまとめて雑多に扱ったほう良いとおもっています。


 稲作以外で大事なのは天皇だけだと思っています。その候補として馬を持ってこなかった騎馬民族だと思っています。後から馬を輸入して戦力としたのは有用性を知ってるからです。天皇が本当に強くなるのは、様々なものを揃えて国力としたからです。当時の日本本当に強いですよ。すべてを半島から学んだのに半島より強い。これは先進性で戦いが決まるわけじゃないからです。日本はずっと半島は文化的に進んでると認めています。組織の強さも絡めた圧倒的な国力の高さからです。


 その明確な指針を与えたのが騎馬民族だと見ています。始皇帝に似ていますね。神武天皇は知りませんが、王が戦う必要は無いわけです。でも強国としての国つくりを間違えなかったのは始皇帝なんですよ。そしてそれは天皇本人が騎馬民族である必要が無い。それどころか始皇帝は外から来たブレーンによって強国つくりを進めています。それは民族によるものだったか?違うでしょ?これが天皇が縄文系であっても渡来文化に染まっていてもおかしくない点です。


 おそろしく強い権力志向多分これです。後はこれに指針を与えてやれば良いだけです。それが騎馬民族だったと見ています。今の天皇性が邪魔してるんじゃないかな?と思います。信長や始皇帝にむしろ似ています。統一したすら止まらない何か?を天皇家だけが持っていたと感じます。他の王様ってなんかその点ばらばらだった地域をまとめるようなものが弱いんじゃ無いですかね。


 ただかなりすっきりとした統一への意思はもっと後の時代ですけどね。これに大陸への拡大思考まで入ってきますからね。日本って考えが無いので、半島も地域的な広がりでしか無いです。むしろ半島の方が美味しいので、東より狙うでしょ。


 さて、ここからは、今までの反省見たいのになります。私はO1B2が水田稲作を持ってきたを否定し来ました。だが、山東省に人の動きがあった可能性を考えると、それで良いのか?とも思います。満州ルートは全く変わりません。ただし、満州から半島へってのは逆でも良いです。大事なのは遼東半島から半島に広がったドルメンと無紋土器の流れがO1B2の流れだと見てるからです。


 そこで、このO1B2って日本で多い47zではない可能性です。これなんですよ。日本から半島にO1B2は広がったって話しがネットでは多いです。韓国人の親は日本人って話です。中国からするといつも祖父は中国だから笑ってみてられるわけです。でも韓国人はものすごく嫌います。これね感情論だけじゃなくてね、韓国の系統って別系統の可能性があるんですよ。


 日本から広がったのが間違いなのは、O1B2の親系統が圧倒的に半島の方が高い割合で出るし、かつ満州にまである事です。当然元は江南ですが、取りあえず東北部は遼東が起源で間違いないと思っています。問題は日本に多い47z(これ古い呼び名ですが長いのでこっち使っています)もここから広がったの?です。


 中国の学者が唱えた説があって、詳しくはしりません。一旦南に行って海ルートで着たんじゃないの?って説です。詳しくしらないのでその海ルートが分からんです。昔から、沖縄ルートってのが言われていて、その流れなのか?またはちょっとずつ海岸沿いに北上したのか?または一気にベトナムあたりから半島、日本に着たのか?などなどです。


 この説とは違って、海から来たから発展の歴史が違うんだって説に繋がるんですよ。祖父と子が陸ルートで上がって行ったか?または、海ルートで別れて、祖父と子だけ渤海湾に行ってしまったか?です。親の47zだけ日本に直接来たか?です。


 これがベトナムだと信憑性が薄いのですが、山東省からなら中々信憑性があります。山東省から船にのって、遼東半島に付くケース。これが広い意味の渤海ルートです。次に半島西海岸に付くケース。最後に南東部につくケースです。47zだけこれで日本に来てしまったんですよ。


 これだとかなり年代が遅くなるので、直接稲作を持ってきた可能性があります。この学者の説は南部に一旦行くルートです。でも私はそれちょっと現実的じゃないと思っています。でもポイントは、何故47zとそれ以外は全く違う地域で増えたのか?の謎が解けます。サブグループについてはあまり突っ込んでやってきませんでした。以前ちらっと触れましたが、集大成としてもっとがっつり書いておかないといけないと思いました。


 沖縄ルートならまさに、これこそ陸稲を互いに運んだハプログループとなります。沖縄に水稲栽培の遺跡が全く無いので、このルートなら陸稲だと佐藤教授も述べています。日本の縄文時代に来た陸稲の謎が解けます。ついでに、何故47zが日本だけで発展したのか?の謎も解けます。ただ証拠が無さ過ぎる。以前書いた南琉球の高いO1B2の数値だけが根拠になります。最調査次第だと思っています。渤海ルートで陸稲を運んだ、非47zのO1B2の半島グループと2つに分かれるわけです。


 新しい情報で日本から朝鮮に伝わったのと、渤海で生まれたは絶対に無いって点で、雲南省で見つかったデータでたのと、新しく、おじさん系統ってのが見つかった点です。祖父と子が半島には多い。ですが、日本の兄弟であるおじさんも見つかりました。もうこれ日本から広がったはありえないです。


 すべての系統が揃ってるので、半島から全部広がったが、一番まともな発想ですが、極端に日本が多い。だから藤原による過剰のせいか?これも藤原が確定的じゃないのでまだ分かりませんし、仮にハプロが決定しても藤原のせいと断定できないのもあります。別個で増えたのんじゃないか?ってのは感じます。それは奇妙と言えば奇妙です。


 だから日本のグループだけ別れて、全く関わらない時期に増えた可能性があるわけです。


 調べてみたのですが、これは藤原家に特化してると思います。上の中臣家時代のハプロが日本に来た当時のものだと思います。そこから1つ進化して、分岐年代からO1b2a1aこれがO1b2a1a1これになったのが藤原家のハプロだと思います。中臣家はそこまでじゃないです。やっぱ藤原家の隆盛とは比べ物になりません。それだけ異常な繁栄だったんですから。


 47zは藤原ハプロだと言えるかもしれません。そうだとすると、これは実際の遺伝子より直系ゆえに過剰に出てる可能性がかなり高いです。日本人の30%が藤原遺伝子成分を持ってるわけじゃないです。日本人の中で直系が増えただけです。日本人に遺伝的に与えた影響は大したことが無い可能性が高いです。


 本当にミトコンドリアDNAの方が民族の遺伝的な距離は分かると思いますよ。日本、朝鮮、中国は似たような人種だと思います。下らない嫌韓、嫌華から真実から目を背けるの止めた方が良いと思いますよ。


 47zが藤原だというのは非情に薄いーー根拠からなのでなんともいえませんが、私はかなり確信があります。O1B2のすべてのハプロが半島から入ってきた後、平安時代以降に47zだけが増えたんじゃないの?そういうすごいつまらない話かもしれません。


O1b2日本人856/2676=31.99%

・O1b2a→日本人613/2653=23.11%

・・O1b2a1→日本人584/2653=22.01%

・・・O1b2a1a→日本人584/2653=22.01%

・・・・O1b2a1a1→日本人584/2653=22.01%


 あんまり数字出さないのですが、こういうのってずれるでしょ?あれがいやだからです。後ソースがうさんくさいのとね。個人のHPからです。


 うーん、藤原のハプロはもっと前かもしれませんね。難しい。分岐年代ってのがってどう捉えれば良いのか…。


 多少見方みづらいですが、O1b2a1、これが最大のパーセントだと思えば良いです。うーん、どうでしょう?私はこれが藤原ハプロだと思いますね。分岐年代からってのあるのですが、分岐年代古すぎるって批判はあります。これは藤原系なら過剰ハプロだと見て良いですね。全体的に西に多いのに東北だけ偏って多い。奥州藤原氏のせいです。


 だから数字のせるの嫌なんですよ。私詳しいから分かるから。これね分岐がきちんとされたでーたじゃない可能性があります。その場合下位ハプロほど雑な数値になります。いくらなんでも2000取ったデータでこれは無いでしょ…。


 O1b2aこれ以下の下位系統をきちんと調べられなかったって事かもしれません。古いデータでは良くあることです。何の参考にもならなかった気がしますね…。

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