二章(2)
「ふう、間に合ってよかったね」
電車に乗り込むと、小夜子はさっそく座席に座ってくつろぐ。
ギリギリに乗ることになったのは、小夜子のせいなのに。
「先輩がもっと余裕を持って来ればよかったんですが」
嫌味を込めて言うが、小夜子には全く通じない。鞄から出した下敷きで顔を扇いでいる。
「いやー、洋服選んでたら時間かかっちゃって」
そう言いながら、あざとく小首を傾げる。それをすれば大抵のことは許されてきたのだろうことが伺える。
「それ選んだんですか」
照れながら言う小夜子に、少し呆れる。
小夜子は制服を着ていた。全くいつもの恰好で、少し残念だ。
小夜子はバツが悪くなったのか、少し顔を赤らめる。
「選んだ結果これが一番落ち着くってことになったの!」
「落ち着くって……」
しかし、たしかに自分もそれなりの格好をすればよかったかもしれない。
伊織は本当に普段着で来てしまって、少し後悔した。
お見舞い、というのはどんな格好をするのがよいのだろう。
「にしてもすいてますね」
車内を見渡しす。ほとんど人がいない。三両編成の真ん中のこの車両には、伊織と小夜子しかいなかった。
ほかの車両には、一人二人、人影がある。
「鈍行だから一時間以上かかるかもね」
窓から流れる景色を眺めがら小夜子がのんびりと言う。
「これしかないからしょうがないですけど」
電車はあまりない。田舎だから仕方がないと、諦めたのはいつからだろう。
一時間ほど電車に揺られると、目的の駅についたのか、小夜子に合図をされる。
電車を降りると、それなりに栄えている都市についた。栄えている、といっても駅前に居酒屋が少しある程度だ。
「どこにあるかわかるんですか?」
不安になって訊ねる。今日も待ち合わせ時間ギリギリに来たし、色々と心配になる。
「うーん、だいたいは聞いてきたから、あとは勘でいく!」
「勘って……」
不安を覚えたが、ついていくしかない
数分間歩くと、大きな病院が見えてきた。きっとここなのだろう。
「あ、ほらついた。私ってば天才」
そういって小夜子は、意気揚々と病院に入る。
受付につくと、小夜子は受付のお姉さんとなにいやら話し込んでいた。
「すいません、友達のお見舞いに来たんですけど」
書類を書きながら、世間話をしている。こういうとき、小夜子はすごいと思う。どんな人とも打ち解けるのが早い。
「同じクラスなんですよー。電車賃がかかるから、今日初めてきたんですけど」
続けて雑談をしている。
少し離れたところで待っていると、小夜子は受付から離れ、こちらにやってきた。
「306だって、行こ」
「あ、はい」
いそいそと小夜子についていく。
エレベーターを使い、三階に辿り着く。
「あれ、どこかな」
六人部屋の部屋がいくつか並んでいて、どこにあるのか少し迷う。部屋の前に名前のプレートが書いてあるからすぐわかるだろう。
「あれ? 空蝉さん」
伊織が目を凝らして名前を確認していると、誰かが小夜子に話しかけた。
「おお、夏実、久しぶり」
この人が夏実さん、なのだろう。普通にかっこいい感じの人だ。すらりとしていて、雰囲気が爽やかだ。
私服であろう服は、よくわからない文字が入っていて、少しダサい。
長い間入院していたとは思えないほど元気そうだ。
「どうも、でも、どうして?」
夏実は不思議そうに小夜子を見る。たしかに、こんな遠くまでそんなに親しくもないのにやってきたのだ。不思議に思うのも当然だろう。
「あーえっと、ちょっと大丈夫かなーって、心配で」
口から出まかせをよく言う。そうは思ったが、黙っていた。
夏実に促され、廊下の端にある休憩室のような場所に移動した。長椅子がいくつかおいてある。
「そう、ありがとう。そちらは?」
小夜子に礼を言いながら、伊織のほうを見る。
「あ、僕は糸杉伊織です、はじめまして」
小さくお辞儀をする。
「和泉の後輩。生徒会なの、一年だけど」
小夜子が紹介してくれる。夏実は会釈をして、にっこりと笑った。
「そう、よろしく。和泉は、元気?」
「相変わらずイヤミなやつ」
簡単に受け答えをする小夜子のほうを見ると、余計な口を挟むな、と目配せをしていた。
ここは黙っていたほうが得策だろう。
夏実はそんな二人の様子に気づくことなく、話しはじめた。
「そっか。俺も、もうすぐ退院できるみたいだし。学校にも行けるよ」
そう言いながらも、小夜子のほうをガン見している。小夜子は美人だから仕方ないのかもしれない。
「で、なんでこんなに長い間入院してたの?」
小夜子は夏実の視線をしっかりと受け止めて、真剣な眼差しで返す。
「あー、なんか最初は集中治療室にいたりしたしね」
夏実はそう答えて、小夜子から視線を外し、少し遠くを見た。なにか隠しているのか、はっきりしない物言いだ。
「ふーん。噂によるとこの病院、人肉がご飯に出るって聞いたけどまじ?」
「どこから聞いたんだよそれ。空蝉さんすごいね、なんでも知ってて」
くすくすと笑いながら夏実は小夜子の話を聞く。
変な話を挟む作戦なのだろうか。
「やっぱあるんだ?」
「いや、ちょっと前に人肉食べると病気が治るって噂になって、それに尾ひれがついただけだよ。普通にごはんおいしいよ」
夏実は普通に答える。
夏実の様子からして、そのような噂があったことは本当のようだ。小夜子は本当になんでもよく知っている、と改めて感心した。
「そ、つまんないの」
小夜子は、ふう、と息を吐きながら呟いた。
夏実はそんな小夜子の様子を見ながら、言葉を続ける。
「それに、入院が長引いてるのは、検査もあるし、警察にも色々聞かれちゃって……参ったよ」
疲れたように笑う。けれどもそんな様子に同情もせず、小夜子は淡々と訊ねる。
「誰かにやられたの?」
何度も訊かれているだろう質問。しかし小夜子の話の繋げ方がうまいせいか、夏実もつい答えてしまう。
「どうだろ、俺結構抜けてるとこあるから、うっかり落ちたのかな」
へらへらと笑って見せるが、なにかあるのかもしれない。
「てかさ、和泉は見舞い来てないの?」
そうだ。幼馴染で仲がよかったなら、頻繁に面会に来ていてもおかしくはない。
「あー、そうだね。あいつも忙しいと思うし、受験生だろ、俺たち。空蝉さんは勉強してる?」
和泉の話題は避けたいのだろうか。話題をそらしてくる。
小夜子は一瞬こちらを見て、さらに夏実に訊ねる。
「あーぼちぼちね、てかさ、和泉となんかあったの?」
小夜子が訊ねると、夏実は不思議そうな顔をして彼女を見た。
「え、なんで? 学校でなんかあった?」
変なところで勘が鋭い。あまり今の段階で勘づかれるのは避けたい。
「いや、特になんにもないけど」
すぐに小夜子は返答したが、夏実は何かを察したようだ。
「あんなこともあったしさ、和泉がなんか言われてるかなって思ったんだけど……」
「和泉はそんなこと気にするタマじゃないよ」
小夜子が答えると、夏実は小さく笑った。
「まぁそうなんだけど、わりと繊細なとこもあるからあいつ」
さすが幼馴染というべきか、和泉のことを知っているような口を聞く。もっとも、伊織や小夜子よりは知っているのだろうけれど。
「へぇ、繊細ねぇ」
小夜子は鼻で笑って見せたが、夏実は気にしていないようだ。
「ところで糸杉君は一年生なのに生徒会に入ったの? それってやっぱり推薦?」
突然こちらへ話を振ってくる。夏実にもなにか考えがあるのだろうか。
「あ、えっと。そうです」
「糸杉って、山の方の大きい家だよね」
あまり家のことを言われるのは好きではないが、社交辞令なのがわかるので、軽く流す。
「そうですね、なんか勝手に押し付けられてしまって」
「そっか、頑張ってね」
にっこりと笑う。笑うと、本当にかっこいいのが分かる。鼻梁が通っていて、目も鋭い。モテるタイプなのだろう。
「ごめん、ちょっと飲み物買ってきてくれる?」
小夜子のほうを見て夏実はそんなことを言う。
「あ、じゃあ僕が……」
伊織が言いかけるが、夏実は小夜子のほうを見たまま言葉を続ける。
「空蝉さん、行ってきて欲しいな、ちょっとわかりづらいところにあるから。一回の売店の隣の階段の近くにある自販機なんだけど――」
「えー、めんどくさいー」
ここにきてあざとい声を出す。唇を尖らせて、夏実のほうを見る。
「お釣りいらないから」
そんな小夜子に、夏実は千円札を渡す。
「マジで? じゃあちょっと行ってくるわ」
目の色が変わる、とはこのことを言うのだろう。サッと素早く夏実の手から千円札を受け取ると、すぐに立ち上がった。
「俺コンポタね」
「はーい」
一気に態度を変えた小夜子はそう言って、退席した。
伊織と夏実で二人きりになる。
「で?」
「え、と?」
なんだろう、この人の思うつぼな状況になった気がする。小夜子は夏実のことをああいっていたが、実はすごく策士なのではないだろうか。
「学校でなにかあったんだよね?」
断定的な言い方に、目が泳ぐ。
「あー、えっと、……まぁ」
どうしよう。ぺらぺらなんでもこの人に喋るわけにはいかない。そんなことをすれば、あとで小夜子になんて言われるかわかったものではないのだ。
「俺の怪我と関係あるの? まぁあるんだろうけど。ついでに和泉も」
「関係は、まだ調査中としか……」
なんとか曖昧に濁す。
「そっか」
夏実は、伊織の態度でなにかを察したのか、黙りこんでしまった。
なにか聞いても良いのだろうか。気になっていることを聞いてみることにした。
「あの、本当に事故なんですか?」
「だからわからないって。よく覚えてないし、見てないと思うし」
本当に言わない。この調子だと、警察にもきっとなにも言っていないのだろう。
「あの、後頭部を打ったって、聞いてますけど」
思い切ってそう言ってみる。夏実は一瞬驚いた顔でこちらをみたが、すぐに軽く笑った。
「そんなことまで知ってるんだ。すごいな、空蝉さん」
乾いた笑いをしながらも、そこはかたくなに言わない。
「あの、竹本先輩が――」
言おうとするとそのとき、
「たっだいまー」
小夜子が戻ってきた。すぐに口をつぐむ。
「はい、コンポタ」
「どうも」
夏実は小夜子から缶を受け取ると、プルタブを開ける。
「あの、僕のは?」
小夜子を見上げると、当然のような口調で返答が返ってきた。
「そんなのないよ、私の収入が減るじゃん」
「そんな……」
ちょっと酷くはないか。こちらとしても少し喉が渇いた。
「そんなに言うなら私のちょっとあげるよ」
小夜子がそう言いながら、すでに口をつけている桃のジュースをこちらに向けてきた。飲みかけをもらうわけにはいかない。
「いや、それはいいです」
断ると、小夜子は簡単に引き下がった。断るのを見越して勧めてきたのだろう。
「そう。で、何話してたの?」
「空蝉さんの情報力がすごいねって話」
「へぇ……」
そう答えながらも、何か疑っているようだ。しかし時計を見て、時間を気にする。
「あ、電車の時間だから帰るわ」
「うん、じゃあね」
「では」
めいめい挨拶をして、手を軽く振る。
「今日はありがとう」
「はーい、じゃー」
小夜子がひらひらと手を振って、「じゃあねー」なんて、軽く言う。
「あ、そうだ。最後に一つ」
「ん?」
夏実の言葉に、小夜子の表情が曇る。
「竹本君、なにがあったのかは知らないけど、彼は俺のこととは関係ないよ」
「ふーん」
小夜子がこちらを見る。
しまった、どうごまかそう。夏実も、余計なことを言ってくれる。
「じゃあね」
帰り道、来た道を帰りながら問い詰めてきた。
「どこまで話したの?」
怒ってるような口調で、少し怖い。
たしかに、あのタイミングで小夜子が帰ってきてなければ喋ってしまっていたかもしれない。というか、きっと喋っていただろう。
「いえ、竹本さんの名前だけ出しただけで、他にはなにも」
そう答えるが、小夜子の疑う目つきに弁解をする。
「本当ですよ!」
こればかりは信じてもらうしかない。
「まぁそういうことにしとく」
小夜子は納得していない様子だったが、なんとか見逃してもらえた。
「にしても竹本は無関係か」
夏実の言葉を信用するとするとそうなる。
「らしいですね。嘘、とも思えないですし」
嘘をついている様子ではなかった。でもなにか、引っかかる。
「でも、なにか隠してるっぽくなかった?」
「たぶん、犯人は知ってますよね」
たぶん、ではあるが、確信はない。けれどなにか知っているのは明白だった。
「竹本ではない、けどたぶん知られたくないってことだよね。知り合いかな?」
「さぁ……」
そのあたりは憶測の域を出ない。今考えても無駄だろう。
「和泉もお見舞い来てないっていうのが意外だったな。お金ないのかな」
小夜子がそんな軽口を叩く。
たぶんお金の問題ではないと思うが黙っていよう。
「でも一回も来てないっていうのは変ですよね」
「あいつも一枚噛んでるのかな?」
そう言いながら少し考える様子を見せる。
「やっぱり、~もしも見境ないゲイだったら作戦~する?」
「だから嫌ですってば」
断ると、小夜子は残念そうな顔を見せたが、すぐに戻った。
「まぁいいや、なにか方法を考えるよ」
改札を通ると、電車がちょうどやってきた。