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一章(2)

「ふう……」

 昨日は小夜子を無事家の近くまで送り届け、自分もすぐに帰宅することができた。

 帰ってすぐにどっと疲れ、夕飯もあまり食べられなかった。

 今日の朝食はなんとか完食し、学校へ向かう。

 学校について、まず目に飛び込んできたのは黒山の人だかりだった。

 二年生の下駄箱は旧校舎にあるから、そんなに混まないはずなのに、全校生徒が下駄箱に押し寄せている勢いだ。

 ふ、とさっき通ってきた道を見る。グラウンドで猫が死んでるのは昨日のままだった。しかし朝になり、明るくなったおかげで思ったより血が飛び散っていたことがわかった。

 とにかく教室へ行かなくては。

 下駄箱を突破しようと、人だかりの中を通る。靴を変えようとするところで、異変に気がついた。人だかりの視線の先は、昨日まではただの壁だった場所だ。向けた視線が外せなくなる。

 ――血文字があった。

 文字は滴って床まで伸びている。どす黒い文字は、血で書かれたものであることは一目瞭然だった。

 『当然の報い』と書かれたそれに、もう全員が釘付けだ。

「これって……」

 ただ声が漏れた。かすれたそれは、人混みに消えてゆく。

 不意にうしろから肩を叩かれた。振り返ると、小夜子が神妙な表情で立っていた。昨日のこともあり、不安が高まる。

「あの、先輩、これって――」

 そう言いかけて、言葉は遮られる。

「黙ってたほうがいいよ」

 それだけ言って小夜子は壁に目を向ける。

 写真部はフラッシュを焚き、マスコミ部は早速インタビューを始めている

 第一発見者の生徒はもちろん、昨日担当だった放送部の見上、最後まで残っていたと思われる和泉は囲まれていた。

 竹本の姿は見えず、下駄箱を確認したが、まだ登校していないようだ。どうやら小夜子も同じことを思ったらしく、同じく三年生の下駄箱を確認していた。

「ねぇ、君、生徒会の糸杉君だよね」

 一人の生徒が近づいてきて、伊織に訊ねる。どうやら昨日残っていたと思われる生徒全員に話を聞いているようだ。

 会議をする日だった生徒会はもちろん、試合の近い運動部の連中も話を聞かれている。

 なんと答えるべきか、ふと小夜子のほうを横目で見ると、無言で首を振っている。昨日のことはまだ、話さないほうが賢明だということだろうか。

「あの、僕はすぐに帰ったのでよくわからないです」

 そう答えるやいなや、小夜子に腕を掴まれる。引かれるがままに人ごみを離れると、グラウンドまで戻ってきた。

「ねぇ、気づいた?」

 声を低くして小夜子が囁く。視線を地面に落とすと、ちょうど自分たちの立っている場所が、猫の死んでいる場所の近くだということに気がついた。

「なにがですか?」

 そう聞き返すと、小夜子はいいにくそうに視線を落とした。そして、聞こえるか聞こえないかの声で呟く。

「血の跡」

「え?」

 聞き間違いだろうか、声が小さすぎてよくわからなかった。それに、頭が言葉を受け入れることを拒否している。

「旧校舎のほうに向かってた」

 ただそう言って、指を差す。ここからは死角になっている旧校舎のほうへ向かっているようだが、遠くまで続いているので、目で追いきることができない。

 マスコミ部や、他の生徒も気づかないほどのものだ。よく気づいたと思う。

「先輩視力いいですよね」

 感心して言うが、小夜子の表情は晴れないままだった。ただ表情を曇らせたまま、一言だけ発する。

「行こう」

 そう言って歩き出す。血の跡を辿って、どんどん旧校舎の、校舎の西側へと入っていく。朝というのに、光が当たらずに暗い雰囲気だ。

 二年生になったらこちら側の教室になることを考えて、少し憂鬱になる。でも夏は、日陰になって涼しい。かえって居心地の良い場所なのかもしれない。

「この血、猫のだったらいいね」

 そんな呑気なことを考えていると、小夜子は神妙な声で言った。猫のではない、ということが有り得るのだろうか? 普通に考えれば、猫のものだろうに。しかし、裏を返せば小夜子は、恐ろしい結果も視野に入れているということなのだろう。

「え? なんでですか」

 旧校舎に入る。上履きがないので、靴を脱ぎ、靴下の状態で中に入った。

「竹本まだ来てないじゃん、この時間に来てないってあいつにしては変だし――」

 そこまで言って、言葉を止めた。

 血の跡は、二階の、ある踊り場で途切れていた。二階は二年生の教室がいくつかあるが、ここは昇降口から遠いので、あまり利用されていない階段だ。

「ここって……」

 小夜子の言葉が止まる。

 なんだか深刻そうな雰囲気だ。床をいつまでも見つめている。

「あの、ここ、なにかあるんですか?」

 この場所はなにか特別な場所なのだろうか? そうでないと、小夜子の反応の説明がつかない。

 心当たりも、見当もつかなかったので、素直に小夜子に疑問をぶつけた。

 伊織の言葉に小夜子は、一瞬躊躇った様子を見せたが、ゆっくりと口を開いた。

 こちらをまっすぐに見て、真剣な眼差しを向ける。

「あのね、カンニング事件のこと、昨日言ったでしょ」

 身長はほんの少しだけ小夜子のほうが高いので、見下ろされる形になる。

 真剣な目が、すぐ近くにあることに戸惑ってしまう。いつもの小夜子からは考えられないほど静かだ。それほど重大なことなのだろう。

 伊織はただ一言返事をした。

「はい」

 小夜子は静かに言葉を続ける。あまり言いたくなさそうではあったが、それでもはっきりと口を動かす。

「あの事件で疑われたのは、和泉の親友だったの。幼馴染っていってたかな。そのへんは、よくわかんないけど……」

 声がだんだん小さくなる。言いにくいことのようで、一旦言葉を切った。

「へぇ」

 相槌を打って、続きを促す。

 小夜子は意を決すると、早口に、ぼそぼそ呟いた。

「夏実っていうんだけど、今はいないの」

 目を伏せて言う。

 なんだか重大な話の予感がする。

「え?」

 思わず聞き返す。そんな人物の話は、そういえば話に聞かない。和泉の親友というくらいなのに、誰も話題にせず、姿も見たことはない。自分だってその名を聞いたのは初めてだ。

 よくよく考えたら猫がグラウンドにいるのに、血の跡だけ旧校舎に続いているというのも不自然である気がした。猫を移動させたというわけではないのだ。

 そう考えると、背筋が冷たくなる。

「それって、どういう……?」

 まさか、死ん――。

「今は入院してるみたい」

 あっさりと小夜子は答える。

 よかった。どうやら物騒な話ではなさそうだ。

「入院、ですか」

 少し安心する。しかし、だとしたら、この場所とどういう関係があるのだろう。

 伊織が首を傾げていると、小夜子はそれに答えるように言葉を続けた。

「階段から落ちたって、頭を打って……足の骨が折れたって聞いたかな。その場所がここ」

 そう言って床のを指差す。

「ええ!?」

 驚いて息が詰まる。つまりここは、いわく付きの場所ということではないか。

「ここって見晴らしいいでしょ。間違って転落って、あんまり考えられないんだよね。それに、放課後一人で帰ったときに落ちたって」

 思わず息を呑む。なぜ彼が、先輩たちの会話ですら話題に上らないのかわかった気がした。

「つまり、誰かに突き落とされたんじゃないかっていう話」

 そういった噂になるのが普通だろう。小夜子は憶測の域を出ない話し方だ。誰がやったのか、当時はさぞ疑心暗鬼になっていただろう。

「その、夏実さんって……」

 今はどうしているのだろう。入院といっても、この辺では設備の整った病院が少ない。

「たしか隣の市の、大きい病院にいるって。警察にも事情聴取されたらしいけど、頭打ったせいか、よく覚えてないって。それに後ろから押されたから覚えてないって言ってるらしいの。でも、」

 小夜子はそこで一度言葉を切った。周囲に人がいなことを確認すると、小さく続けた。

「でも背中から落ちてるって。後頭部をかなり打ったらしいよ」

 つまりは矛盾しているわけだ。警察に言えない事情がなにかあるのかはわからないが、直接聞いてみればなにか道が開けるかもしれない。

「あの、病院の名前はわかるんですか?」

 隣の市はそこそこ広い。病院の場所や名前がわからないと、直接見舞いに行くことすら叶わない。

「珍しく話早いじゃん。そこらへんはバッチリ調べてあるよ。でもね……」

 小夜子は元気に声の大きさを戻した。笑顔も戻り、心なしか少し楽しげだ。

「でも?」

 なにか不都合でもあるのだろうか。面会謝絶とか、そういうことなら仕方ないが……。

「電車代がない」

 そう言って、にっこりと笑う。

 なんだか、嫌な予感がした。

「お金ですか」

 それに関しては、少し頭が痛い。小さくため息をつく。

「そうだよ。知ってると思うけど、うち大家族で貧乏だからね」

 目を逸らしながら答える小夜子。昨日は家の近くまで送ったが、家は見ていない。そんなに貧乏という話も聞いたことがなかったし、驚きだ。

「え、そうなんですか?」

 つい、そう確かめてしまう。本当にそんな風には全く見えない。

「あんまり言いたくないけど、わりと知られてるのよね」

 肩をすくめて見せ、言葉を続ける。

「まぁ私くらい美少女だったら、将来玉の輿も確実だからいいけど」

 冗談だろうか。昨日の会話のこともあり、全くの冗談とも取れない。小夜子ほどのルックスで、美少女というのは逆に真実味があり、笑い飛ばせないものがあった。

「何言ってるんですか先輩」

 ふう、と息を吐いてさらりと流す。

「とにかく、未来の旦那も大事だけど、目先の好奇心とお金が必要で、そのためには電車賃がどうしても必要なの!」

 ぐっと拳を握る。これは本当に嫌な予感だ。

「あのう、僕にどうしろと」

 そう言われても困ってしまう。一介の中学生の伊織にはできることは限られる。

「キミのうち、お金持ちだよね」

 嫌な予感は的中したようだ。困って、眉根を寄せる。

「あのですね。家がお金持ちでも、僕が自由に使えるお金っていうのは限度がありまして……」

 同級生と比べても、小遣いは多いとは言えない。それに、今月は買いたい本の発売日もある。

「何回かご飯抜くくらいいいでしょ。そもそも私の推理を実証しないと、売れるものも売れないの!」

 やはりこの情報を売る気でいたようだ。

 ご飯を抜くという発想がでてくるあたり、少し心配だ。

 声を荒らげる小夜子に、とりあえず疑問をぶつける。

「ちなみに推理ってなんですか?」

 夏実という人物の事件と、今回の猫の血は、どう関係しているのだろう。

「そりゃ、三人の間で何かあったって思ってるよ。『血で血を洗う激闘!』みたいな。まぁこういうのはマスコミ部が考えるんだけどね」

 小夜子はあまりセンスはないようだ。そしてキャッチコピーを考えるのは、マスコミ部の仕事らしい。

 それにはあえて突っ込まず、黙って続きを聞く。

「つまり、竹本が夏実を突き落として、それを知った和泉が竹本を刺したんだよ」

 刺した、なんて物騒だ。けれどこの血痕が猫のものでない可能性は大いにあり、小夜子の推理もあながち間違いとは言いきれない。

「で、竹本さんをここに運んだと」

 たしかにそれなら、竹本がまだ登校していない理由も説明がつく。

「そう!」

 小夜子は指を鳴らして答えた。

 しかし――。

「でも何もありませんよ」

 それなら竹本の身体がここにあるはずだ。生きているか、死んでいるかは別にして、血痕がここで途切れているのだから、説明がつかない。

「神隠しだね」

 小夜子はまた適当なことばかり言っている。神隠し、なんてこれっぽっちも信じていないくせに……。

「とにかく、電車賃二人分の往復、しめて二千円を工面すること!」

 そう言いながら、腕を組む。これは本当にやる気だ。

「はいはい。善処しますよ」

 また面倒な仕事が増えたようだ。

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