四章(4)
竹本は入院することになったが、命に別状はないという。
小夜子がどうしてもしたいと久美にねだったので、バーベキューをすることにした。快気祝いという名目だ。
「いやー、でもよかったね、一件落着ってやつだよ」
肉を頬張りながら、小夜子が話す。口に肉を詰め込んでいるせいで、あまり滑舌よく話せていない。もごもごと口を動かしている割には、聞き取れるので、それはある意味すごいのかもしれない。
「そうだな」
参加している和泉も、肉を食べている。小夜子ほど口にたくさん詰め込んだりはしていない。少しずつ、適当な大きさのものを選びゆっくりと味わうように食べていた。
「でもやっぱ肉っておいしいよね、うん」
そんなに肉を食べるのが好きなのか、嬉しそうにそれを口に運ぶ。あっという間に皿は綺麗になり、その都度プレートから焼けた肉を補充していく。
「小夜子先輩から頂いた、きゅうりの漬物もありますよ」
あまり手を付けられていないきゅうりを勧める。伊織も一つ食べてみたが、みずみずしく丁度良い味付けで食べごろであった。しかし、バーベキューには合わないような気もする。
「あー、それね。お世話になったから持ってきただけだし。私は肉を食べる!」
なぜか自信満々でそんなことをのたまう。それは、自分の家から持ってきたのだから、普段食べ慣れているのかもしれないが、それでも一口も食べないというのはどうだろうか。それ以前に、小夜子はプレート上の肉以外の野菜もあまり手をつけていない。
「バランスよく食えよ」
見かねた和泉が嗜めるが、小夜子はどこ吹く風だ。それにしても、本当においしそうに食べる。
「いつも野菜ばっか食べてるからいいんだよ」
睨みをきかせる和泉を尻目に、また肉を頬張る。
「そういう問題じゃないだろ」
「あ? 貧乏なめんな」
なんだかよくない雰囲気だ。
助けを求めようと夏実のほうを見ると、彼はなぜかきゅうりばかり食べている。野菜が好きなのだろうか。というか、少しは空気を読んで欲しい。
「たしかにお肉はおいしいですよね」
険悪な空気になりそうだったので、なんとか和らげようとする。和泉はため息をついて、静かになった。小夜子も、もとの肉を食べる作業に勤しむ。そして、ふと思い出したように口を開いた。
「てか見上は? なんやかんやで誘うのかと思ったけど」
今日集まったメンバーは、久美、伊織、和泉、夏美、小夜子だけだ。竹本は入院してしまったから仕方がないが、見上が来ていないのを不思議に思ったのだろう。
「今日は休んでた分の補講があるって、断られました」
誘いはしたのだが、いい返事は貰えなかった。補講というのは嘘ではないだろうが、体よく断られただけのような気がする。
そんな話をしていると、久美がやってきた。野菜を切っていたのだが、どうやらその作業が終わったらしい。
「いやー、みんな楽しそうだね。でもよかった、なんか解決したみたいだね」
接客スマイルをして、野菜や肉をプレートに乗せていく。
「久美さんのおかげですー」
久美が近くにやってくると小夜子は、頬張っていた肉を一気に呑み込んだ。少し高いトーンの声で久美に返事をする。
「あ、小夜子ちゃん。最近かわいくなったよね。本当に」
二人がなんとなく近づいて話を始める。傍から見ると、なんだかとても親密な雰囲気だ。
「あれ、なに?」
そんな様子を見て、夏実は首をかしげる。どこまで小夜子の本性を知っているのかわからないが、あまりの豹変ぶりに驚いた様子見だ。
「小夜子先輩はうちの兄のことが好きみたいです」
こんなことを言うのはどうかと思ったが、あまりにも隠す様子がないので、たぶん大丈夫だろう。それに、夏実のこの様子では、ここまではっきり言わないといけない。察することができていないから。
「え、まじで?」
そう答えて、もう一度二人のほうを見る。さっきまでの小夜子からは想像できないくらいしおらしい。肉を頬張っていた面影一つない。あれだけ頑なに食べなかったきゅうりの漬物を食べている。
何を話しているかはわからないが、それでも楽しそうに会話をしているのがわかった。
「てかお前の兄貴のほうもまんざらじゃないじゃん」
伊織もそちらを見ると、本当に親しげな様子が見える。やはり美人は得だと思った。
「まぁ、そうですね」
納得したように頷く。夏実もまた、それに続いた。
「まぁ、わかるわ。空蝉って黙ってさえいれば見た目はいいし……」
「兄の前では猫被ってますしね。今のところは」
言葉を続けると、夏実は閃いたようにパッと顔を上げた。
「あれじゃね、結婚した瞬間豹変するタイプじゃん」
うんうん、と自分で納得するように頷く。
本当にその通りになりそうな気がして、まだ先の話とはいえ、疲れてきた。
「なんか今から頭痛くなってきました」
まぁなんとか仲良くできればそれでいいか。
そう思い、焼けている肉を皿に取る。
「いいのか? 糸杉君は」
和泉がなぜかこちらに近づいてきた。正確にはきっと、伊織に近づいてきたのではなく、夏実に近づいてきたのだろうけれど。
「はぁ、別に……」
わりとどうでもいい。ただ色々と面倒なことになるのは、少し嫌な気もする程度だ。
「だめだぞそんなんじゃ!」
「はい?」
和泉は突然熱っぽく話し出す。いつもより、言葉に力強さがある。食べることを忘れ、喋るほうに集中しだしたようだ。
「人間諦めないことが大事なんだ!」
熱弁する和泉の態度に、少し引いてしまう。
「なんか言い出しましたよこの人」
助けを求めてさっきまで夏実のいたほうを見る。
「あ、パセリあるじゃん。うまいし!」
聞いてない。この人にはたぶん何を言っても無駄なのだろう。
「俺はめげない……」
何度も頷きながら和泉が呟いている。この人にも何を言っても無駄な気がする。
「あ、ねぇ。キミ」
絶望していると、小夜子が戻ってきた。いつもはあまりありがたいとは思わないが、今回ばかりは感謝せざるを得ない。
「あれ。先輩、兄さんとはもういいんですか?」
戻ってきた小夜子に感謝しつつも、気になっていることを訊く。思えば小夜子は、この集まりを楽しみにしていた。それは、久美に会えるからなのだろう。こんなに早くに離れてしまって良いものなのか、少し心配になる。
「キミのお兄さんの前だとお肉たくさん食べられないし、ずっとくっついてるわけにもいかないからね」
「引き際も大事なんだよ」と片目を瞑って見せた。
なるほど、駆け引きということか。
「そうなんですか」
心配した自分が馬鹿らしくなって、息を吐く。
「というか。いいよね、キミは。楽しい夏休みの始まりで」
そう言いながら、小夜子は大袈裟に悲しい表情をつくる。
「はぁ……私は恐怖の夏期講習が明日から始まるというのに」
「そういえば学校でやる講習がありましたね」
小夜子の大袈裟な表情や動作には、あえて突っ込まずに、相槌を打つ。
たしか、三年生を対象とした夏期講習が希望すれば受けられるという掲示を見たことがあった。
「あれの申し込みのお金で、うちの夕飯のもやし率が上がったことは否めない」
小夜子はうんうん、と頷きながら美味しそうにまた肉を口に入れた。
「もやしおいしいですよ」
「焼けばうまいよね、うん。ってそういう問題じゃないの!」
自分がいかに貧乏か語りだしそうな勢いだったが、止まった。
「はぁ……まぁいいや、キミにはこれからも協力してもらうからね!」
なにを協力するのか、もう面倒ごとは勘弁してもらいたい。
「金銭的援助はできませんよ」
それだけは念を押しておく。
「そういえば、この前の電車賃のおつりはどうしたの?」
小夜子は、思い出したように訊ねる。そういえば、久美に電車賃を貰ったこともあった。
「兄に返しましたよ。というか、先輩こそ夏実さんにお金返したんですか?」
「ジュースのおつりは貰ったものだからな。その前のはまぁ、ごにょごにょと……」
夏実にお金を借りている、というのはどうやら本当のことのようだ。しかも返していないらしい。
「曖昧にしていいものだとは思わないんですが……」
「夏実には絶対言うなよ!」
「はぁ……」
少し大きな声で小夜子が言う。そう言われると、強くは出れない。
「なに? 俺の話?」
大きな声で気づいたのか、夏実がこっちにやってきた。今度は、にんじんをたくさん皿に盛っている。
「なんでもない、なんでもないんだよ」
小夜子はあたふたし始め、夏実から距離を取る。
「あの、小夜子先輩に貸したお金って返ってきてます?」
思い切って聞いてみた。もうここまできたら、隠し通せる話でもないだろう。
「言うなっていったのに……」
小さく舌打ちをしてこちらを睨みつけてくる。
「金? 貸してたっけ?」
夏実は首をかしげて、眉をひそめる。本当に覚えていないようだ。
「ほら、貸りてないじゃん私。記憶力悪い奴大好き!」
小夜子がとんでもなくあざとい笑顔を作る。それをむけられた夏実も満更ではなさそうだ。
「へぇ……俺の知らないところで金の貸し借りか」
怒った様子で和泉が近づいてくる。さっきまで遠くにいたはずなのに、なぜ気づいたのだろう。
「いや、俺が空蝉に金貸したっていう話なんだけど、そんなことあったっけ?」
夏実が話し出すと和泉は、さっきまで怒っていた雰囲気は消え、優しく微笑みさえした。
「あー、あれだよな。一年のときの体育の時間に水道が壊れてジュース買ったやつ」
笑顔のまま、夏実を見つめる。
なんだか怖いけれど、当の夏実はそんなことに気づいた様子もなく、「あー、」となにか思い出したようなスッキリとした表情だ。
「あぁ、そうだ。細かいのなくて、千円貸したわ」
夏実が思い出したことが、小夜子は気に食わなかったらしい。不機嫌な様子で和泉に突っかかる。
「てか、なんで和泉が知ってるわけ? 違うクラスだったし、結構教室離れてたよね」
「ん? なんのことだ」
なにか含みのある言い方。伊織は一瞬で察した。小夜子も同じことを考えていたようだ。
「やだ、ストーカーって気持ち悪い」
「安心しろ、空蝉のことはストーカーしてない」
「わかってるから逆に怖い」
そんな和泉と小夜子のやり取りを、夏実は頭にクエスチョンマークをつけた様子で眺めている。よくわかっていないようだ。
「まぁいいや、とりあえず、今度千円返してくれればいいよ」
「きゅうりじゃだめかな?」
首を傾げて上目遣いで夏実を見つめる。あざとい、計算ずくなのは分かりきっているが、夏実はあまり深く考えていないらしい。
「俺きゅうり好きだからオッケーだぞ」
夏実は爽やかな笑顔でそう答える。千円分のきゅうりを貰うつもりなのだろうか。
「まじで? らっきー」
小夜子はいたずらっぽくこちらに向けてウインクしてきた。人の性格はそう簡単には変わらないらしい。